かみがしげよし作品集より 新京の風土記 疏水<水へのオード> 第1~7章 500

 

 

 

新・京都風土記

疏水

<限りない水へのオード>

について 

 

私は‘77年頃から、新・京の風土記シリーズの詩・10篇を書こうと思っていた。第2編、「黒谷」のあと’79年から、第3篇として取り組んだのがこの「疏水」だった。構想から2年の歳月を経て’819月辛苦の脱稿となった。が、このオムニバス形式の長編叙事詩の創作により、当初10編の風土記は私の中で、ひとつの完結となってしまった。’8111月詩人、故秋山清氏より、日本語における叙事詩として画期的な一歩を開いた作品と評して頂いた。今、水への想いはさらに深い。

 

 

 

 

疏水

 

哲学の道

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疏水(眼り無き水へのオ−ド)

 

     黎明

 

孝霊五年淡海に

一夜

地は裂け

湖が出来た

時に

遠つ淡海に富士が湧出した

と、遠い人達は言う

地に如何ほどの忿りが溜り

天にどの様な憤怒が砕けたか

人々の驚愕は図り知れない

 

大地の伸びやかな優しさは

裂けた地に水の潤いを与えた

水! 天と地の限りない愛

水! この譬ようもない始源

水! この凝縮

慈む愛の波動は輻輳する

波紋を重ね

生き物達の数億のドラマは

坩堝となって燃え滾った

 

 

 

 

 

 

 

遥かな旅程を流れ

走り、漂い、静まりながら

伝説と神話と

創りあげられた栄光の数々は

何処え!

 

そう彼方!

悠久の見る事さえ出来ない彼方

単光が漂い

生命の序章は寂しい空間

あれは

湿潤気体の世界だった

握力の全てを否定し

流動の思想が廻る世界

原始球体の意味を知る由もない。

 

あなたはここにも母をみるだろうか

 

 

 

 

 

メタン ! アンモンの蒸気

水素ガスの温流

雷鳴に発火する生命のドグマ

セントラルドグマの階

母の包みこむ偉大さにおいて

母の潤んだ思想において

母の無低抗の優柔において

母の飽くこと無き逡巡において

母の恒久の慈愛において

水・・・一滴の巨大な意志

 

ここにボルガの母に育まれた

オパーリンの夢は

コアセルベートの

原始海洋を

流体に纏わりつく

悲しみを残しながら

突き進む

 

 

 

 

 

 

 

いつの日か

ぼくらの手に

高慢に握られたDNAの鎖と

解説書

文明の狡智に数百デシベルにも

増幅された

ぽくの耳には

今、 一滴の伝説もない!

あなた!

母よ!

水の精霊の母よ!

あなたの悠久をぽくにください。

 

 

  つぶやき

 

ぷしぎな透明

きみをコップに流し込む

ガラスの規律を伝わる

流体

 

鮮やかな気泡

疲れきった

この日も

ぼくは透徹る君を

荒々しく呑込む

喉が軋み

体の硬いボルトは緩む

透明という

無限の静寂が

細胞の島々にしっとりと

 

 

 

 

浸潤してゆく

すると ぼくの体腔で

水よ 君のありとあらゆる

歌声が聞こえてくるよ

山狭の風や

雨あがりの川辺で

緑の葉脈からしたたる冷滴

きこえる

川のうたが

”水よあなたはどこから来たの

   水よあなたはどこへ

 流れてゆくのですか・・・”

 

 

  ヒンドウーの水

 

ぼくらは

今真に愛される水の姿を

求めねぱならない

朴訥なヒンドウーの民の

生活の日々を語らねぱならない

 

君が嘔吐を催したという

ガンジスの水を

細かく細かく剥してゆく

芥、腐臭

解体した生物のぬめり

土塊、死骸

赤い! 黒い! 黄色い!

