高木茂のホームページ アルコール依存症について02
エッセイなど
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  2000.12 Be増刊号「親の自立、子の自立」
投稿文「二人の手記」
かっこわるくてもいい今度こそ本音で話す
父親の立場から 高木 茂
   
 
息子を避けていた
 
「親子について」がテーマの投稿依頼。息子との関係をふりかえるよい機会になると思い、二つ返事でOKしたのだが、いざペンを持つとまったく書けない自分に驚きと落胆を感じた。
私が断酒してから、もうすぐ満五年を迎えようとしている。私の飲酒がひどかった時期に家庭内暴力の問題を起こしていた息子は今、二十二歳になり、かつてと比べすっかり穏やかになった。しかし私は息子が殴りかかってきたときの恐怖が未だに忘れられず、本能的に息子のことが怖いと感じてしまう。飲酒していたときは、酒の力さえ借りれば怖いもの知らずであったが、素面になった今では本能的に相手を避けている。
息子はそれに気づき、私の態度が変だ(自分を無視している)と妻に文句を言う。私と息子とで直接会話することはほとんどないため、妻が間に立たされているのである。案外、私がいないときには妻と息子とで「お父さんは変だ」ということになっているのかもしれない。
そんな状況で、私はアルコール依存症による精神的な後遺症とあいまって、多分にうつ状態にある。
 しかし引き受けたものを途中で投げ出すわけにもいかないので、とにかくこれまでの自分の父親像と二人の関係を振り返る形で思いを綴ってみた。
 
自慢の父親
 
 昭和五十二年十二月、私は待望の男の子の父親となった。
私は母子家庭で育ち、きょうだいも姉だけ、母は水商売をしていたので、周りはとにかく女性ばかりだった。父親はおろか、幼少期に身近な年長者の男性と接したことがない。だから自分の子どもに対しても、どんな父親となってよいのかわからず、ペットのようにただひたすらかわいがることしかできなかった。事実、本当にかわいかったし、上二人の女の子と違って私のすることに何でも興味を示してくれた。
 三歳になる頃だったと思うが、あまり私が酒好きだったからだろう回らぬ舌で「大きくなったら二人でビール飲みに行こうね」と言ったかわいい声が今でも耳に残っている。
 どこへでも連れて行ったので、息子は大人と接することが上手になり、大人に気に入られるすべをいつの間にか身につけて、常にみんなの人気者であった。
 この頃から私はすでに、理想の「かっこいい父親」を演じていたように思う。絶対叱らないし何でも買い与える。困ったことはすべて私が解決してやる。いつも面白く何でもできる、器用で素敵な父親。当時の息子にとっては友だちの間でも自慢であったようだ。
 
裏目に出た?
 
小さい頃甘やかしすぎたためだろうか、学校に上がってからの息子はずっと「自主性がない、努力が足りない」という評価であった。その反面、人に好かれるとか常に人気者という評価もあった。私は息子が小さい頃から常々、「勉強や成績はどうでもいい。人間性が第一だ」と口癖のように言っていた。その結果が見事に裏目に出たのだろうか、高学年になるに従って学力の低下が目立ち始めた。それでも私は「人間性優先」を言い続けたが、心の中では「えらいことだな」と思い始めていたのだ。いつしか酒を飲むたび息子に説教をする父になってしまっていた。
 子は親の背中を見て育つと言うが、私は子どもに背中を見せたことがない。息子が成長するに従って、以前にも増して正面から向き合い、理想の人間に仕立て上げようと、聞く耳持たぬ子どもに哲学にも近いような人生観を語り、そういう生き方をするように強要し始めた。それも必ず酒の力を借りて……。
 中学にあがる頃には、息子の学力はますます低下し、私は以前とは正反対の態度で「どうしてこんなことぐらいできないのだ」と息子を責め、自分の部屋に呼んでは遅くまで家庭教師まがいのことをやったのである。
多分息子にとっては、「俺は偉いだろう、それに比べてお前はなんて馬鹿な奴だ」と言っているようにしか感じなかっただろう。それからは坂道を転がるように、不登校に始まり、学内暴力をはじめ数々の事件を起こす。何か問題が起こるごとに、私は父親として何とかしなければという思いで、先生や被害をこうむった相手の親御さんに礼儀を尽くし、社会生活で身につけた処世術を駆使して事をおさめていた。それが父親としてかっこいいことだと思い、家では胸を張って「やっぱりお父さんが出て行けば相手もわかってくれる」と自慢していたのだ。
 そして、家に帰ってから、当の本人には、(問題解決で疲れたことを理由にいつもより多くの酒を飲みながら)一見冷静そうに、お前のどこが間違っているのかとか、今後どうしなければいけないのかといったことをしつこく説教した。だんだんと酔いが回ってくると、今度は妻に対して「お前の育て方が悪いからこんなことになるんだ」と罵声を浴びせること再々。今考えれば、息子は逆のことを望んでいたのではないか。先生や相手の前で思いっきり叱って、家に帰ってからはどうしてあんなことをしたのか、その奥にある気持ちを聞いてほしかったのではと思う。外ではにこやかに応対して怒りを抑え、家に帰るとその分まで荒れる父親のために、息子はどんなに悲しい思いをしたことだろう。
 
