春夏秋冬・7

右と左

 「右」と「左」。何でもない言葉だが、説明に苦慮する。「右」とは何か。「左」でない方である。しからば「左」とは何か。「右」でない方である。…いつまでたっても埒があかない。

 「利き手」に着目する。二つの手のうちで器用な方である。10人が日の出の方向をむいて利き手を挙げる。すると9人までが同じ方の手を挙げる。そこで多数決により、こちらの手を「右手」と呼ぶことにする。こんなふうにして決まったかどうか保証の限りではない。だが、ラテン語の「右」(dexter)という言葉には「器用な」という意味があるところから見ると、あるいはと思う。

 東をむいて「右」といえば南になる。ところが、西をむいて「右」といえば北になる。だから、「どこから見て」あるいは「誰から見て」という観察の起点を決めておかねば、共通の理解が得られない。ここに「右」「左」の難しさがある。

 京都には「右京」と「左京」がある。右京は左京の西側にあるから、これは北から南を見たものだ。「君子南面す」といって、帝は内裏に南面して座された。その帝から見ての右左である。政治で「右」「左」といえば保守と革新。これは議長席から見て、右側に与党、左側に野党が座ったことによる。

 「右」「左」には「上下」の価値観もからんでくる。そのうえその価値観がコロコロ変わるものだから、話は面倒だ。中国の漢代には右上位だった。だから漢代にできた熟語の意味は全て右上位になっている。たとえば「左遷」である。中国の文字は縦書きで、右から左へと行を移していく。だから官職のリストで名前を「左に遷せ」ば官位を下げたことになる。その逆が「右に出る」である。

 唐代には上下が逆転して左上位になるが、その後も元代には右上位、明清代には左上位と、二転三転する。唐の影響を受けた日本では左上位である。左大臣は右大臣より上席。舞台でも席次でも上手は左、下手は右となっている。ただし、左大臣、右大臣は、帝から見ての右左。舞台の右左は演者から見て、席次の右左は床の間から見てのことである。

 私ども無位無冠の小人から見れば、たいていは右左が逆になる。いっそ円卓にでもしてもらうと、徒に右顧左眄すること無く、心安らかに席を暖めることができるのかもしれない。もっとも、円卓にしても「右まわり」「左まわり」の別があるとおっしゃるのなら、あとはもうお任せするしかない。