粘性と活土

あれも、これも

微細に微細に分離した

底に〃水〃は姿を見せない

恥いり踞くまるものは

生きる為の残渣

自然の魔術師がどうしても

造らねぱならない

美の贖の影

人々は水の信仰の

あまりの清々しさに涙さえする

水はヒンドウーの人々の

体内にあった

 

 

 

 

遥かヒマラヤの源流

シバ神の髪の毛より

放たれた一条は

ベンガル人の

タミール人の

ヒンドウーの人々の生命を包み

広がり

 

ある時はモンスーンの

狂人となって

豊かに大きく

荘大な音楽となって

ヒンドスタン平原を往く

パラナシ、天国の門を潜り

ガンガサガールで

天に至るという

ガンジスに嫁した

女神力−リーは

ドルガプージャの祭の日

人々の巷に帰る

シバ神が ビシュヌが、カーリーが

偉大な聖人クリシュナやラーマが

ヒンドウーの熱気に燃る

人達は

「ガンガは母です」と

誇らしく語る

 

 

 

 

あなたの国の東

ぼくら極東の島国

少しの傲りや彩度の低い色を保ち

人の日々をくねりながら流れる

幾百条の水流はどうだ!

嘗っての清流を

忘却の彼方に押し込めた

民族の知恵の終、水−−。

分離することも出来ず

粘着し合体し悪欲禽獣の性

練金術師の少しの夢をも

かなぐり捨てた

化学

渦巻く知能に奢れる者どもが

投げつけ、蹴とぱし、唾し、

罵り、嘲笑う真直中を

流れ、流れねばならぬ

河よ! 川よ! 流れよ!

飽くなき欲望の排泄口

物質群の声も出ぬ悲しさ

 

 

 

 

 

 

“聖なる水”

あなたは〃ガンガ〃と呼ぱれ

限りなく人々の熱い想いを溶かした

水の精

あなたは至高の意味を持った

このヒンドスタンの平原を

流浪し! 流浪し!

人々の心の襞に

苦悩の襞に

猜疑の襞に

まつわりつく人間の煩悩さえも

含み

包み抱いて流れ往くよ

 

あなた

夕ぐれのガンジスよ

ペナレスのガートで

人々の滑らかな沐浴に

サリーをドーテーを

潤んだ心をしっとりと濡して

瞳深い乙女の額に

愛の証シンドフを輝かせ

喜悦の油液をたっぷりと吸って

ガンガはゆく

ガンガは往くよ!

 

 

 

 

  ウンディーネ

 

ヒタヒタと打ち寄せる

船べりに

溶けて消えてゆく・・・・・。

泡沫の掟に抗する事も出来ず

ドナウの流れは音たてて

下流への使命を送る

男たちは

勇気ある者たちは

君のことを終生忘れない

君が魂ゆえの愛に

いとしいフルトブラントを

涙で殺害しなければならぬ

水の悲しみをぼくらは

忘れられない

 

水は魂を持つ水精を造った

ウンディーネは水の精

きみは魂なんか持たなければ

よかった

 

 

 

 

「魂って可愛いものらしいわね・・・

  でも、とっても恐ろしいものかも  知れないわ・・・」

きみは無邪気なままでいればよかった

ウンディーネは人間に背かれた

水界の美女

愛に偽りがあるとき

夫を殺さねばならない

涙で! 涙で! 涙で! 殺した。

 

水は異次元の人間界に

話しかけてみたかったのだ

流れる 流れる

ウンディーネは世界に満ちている

 

 

    水 路

 

明治23

早春、湖南の風は凛として厳しい

三井の梵鐘が霞の中を縫う

湖水は三保ケ崎を立つ

淡海大津の都が露の滴と消えて

やがて生れた平安の都に続く

遠い歩に似て

緑の水路は静かに離流する

変転! 豹変! 怒涛・・・

世が移相する激なるか雄たけぴ

風雪の中

一群となり

緑水に魅せられた男たち

彼らは

水精の妖しい吐息に

燃え滾ぎる情熱で応えた

 

青年! サクロー・タナペ

 

あなたは水を求めた

文久元年江戸に誕れ

工部大学校に学んだ日々

 

 

 

 

 

