高木茂のホームページ 私と酒の害について03
娘からお父さんへ
 
 
幼い頃の父
 
私は,幼いときから父が大好きでした。手品をしたり,物語を作って聞かせてくれたり,とにかくよく遊んでくれる人でした。休みの日にはいろんなところへ連れていってもらったことを今でもはっきりと覚えています。
何をするにも,母より父の方が楽しかったようにような気がします。
家族も仲がよく,両親・姉と弟の5人でよく旅行にも行きました。友達にも誇れる家族でした。 しかし,その一方で,父と母が争う姿をしばしば見ました。晩ご飯の時,父は機嫌が悪くなると,お箸を折り,お皿を投げ,テーブルをひっくり返したりしました。
どうしてよいかわからずうつむく母,荒れ狂う父を見ながら,私たち姉妹もうつむき陰気な食事の時間を過ごしました。夜中にもよく起こされました。大声に驚いて飛び起きた私は,姉と一緒に部屋の隙間からそっと見ていました。父がわめき,母もどなり,私たちは二人でふるえながら泣きました。そのころは,父がお酒を飲んであばれていることを知りませんでした。
だから優しさと狂暴性の二面を持つ親のもとで,どんなにつらいことがあっても,また優しく楽しい父に戻るのを待ちじっと耐えていました。
 
ますますひどくなる父のお酒
 
小学校に入った頃から,二重人格ともいえる父の性格の変化がお酒のせいであることがわかってきました。そのころには,怒っていることの方が多い父に変わっていました。きっと,お酒を飲む回数と分量が増えたのでしょう。
「家の中が汚い,ご飯がまずい」から始まり,母に対して「おまえは何のために家にいるのか。主婦というものは家にいて主人の言うことを聞くのが義務だ。」と1時間も2時間もどなりつけていました。
食事の時には姉にも,「食べ方が悪い,早く食べすぎだ」などとどうでもいいことをきつい調子でしかり,母や姉を「馬鹿とか人間のくず」などといった汚い言葉でののしりました。
でも,母は何を言われても,よほどのことがない限り何も言い返さないでいます。
私はどうして母をそんなに責めるのかと,父が憎らしくなりました。姉は父に対して異常なほどにヒステリックで,父に負けないくらいの大声でどなりました。
それは父の怒りを助長するばかりで,よく殴られている姉を見ていました。
泣いて逃げてもどこまでも追いかけて「やめてー」と泣きながらと叫ぶ姉を何度も殴るのです。
最初のうちは父だけを情けなく思い軽蔑の目で見ていましたが,いつしか言い返さない母と,わめき散らす姉に対しても「何やってるんや」と情けなく感じ始めました。
 
父をなんとかしなければ!
 
私は,ときどき父に説教をしました。真剣に自分の思いを話すことで父のお酒をやめさせようと思ったのです。「何のためにそんなに飲むの。飲まんと言いたいこと言ったらいいやんか。おとうさんはもっとたのもしい人と違うの。」と子供なりにぶつかっていきました。
ところが,そのたびに口論となり,理屈に理屈を重ねたような言い争いが続きました。
父がどなれば私も「それでも父親か,私ごときの言うことに何を真剣に怒っているの。」と生意気なことを言っていました。今思えば,私が一生懸命したことも,お酒に飲まれている父には何の効果もなかったのです。
ずっとそんなことの繰り返しで年月が流れて行きました。私が高校に入る頃には,あまり父とかかわらないようになっていました。一見仲の良い家族のようでしたが,何かあるとすぐに家族ぐるみのもめ事になりました。だから父のいない日は家の中が何となく落ちついていました。
私は,友達と遊んだり,アルバイトに精を出したりして家の中のことにはだんだんと無関心になっていきました。父はあいかわらず飲んでいましたが,「おとうさんと結婚したのはおかあさんやからしかたないやん。」とひどいことを言っていやなことはすべて母に押しつけていました。
 
