(社)日本断酒連盟 第141回全国(京都)大会  
  
  毎年都道府県を持ち回りで開催されている社団法人全日本断酒連盟の全国大会が
  平成16年10月24日(日)に、京都市北区の京都府立体育館で開催されました。
  全国の断酒会、行政、医療関係者など4,300名の参加の下に体験発表や講演など
  が行われました。
  この日は5名の体験発表がありましたが、私の息子が近畿代表として家族の体験談を
  話しました。   >>体験談へ
全国大会の模様



会場には、早朝から大勢の
人たちが詰めかけ、この日
の参加者数は4,324名で
内訳は次のとおりです。

行政           22名
医療           76名
断酒会       4051名
一般参加など    175名





大会には、厚生労働省
国会、京都府、京都市
そして医療関係者など
大勢の来賓の参加もあ
りました。






私の息子が、近畿代表
で家族の立場から体験
談を発表しました。
この日のトップバッター
でした。
発表の内容は下記のと
おりです。
全国大会での体験談    高木哲也
  
  私の父は、元京都市の公務員で昨年4月に定年退職をして、いまはコンピュータ関係の研究所に勤務してとても元気に働いています。
 父が断酒してからまもなく丸9年を迎えますが、私の幼い頃から青春時代にかけて父のお酒を巡って家中がいつも大変な状況であったあの頃を思い出すと、今の状況はまるで夢のようです。
 後ほど詳しくお話ししますが、私は中学生の頃からいろいろと問題を起こしてきましたが、父が断酒をし始めた頃から少しずつ変りだして、現在はケアーハウスに勤務して、自分でも想像さえしなかった「老人介護」の仕事をしています。
 そして、今年2月には5年間付き合った彼女と結婚し、充実した毎日を過ごしています。

  私が小さい頃、父はよく手品をやってくれました。すごく手先が器用で、コインが現われたり消えたり、私がひいたトランプが魔法のようにわかってしまう父の技に、目を見張りました。楽器を弾いたり、おもちゃの修理をしたり・・・何でもできる人で、とにかく子どもを喜ばせるのが好きでした。誰にも優しくて親切なおじさんという感じでした。
 ところがいったん酒が入ると、まったく人が変ってしまうのです。小学校の頃に覚えているのは、夕食が鍋物だと必ず途中で父が荒れたり怒り出したりすることです。急に父の目つきが変わって、箸をバシッと折る。皿を投げつける。テーブルをひっくり返す。
 母が延々怒鳴られることもあったし、上の姉もよく標的になりました。姉が何かいらんことを言ったというので父が怒り出し、殴りつける。真ん中の姉がとりなそうとすると「大人ぶって気に食わん!」と、この姉も罵声を浴びせられ、最後は私も散々にどなられ、結局は全員がすくみあがるというのがいつものパターンでした。今でも鍋物を前にするとそのころの状況が鮮明に蘇ってきます。

 夜中にとつぜん叩き起こされたこともよくありました。幼い私はそんな父をほんとに怖いと思いながら成長しました。中学生になると、いやがる私にむりやり勉強を教えて、できないと怒鳴ったり殴りつけたりしました。その頃から私は父が憎いと思うようになりました。勝てるのなら、殴ってやりたいと思っていました。
 いつしか父に反抗するため、タバコを吸い、ケンカ騒ぎを起こすようになり、よその中学とも、もめごとを起こしたりもしました。中二のときには、修学旅行に来ていた中学生から金を脅し取ろうとして警察につかまってしまいました。学校に何度も呼び出しを食らい、警察にまで呼び出された母親は「このバカ息子が!」と血相を変えていましたが、たびかさなると根性がすわったように堂々としていました。しかし父の方は、どんどん動揺がひどくなり、わめいたり怒鳴ったりし、私の行動が我慢ならない様子でした。私のほうは、悪くなっていく自分を親に見せつけてやれという気持ちが生まれてきました。父が酔ってくだくだ言い始めると、「なに言うてんのや」「殺すぞ」と反抗を始めました。父も「どこでそんな言葉覚えてきたんや」「その目つきはなんや」と言い返し、どんどんエスカレートしていきました。

