春夏秋冬・39

世代を超えて

 昨今では、新型コロナウィルスの影響から、ご法事やご葬儀が勤まりにくい状況がありました。三密を避ける、県をまたいではならない、となりますと法事を勤める側も、お声がけいただく側も遠慮が働きます。

 ご葬儀においても、家にいる家族だけで勤めようと思っているというお声をよく聞きました。会いに行きたくても行けない。家族が分断されていくような状況が続いていました。

 そういった中で、あるお家のご法事に伺わせてもらいますと、仏間に大きなモニターが用意されていました。そのモニター画面は何分割にもされており、ご法事が始まる時刻に合わせて、ご親族の方々がモニター越しに集まってこられました。

 私自身初めてのリモートで勤めさせていただくご法事となりました。正直最初は違和感がありました。どっち向いて話せばいいのか、私の声は届いているのだろうかなどが気になり、落ちつきませんでした。

 しかし、その違和感は、あるお家に伺わせていただいた時にすっと無くなりました。そちらのお家にも同じようにモニターが用意されており、モニターの向こうにはおばあちゃんと娘さんがおられ、お家には息子さん夫婦と小さい子達がおられました。

 ご法事の時刻に合わせ、私は装束を着替えていました。すると、小さい子達がモニター越しのおばあちゃんのところに向かい、「おばあちゃん、今から、法事、始めるからね!《と大きな声で話しかけてくれたのです。

 まさか、小さい子の口から、法事という言葉が出るとは思ってもいませんでしたので、思わず笑みがこぼれました。モニター越しのおばあちゃんもお家の方々も、皆声を出して笑い、笑顔が溢れました。仏間の空気とモニターの向こうの空気が一つになったような気がしたのです。

 その時、私の中で違和感を感じていたリモートという形は、分断された家族の繋がりを一つに繋げようとするご門徒さん方のお智慧なんやなぁと、すっと私の中に収まっていったのです。

 いつの時代も、いのちは次の世代へと受け継がれていきます。先にお浄土に還られた方々を通してご自身のいのちに目を向けていく。そのご縁をいただくのが法要の要です。

 時代が変わっていく中で、法要の形は変わっても、繋がっているいのちを想う気持ちは変わりません。そのことを最も身近に感じさせてくれるのが家族です。

 その家族を一つに繋げてくれるのが、ご法事でもあるのだなぁと、あらためて勤めさせていただく中で教えていただきました。

南無阿弥陀仏
合掌

                          釋了徹