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2003年土曜コラム

1月4日

明けましておめでとうございます。21世紀3年目の平成15年、おかげさまで、我が家も全員元気で未年の第一歩を踏み出すことができました。
比較的穏やかな気候だった年末から一変して三賀日は雪の舞うきりきりとした寒さでしたね。
特にきのう、3日は雪が冷たい雨になって、神社仏閣の初詣や行楽地は少し人出が少なかったみたいですが、その反面、四条通、河原町通、新京極、寺町など、繁華街のアーケードの下はお祭りよりもにぎやか・・・そして、百貨店は例年を遙かにしのぐ人出となりました。一見、景気がとつぜん回復したような錯覚に陥るくらいでした。
お正月も昔とすっかり変わって、おせち料理やお雑煮も形だけ、そして、何より淋しいのは、子供達の外で遊ぶ姿を見かけないことです。
凧あげ、羽根つき、コマ回し・・・・など、鴨川で凧あげをしている親子を見つけて何かほっとしたのもつかの間、子供が「寒いからもう帰ろうよ!」といってるのに対して、お父さんが「もうちょっとやらしてくれよー!」・・・これが実体です。
一応我が家では、昔ながらのおせち料理を手作りして、白味噌のお雑煮でお祝いをしたのですが・・・・懐かしんでいる自分自身でさえ、子供のころに感じたような「おいしい!」とか「ごちそう!」なんて感覚がなく、ただ義務のように・・・
箸を運ぶという有様、時代の変革を認識させられた思いです。
でも、それにもめげず、次のイベントは七日正月の七草粥です。
一月七日は「五節句」の一つ「人日の節句」です。別名、七草の節供といわれるとおり、いまも「七草粥」を食べてお祝いするしきたりがの残されていますね。
古代中国では正月一日から、「鶏、狗、猪、羊、牛、馬」の順に獣畜の占いを立て、七日になって人の占いを始めたということで、人日と言いました。
この占いは一年の運勢を占うもので、この日の天候が、晴れなら幸ありとされています。(どうか七日はいいお天気でありますように。)
唐の時代には「七種菜羮」を食べて無病のまじないとしたことが、日本に伝わり七草粥を食べる慣わしができたということです。。
セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロ、と続く春の七草ですが、お粥にして食べるようになったのは室町時代以降のことだそうです。
七草は前日に摘んで、歳神を祭った棚の前で七草囃子(ななくさばやし)を唄いながら刻んだとか。
七草の歌は、地方により違うそうですが、私も子供のころおばあちゃんに「年男がまな板の上の七草を火箸で叩きながら歌うものだ」と言って、毎年、耳にタコが出来るくらいに聞かされたのでいまでも覚えています。
「七草ナズナ、唐土の鳥が日本の土地に渡らぬ先に、セリこらたたきのタラたたき」これは、鳥追い歌だそうで、古代では疫神は外界からやってくるものという考えがあり、「外界から来るもの_渡鳥」という連想で、「鳥は疫神を運んでくる」という発想になったのではないかとされています。
いずれにせよ、年頭に一年の無病息災を願う有り難い行事です。
今年も、家族そろって「七草粥」を食べたいところですが・・・・夫婦二人と犬と猫、それも私はこだわりの昔人間なのであります。
 

