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走人ニュース198〜208号より

鯖街道マラニック(小浜〜京都間80`) 1999年5月16日

 雨のことなど考えてもいなかったのに、夜半から雷を伴う雨が降り始め、 皆心配げな顔をしていたが、6時ごろ朝食を終えると、宿を出るのを待って いたかのようにピタリと雨が止んだ。気温は低めで曇り空と、マラニック には絶好のコンディション。スタート地点の泉町商店街の中にある「鯖街道」 の基点を示すプレートの前で記念撮影をしてから、京都出町を目指して、いざスタート。
 昨年の経験者の話から、途中まで皆一緒に行くのかと思っていたが、スタートからばらばら。 それでも、参加者はマイペースで元気に出町にゴールしました。根来坂峠を下ったところでは、 井上さんと高橋さんがボランティアで参加されていて、大きな激励を受けました。丁度中間点 の久多自然活動センターから先は、4月末に試走をしているので、皆安心して走行。午後5時半 ごろには、ゴールの出町桝形商店街に到着し、谷角会長や急用で欠場した宮村さんも交えて楽 しい即席完走パーティを開催しました。開催案内にもあるとおり「鯖街道マラニック」は大会 ではありません。順位やタイムを競うことなく、いつものマラニックの延長のつもりで、来年 も多数参加されることを期待しています。

歴史とロマンの夢街道が1本につながった

 5月16日夕刻、ランナーの歓迎で盛り上がった出町商店街、出迎えの拍手のゴールに 飛び込んだ。一部ワープした一抹の後ろめたさがあったけれど、ここは皆さんの温か い善意を素直に受けようと、感動で顔がクシャクシャになったけれど、精一杯の笑顔 でゴールテープを切った。ありがとう!!皆様。美しい自然と心やさしい人々に出会 えて、幸せな一日でした。
 4月29日の練習会と併せて、2回にして1本の道につながった歴史とロマンの夢街道、 小浜〜京都間80`の鯖街道、今回のナンバーカードは額に入れ、自室に飾っておきます。 次回の完走に思いを込めて!! (津田 昌子)

ラスト5`でスパート!

 鯖街道マラニックは今年で3度目のエントリーです。一昨年はひとりぼっちの参加 でしたが、去年から6人、今年は7人それにボランティアとして高橋さんと井上さ んご夫婦が参加され、誠に心強い限りでした。
 一昨年は10時間40分程で完走したものの去年は途中20`ほどワープしてし まい、その上強烈な筋肉のけいれんに見回れ、実行委員会のお医者様に迄お世話に なりさんざんでした。聞けば汗とともに体から失われた塩分とカリウムが原因だと わかりました。
 今年は梅干しとプルーン(カリウムがいっぱい)をウエストポーチに入れ、あく まで前半はゆっくり走り完走を目指しました。途中高橋さんと井上さんに励まされ たこともあり、40`を過ぎても疲労感はなく快調に走れました。ラスト5`の地 点では`5分で走れば9時間台で完走できるとわかり必死でスパート。結果は 10時間03分、でも大満足のゴールでした。 (浅野 松夫)

二人並んで感激のゴール!

 初めての「鯖街道マラニック」。昨年初めて八が岳で100`ウルトラマラソンに挑戦し、 苦しみながら完走して、今回も完走を目指してスタート。昔の人をしのびながら急 な峠坂を歩いて登るのもこのマラニックの楽しみ。緑の山やまの自然を楽しみながら、 花背峠まで来て京都市街が一望できた時には、「ああ、帰って来たな」と感動しました。 残り10`くらいになって、足が止まりそうになったときにはもうこれまでかと思いま したが、武内さんが追いついてくれたお陰で俄然元気回復。二人並んで、感動のゴール テープを切ることができました。
 今回もたくさんのボランティアの人たちに助けられましたゴールでも本当に温かく 迎えてもらい、心に残る大会になりました。
(仲井 秋雄)

(走人ニュース208号,'99年6月13日より)

桜も満開!春の自然を満喫しながら走った!

