春夏秋冬・40

モニターを超えて

 あるお家のご法事に寄せていただいた時のことです。こちらのお家は、ご法事の時はいつも大勢の方が集まって来られていました。ですが、この日はお家にお住まいのご家族だけでした。お内仏のあるお部屋に入ると、大きなモニターが準備してありました。モニターには、ご親族の方が数吊映っておられ、私はそのモニターに向かってぎこちなく会釈をしました。

 当時は、新型コロナウィルスの影響で、県を跨ぐ移動が制限されていました。そのことから、お家の方とモニター越しの方々で勤めさせていただくご法事となりました。いわゆる、リモート法要という形でした。

 最初は落ち着きませんで、お経の声は聞こえているのだろうか、どちらを向いて話せばよいのだろうか、、などと、考えなくてもよいことが気になりだし、法要の後、このリモートという形に違和感が残りました。

 その時以降も、何度かリモートで勤めさせていただくご縁を頂戴しました。また、あるお家のご法事に伺わせていただいた時のことです。同じように仏間にモニターのご用意がありました。お家には、息子さんご夫婦と小さい子供たち、モニターの向こうには、お母さんと娘さんがおられました。

 勤めさせていただく前、私はいつものように装束を替えていました。その時です。小さい子供たちが、モニターの前にタタタと走っていき、こう話してくれたのです。 「おばあちゃん、今から、ほ、う、じ、始まるからねえー!!《。私は小さい子の口から、「法事《という言葉が出てくるとは思いませんでしたので、思わずクスッと笑ってしまいました。

 すると、皆さんにも笑顔が溢れ、なんだか温かい気持ちが広がりました。モニターの向こうの方々とお家におられる方々が、同じ場所にいるような雰囲気になりました。その時、私はそれまで感じていた、モニター越しに勤めさせていただくことに対する違和感が、スーっとなくなっていくのを感じました。

 あぁそうだったのか、リモートという形は、会いたくても会えない状況だからこそ、お亡くなりになられたご家族を通して、ご法事をご縁として、分断された家族をなんとか繋げようとする皆さんのお智慧だったのか。頭では理解していたつもりのことが腹落ちした瞬間でもありました。

 今月、ご本山では、親鸞聖人の生誕850年をお祝いする慶讃法要が勤まります。それに伴い、親鸞聖人が得度をなさったときに使われたと伝わるおかみそりが、青蓮院門跡から東本願寺に貸し出され、青蓮院で「一時お移し式《が勤まりました。

 親鸞聖人が得度をなさる時、自分のいのちを桜の花にたとえられ、詠まれた和歌が残されています。

  「明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは《

 私たちのいのちは、桜と同じく、いつ散るともしれない儚いものです。明日いのちがあるかどうか分からない、だからこそ今を精一杯大事に生きていきたいとの思いが込められています。

 私たちはこのような感染症により、いきなり状況が変わってしまうということを知りました。「あたりまえ《の儚さが突きつけられました。

 いつどんなことが起こってもおかしくない世界に生きている私たちにとって、ご法事は、亡き人を通して、賜ったいのちに、限りある人生に、今一度目を向けていく大切な機会であります。

 大事に生きていってほしいと願ってくださっている方がいる。その願いに耳を澄まし、大切な方々と共に、お念仏を聞かせていただく身となっていきたいですね。

南無阿弥陀仏
合掌

                            釋了徹