高木茂のホームページ アルコール依存症について02
エッセイなど
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  1999.11 Be増刊号「夫婦って何?」
妻と一体化しようとした間違い
高木 茂
   
 
妻も私も、「理想の家庭」とはほど遠い環境で育った。  仲の良い夫婦像に人一倍憧れを持ち、何もかも共有しよう  とした。ただし、私は妻から仕事も趣味も友人関係も何も  かも取り上げ、妻はそんな私に尽くす形で・・・・・・・
 
妻の言葉
 
「殺してしまいたいと思うくらい憎い夫だったけれど、自分がいなくなたらこの人はどうなるのかと考えると、結局別れることすらできず、今日まで一緒に暮らしてきました。」 アルコール依存症の夫を持つ女性から良く聞く断酒会での体験談である。
>                   私の妻は、そこまでは言わない。私が横で聞いているということもあるだろうが、「殺してしまいたいと思った」でなく、いなくなってくれればいいと思った」ぐらいの言葉でおさめておいてくれている。 しかし、飲酒当時の心情としては、同じようなものかも知れない。
私は妻より4つ上で、今年56歳、結婚して丸30年になる。若い頃から無類の酒好きで、その上酒乱であったため、長年にわたり妻や子供たち、そして同僚・隣人・友人に多大なる迷惑をかけながらも酒を飲み続け、平成8年2月に「アルコール依存症」の宣告を受け、以来今日まで、通院と断酒会への出席によって一滴も酒を飲まない生活を続けている。
 
「理想の家庭」がほしくて
 
私は、水商売の母の元で姉とともに母子家庭で育った。妻は小学校の頃に、病気で子供のできない夫婦の養女としてもらわれてきたという。

 いずれも「理想の家庭」にはほど遠い環境で育った。私は小さい頃から人の顔色ばかりを気にする「弱虫」のくせに八方美人、そして妻もそういうところはとても似たところがあり、二人とも普通の家庭生活というものに憧れと期待を持っていたと思う。 3年近くの交際をして結ばれた二人。人からは、まるで兄妹のように見えたことだろう。 実際、私たちの新婚時代は仕事以外の時は常に行動を共にし、お互いのすべてを知り、何もかもを共有しようと自分たちの夢を限りなく追求したのだ。ただし、私は妻から仕事も趣味も友人関係も何もかもを取り上げ、一人の女として占有することが男の威厳であると思っていたし、妻はそれに尽くすことを愛と感じていたようだ。
二人がお互いに(主に私が、だが)まったく飾ることなく思った通りに表現し、それぞれの心の中に深く入り込もうとしたため、いつしか共依存の関係が生まれてしまったのだ。 そこへ私の酒の問題である。安月給のくせに毎日酒を飲み、外のつきあいもけっこう多かった私。それだけならいいいのだけれど、酔っぱらって内外で種々の問題を起こし、妻がほとほと手を焼いている頃に子供が生まれ、いつしか二人は三人の子供達の親となった。
しかし、私の酒癖はますますひどくなる一方であった。食事の最中にテーブルをひっくり返すことぐらいは朝メシ前で、妻の顔が外に出られなくなるほどに腫れ上がったことや、娘の勉強机をトイレと間違って、教科書やノートをびしょびしょに濡らしてしまったことなど・・・・数え上げればキリがない。 家の中のことは家族が辛抱すれば何とかなったのだが、外でおこした問題はいくら酒の上でとはいえ、よく刑務所に入らずにすんだなと思うようなことを度々繰り返してきた。そのほとんどの後始末は妻がやってくれていたのだ。 それでも私は、妻に罵声を浴びせかけていた。妻が好きだから結婚したのは間違いないし、彼女に特別の悪いところがあったわけでもないのに、自分の気の弱さを晴そうと浴びるように飲む酒を正当化するため、ちょっとしたアラを見つけてはしつこく小言を言うようになっていた。「掃除の仕方が悪い」「ぐずぐずとする」「子供の教育がなってない」「他人に愛想が良すぎる」等々、何でも良かったのである。
 
