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走人ニュース210〜219号より

それぞれの思いを実現

参加者7人全員完走

第13回小笠・掛川マラソン

第13回小笠掛川マラソン大会に私を含め武内満男さん、木村善則さん、土居誉生さん、 井上進さん、岩佐和子さん、津田昌子さんの7名が参加しました。
 前日の雨も上がり、少し雲の多いどんよりした暑くも寒くもないマラソンには好都合 な日和に恵まれました。9時30分のスタート時間が近づき、スタート地点へ急いで向か いました。私は3時間30分から4時間を目標とするグループの中に入りペースメーカー の風船を目当てにしてスタートしました。5qを通過した時のタイムを見ると私の思い より少し遅れているので、ペースメーカーを囲む一団から抜け出そうとペースを上げて 走ってみましたが、足が重く思いどおりの走りが出来ません。15qを過ぎてまもなく後 から追って来た井上さんに声をかけられ、あっという間に追い抜いて行かれました。何 とか離されずについて行こうと思いましたがどうにもなりません。その頃から天候が怪 しくなり、空は黒い雲に覆われ小雨まじりの強い向かい風となり、気温も下がって肌寒 く感じるようになりました。ちょうどエイドステーションにさしかかったので、立ち止 まりゆっくりとドリンクを飲み干し、大きく深呼吸とストレッチ運動をして気分を入れ 替え、再び走り始めました。この辺は農地に囲まれた一帯で、空気が一段と美味しく呼 吸もさわやかになり、どうやら気分よく足を運べる感じが戻ってきました。20q地点で は特産のメロンが目に映り、すばやく口にほおばりました。メロンの甘い香りと爽快な 舌触り、何とも言えない美味しさを満喫することができました。25qを過ぎたところで 井上さんに追いつきしばらくは肩を並べて走りましたが、平坦な道路に入ってきたので 少し調子を上げ、38q過ぎまで快調に走りつづけました。最後の坂道では急にペースが 落ちましたが、ゴールを目前に頑張りつづけフルマラソン50回目の完走を果たすことが できました。
 走り終わった後、みんなで成果を確認しあい、7人全員が完走しそれぞれの思いを実 現したことを喜び合いました。とりわけ武内さん、津田さんは年代別3位入賞するという 素晴らしい結果を出されました。土居さんはサブスリーの貫禄を発揮され、木村さんは 掛川での自己新を記録されました。井上さん、岩佐さんは終始マイペースで満足のいく ゴールを果たされました。会場の「つま恋」を後にして、掛川駅では列車待ちの時間を利 用しホームにビニールシートを敷き、さっそく即席パーティを開き、お互いの健走をた たえビールで乾杯!京都駅では、二次会で私の50回完走を祝っていただき、本当にあり がとうございました。
(谷角慶之,走人ニュース219号,2000年5月14日より)


長野オリンピック記念マラソン

後半我慢して自己ベスト

4月8日(土)から10日(月)までの2泊3日の日程で長野オリンピック記念長野マ ラソンに行って来ました。参加者は昨年の第1回大会よりも減少しましたが、全体で 4,100人でした。8日(土)の朝に大阪駅の特急しなのに乗車し昼の2時前に長野駅に 着いてから、受付会場のセントラルスクエアにてナンバー引き替え券を交換しゼッケン とRCチップをもらい、気持ちを引き締め翌日のレースに臨みました。
軽いジョギング程度のウオームアップの後、9時5分スタート。最初の6qまでが下 りでその後はずっとフラットのコースでした。最初の25qまでは調子も良かったので すが、それから1q5分半までガクッと落ちました。しかし、それ以上は落とさず保 てたと思います。なるべくしんどいと思わないように気持ちをもち、腕時計も見てし まうと気になるので見ませんでした。後はずっと1q5分半から40秒ぐらいで行くこ とができ、3時間39分06秒でゴールしました。フルマラソンの中では、昨年の福知山 マラソンよりも2分短縮し自己ベストです。レース後、夕方から長野市内のホテルに て、レースの労をねぎらうためにウエルカムパーテイーがあり、それにも参加してき ました。
今回の長野マラソンは、あまり練習ができませんでした。3月下旬までは残業が続 いて時間がなかったのでその合間をみて軽いジョギング程度の練習だけでしたから、 記録更新ができるとは思ってもいませんでした。今回長野マラソンに参加してみて良 かったと思いました。来年も長野マラソンに参加したいです。
(奥村 昌弘,走人ニュース219号,2000年5月14日より)