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1月11日

あさって13日は「成人の日」です。かつては15日正月とも言って、1月15日でしたが、現在は1月の第2月曜となっています。
おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする若者を祝いはげます日として、古くから公家や武家社会では元服の儀式として厳かに執り行われてきました。
現在では、満二十歳をもって成人式が行なわれていますが、昔は男が十五歳、女は十三歳とされていました。
今年も、21世紀の日本を切り開く未来ある若者たちの前途を祝して各地で工夫を凝らした成人の日記念式典が行われます。
ここ数年、大騒ぎをして逮捕される新成人がでるなど、成人式のあり方が大きな話 題になっています。騒ぐ新成人たちの心理は、基本的には「目立ちたい」「注目されたいからだと言われています。
各地で騒ぎが続く成人式ですが、これまでの方式では、新成人たちの心に響かないと、各自治体が近年さまざまな取り組みを始めています。
企画の段階で新成人たちが参加する「参加型」のイベントにしようというものが最も多いようですね。
悪いことをしてでも、目立ちたい、愛されたいという心。それに対して、大騒ぎを力づくでも止めようとする社会の力に対する青年たちの「怒り」を感じます。
もちろん、彼らの行動は間違っていますし、断固とした態度をとることも必要だと思います。
でも、成人式の様々な工夫は、悪くてだめな新成人を押さえつけるためのものではなく、すばらしい可能性をもった新成人たちへの、歓迎の行事としてこれからも主人公は新成人であることを年頭に工夫を重ねてもらいたいと思います。
ところで、今年2003の新成人は、1997年に14歳の少年が巻き起こした、神戸小学生殺害事件、更に3年後の、2000年。その時の14歳たちが17歳になったとき、連続する17歳の少年事件(主婦刺殺事件、バスジャック殺人事件、岡山バット母親殺人事件、 新宿ビデオ店爆破事件、渋谷金属バット殴打事件)を起こした年代の若者達が20歳になり成人式をむかえるのです。
この新成人たちが、少年時代から特別に悪かったということはありませんし、ほんの一握りの少年達の事件が、たまたまマスコミが大きく注目するような事件が巻き起こしただけのことです。
とはいうものの、14歳のとき、17歳のとき、彼らが受けたっショックは大きかったでしょうし、その時々に、「近頃の子どもは」「近頃の少年は」と非難の目を向けられたこ
とでしょう。自分のせいではないのにいつもやり玉に挙げられる不運な世代。
大変な少年時代を過ごして20歳を迎え、大人になる皆さんがどんな成人式を演出するかを見守りたいものです。そして、大人の世界も、そんなに悪いものではないことを早く体験してほしいものだと思います。
 

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1月18日

昨日、1月17日は「阪神・淡路大震災」のメモリアルデーです。
6,433名の尊い命を奪い去った、あの痛ましい日から丸8年が経ちました。
あの日、私は地震発生後30分後には職場に駆けつけて、直ちに「災害対策」の仕事に取り組みました。
最初に職場に駆けつけたのは、今も京都市の防災対策従事しておられる、当時の同僚と私の二人でした。
それからの約1ヶ月は、家庭生活も遊びもない、ただひたすら、阪神地域の皆さんを支援するための「京都市兵庫県南部地震支援本部」の仕事に文字通り「寝食を忘れて」取り組みました。このときのことは、生涯忘れない出来事であり、「地震」という言葉を聞いただけで、8年前のことが脳裏に蘇ってきます。
その後、この地震を契機に、京都市の防災対策が抜本的に見直され、組織の強化や防災計画の新規策定、そして、ソフト面、ハード面から多くの防災対策が推進されてきました。
そして、無防備であった関西人、特に京都の人々も、地震への備えをしたり我が家の耐震調査や耐震補強、更には家屋の建て替えなど個人レベルでの震災対策も進んできています。
何よりも、町ぐるみ、町内ぐるみ、職場ぐるみ・・・そしてそれらをつなぐ防災輪、自主防災組織、消防団、自衛消防隊、職域の防災組織などが飛躍的に進み、市民の防災意識は格段に高まりました。(と確信していました。)
という状況が着々と進む中、私は28年間続けた防災対策の仕事から一転して、IT関連の研究所の事務を担当することとなりました。
ここで、驚いたことは、多くの研究所があり、1800名の人々が勤務するこのエリアで、形式上の自衛消防隊や「消防計画」はあるものの、地震への備えや訓練の実施などはほとんどゼロに近い状態です。年2回行われる「消防訓練」も、消防関係者と該当施設の幹部職員が行っているのみ。自主防災にはほど遠いものです。「一体これは何だろう?」市民レベルでの防災意識の向上を自負して来たものとして強い衝撃を受けました。(行政と民間のギャップに)
この地域のオフイスや研究所には、インターネットをはじめとする通信回線の核となるコンピューターやサーバが数多く集中しています。
電気、ガス、水道、電話・・・・・いわゆるライフラインと違って野放し状態で急速に発展してきたIT関連施設には法的な規制も何もありません。だから、びっしりと並ぶコンピューターやその配線には「震災対策」はほとんどありません。
もし、大停電や、大震災が起こったときには、ますます依存度の高くなるネットワークはどうなるかと考えると空恐ろしくなってきます。
私自身も、新人であり、環境になじみ仕事に慣れるのに気をとられ、職場の防災対策にこれまでのキャリアーとノウハウを全く生かせていまいことを常に反省しているのが、現状です。
一度に改革は無理ですが、あの阪神・淡路大震災のときに出したエネルギーを今一度蘇らせて、身近なところから実践的な防災対策に取り組んでいこう!と決意を新たにしているところです。
 