曙の微光の中に

水の歓気に満ちた全能の姿

思慕の想いは

ウンディーネとなって

若葉のしなやかな

あなたの心に溶け込んだ

流れる

水は流れる

流れつづける

長等山稜下

冷気を浴びて隧道へまっしぐら

断面馬蹄アーチ形

第一と第二の立抗から

射しこむ日光に

時として銀鱗の光輝を見せて

くぐる、くぐる、

辛苦の暗窟

光は白い渦を巻き

隧道は開く

 

 

 

 

水はうす青い山並を映して

山科盆地へおどり出る

藤尾! 諸羽山! 安朱!

天智陵の北を廻り

日ノ岡山隧道へ

吾国最初鉄筋混合土橋を潜り

九条山を抜ける

眼下に開く京の街

対岐する水

そこは船溜り

直下40米岡崎の平地へ

流れ下る水は

ペルトン水車に激しく絡む

 

 

 

 

 

回転の歓喜は唸りりをあげて

エジソン直流発電機を回す

出力80kw

二千馬力は都に新しい時を運ぷ

開化に酔う人々に

驚嘆を撤き散らせ

分かれた流路は

赤いレンガの

南禅寺水路閣を渡り

東山を廻り洛北へ

田園をゆく

湖水を立った緑の水達は

行程11.47Kmの残響の記録を告げて

「混々として加茂の流れに入りたり」

 

 

 

 

  創 る

 

京に湖水を誘う想いは

江戸の世から人々に願われた

舟航する流路

山のような品々を連ぶ

宝舟、

請願の書に綴られた図

山を穿ち川を縫った計画は

幾度か夢から醒めようとした

が、水は流れなかった

 

「交通幹線計画」

明治1420才の青年

サクロー、タナベは

永い人々の夢を再ぴ世に問うた

荘大な夢なら

なお

京の人々には

巨大な水積は計り知れない

恐れであった

 

「なんやて!

近江の水を洩くて

  そんなあほな!

「うちらの都を水瓶にはさせへん」

「鴨川晒はどうするのや!」

都の女はどこで顔洗うんや!

「わてらそないぎょうさんのお金

払われへん!」

 

街の人々の声はゴウゴウと響く

押し寄せ くり返す

水路を阻める軋礫に屈せず

タナベをキタガキを

進めたものは…

水。

水の高貴に輝く姿

水精への激溢する思慕

彼らの心底に

さらさらと流れ続ける

清らかな音を聞けぱよい

 

 

 

 

 

 

 

明治18年6月

水神山ふもとの検屈場に

「轟音とどろき土塊打ち上ぐること五十間」

水路工事は叫ぴをあげだ

進めど! 進めど!

岩石は固く

息の根止まる土巧作業

長等山腹角硅岩盤

厳としてはだかる

湧水! 暗黒! 粉塵!

土圧を破ってハッパが進む

日浅い文明の利器

蒸気ポンプは停止の連続

土砂崩壊・・・生き埋め

工事はむごいI

人々は一歩を踏みしめ進んだ

粗末な器械に

人々の知能が全力をあげる

竹テーブを巻く

測る目はランランと輝く

断面馬蹄アーチ形

赤レンガ巻きの隧道は

西へ向って一歩一歩

京の都へ進んでいった

 

みはるかす大洋の彼方

自由の大地アメリカヘ

明治2110

横浜を出帆したアビニシア号

15日の船旅はカナダ

バンクーバー

水の可能な光を求めて

二人の工人が往く

陸路カナダ太平洋鉄道

モントリオールを経て

1111日ニューョークに立つ

 

 

 

 

