歎異抄に聞く会(第10回)
平成31年4月27日(土)開催

(参加者9名+坊守+住職)

こんなプランでお話いたしました

● 念仏、『正信偈』(同朋奉讃式) 唱和

● 音読: 序文 〜 第10章 (毎回ご一緒に音読します)
                音読は、ゆっくりと散歩する気分で

● 第5章

 この章では、念仏は追善供養のためにあるのではないと述べられています。仏法は、先祖供養の教えではありません。(ご存じでしたか?)

 この章は、第4章と関係が深くて、煩悩まみれの人(自分)には人(他人)を救うことはできないということが述べられています。「生きている人を救えない」(第4章)。「死んだ人を救えない」(第5章)。

 世間の思いと、仏法は違いますね。道徳と仏法は別です。仏法が問題にしているのは、此岸(迷いの世界)から彼岸(仏の世界)に渡ること、仏に成ることなのです。真の「利他」は仏にしかできないことだからです。

 池山栄吉先生は、「『歎異抄』は純金の塊のようなもので、そのうちの一部を取ってみれば、全体がわかるので、『歎異抄』のどこにもかしこにも、『歎異抄』の全体がふくまれている」、「『歎異抄』は、全体を読まなくてはわからないものではない、また全体を読んでも必ずしもわかるものではない、要は一点その精髄に浸透する、しないに係っている」とおっしゃったそうです。

● 座談会: (お気楽に、なんでもお話しください)

● 次回のご案内: 第11回 5月25日(土)午後2時〜4時
         (第12回は、6月29日に予定しております。)

● 念仏 唱和