心の青年への手紙・第15通

「性」について

拝啓

 前回は「食」についてお話しいたしましたが、今回は「性」について考えてみたいと思います。と申しましても、何も、とりたててロマンチックな話やエロチックな話をしようというわけではありません。そうではなくて、今回は、仏教での「性」にまつわる差別と誤解について少しお話ししてみたいと思っております。今回のテーマをひとことで言えば、「仏教は性差別する教えか?」ということです。ミニ仏教史のような話ですが、どうぞしばらくお付き合いください。

 食糧問題が「食」の問題ではなく「心」の問題だったように、「性」の問題も大部分は「心」の問題です。私たちの身体のほとんどは遺伝によって決まりますが、「心」のほとんどは環境によって決まります。つまり、私たちの「心」は、私たちが育っていく家庭環境と社会環境によって決められていくということです。私たちの社会は、今でも、まぎれもなく男性優位の社会です。そういう社会に育てば、当然、無意識のうちに男性優位・女性蔑視の考え方が身に染み込んでいきます。

 身近な例で言えば、学校のPTAは保護者会といいますが、ごく最近まで「父兄会」といっていました。公式の場で家を代表するのは男と決まっていたのです。職場でも男性優位があたりまえになっているようで、女性の管理職の下に配属された男性社員が、ふてくされて指示に従わず、結局は暴言を吐いて辞めてしまったという話も聞きます。また、以前どこかの県会議員が議場で女性議員にセクハラ行為をして問題になりましたが、当の議員は「女は可愛がるもので、議会になど出てくるものではない。自分のどこが悪いのか分からないが、問題になったので責任をとる」という他人ごとのような反応で終わりました。いささか理解を越えますが、こういったことも、無意識のうちに埋め込まれた男性優位・女性蔑視の考え方によって起こったことだと思います。

 たしかに、近ごろは雇用の機会均等法などによって社会的な男女差が縮められたかに見えます。ですが、こういった動きは、「劣った女性」が「優れた男性」に追い付くことを条件に「男女の平等」を認めようというもののように思えるのです。つまりは、女性が自らの女らしさを捨てて、「男性に変身」することを前提にしている。私は別に、いわゆるフェミニストではありませんが、こういった方向での男女平等には、どうも釈然としないものを感じます。

 まあ、それはひとまずおくとして、インドで仏教が生まれたころの身分差別や男女差別の厳しさは、到底現代の比ではありませんでした。そんななかで、本来の仏教は、一切の差別を否定していたのです。たしかに、歴史的に見ると仏教は性による差別をしてきました。ですが、性差別してきたのは男尊女卑的な社会通念にとらわれた中央集権的教団仏教でして、本来の仏教ではありませんでした。この点を、少し歴史的に見ていきたいと思います。

 インドには今も「カースト制度」がありますが、そのもとになっているのは古来の階級制度である「四姓制度」です。バラモン(司祭階級)、クシャトリア(王侯・武士階級)、ヴァイシャ(庶民階級)、シュードラ(隷属階級)というのがそれです。釈尊は、この階級制度を否定し、四姓平等を説かれました。ですが、実際には、社会の下層階級の人々は、ほとんど教団に加わっていませんでした。学者の研究によると、当時の仏教教団は、バラモンが60%弱、クシャトリアが30%弱、ヴァイシャが20%弱、シュードラが3%程度という構成になっていたといいます。つまり、教団のほとんどが、上位三姓の支配者階級の出身者たちで占められていたということです。

 釈尊の教団は、四姓平等の原則に則り、誰にでも開かれていましたが、実際に出家して教団に入ったのは、読み書きのできる支配者階級の人たちがほとんどでした。出家修行者といっても高潔な人たちばかりではありません。比丘たちの間には、嫉みの思いもあれば、侮りの思いもある。いくら教団が四姓平等の原則に則っているといっても、長年の世俗生活の間に身体の髄までしみこんだ、出身階級の上下によるプライドやコンプレックスを、簡単には捨てられなかったというのが本当のところだと思います。つまりは、バラモンを最上とする俗世の階級制度が、教団の上にも影を落としていたのです。

