高木茂のホームページ アルコール依存症について02
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  2000.12 Be増刊号「親の自立、子の自立」
投稿文「二人の手記」
この機会に親父に頼みがある
高木 哲也(息子)
   
 
鍋物のジンクス?
 
俺が子どもの頃、親父はよく手品をやってくれた。ものすごく手先が器用で、コインが現われたり消えたり、俺がひいたトランプが魔法のようにわかってしまう親父の技に、俺は目を見張り、拍手喝采した。親父はそうやって子どもを喜ばせるのが好きだった。
でも酒を飲むと、まったく人が変わったようになった。小学校の頃に覚えているのは、夕食が鍋物だと必ず途中で親父が荒れることだ。理由はわからず、ジンクスみたいに思っていた。急に親父の目つきが変わって、箸をバシッと折る。皿を投げつける。テーブルをひっくり返す。
母が延々怒鳴られることもあったし、上の姉もよく標的になった。姉が何かいらんことを言ったというので親父が怒り出し、殴りつける。真ん中の姉がとりなそうとする。「大人ぶって気に食わん!」と、この姉も罵声を浴びる。次には俺も散々に怒鳴られ、結局は全員がすくみあがった。夜中に叩き起こされたこともあった。俺はそんな親父が怖かった。
中学になると、親父は俺をつかまえて難しいことを長々と説教し、勉強を教えようとし、できないと殴った。俺はもう親父が怖くなくなっていた。むしろ憎いと思った。勝てるのやったら殴ってやりたいと思っていた。
俺はタバコを吸い、ケンカ騒ぎを起こすようになった。よその中学とも、もめごとを起こした。中二のとき、修学旅行に来ていた中学生から金を脅し取ろうとして警察につかまった。学校に何度も呼び出しを食らい、警察にまで呼び出された母親は「このバカ息子が!」と血相を変えていたが、度重なると根性がすわったようだった。
しかし親父の方は、どんどん動揺がひどくなり、わめいたり怒鳴ったりし、俺の行動が我慢ならない様子だった。俺のほうは、親父が何を言おうと、黙って縮こまっているのはもうたくさんだった。悪くなっていく自分を親に見せつけてやれという気持ちもあった。
親父が酔ってくだくだ言い始めると、「なに言うてんのや」「殺すぞ」と反抗を始めた。親父も「どこでそんな言葉覚えてきたんや」「その目つきはなんや」と、争いがどんどんエスカレートした。
ある日、めちゃくちゃに酔った親父から、「おまえは人間のカスや」「生きてる価値がない」「クズや」と言われた。
 
俺がしめたる!
 
俺はどんどん悪くなり、親父はますます酒がひどくなった。ステテコ一丁で寝転がった親父は、とろんとした目で俺を見ると、「なんやおまえはー!」とろれつの回らない口調で言う。憎らしく、情けない。「なんやねん」と向かっていき、とうとう殴り合いになった。親父はふらついていたから、殴ってきても俺には一発も当たらず、俺は親父を殴りつけた。
気づいてみると、俺は家中を敵に回していた。姉たちを含め誰もが俺のことでガミガミ言い、俺はカッと来ては手をあげていた。この家を俺がしめたる、と思っていた。親父はそんな俺が怖くなったのか、急になんでもハイハイと言うようになり、俺が怒鳴るとすぐ部屋にこもっては飲んでいた。そして酔うと「カス」「クズ」と俺に罵声を浴びせた。
十七歳のとき、コンビニに仲間とたむろしていたら、騒がしいという住民の通報で警官が来た。誰かが警官を殴り、乱闘が始まった。俺は保護観察処分になった。そのあたりで、やることはやってしまったように気が抜けた。
高校を中退していたので、仕事をしながら夜間高校に通ったが、それも続かなかった。親父の言った「おまえは人間のカス」という言葉が忘れられなかった。一応真面目に暮らしながらも、先の希望はなく、どうせ俺なんか、と思っていた。
 
