春夏秋冬・8

小市民的愚痴

「回覧板」八つ当たり

 行政の広報手段のひとつに「回覧板」というものがあるが、これが回って来るたびにどうも精神衛生上麗しからぬものを感じていけない。

 ドアチャイムで呼ばれて回覧板を受け取り、らちもないプリントに目を通し、ハンコを捺して隣に回す。これも一度や二度ならしかたがないが、どうも頻繁に回って来るような気がする。そこで、1992年4月から1993年3月までの一年間、我が家に回って来る「回覧板」の回数を調べてみた。結果は37回(60枚)。8月から11月までは月に4回づつ回って来ているが、平均して見れば10日に一回ということになる。…まあこの程度なら、我慢できないものでもない。…ただし、本当に必要な内容であればである。

 「狂犬病予防接種」や「ポリオ生ワクチン接種」、「百日咳・ジフテリア・破傷風予防接種」の案内などは、犬を飼っている家や該当する幼児のいる家庭に保健所から直接案内が来るのだから、回覧など無用である。また、「春の交通安全運動」、「春の火災予防運動」、「危険物安全週間」、「夏の交通事故防止市民運動」、「秋の火災予防運動」のキャンペーンプリントなど、実質的に何の意味もない。「成人病」や「癌」の予防検診の案内なども、さほど意味があるとは思えない。だいたい集団検診のような大雑把な検診でひっかかるような癌なら、もう手遅れに近いと思ってよい。

 中には首を傾げたくなるようなものもある。「身障者福祉事業」として市価1200円のゴミ袋を580円で販売だとか、「身体障害児者父母の会」のカタログ通信販売などである。市価より高く売って利益をあげるというのならともかく、これでは何の足しにもなるまい。それに、こういった販売に関して、売上収支決算報告に類するものが回覧されたことがないのも不思議なところだ。また、半ば強制的に出資を依頼される「赤十字」にしても、決算報告は出されているが、歳出の50%近くが運営費や管理費に類する費用というのはどうも妙である。

 極め付けは至急回覧で回って来た近くの神社の「鎮座壱千年記念事業寄付帳」と、同神社の御神札および伊勢神宮御神札の申込書の回覧だった。こういったものは信教の自由を保証する憲法第20条に抵触しないのだろうか。寄付するかどうかは個人の自由だと言っても、隣組が全員寄付しておれば付き合い上出さないわけにはいかなくなる。だから、いわば強制に近いものである。もっと怪しげなのは、かつて平安神宮が炎上したおりに市内の各町内に復興分担金が課されてきたことである。これなどは犯罪すれすれのような気もするが、いまだ裁判ざたになったという話は聞いていない。……まあいずれにせよ、回覧板の必要性についても考え直す時期に来ているように思う。


 【小市民】資本家と労働者の中間の階級に属する人。思想面は資本家の考え方に近く、経済面・社会面では労働者の生活に近い。中小商工業者・技術者・俸給生活者・自由職業人などを含めて呼ばれる。プチ=ブル。(『広辞苑』) (註:絶対多数を占めながら、数が物を言うはずの民主主義社会で何故か冷飯を食わされている人々のこと。)

 【愚痴】いっても甲斐のないことをいって嘆くこと。(『広辞苑』) (註:娑婆の常として、物言わぬ腹にたまってくる陰性のガス。これを適宜排出すると精神的小康状態を保つに資することもある。)