和邇マラニック 4月4日(日)

恒例の和邇マラニック、参加者25名が大いに楽しみました。春は 昨年に続き2回目の試みです。昨秋は、古知谷(約16k)まで全員並走 して、その後フリー走という初めての取り組みで、本来のLSDを試 みましたが、今回は花園橋まで全員並走して、その後フリー走という 新しい試みをしました。

サポート車の一台は荷物と鍋料理用材料を積み込んで、青木邸ヘ直行。 もう一台は、エイド等ランナーのサポート。絶好の晴天に恵まれ、梨 ノ木神社を20名が揃ってスタート。花園橋までのコースでは、高野川 沿いの桜並木が満開で、まさに春爛漫を満喫。即席カメラマンの武内 さんが前へ、後ろへと忙しく走りまわりながら激写してくれ、素敵な スナップ写真がたくさん撮れていました。

予定どおり10時過ぎに花園橋に到着。エイドとトイレ休憩の後、5名が 宝ヶ池1周(約3.5`)のオプションにチャレンジ。第二エイド地点・土井 志ば漬前(11.4`)には、10:55〜11:15に到着。ほとんどの人がわずか の休憩しかとらず、次に進む。途中、道端に咲く青紫のからんな花( かたくり?)をめでながら、また、古知谷では清流に沿って樹木の間 をぬって走る。第三イエド地点の還来神社(約21.5`)に到着した時 は一安心。峠越えでは、井上夫妻が臨時に車でサポートというおまけ 付き。GOALは、前回まではJR和邇駅だったが、今回は青木邸と する。先着した人たちが宴会準備を始めている中、順次ゴールして来 る。

今回の宴会は、「チャンコ鍋」。かつてはやったことがあるそうだ が、私にとっては初体験。好天に恵まれ、青空のもと、五つの鍋がぐ つぐつと煮え立つ。ひときわいい味を出していたのは、まさしく鍋奉 行のH氏。大いに味を堪能しつつ、ビールをたっぷりと痛飲。周りに 目をやれば、澄み切った大気の中に、稜線鮮やかな比良山系とさわや かな湖面をみせる奥琵琶湖。青木邸の緑の芝生と合わせて、絵心なき 自分にも感じ入るものがあった。天候に恵まれ、花々をめでながら FunRunを満喫した春の一日でした。(山田富治)

(走人ニュース207号,'99年5月9日より)

雨の中、大満足のゴール

年代別(女子50歳〜54歳)2位入賞  小笠・掛川マラソン

4月18日、早朝の新幹線に乗り込む掛川マラソン出場のランナーズ 谷角会長、浅野さん、木村さんの代走井上さんと私、名古屋のから 合流の山田さんの5名。大勢の参加だと思っていたのに、少々肩透 かしの感じでした。掛川は、初参加なので心細い思いである。おま けに朝から“雨”。一緒についてきて、またゴミ袋を着て走る羽目 に。ふと1ヶ月前に篠山で寒さのため足がけいれんを起こし歩いて ゴールした苦い思いが頭をよぎる。
9時30分のスタートに時間がなく、あわただしく列に並ぶ。家から 準備をして出たのでどうやら間に合った。経験者の話だと、アップ ダウンがなく最後の少しだけ上りで、茶畑の景色は良いし、エイド のフルーツはすごいとのこと。しかし、いざ走り始めると雨で景色 どころではなく、フルーツを楽しんでいる余裕などまったくなし。 ドリンクを取るのがやっとであった。それでもせっかくだからと 途中特大のイチゴをほおばりながら走り、最後のエイドでキゥイ を1個口にした。雨の中の応援の人達には、感謝、感謝。ワンウエイ のコースは目新しくて良かったが、それにしても、ゴール前の坂は 苦しかった。
最近は歩き癖がついているので、(完走は)駄目かなと思ったが何と か止まらず頑張れた。いつも谷角会長に抜かれるので、会長の迫る 足音を気に「まだか」逃げろ、逃げろと言いきかせたのが功を奏し たらしい。記録は別として、大満足。走り終わってみんなで 成果報告”。
山田さんは快調に飛ばし好記録、浅野さんは前半飛ばしすぎで 最後つぶれ平凡な記録、会長と私は、最初についた差を最後まで 持続、同じペースで走ったらしい。井上さんはスタート直後体が 冷えて体調を崩したものの、回復してから頑張りそれぞれに満足 のゴール。雨の掛川を後に、駅でうどんを食べて帰路へ。
(久保山多恵子 3:53:20)

