春夏秋冬・43

倶会一処

 思い出すのはいつも笑っている顔ばかり。怒られたことはほとんどなく、それは私が孫だからかもしれないが、とてもとても優しい祖母だった。子供の頃は、休みになるたびに祖母のところに行っていた。他県に住んでいたので、長い休みでないと会いに行くことはできなかった。ただ子供の頃の私にとって祖母の家で過ごす時間は、何よりも楽しく掛け替えのない時間だった。

 祖母は晩年、パーキンソン病を患っていたため、体が思うように動かなくなり、言葉も自由に表現できなくなった。それでも私が会いにいくと、じっと見つめて時々変わらない笑顔を見せてくれた。今年の秋のこと、母とともに祖母に会いに行った時、母が私と一緒に来たことを伝え、わかる?と尋ねた。すると祖母は優しい声で、「わかるよ《と言ってくれた。久々に聞いた祖母の声、心から嬉しかった。

 人生は限りがある、これは誰もが知っている厳粛な事実。ただそれを我が身のこととして受け止めているかは別の話だ。人の一生はおよそ4000週間だと言われている。人生を80年と仮定しての話だが、その数字を聞くとそう長くはないというのは想像がつく。

 しかしなかなか頭で理解していることを腹に落とすというのは容易ではない。そんなことを思うと、いつもあの言葉を思い出す。「眠れない夜を嘆くものは多いが、目覚めた朝に感謝するものは少ない《。そう、これが私の姿なのだ。

 今年は暖冬だが、凛とした冬の寒さは毎年必ずやってくる。少しずつ本格的な寒さが顔を見せはじめた12月18日、祖母は安らかにお浄土へと帰っていった。

 祖母は、いのちが体を離れていく、その姿を私に見せてくれた。呼吸は腹から胸に移り、穏やかだった表情が少しこわばってきた。振り絞るように身体から溢れた声が、残り時間の少なさを告げた。まるで凪いだ海に強い風が吹き始めた時のようにその場に緊張感が広がった。

 呼吸は潮が引いていくようにゆっくりと、何度も寄せては返しながら、静かに息を引き取った。

 呼吸や心臓が止まっても祖母の体は温かかった。時間はどれだけあっても足りないものだ。頬を伝う涙が悲しみに寄り添ってくれたが、寂しさは尽きない。

 「また会おうね、また会いにいくね《と伝えていた母。私も耳元でお念仏を称えさせていただき、感謝の気持ちを伝えた。

 仏説阿弥陀経には「倶会一処《という言葉が残されている。一つのところでともに会う、という意味の言葉で、一つのところとはお浄土のことを指すと言われている。

 朝に目が覚めるかどうかもわからないいのちをいただいている私たちにとって、いのち尽きた後に生まれる世界は、暗い世界ではなく明るい世界であってほしい。冥土ではなく浄土に帰っていく、いのちの故郷に帰っていく。そう受け止めさせていただくと、上思議とこころが安らぐ。

 南無阿弥陀仏、倶会一処、いのち尽きた時は、決して無になって消えてしまうのではなく、誰もがいのちの故郷に帰ると領解。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。また、お浄土で会いましょう。

合掌

                          釋了徹