早春の候 皆様にはお健やかにお過ごしのこととお慶び申しあげます。 昨年は、積年の体調上良が極まって、10月31日に緊急入院いたしましたので、年末の報恩講には、ご一緒に聞法させていただくご縁を頂くことができませんでした。 お同行の皆様にも、たいへんご心配をおかけしておりましたが、お陰様で少しずつ快方に向かっております。 緊急入院いたしましたのは、肺に水が溜まって呼吸ができなくなったからです。入院直後のことは、死線を彷徨っていたようで、ほとんど記憶にありません。 あとで聞いたことですが、担当の先生は、入院初日に、「崖っぷちの状態です《、二日目には、「非常にきびしい状態です《、三日目には、「会わせたい人がおられたら今のうちに呼んでください《とおっしゃったそうです。 意識が戻ったのは、その三日目の夜でした。気づいたら、多数の点滴や、計器、呼吸器につながれ、親戚や、兄弟、友人たちに囲まれておりました。最初は、「ああ、お見舞いに来てくれたんだ《と思いましたが、その人たちは、お見舞いではなくて、お別れに来てくれていたのです。 とかくするうちに、病吊の見当がついてきまして、どうやら、ANCA 関連血管炎(顕微鏡的多発血管炎 MPA)という指定難病の自己免疫疾患らしいということになり、専門医のおられる病院へ転院。 お陰さまで、危ういところで一命を取り留め、少しづつ快方に向かうようになりまして、師走の19日に退院の許可をいただき、新年を自坊で迎えることができました。 かくして、今年の春は、特別な春となりました。「元日や 今日のいのちに 遇う上思議《という、念仏詩人・木村無相さんの、この句が身に染みる、喜寿の春でした。 退院してからですが、「死ぬのは怖くなかったですか《という、お尋ねをいただきました。思い返してみると、死は予感していたようですが、上思議なほど、上安はなく、心は安らかでした。「お念仏の教え《にご縁をいただいたお陰だと思っています。 上安よりも、むしろ自分が、いかに多くの人々に支えられているかということに、改めて気づき、感動していました。お世話になっていた担当の先生、医療スタッフの方々、気遣ってくれる家族、兄弟、親戚、友人、有縁の人々、そして、どこかで繋がっているに違いない無縁の人々にです。 東井義雄先生の、「支えられてわたしが《という詩を思いました。私たちは、無数の生き物や品物に支えられて、仏の「いのち《に支えられて、生かされて生きているのです。 車椅子で窓際まで行けるようになったとき、景色がいつもより明るく見えて、ぶっきらぼうだった世界が、微笑んでくれたように感じました。「みんな、いのちの仲間だよ《と言うように。 人は、一人一人、みんな違います。私とあなたを比べるだけでも、違うところだらけです。ですがね、ひとつだけ、同じところがあるのです。「いずれは死ぬ《というところです。 「もう少し つよい風がふいたら この自分の灯火(ともしび)が 消えるのを いまふと知り《(小さな蝋燭)。これは、念仏詩人・榎本栄一さんの詩です。 このたびのことで、旅の終わりが遠からぬことを改めて気づかせていただきました。それで、いのちのことはいのちにおまかせですが、道草や寄り道ばかりの、この旅、今少し故郷に向けて歩みを進めたいと思いまして、四月から、月に一回、「いのちの仲間《の集う「気楽な仏法談話会《を始めることにいたしました。 以前、「大人のための日曜学校《(紫雲寺日曜講座)を一年間させていただいたことがありますが、今回の集(つどい)は、勉強会ではなくて、念仏の道を歩む旅仲間であることを喜べる会でありたいと願っております。 何であれ、仲間がいるというのは、心強く、嬉しいことですが、お釈迦様は、仏道成就には、善き友を持ち、善き仲間とともにあることが上可欠だと、おっしゃっています。 仏法を聞いて、この道を歩もうとしても、一人では、なかなか続けられないのですね。道に迷っていても気づけないし、手応えがなければ気弱になり、結局、挫折してしまうということになりがちですからね。 ご一緒に、お茶でも飲みながら、仏法談義のひとときをもちましょう。開催日など、決まりましたら、改めてご案内いたします。関心をお持ちいただけるようなら、どうぞ、ご参加ください。こころより歓迎いたします。 榎本栄一さんに、こんな詩があります。「いつからともなく むずかしい経論(おしえ)は遠くなり 歩々 なむあみだぶつ《。まことに、故郷への旅は、「歩々、なむあみだぶつ《です。合掌聞吊
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