よその夫婦がうらやましい
 
それは、子供の生まれる前のことだったと思う。しこたま飲んで帰ったある日、妻のちょっとした言葉から、私が一方的に怒り出して、謝る妻に限りなく暴言を吐き、物を投げつけたり殴ったりして暴れまくったあげく眠ってしまった。さすがの妻もあまりの屈辱に耐えかねて睡眠薬を飲んで自殺を図った。
 ところが、そのことを後年になってから「自殺するくらいの覚悟があったのなら、なぜ今日までおれのいうとおりに自分を改めなかったのか」と大酒を飲むための暴言のネタにしてしまう私なのである。 私は、ずっとよその夫婦がうらやましくて仕方なかった。奥さんがいつもご主人を敬っていて、ご主人は奥さんにとても優しくしている。そして、何よりどこへ行っても家の中はきれいだし、すべてがスマートだ。それが、俺のところは何となく惨めったらしい・・・・・。
ば、惨めったらしいのは自分自身だし、私がうらやましく思った夫婦の多くは、お互いの間に距離をおいてせっしているだけのことだったのだ。 私たちが求めた、相手のすべてを知り、身も心も共有するとということに元々無理があることに気づくのに、30年の歳月を要したのでる。 そんな私だから、きっと妻は私以上に愛想を尽かしていたことと思う。しかし、世間体や養父母のことを思うと辛抱するしかなかったに違いない。だから酒乱の私を少しでも怒らせないようにとせっせと酒を与え、好物の「おふくろの味」づくりに波源だ。 何とはかなく、皮肉なことなのか!酒を飲めばどうなるかを知っていながら、夫の喜ぶ姿見たさに罵声を浴びせかけられながらも繰り返した努力の結果が「アルコール依存症」である。まさに、共依存の末路であった。 その強烈な酒への執着から私をめざめさせ、お酒のない新しい人生への足がかりを作ってくれたのは、紛れもなくお酒の害をもろに被った妻と子供たちなのだ。
 
飲まないがゆえの葛藤
 
あの泥沼の世界からようやく這いだして早や4年の月日が流れた。 今でこそこうして少しは冷静に物を考えるようになったが、断酒を決意してからの日々は決して安易な道のりではなかった。
 「酒さえやめれば」と思っていたが、やめたからといって、人間が急に変わるわけでもないし、夫婦の関係がすべて改善されるわけでもない。 むしろ飲酒時代の方が、飲んだとか飲まないとかいうことだけに終始して、物事をあいまいにすませていたので、ある意味では気楽であった。
 のまなくなって、夫婦ともに今までは見えなかったことが見えてくるのだが、私はしらふだから、以前のように罵声を浴びせかけたり、愚痴ったりということができなくなった。妻も、変なことを言ってまた飲酒につながってはという気遣いから、あえて言いたいことを言わなくなった。 もともと生い立ちや性格が似ていることもあって、どちらかがうつ状態になるとそれが倍増されて、まったく口をきかない日が続いたりしたこともあった。 そんあとき、どうしてそのストレスを解消すればいいのかわからなかった(以前はお酒にそれを求めたが)。
一年近くは、二人そろって、毎日、酒会の例会に出席していたが、お互いの体験談を聞いているうちに、改めてそれぞれの考え方に違いがあることがわかってくるのがとてもつらいもことであった。 私は自分の犯した罪の深さを思い起こし、二度と繰り返してはならないというような内容の話が多い。  しかし、同じように妻が過去の私のことを語ると、心の中では「それはあんたの言うことじゃない。俺の話をするのではなく、自分のお酒に対する接し方がどうだったか、夫に対する自分がどうだったかという、自分自身のことを語るべきだ。」と、またしても身勝手なことを思っていた。  お酒をやめても、自己中心の私はちっとも変わらなかったのだ。
 こんな私に強烈なパンチをくらわす出来事があった。二年前の夏から秋にかけて断酒会で知り合った最も仲の良かった友人二人が相次いで自殺をしたのだ。それも、二人とも3人の子供があり、奥さんとともに断酒に励んでいる人だった。 二人がいつも言っていたのは「酒を飲んで迷惑をかけ、そしてやめた今、これまで以上に精神的な負担をかけながらも、自分自身がのんでいた頃とちっとも変わらないのが、たまらなくつらい。」ということだった。 私にも、同じような焦りはあった。それは、断酒している私を早く認めてほしいという焦りであった。
 この二人は死を持ってその葛藤を解決した。そして私に、それは間違いであることを教えてくれたのだ。残された家族の憔悴の激しさをみて、絶対生きて飲まない姿を姿を見せ続けることによって償いをすべきだという確信を得たのだ。それからの私は少し変わったとおもう。 
 
理想の夫婦などなかった
 
それまでは、妻の断酒会への出席、そして家族の断酒への関心度の高さといったことを求め、「酒をやめている。」ということに家族全員を巻き込んでしまいがちであったが、妻との関係をうまくやっていくには、私が自分を変えることしかないと気づいた。
 私は以前から好きだったパソコンに本格的に取り組むことにストレス解消法を見いだし。妻は飲酒時代には絶対不可能だった友達との旅行をしたり、介護福祉士の免許を取得して働くといった、自分自身の世界が持てるようになった。
 それぞれが認め合いながら、共有をしない世界を持つようになって、これまでとは違った夫婦(これがふつうなんだと思うが)ができるようになってきた。
 それは、長い年月をかけて二人で築いていく夫婦の「到達点」であったのだ。
 アルコール依存症の夫を持ったがゆえに、「主人がお酒を止めてくれたので幸せです。」という妻。こんな形で幸せを表現するしかない彼女に心から申し訳ないと思う。  もっと普通の喜びをいっぱい味あわせてやりたい。そう考えるにつけ、理想の夫婦像をお続けたくなる私の衝動がまたぞろ頭をもたげてしまい、何とも難しいところである。

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