 そういった世俗の父権制階級社会では、女性はどう考えられていたのでしょうか。当時の法典にはこう書かれています。「女は本来悪性である」「女を殺すことは、穀物や家畜を盗んだり、酔っ払った女を強姦したりするのと同じく、微罪である」(『マヌ法典』)。「女は子孫(男児)を生むために創造された。従って、妻は畑で夫は種子を撒く者であり、畑は種子を持つ者に授けられねばならない」(『ナーラダ法典』)。つまり、女性は、男児を得るための道具にすぎない、家畜以下の存在だったわけです。

 そんな時代に、釈尊はこう説いておられます。「愛する者の愛する人は誰であろうとも、たとい賎民の女であろうとも、全ての人は平等である。愛に差別なし」「夫婦がともに信ずるところあり、こころよく与え、自ら謹んで、正しく法にかなって生活し、互いに愛しき言葉を語るなら、両人の幸福はいやまさり、安らかな幸が生まれ来る」「生まれによって卑しい人となるのではない。生まれによってバラモン(尊とい人)となるのではない。行為によって卑しい人ともなり、行為によってバラモンともなる」「人に差別があるかのように世間でいわれていることには実体がない。それは人間が勝手に言葉で規定しただけのことである」と。釈尊には、男女を差別する意識など微塵もなかったのです。

 たしかに、女性出家者(比丘尼)の戒律は男性出家者(比丘)のそれより厳しく規定されています。そのため、釈尊は男尊女卑の考えを持っていたと言う人もいます。しかし、それはどうかと思います。釈尊の教団は、最初は男性出家者だけの集まりでした。また、四姓平等といっても実質的には教団内部だけのことでしたから、父権制階級社会とのトラブルもさほどありませんでした。しかし、男尊女卑の世俗社会に「食」を依存しながら、社会通念に反する女性の出家を受け入れるということになれば、そこには当然、様々なトラブルが予想されました。また、「女を殺しても微罪にしかならない」という世界で、女性が林野に独居して修行するとなれば、そこには相当な危険が伴うはずです。そういったことへの配慮が、比丘尼への厳しい戒律となったのだと思います。

 また、釈尊は、「女身は不浄であるとみなして女性に近付くな」と、比丘に一切の性行為を厳しく禁止しておられます。ですが、「女身は不浄であるとみなして」と言われているのは、この経典が男性出家者に向けて説かれたものだからです。釈尊の本意は、男女を差別することではなく、性行為そのものの禁止にありました。理由は、性行為が「定(瞑想)」の妨げになるからです。ある行者の経験談によると、性行為をすると、その影響で3〜4日は瞑想に必要な深い精神集中が不可能になるということです。だからこそ、釈尊は、女性出家者にも同じように一切の性行為を厳しく禁止しておられるのです。

 ちなみに、戒律には、自慰・同姓愛から獣姦・死姦にいたるまで、あらゆる性行為がことこまかに規定され禁止されています。どうやら、釈尊の教団にも性に苦しんだ人が沢山いたようです。『律蔵』には、性欲に悩み自ら男根を切り取った比丘の話まで出てまいります。ですが、これを聞いた釈尊は、「愚かな人だ、他に断つべきものがあるのに、男根を断つとは」と嘆かれたそうです。実際、断つべきものは、「身体」にあるのではなく、「心」にあるのです。(本当は、性エネルギーは瞑想のエネルギーに昇華されるべき重要なエネルギーなのですが、話が長くなりますので、これについてはまた別の機会にお話しすることにいたします。)