(走人ニュース207号,'99年5月9日より)

雲が畑マラニック報告  2月14日

マイペースで、楽しいマラニックでした

前日までの冬型の気圧配置で、山間部の雪が心配されましたが、 市内は移動性高気圧に覆われ、天気はまずまず。当日参加も含め25 名が参加し、それぞれの思いを込めたマラニックを楽しむことがで きました。

気温が低く、からだが冷えているせいか、スタートから`6分くらい のゆっくりペース。当日ランナーズに入会された吉澤さんも谷角会 長と一緒にマイペースで続いて来られる。上賀茂あたりまでは集団 で行ったが、山へ入って行くにしたがって、ぽつりぽつりと分かれ ていく。 それでもライバル心を出して、付いたり離れたり、後から見ている と各人の心が見えてくるようです。路面には少し残雪があったが、 思っていたよりも少なく、多くの人が岩屋橋まで行くことができま した。
往路は比較的ゆっくりペースであったが、復路は下りを利用して飛 ばす人、スタミナ切れや疲労でペースダウンをする人などさまざま でしたが、目標の3時にはほとんどの人がゴール地点の荒神橋に帰る ことができました。

走った後の風呂は格別。特に今日は寒かったので風呂の温かさが嬉 しかった。その後の交流会には、事務所でロードレースの受付作業 をしていた塚本さんも駆けつけていただき、楽しい宴会ができました。 店の人に料理と飲み物で3,000円までに押さえてもらうように頼んで、 出きるだけ飲み物を増やしてもらうようにしたので、どれだけ飲んだ か定かでないが、帰る時に徳利がごろごろ転がっていたのが印象的で した。
篠山を走る人にはいい練習になったでしょう。また、日ごろの練習不 足が多少解消された人も。後一月もすればめっきり春めいて、思いき り手足をのばして走ることが出きるようになるでしょう。 次の機会には、今日参加されなかった人もぜひご参加ください。あり がとうございました。

(走人ニュース205号,'99年3月14日より。「シティランナー」 99/6月号に抜粋)

京都木津川マラソン結果(2月7日)

矢瀧茜子さん見事優勝

朝のうちは厳しい冷え込みがあったが、スタートする頃には青空 ものぞき、風もなく絶好のマラソン日和と思っていたが、途中か ら結構風も出てきて、気温も上がらず、終わってみれば普通のコ ンディション。そんな中、渡辺元臣君がサブスリーを達成、また、 20`の部では丸井清子さんが9位入賞、3`女子中学生の部では 矢瀧さんが見事優勝を果たしました。

(3`女子中学の部) 1位 矢瀧 茜子 11:23
(20`女子一般の部)9位 丸井 清子 1:29:39

(走人ニュース205号,'99年3月14日より)

'98丹波高原ロードレース

夏の練習が実を結ぶ!

    嬉しい2位入賞(30q 女子40歳以上)

走りはじめてこんなに嬉しかったことはありませんでした。 2位入賞、それに去年より9分25秒も速い2時間17分14秒のタイムで、 自分でも信じられませんでした。
今年の夏は、本当によく練習をしました。LSDで沢池や山科方面 に行ったときは、のぼりの時はいつも精一杯頑張りました。それが 自信につながり、そのまま結果に出たような気がします。自分一人 ではとても入賞なんかできません。周りの人のおかげだと思ってい ます。ランナーズに入って本当によかったと思いました。 (丸井清子)

集団から離れて後退 次回こそ雪辱を!

