春夏秋冬・51

ええことをしたあとに、胸がざわつくとき

 くすのきしげのりさんの「ええことするのは、ええもんや!」という絵本をご存知でしょうか。子ども向けの一冊ですが、読んでみると、私たち大人のこころにこそ、すっと入ってくる言葉が並んでいます。私もこの絵本を読みながら、読んでいて、ふと手が止まる場面がありました。

 主人公のマナブは、困っている人を見て、ごく自然に手を差し伸べます。 立派に見せようとしたわけでも、誰かに評価されようとしたわけでもありません。ただ、その場で、そうせずにはいられなかった。そんな、私たちにも覚えのある、素直な心の動きが描かれています。

 ところが、その行いを見た周囲の人たちから、

 「えらいなぁ」
 「りっぱやなぁ」

と、次々に声をかけられた瞬間から、マナブの心に、少しずつ変化があらわれはじめます。

 ええことをしたはずなのに、なぜか心が落ち着かない。さっきまでと、同じ気持ちでいられなくなっている自分に、マナブ自身も戸惑っているように見えます。

 私はこの場面を読みながら、ここに描かれているのは、煩悩が生まれる瞬間なのではないか、と感じました。

 仏教でいう煩悩とは、悪い心や、捨てるべき心のことではありません。認められたい、価値ある自分でいたい、ちゃんとした人として見られたい。そうした思いは、私たちが生きていくうえで、ごく自然に起こるものです。

 マナブは、ええことをしたことで、初めて「ええことをした自分」を意識してしまった。それまでは、ただ人を助けていただけなのに、ほめられたことで、自分の行いを、自分で見返すようになった。そこに、心の揺れが生まれたのです。

 この揺れは、悪いことでも、情けないことでもありません。むしろ、人としての姿に、ふと気づかされるような瞬間、そう受け取ることもできるように思います。

 私たち大人も、同じような経験をしているのではないでしょうか。誰かのためにと思ってしたことが評価されたとき、うれしさと同時に、どこか胸がざわつくことがあります。

 「次も、同じようにせなあかん」
 「期待を裏切ったらあかん」

 そんな思いが、知らず知らずのうちに、自分自身を縛ってしまうこともあります。

 この絵本がやさしいのは、その揺れを、決して否定しないところです。ええことをしたあとに、心が濁ってしまった、とは描かれていません。

 ええことをしたあとに、心が揺れる。煩悩が生まれる。それもまた、人間の姿やと、静かに示しているように感じます。

 仏教は、煩悩のない人間になることを目指す教えではありません。煩悩を抱えたままの私たちを、否定せず、置き去りにせず、そのまま見つめている、そのまなざしが、仏さまの教えなのだと思います。

 ええことをして、それでも心が揺れる私。立派であろうとして、しんどくなってしまう私。その姿から目をそらさず、そのまま受けとめてくれる。そこに、私たちが立ち返る場所があるのかもしれません。

 「ええことするのは、ええもんや」

 この言葉は、正しくあれ、という呼びかけではなく、立派でい続けよ、と促す言葉でもありません。

 ええことをしても、心が思うように整わない。それでも、また誰かに手を伸ばしてしまう。その繰り返しの中を生きる私たちを、そっと肯定してくれる言葉として、この絵本は、胸の奥に静かに残ります。

合掌

                        釋了徹