立場が逆転
 
ある日、夕食のとき私のお説教が始まった。すると、突然息子が爆発した。 「お前の言うとおりにはさせない。今日から俺がこの家を仕切ってやる」といったことを叫びながら私に殴りかかってきた。息子はいつしか、私を見下ろすようなでっかいカラ(体格)をした高校生になっていた。腕力ではとうていかなわない。私は、ただ防御あるのみ。最後は逃げるように自分の部屋にこもってしまった。なんと情けない父親だろう。
 この日から、私たちの立場は一転してしまったのだ。それからの私は息子のご機嫌とりをし、何を言われても「ハイハイ」と迎合するのであった。そして息子が問題を起こすたびに、カウンセリングはもとより、宗教まがいの集会にまで出席して息子の更生のために他力本願で走り回る弱い父親と成り果てていた。
しかし、いったんお酒が入ると事態はまたしても一変して私の天下である。息子に殴られようが蹴られようが、怖いものなし。私の破れかぶれの暴力と罵声には、さすがの息子もあきれるばかり。
 こんな日々がどれくらい続いただろう、最良の生き方を望み自分を託したただ一人の息子が、最初の高校は不登校と暴力事件で退学、そして定時制へ、またしてもここで問題を起こし再び学校を変わる。私の逃げ場は酒しかなかった。
 とどめは警察官を巻き込んだ集団暴力事件である。呼び出された警察の少年課で、私はまたしても理想の父親を演じていた。息子の非行を詫び、今後自分がきっちりと指導するといったようなことを、極めてかっこよく言ったつもりだった。ところが刑事さんからは意外な言葉が返ってきた。
「お父さん。あんたの息子は大丈夫や。長年の少年課の刑事の勘と、この子の目を見ればわかる。問題はあんたのほうや。自分がやったことでもないのにどうしてそんなに恐縮するんや。どうして息子を叱らんのや? しっかりせんとだめだよ。もっと胸張って!」という言葉であった。本当に目から鱗が落ちる思いであった。
 
そして断酒後
 
 息子は半年の保護観察処分を見事自力で乗り越え、徐々に成長していった。
 一連の流れは、ちょうど私がアルコール依存症でどうにもならなくなって断酒を始めたのとぴったりと一致するのである。
 これでめでたしめでたしなら、何も言うことはないのであるが、私の依存症による種々の精神的・肉体的な問題がお酒を止めたからといってそう簡単には解決しないのと同様に、息子の方もなかなか立ち上がれないで苦しんできたようだ。
 長年の習慣で朝なかなか起きられないことをはじめ、短気で怒りっぽく、切れると見境がつかなくなるし、辛抱することが苦手であった。そういったことで、二十二歳になってまだ高校生である。それにしても仕事をしながらの風雪八年の高校生活、これは大したことなのに、私は素直にほめることができない。
 定時制のあとに始めた通信制の高校は、続けることが難しく卒業率はほんの五パーセントだとつい最近聞いた。息子は来春間違いなく卒業できると太鼓判を押されているそうである。友人も家内も、「これだけ続いたのだからえらい。もう少しほめてやったら」と言う。理屈ではそうである。よその子であれば、大したことだとほめているだろう。それが自分の息子となると、うまく言葉にならない。「順調に行けば、もう大学を卒業している年なのだ」と、気持ちは裏腹になる。
考えてみれば息子には、いいところがたくさんある。常にたくさんの友人に囲まれ、人気者である。そういう人間としての魅力をはじめ、私が知らない優れた力を息子は持っているのに違いない。それを信じてやれずに、自分の基準に合わせてもっともっとと望んでしまう私は、未だ子離れできていないのである。
 息子は以前に比べ明らかに穏和になってきていて、暴力や極端な罵声は全くといっていいぐらいなくなっている。しかし時折りバタンと大きな音を立てて戸を閉めたり、母親とちょっとした口げんかをしているだけで、私は震えがくるほど恐ろしくなり、以前の状況がよみがえってきて、こんな息子にしてしまったのはみんな自分が悪いのだという自責の念に駆られる。
 我が子への接し方がわからず、表面だけのいい父親を演じ、自分のために猫かわいがりしてきたこと。長じては息子の起こす問題を酒の肴にまでしてきたことが悔やまれてならない。
 今更、過去のことを悔やんでもどうにもならないとわかってはいる。それよりも今、思い切った私自身の改革が必要なのだろう。いつまでもおびえたりせず、本当の気持ちを心から息子に話し、私もまだまだ病気であること、そして、「おまえが大声を上げるだけで逃げ出したいほど怖いんだ」ということを正直に話さければならないと思う。「理想の父親ごっこ」ではなく、みっともなくてもいいから本音を出してみようと思う。
息子もいつか子どもを持つ日がくるだろう。そのとき、私のように迷うことなく「自然体の父親」となれることを願っている。
この記事を投稿する機会に恵まれたことが、私に新たな気づきをもたらしてくれた。この気持ちがさめないうちに息子と話し合ってみようと決意する私である。

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