大会結果

第13回小笠・掛川マラソン(4月16日)

◆男子総合
  139位	土居 誉生	2:56:55
  153位	武内 満男	2:57:31(年代別3位)
  733位	木村 善則      3:25:49
 1884位	谷角 慶之	3:53:09
 2166位	井上 進	3:58:30
◆女子総合
  205位	津田 昌子	4:21:44(年代別3位)
  288位	岩佐 和子      4:38:16

第3回日吉ダムマラソン(4月23日)

◆ハーフ男子41歳以上
   40位	久保 夕児	1:31:57
   89位	浅野 松夫	1:38:39
  111位	滝本 純	1:41:15
  164位	登尾 猪三郎	1:46:57
◆ハーフ女子41歳以上
    2位	丸井 清子	1:32:43
   19位	広瀬 博美	1:52:57
   46位	吉澤 純	2:15:28
◆10q男子一般
   78位	塚本 政琉	  47:42
(走人ニュース219号,2000年5月14日より)


京都ランナーズ定期総会を開催 4月23日

4月23日、例会終了後京都御苑内に於いて、2000年度京都ランナーズ定期総会が開催され ました。当日は日吉ダムマラソンや万博ABCマラソンなどがあり、そちらに参加して いる人もいて総会は例年より少ない28名の参加でしたが、好天のもと、活発な議論がさ れました。活動方針、予算案、行事計画等について事務局の提案どおり決まり、新役員の もと2000年度の活動がスタートします。本年度も会員のみんさんの御参加と御協力をよろ しくお願いします。最後に、参加者から一言抱負等を語っていただきました。
 なお、総会決定集は、例会・行事役員等を決定の上近日中に皆さんのところへお届けす る予定です。
(走人ニュース219号,2000年5月14日より)


第22回京都ロードレース

今年も雨、にも負けず545名が快走

10マイルに代えてハーフを実施

3月19日(日)、第22回京都ロードレース大会が開催されました。昨年まで3q、5q、 10マイルの3種目で行っていましたが、今年から10マイルに代えてハーフマラソンに しました。距離の計測や給水ポイントの設置など新たな準備やスタッフが必要になり取組 みとしては困難もありましたが、会員のみなさんの協力や陸協を初め多数の方々の御協力 で成功裡に終えることができ、まずはホッとしているところです。

前日はテント張りなど会場設営に忙しかったのですが、小春日和の本当によい天気だった のに、当日は天気予報どおり昼頃から雨が降りだし、メインのハーフが始まる頃には本降 りとなって、今年も雨の中のレースになってしまいました。

大会は新記録こそ出なかったものの、参加者は北は北海道から南は九州まで、年齢も小学 生から最高85歳の方まで昨年を上回る参加者で多いに盛り上がり、ハーフを中心に来年以 降の期待が高まるものでした。

記録

(走人ニュース218号,2000年4月9日より)


福田勝三さんに五つの質問

思い出のレースは魚津ハーフマラソン

昨年9月に京都新聞社を定年退職され、なおも全国のトップで活躍されている福田勝三 さんに、これまでのジョギング人生を振りかえっていただき、五つの質問に答えていた だきました。

@いつ頃、どんなきっかけで走り始められましたか

40歳頃に夜になると喘息の発作が起こり、タバコをやめジョギングを始めました。 健康ジョギングから走り始めましたが、やりだしたら「はまる」ほうですから、 息子との元旦ロードレース入賞を目標にコツコツと……。
初レース(1982年)は元旦ロードレース親子の部 23位(42歳の時)

Aこれまで記念に思っているレース、または記憶に残っているレースとその状況

私の100勝に王手になったレース。96年9月16日、魚津ハーフ(57歳の時)
プレッシャーはあったし狙って来たので、最初から飛ばしたが5`地点では1位だったのが 8〜10`の間に3人に抜かされ4位に落ちた。しかし、中間地点から暑くなり上位の方が落 ちてきたので、15`地点から再び先頭に立ち逃げ切った。タイムは決して良くなかった (1:22:33)が、関東や中部地方の数多いライバルに勝てたことで、しんどいレースだ ったが思い出に残っている。

B主な種目のベスト記録

*フル 	2°38′41″(92別大)
*30q	1°53′15″(92丹波高原)
*ハーフ	1°15′44″(88尼崎シティハーフ)
*20q	1°12′20″(90宇治川)
*10マイル	  59′58″(89京都ロードレース)
*10q	  34′38″(90中日福井)
*5q		  16′41″(92水郷の里)
*5000m	  16′47″(87京都スポーツ祭典)
*4`		  12′41″(88元旦ロード)
*3000m	   9′47″89(89府民総体)
*1500m	   4′37″92(92京都スポーツ祭典)