    陸連登録男子30Km  1時間52分00秒

登録で30Kmに出場するのは初めてであり、丹波30Kmも数年振りのこと である。いつも短い距離の種目に出ていたので、30Kmは不安がいっぱ いであった。スタ−ト地点で待つ間、見たことある有名市民ランナ− が何人もいた。走る前、その集団に着いていこうか行くまいか、かな り悩んだが、成り行きに任せて着いていく方向で腹は決まった。いざ ピストルが鳴ると、着けないペ−スではなかったので、集団について いったが、5Kmを過ぎて最初の給水所を過ぎたところで離れてしまい、 後は一人Myペースのレースとなった。丹波30Kmは前の集団を逃すと、 その後ろはあまり集団を形成せず、まばらな展開となるので、今度出場 するときはできるだけ、集団に着いていけるようにがんばりたい。
結果は14位で1時間52分00秒でした。 (新居 健)


北中さん見事優勝(30q50歳代  1°54′36″)


(走人ニュース202号,'98年12月13日より)
秩父宮記念第23回富士登山駅伝競走大会

天までタスキをつなぎました

参加報告(新居 健) 平成10年8月2日(日)
御殿場市陸上競技場〜富士山頂〜御殿場市陸上競技場
全11区間 46.37km  標高差 3199m

7月31日金曜日の夜に車で京都を出発、静岡県の焼津市の 健康センターに夜中2時頃到着し、就寝。翌朝、8月1日に 御殿場駅前に9時頃到着、受付を済ませると、駅前には、 他のチームもたくさん集まってきており、いよいよだな、 という雰囲気がみなぎってきた。

今回の我々のメンバーは選手6人と監督1人の 一行7名で参加しました。 チーム名は「らん・RUN・乱」というこの春 から京都陸協にも登録しているチームです。

御殿場駅前の駐車場の片隅で朝ご飯がわりの弁 当とお茶を飲みながら監督からゼッケンがみん なに配られ、中継所での荷物の打ち合わせをし て準備万端となる。その後、新橋浅間神社にて 行われた開会式にのぞんだ。開会式でゼッケン 順にタスキが渡され、我々のチームはゼッケン 101であり、監督がタスキを受け取った。その 後、ホテルにてカーボパーティーが行われ昨年 の上位チームが紹介された。全国各地から集 まった自衛隊チームや箱根駅伝でおなじみの大 学チームの顔があった。その凄さに圧倒されな がらも、(プログラムには各選手の5Kmのタ イムが書いてあったが、大学などは当然のよう に全員14分台のタイムが書いてあった。)我々 も密かに結構やれるのではないかと思った。

カーポパーティー終了後、山頂の2区間の選 手は山小屋に泊まるため、自衛隊の輸送車で富 士山に向かうのを見送った。私の区間は2区と 10区(この駅伝は山頂区を除いて登った人が下 りの区間も走る)の各4.64Kmであった。残リ 4選手と監督は御殿場のビジネスホテルに泊ま り、翌日に備えた。朝5時に起きて、jogを しに外にでると、雲をかぶった富士山がきれい に見えた。御殿場駅前から中継点まで自衛隊の 輸送車に乗って移動した。

レースは1区の順位をキープして3区につな ぐことができ、まずますかな!あと30秒は速く いけたかな、と思いつつ下りの10区に備えて中 継所で待機した。ふと見上げると富士山が山頂 までそびえたつように見え、本当にあんな所ま で夕スキが行って帰って<るのだろうか!と思 うほど富士山は大きく見えた。下りの10区は強 烈な舗装路の下りで、無理やリキロ2分台で走 ることになったため足への負担が大きかった。 100m程前に関西トップのチームがいたのでそ れを抜くのに必死になった。関西トップを死守 し、49位でコールし、我チーム“らん・RUN・ 乱’の初挑戦は終わった。

みんな、それなりに満足して御殿場市陸上 競技場にて記念写真を撮り、帰路についた。
(走人ニュース199号,'98年9月23日より)


京都ランナーズ創立25周年のつどい

節目を無事通過30年・40年に向かってスタート!!

