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先日、ご門徒さんとお話していたとき、祖父のことをふと思い出しました。 祖父が亡くなったのは、今から13年ほど前のことでした。祖父は70歳を過ぎた頃から、白内障と緑内障を併発し、視力を徐々に失っていきました。私と祖父は離れて暮らしていましたが、お寺に戻るたびに祖父はこう言いました。 「正信偈の解説テープを順番に聞きたいんやけど、順番がぐちゃぐちゃになってしまうんや。直してくれんか?」 カセットテープが10本ほど並んだカセットラックがあり、それを整理するのが私の役目でした。テープの端に輪ゴムを巻いて、一巻は一本、二巻は二本というふうに工夫して並べるようにしました。でも、次に帰るとまた順番は乱れていて、会うたびに祖父と一緒にテープを直しながら、いろいろな話をしていました。 けれど、私も次第に忙しくなり、お寺に戻ることが少なくなっていきました。そんなある日、祖父から私の携帯に電話がかかってきました。 「おぉ、また会いに来れるんか?」 「うん、休みができたら行くよ」と答えながらも、なかなか足を運ぶことはありませんでした。別の日にも祖父から電話があり、「会いに来れるか?」と聞かれても、私は曖昧な返事で済ませてしまっていました。そして、ある日かかってきた電話は別の家族からで、「さっきおじいちゃんが亡くなったよ」という知らせでした。 なんで、あの時すぐに会いに行かなかったのか。時間も休みもあったのに、会いに行けたはずなのに。後悔ばかりが胸に残り、お通夜やご葬儀を務める間も、その思いは消えませんでした。 それから10年が過ぎ、2023年12月18日、今度は母方の祖母が亡くなりました。3か月ほど前に、お医者さんから「看取りの期間に入った」と伝えられ、できるだけ会いに行くように努めました。 亡くなる数日前に容態が変わり、私はお参りの時間以外はできる限り祖母のそばにいました。そして、祖母が亡くなるそのとき、命が静かに体から離れていく瞬間に立ち会うことができました。 ご葬儀を終え、中陰中にこんな言葉に出会いました。 「人を失った悲しみの深さは、生前その方から受けた贈り物の大きさである」 その言葉に、ふと10年前の祖父のことを思い出しました。あの時、祖父が伝えようとしてくれていたことが少し見えてきた気がしたのです。
祖父が私に残そうとしてくれた贈り物とは、 風の中で揺れる灯火のような、はかないいのちを大切にするということ。その大切さに気づかずにいた私に、祖父は何度も繰り返しこの願いを届けてくれていたのかもしれません。 当時はその思いを受け取ることができなかった私でしたが、祖母の最期を見届ける中で、ようやくその贈り物の意味が少しずつ心に染み込んできました。祖父が残してくれたその願いは、祖母の看取りの中でそっと私の中に芽を出したのです。 悲しみに出会って、初めて気づく家族の願いや想いがあります。あの時は受け取れなかったけれど、祖父と祖母の贈り物は、きっと私の中に残っていたのだと思います。
「いのちにこころを寄せること」 合掌 釋了徹
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