C日頃の練習スケジュール

月・水・金は、午前中踏水会にて水泳(約1.8q)。往復ジョッグかBIKE(約11q)。BIKE の時は、夕方鴨川を10`ジョッグ。
火・土は、午前(9:30〜11:00)宝ヶ池でスピード練習後「接骨医」へ直行。
木は、午前(9:30〜12:00)LSD(20〜25q)
日は、レースか陸協審判、etc…

D今後の抱負及び京都ランナーズのメンバーに対するメッセージ

あと1〜2年はタイムにこだわって走りたいが、あとは健康と遊びをミックスしたランナー になりたく思います。その頃から100q出場を考えています。ランナーズのみなさんも メリハリのある練習をし、自分のポリシーを大切にして頑張ってください。おいしい ビールを飲みたいと思うのも走る辛さ(練習)があるからです。

(走人ニュース217号,2000年3月12日より)


飲んで、しゃべって、歌って -- 新年会

今年も例会・行事にたくさん参加してください

1月9日(日)、2000年のスタートにあたり恒例の新年会が行われました。宴会の 前には、これも恒例の雲が畑まで(途中で折返しあり)のLSDも行われ、走った後の 宴会は格別のものです。谷角会長の「今年も健康で、楽しく走りつづけられますように。 そのためにも平和が大切。また、走り続けられる環境づくりにも努力しよう」というあ いさつに続き、沙さんの元気な発声で乾杯をして宴会に突入。宴会のときは、男も女も、 老いも若きも関係ありません。とにかくよく食べ、よく飲み、よくしゃべる。これこそ 京都ランナーズの本領発揮です。新年会は、普段の宴会と違って、皆少しおしゃれに、 少しよそ行きの格好で、なんとなく華やいだ気分になります。それに花を添えるかの ように、今年はこの新年会の席で、昨年春、総会で表彰された京都ランナーズ賞や敢闘賞 のトロフィーの授与式が行われ、日ごろの努力を称えました。
昨年も十数名の方が新しく入会されました。新入会員の中には二十代の若い人も多く、 抱負を聞いていて、旧い私たちも大変勇気づけられます。今年も毎月の例会やそれぞれ の行事が、たくさんの会員の参加で楽しくなるように、決意を新たにした新年会でした。
ただし、「飲み放題」というのはよくないですね。たくさん飲まないと「ソン」みたいな 気持になって、かなり無理をしてしまう。翌日に持ち越した人はありませんでしたか?
(仲井 秋雄,走人ニュース216号,2000年2月1日より)


これが僕の私の初夢だ

第二の人生へのスタートの年、2000年

@1999年は椎間板ヘルニアで入院、アキレス腱痛とランニングにとって は最悪の年でした。2000年からは一からトレーニングをやり直し、フル3時間30分、 丹波で2時間30分をめざしたいです。
A本家の登山は日本のビッグウォール丸山に。また、フリークライミングは 5・11の世界に挑戦したいです。
B2000年を私の第二の人生計画へのスタートの年にします。料理、陶芸、 ペンション見学…etcああ、忙しい!!(花折 敬司)

フルマラソン百回

2時間59分59秒以内で走ることに〔45歳〜57歳まで〕かけてきました。記録の期待が 薄くなると、どんどん落ちてくる。せめて、フルマラソン百回だけは達成する。 (現在60数回)。もう一つ、山本泰明君(営団地下鉄)を応援する。 〔彼がオリンピックで走った夢〕 (太田 武志)

70歳までランニング続けるゾ!

☆1999年の実績(12月は見込みも含む)
・ランニング 145日
・水  泳 60日
・ウォーキング 12日
・テニス      7日
☆2000年の目標
@ 1年間を通して元気な体と心でスポーツを楽しみ、仕事も頑張るぞ (スポーツを続けられる身体に感謝する心を忘れずに)。
A 御所の例会参加が今年は6回だったので、なんとしても7回は参加する。
 記録では、5`は20分を、10`は42分を切ることを目標に。(福井 博茂)

