最近、思うこと

私の住んでいる地域は、新興住宅地ながらいまだ自然が多く残っています。
車で20分も走れば沢蟹が沢山とれますし、近くの宇治川なんかでは小鮎の引っかけ
釣りなんかも出来ますし。
田んぼや畑も多く、田んぼの側の何でもない溝に鮒っ子やメダカが泳いでいたりしま
す。しかし、たまに子どもを連れて行くのですが面白くない様子。
なぜなら、自然が残っているといっても限られた狭い部分のみであり、メダカの泳ぐ
溝はコンクリートで固められ、道はアスファルト。
そこに車で行くのですから面白くない。
見渡す限り自然が一杯という環境は、やはり車で2〜3時間かけないと行くことが出
来ません。
日本三景の一つ、天橋立の近くに田舎があるのですが、30年ほど前はよく夏休みに
帰省していました。
(ここまでちょうど車で3時間です。昔は国鉄で帰省していました。)
山沿いにある茅葺き屋根の典型的な田舎の家で、いつもおばあちゃんが家の前の小さ
な坂道の途中で笑いながら待ってくれています。
そして、我が家の夏休みのはじまりです。
いつも私は朝早く起きて、縁側の下で飼育する鶏の卵を失敬してそのまま飲み込み、
近くの神社に走り縁の下に巣くう蟻地獄にちょっかいを出して朝ご飯となります。
朝ご飯は白米に塩だけで握ったにぎり飯ですが、これが美味しかったこと。
2〜3個お腹に詰め込んで、さて、今度は蝉取りです。
竹薮ではヒグラシ、雑木林ではクマゼミやアブラゼミがうるさいほどに鳴いています。
それを手掴みで取って、虫かご一杯になったら家に帰るのですが、途中の地道では、
いつも何やら黒い紙飛行機のようなものが行ったり来たりしています。
「鬼やんまだ!」
虫アミで捕まえようとしますが、最初はヒョイと逃げられる。
しかし、あわてないあわてない。しばらく身を屈めていると必ず戻ってきます。
何回か失敗した後に、ようやく捕獲成功。
喜び勇んで家に帰ると、もう昼飯時。
しかし、すぐにご飯は食べません。まず、家の前の洞窟を覗き込むのです。
「あるある!」ちゃんと確認してからでないと昼飯は食べられません。
何せ、午後からのスケジュールが狂ってしまいますから。
ひんやりとした洞窟の中で涼んでいると、いつもおばあちゃんが声をかけてきます。
「あんまり奥に行くと、ライオンがおるで!」
※ライオンは、危ないところに子供を行かせない知恵です。
いつもそのライオンに驚いて外に飛び出すのですが、畑帰りのおばあちゃんはニコニコ
顔で、両手には菜っ葉を抱えています。
田舎にいるときのお昼ご飯は、その菜っ葉でした。
京都にいるときは、(丹後・京都府の人は、京都市内をあえて京都と呼びます)菜っ葉
なんて食べたくもないのですが、田舎ではなぜか食べられます。
そして気づかないうちに、うとうと・・・・・。
目覚めると、今度はカブトムシ獲りです。
といっても昼の間に砂糖水を木に塗っておいて、翌日の早朝に獲りに行くのですが。
もうその頃には汗だくになっており、ここで子供心に決めたスケジュールの遂行です。
全力疾走で家に戻り、「おばあちゃ〜ん!」
ライオンが恐いものだから(変なもので翌日には恐くなくなっています)、おばあちゃん
を呼び出して家の前の洞窟に入ります。
中にはキンキンに冷えたスイカ。それを鎌の柄で叩き割って食べるのです。
それから、しばし種飛ばし合戦。
お腹一杯になると、今度はメリケン粉を水で練った餌で魚釣りです。
ハエジャコや鮒がバケツの底が見えなくなるほどに釣れました。
今では図鑑でしか見ることの出来ない水生生物も沢山いましたし。
こんな毎日を繰り返していた記憶があります。
そして、ちゃんと朝には虫かごやバケツが空になっていたことを思えば、おばあちゃん
が蝉や魚を逃がしていたのかもしれません。
見渡す限り、自然しかなかったようです。
私の子供には、こんな経験をさせてやることは出来ません。
田舎も道路が出来て地道は無くなり、家も近代的な建物に変わりました。
今、住んでいるところと同じく(比べものにならないくらい、多いのですが)、限られ
た部分に自然が残っているという状態になってしまいました。
ふと横を見ると我が娘がカップラーメンを食べています。
私の幼少のころは食べた記憶がありません。
私がたまに環境について語るので、「早く食べんと環境ホルモンが出るで」などと言っ
ていますが、「3分間、待ってるから一緒や。」などと割り切ったことも言っています。
今年の夏は仕事が忙しくてかなわなかったのですが、来年は娘を連れて船で海に出たい
と思っています。
こまごまとした刺激に囲まれている娘には退屈かもしれませんが、見渡す限り海しかな
いという状況で、それでも海をずっと見ることが出来るという感覚を知ってもらいたい
と思っています。
与えられた条件、枠の中で精一杯に努力する美徳もありますが、枠の無い中でボ〜ッと
したりもがいたりする美徳もあることを、何年もかけてお互いに違う視点と年齢で感じ
たい。ぶつかったり寄り添ったりする相手は、何も人工物だけでは無いでしょうから。

以上

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