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1月25日

今日1月25日は菅原道真を祀る北野天満宮の縁日「初天神」です。21日の初弘法と並んで、境内一円の露天は朝早くから善男善女で賑わいます。
新春一番の天神さんの日として、京阪神はもとより全国の人々に親しまれ、露店も例月以上に多く植木・骨董・古着衣料品などを商う店が縁日の賑わいをみせます。
店の数は、約千数百軒といわれ、今年は土曜日ということもあって、予想参拝者数は15万人以上と見込まれています。
天神さんは、学問の神様としても信仰されており、1月未は国公立・私立の大学・高校・中学校等の入試を直前に控え、真剣な受験生・父兄等の参拝も多く、合格祈祷を受けたり、絵馬に願い事を託す真摯な姿が多く見受けられます。
菅原道真公は清公、是善と続く文章博士の家系に生まれました。
わずか5歳で和歌を詠み、10歳を過ぎて漢詩を創作し、神童と称されました。
18歳で文章生、23歳で文章得業生、26歳でついに方略式に合格し、30歳の頃、島田宣来子を妻に迎え、33歳で式部少輔、文章博士となり、学者としては最高の栄進を続けました。一時、讃岐守という地方官へまわされましたが、京へ戻ると宇多天皇の厚い信任を受け、蔵人頭などの政治の中心で活躍しました。
50歳の時には、唐の国情不安と文化の衰退を理由に遣唐使停止を建議し、中国に渡ることはありませんでした。そして、55歳で右大臣、そして、ついに、延喜元年1月7日、藤原時平とともに従二位に叙せられましたが、その直後、急転して大宰府左遷となりました。(それも無実の罪で・・・)
2月1日、道真公は住み慣れた紅梅殿の前庭の梅を見て、あまりにも有名なうた「東風吹かばにおいおこせよ 梅の花あるじなしとて春を忘れぞ」に京への思いを残し、太宰府へと向かいました。
真公の死後、京都では天変地変がしきりに起き、人々は道真公の祟りと恐れたため朝廷は、霊を慰めるため元の右大臣に戻し京都に、神殿を建立し神号を「天満大自在天神」と定め、手厚く祀りました。
これが、北野天満宮であることは言うまでもありませんね。
この日生まれた人・・・・湯川秀樹(ノーベル受賞者)、新井白石(江戸時代中期の儒学者)など不思議と頭のいい人ばかり。
実は、今日1月25日は私、高木茂の60歳の誕生日なのであります。
字は下手だし、学問はさっぱりですが、子供の頃から何かあると、またお前が・・・・・と「無実の罪」を着せられるところだけが一緒です。(・・,)グスン
年末にある方からいただいた「梅の盆栽」がいま満開です。
道真公ならぬ私も梅の花が大好きです。梅は桜とちがって、ひっそりと華麗に咲くところが特に素敵です。今日は仕事で天神さんへは行けませんが、2月25日の梅花祭にはぜひi行ってみようと思っています。
 

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