京都ランナーズは、今年7月22日に創立以来25周年を迎えました。まだジョギング人口も 少なかった25年前、12人の先輩諸氏が「新体連京都マラソンクラブ」を発足させ、例会を 基本に新年会や合宿、LSDなど多彩な行事を取り組んで、現在の160余名に上る大きな 組織に発展することができました。

そこで、創立25年を記念して8月9日(日)石長松菊園で 「京都ランナーズ創立25周年記念のつどい」を開催しました。谷角会長、富田事務局長 を始め実行委員の人たちが2か月あまりの短い期間の間に、式典・パーティーの準備、記念誌 の発行など、各パートごとに分かれて連日のように奮闘され、立派な催しとして成功させる ことができました。

午前中のランニング講習会には、京都産業大学陸上部監督で全国女子駅伝京都チームの 監督でもある伊東輝雄氏を招いて、座学と実技指導を受けました。その中で、

  1. 市民ランナーは楽しく走ること
  2. 練習の前には脈拍をとってセルフチェックを行うこと
  3. 自分にあったシューズを選ぶこと
などをわかりやすく話していただきました。また、鴨川での実技では、ストレッチングの 重要性とそのやり方について「伊東流トレーニング術」を直に学びました。

続いて、午後は記念式典とパーティーを開催しました。記念式典には、関係団体からも たくさんご出席いただき、来賓の方々のうち、新日本スポーツ連盟京都府連盟副理事長 谷村繁雄様、立命館大学男子陸上競技部部長岡尾恵一様、京都走ろう会会長玉木知男様、 大津ランニング協会会長角良様、市会議員・スポーツ振興対策特別委員会副委員長三宅誠孝様 から心温まるお祝いの言葉を頂きました。 その後、京都ランナーズの年間表彰を行い、最多出場賞は林さん他12名、敢闘賞は 浅野さん、丸井さんが受賞されました。

第二部は地下に会場を移動してのパーティー。食べて、飲んで、喋ってと、京都ランナーズの 面目躍如で、来賓の方々とも大いに親睦を深め、楽しい歓談のひとときを過ごしました。 アトラクションでは、佐野純子さんのカラオケで大いに盛り上がり、飛び入りもあって時間 延長。最後のお楽しみプレゼントコーナーでは、変な鐘の音ともに大変装した井上さんの登場 で、次になにが起こるかと興味津々。背中にいっぱい背負ってきた荷物を開けて、大抽選会が 始まりました。5等から始まり、4等、3等と進む。そして、最後の1等、走りながら脈拍を計測 するもの(正式にはなんていうのだろう)を実行委員長である会長が引き当て、会場は大騒ぎ。 八百長ではないかという声も飛びかいましたが、決してそんなことはありません。参加者全員、 大いに親睦と交流を深め、今後の健闘を誓い合って散会しました。
(走人ニュース198号,'98年8月23日より)


'98北海道 サロマ100q ウルトラマラソン 京都ランナーズ全員完走!!

      林 登志雄 6月21日  「サロマ100qマラソンにチャレンジ!」

今年の1月、例会で浅野さんの呼びかけに、いつか は100qにチャレンジしてみたいと考えてた高橋、藤田、林の3人が同意した。 2月には参加申し込みの手続きをしたが、藤田さんは足を痛め、高橋さんも故障中、6月まで に回復する目途も無く、本当に間に合うのか心配であった。それでも4月頃から徐々に走り始 めた2人も、ユックリながらLSDをこなせるようになり、とうとう大会を迎えた。よくぞこ こまで頑張ってきたものと感心する。 この後、ランナーズのLSDに参加した秋田さんが加わり5人でチャレンジすることになった。

