高木茂のホームページ 断酒会いついて04
断酒会の歴史

日本の断酒会は、アメリカのAA(AlcoholicsAnonymous)を模して,昭和28年に初めて「断酒友の会」として(会長・上堀内秀雄)が発足しました。しかし、家族文化、その他さまざまな国民性の違いと、禁酒主義者の庇護の中での活動でありたので、一年あまりで挫折しました。
それから、4年後の昭和32年12月、組織を改めて「東京断酒新生会」(委員長・大久保勇)として再発足しました。
また、昭和33年9月には、アルコール中毒の治療をしていた下司孝麿医師と、元患者である松村春繁が中心になって、「高知県断酒新生会」が結成されました。会員わずかに2名、その1人である松村春繁氏が現在の、社団法人全国断酒連盟(昭和38年結成)の初代会長となりました。
それから,35年。今では全国47都道府県に607の断酒会と約5万人の会員を擁する組織へと発展し,多くの酒害者を立ち直らせアルコール依存症根絶のための各種啓蒙活動が繰り広げられています。
日本の断酒会の歴史を,平成9年度の「躍進する全断連」(全国断酒連盟発行)の記事から抜粋してご紹介します。(高木茂)

AA(AlcoholicsAnonymous)の発祥
 
諸悪の根源である酒を社会から追放する」という社会革命を目指した禁酒運動、廃酒運動の歴史は古い。だが「酒の存在を容認しながら、酒害者が自らの努力で酒を断つ」という人間革命の理念に立った断酒運動は、1935年のアメリカに於けるAAの誕生で始まった。

AAの発祥がビル・ウイルソンとボブ・スミスという、自らの酒害に苦しんでいる2人の出会いからだった、というエピソードは有名だが、2人が出会った1935年(昭和I0年)
禁酒法という法律をもってしても解決しなかった酒害問題が、酒害者同士の支え合い創始者となった二人は、励まし合いながら仲間づくりを続けたが、グループの発展は当初遅々として進まなかった。1年目で5人、2年目で15人ということであったが、3年目になるとアルコール中毒、薬物中毒、ギャンプル中毒等、あらゆる嗜癖を強い信仰心で立ち直らせようとしていた、オックスフォード・グループの中の断酒メンバーがAAに参加するようになった。
そして、4年目にロックフェラー財団から資金援助を受けることではずみがつき、5年目にビルとボプの2人の体験談をまとめて発行した、「アルコーリックス・アノニマス」がベストセラーになり、各国語に翻訳されてからは驚異的な発展を遂げることになった。1992年現在、日本を含む131カ国に8万余のグループを持ち、断酒継続メンバーは25万人を超えると言われている。
 
断酒会の誕生
 
アメリカでのAAが、禁酒法の廃絶という、いわば禁酒運動の限界が実証された時期に、酒害者の間から芽ばえたのに対し、日本にオける断酒会の誕生は、禁酒運動家の積極的な助力に負うところが大きい。
日本の禁酒運動も歴史は古く、明治20年に京都反省会が結成され、同23年には東京禁酒会が発足、同31年には日本禁酒同盟が結成された。また、京都反省会は浄土真宗の信者による組織であり、同一組織内に断酒部門と節酒部門を持っていたため、短期間で消滅した。
最初にAAの存在に気づいたのは、禁酒同盟の山室武南(のちに全断連顧問)である。
山室は昭和25年、禁酒新聞にAA運動を紹介、同27年にはエール大学のアルコール研究夏期学校に日本人としては初めて参加。この機会にAAの講義と例会の実演を聴講し,その重要な役割と国際的地位、名声を確認して帰国した。
同じ年、名古屋の大辻君子が戦後初の禁酒使節としてAA本部を訪れ、東京・本郷中央会堂の牧師武藤健もパリで開かれた国際錆酒会議に日市代表として出席した帰途、アメリカでAAの冊子を手に入れ、それぞれが禁酒新聞等を通して報告した。
こうした禁酒同盟の酒害相談所に出入りする人たちを主体に、AAの日本版をつくる機運が高まり、昭和28年9月、禁酒同盟の中に日本で初めての断酒会どして、「断酒友の会」(会長・上堀内秀雄)が発足した。
 

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