 当時の女性蔑視的社会通念に反して、釈尊は女性も悟ることができると考えておられました。釈尊の養母マハー・パジャパティーの出家をとりなしてアーナンダが釈尊に尋ねます。「もし女性が如来の教えに従い戒律を守って出家したとしまして、悟りに達することができましょうか」と。それに対して釈尊は、「アーナンダよ、その場合、女性であっても悟りに達することができよう」と答えておられます。このアーナンダのとりなしによって、マハー・パジャパティーは教団に受け入れられ、最初の比丘尼となったのです。

 バラモン的な男性出家者たちは当初から女性の出家に批判的でしたが、釈尊在世当時は、釈尊の威光と釈尊の養母への遠慮からか、表立ったトラブルもなく、比丘尼教団もそれなりの地位を保っておりました。ですが、釈尊滅後は比丘尼の地位が低下し、数世紀の間にインドの比丘尼教団は消滅してしまいました。教団は次第に女性蔑視の傾向を強め、部派仏教(小乗仏教)時代には完全に女性の成仏(悟りを開いて仏陀となること)が否定されるようになってしまいます。

 部派仏教時代には、ヒンドゥー(バラモン)教的な女性蔑視の「三従五障」説が仏教内に取り入れられます。「三従」とは、「女は、子供のときには父親に従い、嫁しては夫に従い、夫の死後には息子に従う」という、戦前まで日本でもお馴染みだった考え方です。「五障」というのは、女性がなることのできない五つの地位・身分のことで、「ブラフマン(梵天王)、インドラ(帝釈天)、魔王(他化自在天)、転輪聖王、仏陀」を言います。これによって、女性は女性であるという理由だけで、いくら仏法を信じて仏道を行じても、決して「仏陀」にはなれないとされてしまいました。言うまでもありませんが、こんなことを考え出したのは男尊女卑社会で育った男性出家者たちです。

 しかし、その後、釈尊の本来の精神を見失ってしまった部派仏教を徹底的に批判して、釈尊の原点に還ろうとする仏教復興運動が起こりました。それが大乗仏教です。大乗仏教では、小乗仏教時代に成立した「三従五障」の説を克服するために大変な努力を払いました。そこから生まれてきたのが『法華経』などに説かれている「変成男子」(へんじょうなんし)の説です。「変成男子」というのは、「女は成仏できないのではなく、男に生まれ変わってから成仏できる」という説です。ですが、これまた、女性蔑視の考え方だと非難する人もいます。

 たしかに、釈尊の精神に還るのなら「女も成仏できる」と一言ですむところを、「男に生まれ変わってから成仏できる」と持ってまわった言い方をしているのですから、女性蔑視のように思われても仕方がないかもしれません。ですが、これは、当時の強固な女性蔑視の社会のなかで、「女人成仏」の可能性を回復するためにとれらた、ぎりぎりの救済策だったのです。

 さきほどもお話しいたしましたように、当時は女性の地位が極端に低く、扱いも家畜以下でしたし、夫が死ぬと、その死骸とともに生きたまま焼き殺されるというようなことも普通に行なわれていました。そんな社会でしたから、仏教の説く平等思想は、階級制度を否定し、社会秩序を混乱させるものとして、ヒンドゥー教側から激しい非難を浴びていました。そんな中で「女性も成仏できる」と言ったとしたら、まさに火に油を注ぐようなもので、大変危険なことになってしまいます。それはちょうど戦前戦中の日本で「人はみな平等だ、天皇も庶民も同じだ」と説くようなものだと言えば、状況がお分りいただけるでしょうか。そんな状況で、現実的な妥協策として説かれたのが、この「変成男子」の説なのです。

 たしかに、「変成男子」の説は未熟な平等説です。ですから、大乗仏教運動が広まるにつれて、「変成男子」という手続きをとらずに、直接「女人成仏」を説く『勝鬘経』のような経典も現われてまいります。大乗仏教運動は、女性の名誉を回復する運動でもあったのです。ですが、その大乗仏教は、皇帝の治める父権制の強い中国を通って日本に伝えられ、これまた父権制の強い日本の権力と結びついていくなかで、すぐに当初のエネルギーを失っていきました。そんな仏教が平等思想のエネルギーを回復するのは、ようやく鎌倉時代になってからです。