弟の非行と父の変貌
 
ところが,無関心でいられなくなるような事件が起こりました。それは弟の家庭内暴力です。姉が結婚して滋賀県へ嫁いでいってしばらくしてから,やさしくて思いやりのあると思っていた弟が登校拒否に始まり暴行やいじめそしてついには家庭内暴力へと恐ろしい速さで変貌していきました。
父は弟にすごく期待をしていたせいか,中学生の頃からずいぶん難しいお説教をして自分の考えている人間像に仕立てようとしていたのでしょう。ところがなかなかうまく行かないので,一段とおを酒たくさん飲み,このままでいったら何もできないといってむりやり勉強を教え,理解できない弟を殴ったりどなりつけたりしていました。
「おまえみたいなアホやと生きている価値がない」とか,「おまえは人間のくずだ」などとお酒に酔って毎日訳の分からないことを大声でわめいていました。 結局弟はランクの低い高校に入学することとなり,人の目や父の言葉に対するプレッシャーから学校に行かなくなったのです。
それと時期を合わせるように父のお酒はますますエスカレートしていきました。
ついに,ある日突然弟が牙をむきました。「こんな家いらんのじゃ。今日から俺がこの家仕切ったる。」といって父をなぐりました。 私はそれを見て初めて弟の悲しみと心の傷の深さを知りました。
弟はこんな形でしか自分を表現できなかったのです。このときを境にして,弟は次第に態度が変わり誰に対しても偉そうにし,特に父には意図的に反抗していたようです。意外なことに父はそれ依頼弟には何も言わなくなりました。
逆に弟が何をしていてもご機嫌をとるように「はいはい」と受け入れるのです。
ところが,夜になると態度が一変し,お酒に酔って弟に大声でわめき散らしお互いに暴力を振るったりし、挙げ句の果てには母に対して「なんであんな風に育てたのか」と以前にもまして罵声を浴びせる毎日でした。
私も弟にあたられ,何度も蹴ったりなっぐったりされて,とてもつらく悲しい日々を過ごしました。
 
哀れな父,無関心になる私
 
そのうち父はだんだんと弟や家族を避けるようにして,仕事から帰るとずっと自分の部屋に閉じこもってしまうようになりました。
それでも,仕事だけは人一倍がんばっていたし回りの人の信望も厚かったようです。
父はよくお酒を飲みながら私に弟の愚痴を言うようになりました。
私も同じ子供なのにどうしてこんなことを言うのかと思い,よけいに情けなくなりましたが,なんとなくしょぼくれている父がかわいそうに思えてきました。
その頃私は看護学校にかよっていたこともあり,父のお酒の飲み方がおかしいことに気がつきていました。いつもお調子者で,人のためばかりに物事をし,そのわりに人からあまり感謝されないことがわかっているのに,陰で努力する父を私は知っていました。だから,仕事の帰りにそっと隠れてお酒を飲む父が憎めないようになっていました。むしろお酒を飲む姿を汚いものでも見るようにしている母を軽蔑しました。
そして最も酒害に悩んでいる母に対して「おかあさんがそんなことしてるからあかんのや」ときついことを言いました。
いま思えば母はただ一人で酒害の防波堤の役割をしながらじっと耐えていたのです。
私はお酒の恐ろしさについて自分が知っている知識を母に伝え,一緒になって父のお酒について考えようとしなかったことが悔やまれてなりません。
飲む父もいやだったし,飲むな飲むなと言う母,時にはうつむき,時には軽蔑したようなまなざしで父を見つめる母はもっといやだった。母にはいつも笑っていてほしかった。
テレビでよく,夜両親がお茶を飲みなら子供のことを話し合っているシーンを見てすごくうらやましく思いました。 父はお酒と弟のことばかり,母は父のことばかり,私だけが常に遠いところから見ているようでいつも寂しい思いをしていました。
 
そして今,お酒をやめた父
 
あれからもう3年。数々の問題を重ねた弟もすっかり立ち直り,私とともに親離れしていくようになりました。父が仕事を休んで連続飲酒をし,アルコール依存症と診断されたのは約1年半ほど前のことです。父は,やっと自分がアルコールを止めなければならないことを認め,生涯断酒の決意をしたようです。
まだわずかな期間ですが,この間にずいぶんいろんなことがありました。
父がお酒を止てから,両親がよく会話をするようになりました。
二人でビデオを見たり食事に行ったりするようになり,母の暗い顔も消えました。
仕事を続けながら断酒に挑戦している父はまだ少し変です。
鬱になったり躁になったり,日によって気持の変動があって私たちも大変です。
でも父の話を一生懸命聞いている母の姿をとてもうれしく思います。
最近は二人で断酒会に通っています。そして断酒会の話もよくしてくれます。
あれだけ飲んだ父がいまお酒と縁を切るための努力をしています。
自分の勝手で飲んだのだから苦しいのはしかたないような気がします。
でもよく考えれば,父のお酒で苦しんだ私たちも父を追いつめますますお酒に逃げるようにしていたのです。
 
お父さんがんばって!
 
いま,父に対して憎しみはありません。ただお酒のせいで家族がバラバラになったあの日々を忘れてしまってはならないと思います。
幼い頃慕った父の優しいはつらつとした姿がよみがえる日を心待ちにしながら, 自分自身のため,そして私たち家族のためにも,お酒のない毎日を過ごせるようお父さんがんばってください。

1997/10
 

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