ゆっくりゆっくり

@記録、距離の目標はなく、今のままで身体に負担のないゆっくりしたペースで ジョッグというより、ウォーキングを楽しみたい。
A今の生活を大切にしていきたいです。 私のランニング人生、60歳でお休みしたいと思っています。私の体質からレースに 出る練習は少しきつく、ウォーキングやハイキングに切り替えて行こうと思っています 。四季の風景を楽しくウォーキングを楽しみたいと思っています。
京都ランナーズに入れていただいたことで、楽しいランニング生活を送れたことを 大変感謝しております。ホノルルマラソン2回、NAHAマラソン2回、その他計8回の完走が 出来ました。いつも最終の私をサポートしてくださった谷角会長やお世話役の方々に 大変感謝しお礼を申し上げます。
 京都ランナーズの皆様のご健康をお祈り申し上げます。(大久保 雅子)

夢と現実相い半ば(できること、できないことあれこれ)

@ ア)ハーフマラソン1時間30分、フルマラソン3時間30分
イ) 月2回30`のLSD、月間200`程度のラン
ウ)特にこれというレースはないが、一度  はウルトラマラソンに!
エ)のんびり緑を楽しみながら、走ること。  (例えば初めは少しきついが、 大文字から皇子山へ抜けるコースとか)
Aア)長年の夢――畑作りと読書に明け暮れる。晴耕雨読の毎日(まあ、無理でしょうネ)
   アルバム(切手、記録etc)の整理
イ)日本国内どこでも
(ひたすら会社人間の毎日からこの3月には解放される予定)
B『2月には新しい京都市長誕生!!和風迎賓館は取り止め。京都ランナーズの御所例会 も永く続けられ、新たに市内に“ランニン グ専用コース”ができる』
 これが今年の1番の夢(期待)です。 (荘司 浩)

(走人ニュース215号,2000年1月9日より)


ランニングの面白さ、深さを縦横に語る

「KBS京都」ラジオに山田さんが生出演

「KBS京都」ラジオの「健康ひとくちテレフォンコーナー」という番組は、 月単位で曜日を決めていろいろな人に『スポーツと健康』をテーマに、インタビュー 形式で語ってもらうもので、京都ランナーズにも声がかかり、11月度の木曜日に4回 にわたって山田富治さんが生出演されました。テーマは、「ジョギングとは」(11/4)、 「ジョギングを始めよう」(11/11)、「LSDの効用」(11/18)、「仲間作り、そして ジョギングを継続すること」(11/25)(質問も回答も依頼を受けた方で考えます)で、 1回約5分間話をされました。この中で、京都ランナーズのクラブの紹介や年間の行事 なども大いに宣伝していただきました。

「健康ひとくちテレフォン」を終えて

冨田事務局長から依頼を受けたときは、とても我が任にあらずと固辞していたのですが、 なんでも経験してみようかと、清水の舞台から飛び降りるつもりでお引き受けしました。 原稿創りに苦労しましたが、事務局や役員のみなさんに助けていただき、何とか作成しました。
本番では、電話で生放送ということもあって、緊張のしっぱなしでしたが、3回目、 4回目はかなり余裕を持って対応できました。果たしてあのような内容で良かったのかなと、 少々自省しています。とにかく貴重な体験をさせていただき、感謝しています。(山田 富治)
(走人ニュース215号,2000年1月9日より)


なかなか目標どおり走れず 反省、反省・・・ 来年に雪辱を誓う

第9回福知山マラソン

体重コントロール失敗で失速

体重がとうとう下がらなかった。昨年より3s増であった。 この結果スピードが出ず、前半抑え・中盤控え・後半遅れて 「エエトコなし」に終わってしまった。
 「しまなみ街道」・「四万十川」などウルトラの疲労が残っており、 10月に十分な走り込みができなかったのが遠因であると考えています。 大会前の調整方法をもう一度見直し、次の木津川マラソンで自己ベスト 更新に挑戦します。(林 登志雄)

「グレイゾーン」からの脱出

そぼ降る雨の中、まわりのランナー達は誰もが無言で疲れ切った足を引き ずっていた。`8分弱の重々しい人の流れである。スタートして4時間。 35`手前であった。最終関門通過できるか否かは、この流れについていけ るかどうかにかかっていた。そのことをランナー達は皆、自覚しているの がその雰囲気からひしひしと伝わってくる。私はこの「グレーゾーン」の中 にいた。30`以降、何回も立ち止まっては歩き、ずるずると`8分をオーバー していったのです。なすすべもなく、最後の審判を待つのみか。35`地点の 表示を見て、関門閉鎖がいよいよ現実味を帯びてきたのです。ちょうどその 時です。時間に追いつめられた強烈なプレッシャーと、京都ランナーズの 一員であることのプライドとが、体全体に「動け、完走せよ」と、指令を出し たのでした。まずは1`だけがんばってみようと、とにかく音がするほどに 足を引きずってみました。`8分弱のランナー達の流れにかろうじて乗れ、 何とか40`関門時間を1分残して通過することが出来たのでした。(谷角 裕之)