6月20日、関西空港から北海道女満別空港に向かう。今大会に出場するタレントの上岡龍太郎氏と 飛行機が一緒だった。北海道は「梅雨がない」と聞いていたが、残念ながら現地は大雨、 雄大な景色は見られず宿泊地の佐呂間町に移動する。 宿泊先のキムアネップ観光センターには34人のランナーが集い、夕食の時、全員が自己紹介し抱負を 発表する。我々は100q初チャレンジなので控えめに「先ずは完走を」誓う。

そこに 「北米大陸横断4700qレース」に94年、95年の2年連続完走したウルトラの神様、海宝 道義氏が同宿 され、アドバイスをいただく。「ウルトラにはもう一つの坂がある、それはマサカというサカで、 予期せぬ事態に見舞われる。それを平常心でクリヤーしろ」とのことであった。

夕食の席で、ランナーズのメンバーで宣言タイムレースをすることになり、目標タイムを申告、 ペナルティ を決める。誤差30分超過1000円、1時間超過2000円、1時間30分以上とリタイアは3000円。これは翌日の 昼食代に充当することになった。

午前2時起床、食事をとり、3時にはバスに乗ってスタート地点の湧別町に向かう。冷たい雨が 降り続く。気温は6℃、吐く息が白い。最悪のコンデションである。

午前5時、2100名のランナーがスタート。気温が低く途中トイレへ頻繁に通う。雨に煙り景色は 見えず、ただ先に行くランナーの後ろ姿を追う。 給水は2.5q毎、給食は5q毎、豊富に準備され、地元高校生がエイドステーションのスタッフ をし、励ましの声をかけてくれサポート体制は万全であった。

70qを過ぎた辺りから疲れが出始め、足が急に重くなる。とにかく寒い80q地点のワッカ原生花園 に入るとオホーツクからの冷たい強風にさらされ、気温が更に下がる。 天候がよければハマナスの花が咲き乱れ、左にサロマ湖、右にオホーツクの海を眺める絶好のロケ ーションのはずが・・・。 悪魔が叫ぶ「リタイア、リタイア、リタイアしろ・・」 ようやくワッカの折り返し88.5q地点に到着、ここからは後続のランナーとすれ違う。

90q過ぎのエイドステーションで腰を降ろし休憩していると、まず高橋さんが来た約3qほど離れている。 結構元気な様子で、追いつきそうな勢いに重い腰を上げ、またトボトボ走る。 次に藤田さんと出会う。高橋さんとは5分程の差。しばらくして秋田さん、浅野さんに すれ違う。みんな元気に余裕の表情であった。 95qを過ぎ、いつも例会で御所の外周を走る距離になると元気になり、ゴールタイムが 計算 できるようになった。

いよいよゴールの常呂町民センターが見える。沿道には応援の人垣ができ、勝者をたたえ 大拍手 でランナーを迎えていただく。私は帽子を取って声援に応え、思わず涙が溢れる。 感激のフィニッシュ!万歳、本当に万歳!!、よく頑張った。そして長い挑戦が終わった。

クラブのメンバーも元気に次々ゴールイン。全員が制限時間に対し余裕の完走を果たす。レース後、 地元高校生によるマッサージサービスを受け、アフターケアーは完璧、おかげで 100qを走った 割りには筋肉痛は極めて軽かった。 18寺20分から完走パーティが開催され、我々も参加する。テーブルにはタラバガニが山積みされ 食料は豊富にあり、ビールを始めドリンクも飲み放題で参加費が安く感じられた。 ランナーズのメンバーと健闘を祝しカンパ〜イ!!。 お疲れさまでした。

記録

ちなみに、宣言タイムのペナルティは林(タイム差57分41秒:1000円)のみでした。 当分の間、酷使した身体をいたわりたいと考えています。 (走人ニュース198号,'98年8月23日より)