きれいごと並べるな
 
ようやく断酒した頃の親父は、イライラのかたまりだった。家族は気を遣っているが、俺はつくづく親父に腹が立っていた。家族のために酒をやめているなどと、きれいごと並べているが、結局は医者に「飲めば死ぬ」と言われて怖くなっただけだ。依存症は病気だというが、どこまでが病気なのか。家族をあんなにひどく怒鳴ったり殴ったり、俺に「クズ」と言ったのも病気なのか。
しかし何も言えない。親父の酒がひどくなったのは、俺のせいでもあると思うからだ。少しでも俺が反抗すれば、「そんなん言うたら、また飲んでしまう」と親父は脅す。そして苦しそうな顔になる。
そうかと思うと、断酒会の話をあれこれ家族に聞かせる。親父のためと思って黙って聞くが、こらえるのがしんどい。そこで俺が一言いらんことを言ったり、途中で話を変えたりすると、親父はピクッとして席を立ち、部屋にこもる。翌日から、誰が話しかけても黙りこむ。
家族だったら顔を合わせれば、おかえりとか、ただいまとか、おはようとか、声をかけるのがふつうだと思うのに、お互い素通りになる。親父も、言いたいことが言えずに苦しいのかもしれない。
俺は俺なりに、今後を考えることにした。工場で働きながら続けてきた通信制の高校を、今年ようやく卒業できる。来年から、大学で福祉の勉強をしたい。母や姉がこの分野で生き生き仕事をしているのを見て、俺の道もこれだと思った。
 
親父と普通に話がしたい
 
親父は、「8年もかかって高校出るのはなかなかできない。すばらしいことや」と俺に言った。俺は勘ぐってしまう。大学はあきらめろという意味に違いない、どうせ続かへんと親父は言いたいのではないか。考えてみたら、親父からほめられたことなど今まで一度もない。
親父がどう思っていてもいい。俺は自分で、自分のことが少しずつ信じられるようになってきた。
昨年、彼女ができた。彼女とケンカになるたび、「おまえ、俺をバカにしてるのか」「どうせ俺なんか……だと思てんのやろ」と繰り返していた。彼女は「ちがう」ときっぱり否定し、「またそれ言うてんのか」「なんでそんなに自分に自信がないのやろ」と一緒に考えてくれた。
今では、目つきがやさしくなったと言われる。自分でも、昔の写真と比べてみて違いにびっくりした。たまに昔のクセが出て、巻き舌で凄んでものを言うと、彼女に怒られる。
この夏に、俺は初めて断酒会に行ってみた。姉たちは行ったのに俺だけ出たことがないし、たまたま時間があいていたので、出てみることにした。実は、皆の前で親父に思い切り言ってやろうと思っていた。しかし俺は話がうまくないし、あがってしまい、言うはずだったことと逆のことをしゃべっていた。もう親父のことを許した、俺も悪かった、これからは自分のために生きてほしい……。
親父が喜んだので、それはそれでよかったのかもしれない。でも今は、せっかくの機会だから、親父に頼みがある。
親父は仕事熱心で、まじめで、えらいと思う。しかしそうやって無理を重ねてきたことで、すべての問題が始まっているのではないか。外でがんばっていい顔をするから、家でつらくなる。
定年も近づいているのだし、あんまり無理をしないで、これからは自分の奥さんを大事にしてほしい。親父の考え方は、男尊女卑だ。親父の育ちを考えれば、しかたないのかもしれないが、俺は、女の人を大事にするのが男の使命だと思う。
母も、父に対して何も言わないが、夫婦なのだから自分のことをもっと話したらいいと思う。親父も苦しいときに家族に黙って部屋にこもっていないで、苦しいと言ってほしい。俺は、長いこと親父に気持ちを言えずにいるが、もっとお互いに普通に話せるようになりたい。
 
 
その後のこと。
親父は出張中にこの原稿を書いていて、いろいろ考えたらしい。帰るなり「話がある」と改まった顔で俺を呼び、「今まですまなかった」とあやまってくれた。翌日、親父が「おはよう」と声をかけてきたので俺は嬉しかった。ただし二日しか続かず、またしかめ面に戻った。いかにも親父らしい。今度は俺のほうから「おはよう」と言ってみるつもりだ。

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