 たとえば親鸞聖人は『高僧和讃』で、「男であれ女であれ、高貴な人であれ卑賎な人であれ、行・住・坐・臥、いつどこでどんな営みをしているときであっても、弥陀の名号を称えるのに障碍となることはない」と詠んでおられます。また道元禅師は『正法眼蔵』に、「男の修行に女が障りになるというのなら、女の修行には男が障りになるということであって、仏道に男女の差別をするなど笑止千万のことだ」という意味のことを記しておられます。ここには、まさに釈尊の精神が生きていると思います。

 しかし、娑婆の常として高潔な精神は維持しにくいもので、教団が大きくなり、中央主権的な組織ができあがってくるにつれて、平等思想のエネルギーは再び失われていきました。ある人が、世界の宗教的伝統について、こんなことを言っています。「それぞれの伝統で、ありのままのリアリティと接触する方法について実験していたはずの人々が、結局は形式的なシステムの中で安住してしまうというパターンを繰り返してきた。リアリティの真の姿を見いだした興奮を後世に伝える代わりに、彼らはむしろ真実を犠牲にして安全第一の共同社会を築くことに専念したのである」と。このパターンは、仏教教団にもあてはまるのではないでしょうか。

 自分が育った時代の社会通念から完全に自由になれる人は滅多にいません。20年ほど前のことですが、奈良仏教の著名な大長老が、あるインタビューでこんなふうに答えておられました。「フランス革命以来、男女同権がいわれるようになりましたが、男と女は本性からして違いますのや。女人不成仏。そりゃ決まったことや。往生は誰にでもでける。虫けらでも往生しよる。が、…女人はようせえへんとお経に書いてある。阿弥陀ハンでも女人は成仏でけるとは、ひとつも書いてない。…女身というものは罪悪深重…。成仏観の移行やな。往生と成仏とごっちゃになりよって…そこが親鸞のミソやな。そら流行るわけや」と。権威のある人には偏見もあるようです。ですが、あらゆる偏見から自由になる教えが「仏教」ではなかったでしょうか。

 男女の問題だけではなく、なにごとにせよ「平等」ということは大切なことですが、不思議なことに、世間では「平等」ということが、それほど喜びをもって迎えられません。実際、あまり「平等、平等」と言っていると、かえって白い眼で見られることさえあります。封建時代から受け継がれてきた「本末尊卑明分思想」の名残か、「平等思想」を危険視して恐れる人もいるのです。言い古された言葉ですが、「生れつき尊いとされる人がいるかぎり、生れつき卑しいとされる人はなくならない」のです。不正や不平等がなかなか改められないのは、その不正や不平等によって何らかの利益を得ている人たちがいるからです。

 不正や差別は無くしていかねばなりません。ですが、私たちは、本当はみな心の底でひとつにつながっているのです。別の「たとえ」で言えば、私たちはお互いに「同じひとつの手の親指と小指」なのです。そのことを忘れていると、不正や差別の問題は解決したように見えても、立場の上下が入れ替わっただけということになってしまいます。

 最近の「夫婦別姓」の問題でも、結果的に見れば、夫の父親の姓ではなく、自分の父親の姓を選ぶというだけのことではないのでしょうか。とすれば、さほど意味のあることとは思えません。「変成男子」の説を女性蔑視と攻撃しながら、自らの女らしさを捨てて「男に変身する」道を選んでいくというのでは、何か矛盾しているように思うのです。本来、男は男のままで、女は女のままで、互いに平等であるはずのものです。そういう平等を説いているのが、本来の仏教なのです。

 ある女性解放運動のリーダーも、こう言っています。「神さま、私に男の支配をはねのけるだけの強さを与えてください。でも、男と同じになってしまわないように、どうぞ、私から弱さを取り上げないでください」と。男も女も、ともに傾聴すべき言葉かと思います。合掌