 ある日、へべれけに酔った父から、「おまえは人間のクズだ」「生きてる価値がない」と長い時間にわたって徹底的に罵声を浴びせられました。
 それ以降、私はどんどん悪くなり、父の酒はますますひどくなっていきました。パンツ一枚で寝転がった父は、とろんとした目で私を見ると、「なんやおまえはー!」とろれつの回らない口調で言います。私は、「なんやねん」と向かっていき、とうとう殴り合いになりました。父は酔っぱらっていたので、殴ってきても私には一発も当たらず、私は父を殴りつけてしまいました。気づいてみると、私は家中を敵に回していました。姉たちを含め誰もが私のことでガミガミ言い、私はカッと来てそのたびに手をあげていました。
 父はそんな私が怖くなったようで、急になんでもハイハイと言うようになり、私が怒鳴るとすぐ自分の部屋に閉じこもって酒を飲んでいたようです。そして酔うと「バカ」「クズ」と私に罵声を浴びせる毎日でした。父の酒と息子の非行・・・・・母がどんな思いで毎日を過ごしていたかなどは考えることすらありませんでした。

 17歳のとき、コンビニに仲間とたむろしていたら、騒がしいという住民の通報でパトカーが来ましたが、誰かが警官を殴ったことから、新聞に載るほどの乱闘騒ぎとなってしまいました。 
この事件で私は保護観察処分となりましたが、このあたりで、やることはやってしまったように気が抜けたようになっていました。
 ちょうど父が断酒会に巡り会って断酒を決意したのもこのころだと記憶しています。
その後、私は父に強制的に入学させられた高校を中退して、仕事をしながら定時制高校に通うことにしました。父の言った「おまえは人間のカス」という言葉に対するささやかな抵抗だったのかも知れません。こうして、一応真面目に暮らしながらも、将来の希望もなく、どうせ俺なんか・・・・といつも思っていました。
 ようやく断酒した頃の父は、イライラのかたまりのようでした。家族は気を遣っていましたが、私はつくづく父に嫌気がさしていました。家族のために酒をやめているなどと、きれいごと並べているが、結局は医者に「飲めば死ぬ」と言われて怖くなっただけだ。依存症は病気だというが、どこまでが病気なのか。家族をあんなにひどく怒鳴ったり殴ったり、私に「罵声あびせた」のも病気なのかと疑問を持ちました。しかし何も言えません。父の酒がひどくなったのは、私のせいでもあると思うからです。 少しでも私が反抗すれば、「そんなん言ったら、また飲んでしまうぞ」と苦しそうな顔になります。
 そうかと思うと、断酒会の話をあれこれ家族に聞かせましたが、私が一言いらんことを言ったり、途中で話を変えたりすると、父はピクッとして席を立って、部屋にこもってしまいます。翌日からは誰が話しかけても黙りこむという日々が続きました。
 こんなことなら飲んでる方がましだ・・・・なんて思ったこともあります。

 でも、月日が経つにつれ、そんなことも少なくなってきて、私は私なりに自分の将来を考え直し、母や姉が福祉や医療の世界で生き生きと活躍しているのをみて、「自分の道はこれだ」と選んだのがお年寄りの介護の仕事です。
 それからは、深夜勤務や休みなしの厳しい毎日でしたが、初めて「生き甲斐」というものを感じたように思います。
 このころ、今年結婚した妻と知り合いました。彼女は何事にも自信のない私を励ましてくれて、一緒に考えてくれました。
 そして、平成13年3月、私は8年かかってようやく高校の卒業証書を手にしました。
 その年の夏、私は初めて断酒会の例会に行きました。みんなの前で父のことを思い切り悪く言ってやろうと思っていましたが、体験談を聞いているうちに思いが変わってきて、言うはずだったことと逆のことをしゃべっていました。「もう父のことを許した、私も悪かった、これからは自分のために生きてほしい……。」という具合でした。
 そうか、これで父は酒が止められているのだなと身をもって実感しました。
 私は今、通信制の大学で学びながら「介護福祉士」の資格を目指して、未知の世界とも言える、医学や福祉の勉強をしています。私はもう大丈夫です。

最後に、せっかくの機会なので、父に頼みがあります。父は仕事熱心で、まじめで、えらい人だと思います。しかしそうやって無理を重ねてきたことが、すべての問題の原因だと思います。
 外でがんばっていい顔をするから、家でつらくなるのだと思います。定年もすぎたのだから、あまり無理をしないで、これからは長年苦労をかけた自分の奥さんを大事にして、これまでと違う第2の人生を歩んでほしいと思います。
 そして、母とともに断酒会で体験談を語り続け、元気で長生きをしてほしいと思います。