タナベとタカギの瞳に

交錯する新大陸の文明は

ポトマク・モリスの運河

ボストンの水道

リン市の電車

ローエルの水力工業

いいやそれではなかった

彼らが求めたものは

この大陸の西三千キロ

馬車を駆って

目指すはアスペン

コロラド山脈の峰

5日の昼夜走り抜けた街

ピッツバーグ・シンシナティー・

インディアナポリス・セントルイス

カンザス・デンバー

そしてアスペン鉱山

峡谷に創られた

水力と電力のささやかな結合

椎拙な六百馬力の曙は

極東の島国に

水波の無限の実在として

二千馬力の直流エジソン発電機の

唸りをあげた。

「ヲヤマーきれいやの、ワイワィと

叫ぴ、ヨウヨウと謳い、

ポンポンシューの花火、何だか

ガタガタした事があったが、コリャ

どえらい盛挙やら」

これは人々が喜んでいる姿です。

明治23年 春

日ノ岡山の桜花は艶やかな光を

飛ぴ交う小鳥に与えていた

 

 

 

せきれいは

甘い湖水を羽根いっぱいにあぴた

洛中の人々は群をなし

鉾を建て

祇園囃子を奏で

うかれうかれた

もう絶ゆることない水の

流れを見つめた

観る人の群は後から後から

たゆることなく生れた。

 

 

 

オ−ド

 

雨だ!

おれの顔は

天に向った

水は、しとど流れた

瀑雨の中に突き刺さった

おれは

力のかぎり

オンディーヌ!

と叫んでいた。

 

 

 

「注 解」

 

@「倭漢皇統編年合運図」明和八年辛卯五月京都寺町三条文 華堂発行

書中に、 孝霊五年乙亥 近江湖湛ウ・・・・・・}とある

       考安九十二年庚申六月 富士山出ル・・}

A単光=自然光をプリズムで分光し得られる単色光または、レーザー光線の

ようなコーヒレントの高い単一波長の光をさす。

Bセントラルドグマ=量子生物学の用語で、一九三五年に、          ワトソンとクリニックにより解明された、

          DNA二重らせん模形による、「生命の中心説」

          のこと。現在ては「タンバク質の合成」と呼ぱれる。

Cコアセルベート=オバーリン(ソ連の生化学者)らの説にある、

       地球生命の発生過程で原始海洋中に、含まれたタンバク質

       化合物がさらに複雑に進化した生命誕生母体の液滴

Dデシベル=音量の単位(dB)

E”水よあなたは・・・”=バラモンの古い歌。ガンジスの讃歌。

Fバラナシ=ベナレスとも呼ぶインド最大のヒンズー教の聖地。

Gガンガサガール=ガンジス用がベンガル湾に注ぐデルタの先端地、

         川の旅は終り水は天に登り再ぴシバ神の世界にもどる。

Hドルガプージャの祭り=インド、南ベンガル州最大の祭りり。

       女神ドルガが嫁入り先のガンジス川から里がえりする日。

 

 

 

 

Iビシュヌ=ヒンズ教の二大主宰神の一つ。

 カーリー=ドルガの化神でシバ神の妃神。

 

Jクリシュナ=もとは聖人であるが、実はビシュヌ神の化神でもある。

       ラーマ

Kドーテー=ヒンズー教徒の愛用する、民俗依しょう。

Lウンディーネ=ドイツ後期ロマン派の作家フーケーの「水妖記」

        (岩波文庫訳)中の主人公、水の妖精。

MフルトブラントーLの作品・ウンディーネの恋人、夫(人間)。

Nサクロー・タナベ=田辺朔郎:文久元年江戸生れ。M18年東京

          工部大学校卒業後北垣京都府知事に望まれ、ぴわこ

          疏水工事を完工し、M23年若千29歳で同水路を完成さす。

O長等山=大津と京都山科の間にある山、第一ぴわこ疏水の隧道と立抗が

     あり疏水工事の最大の難所となった。

P鴨晒し=明治頃まで鴨川中流で行われていた晒布。

Qキタガキ=北垣国道:兵庫県出身。高知、徳島県令を経て

      京都府知事となリ(M14)びわこ疏水完成にじんカする。

R水神山=大津三井寺ふもと、ぴわこ疏水路検屈場となる。

S竹テープ=測量用スチールテープの代用として田辺が考案した代用品。

SOndine()=独語UNDINEのフランス読

 

 

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