久しぶりのマラソンツアーで楽しい1日

久しぶりの京都ランナーズマラソンツァに参加させていただきました。 みなさんと楽しい1日を過ごさせていただきありがとうございました。 また、記録を目指して頑張って走りたいと思います。(荒木 邦雄)

昨年の記録を上回ったが・・・

本日、福知山マラソンに出場できて、本当にありがとうございました。 お蔭様で完走でき、自分としては満足とはいきませんが、まぁ、昨年の 記録4°33′41″より少し速くなったことに喜びをもって、また、来年に 向かって頑張って走ります。どうかクラブのみなさん、どうぞよろしくお 願いいたします。(上仲 軍治)

二度と走るかと思いつつ、来年も・・・

野球協から一人参加いたしました。自分の力は知っているつもりながら、 15`から20`は、「止めよう、止めよう」とばかり考えていました。30` のピッ、ピッ、ピッの音を聞いて、それなら最後までいったろかと…。 ゴールして(走ってはいませんが)しんどい。二度と走るかと思いつつ、 岐路のマイクロバスが見えると、思わずジョッグ。(吉田 昭二)

適切なアドバイスで見事完走

行きのバスの中で、武内さんのアドバイスがあり、そのとおり30`までおさえ、 残り12.195`でゴボウ抜きをやりました。おかげで、一度も歩くことなく本当の 意味で完走が出来ました。大変感激いたしております。 (塚本 泰行)

来年は50歳代でサブスリーを

この大会は、私の誕生日の翌日なのでいつも新しい年齢で走る大会です。 一昨年、途中でリタイア(マラソンではじめて)したので完走が目標でしたが、 タイムはやっと4時間が切れた状況で、前半、中間点までは1時間34分だったのに、 後半はバテバテで、練習不足がモロに出ました。50歳代ではサブスリーを目標に 頑張ります。(谷村 守茂)

100`の疲れで、後半ペースダウン

病み上がりで100`を走り、完全に回復していないようだと思っていたが、 そのとおりでした。15`まではハイペースですすんだが、やはりオーバーペースで、 以後はペースダウン。25`過ぎからは同病の浅野さんと併走して、何とか同時GOAL。 奇妙な友情を感じながらのゴールでした。(山田 富治)

(走人ニュース215号,2000年1月9日より)


腹痛を押して、ぎりぎりサブスリー

平坦で心理的にも楽なコース

河口湖マラソン

今回は2時間50分狙いでスタート。が、15`地点で早くも遅れ、ペース を戻そうとすると腹痛が起りそうな感じがしたので、去年腹痛に苦しんだこ とも思い出され、あっさりと50分台前半に目標変更しました。中間点では 1時間26分10秒。これでも自分としては中間点のベストです。無理もし てないし、あとは湖を一周するだけ(こう考えるとすごく短く感じてしまう) 、楽勝な気がしたのですが…そんな甘いものじゃなく、だんだんと重くなり、 33`あたりで腹痛も出てきて大きくペースダウン。最後は怠けたいのを我慢 して何とかサブスリーは維持できたというところです。2時間59分43秒 で本当のギリギリです 。
河口湖は、最初に5キロほど稼いだあと、平坦な湖を2周するコース。物理 的にも心理的にも楽なコースです。朝早い(8:30スタート)のと寒いのがや や難です。富士山が真正面に見えるとこもあります。2周目で言えば30` から35`のあたり。1周目は気がつきませんでした。
(土居 誉生,走人ニュース215号,2000年1月9日より)


第37回京都スポーツ祭典陸上競技大会

2種目で大会新記録

男子一般1500m  4分03秒09

男子中学生1500m 4分13秒12

10月11日、太陽ヶ丘陸上競技場で第37回京都スポーツ祭典陸上競技大会が行われ ました。今年も中学生、高校生が多数参加しましたが、男子一般1500m、男子中学生 1500mですばらしい大会記録が生まれました。また、女子走り高跳では審判長から 将来を嘱望される活躍をするなど見所のある大会となりました。

陸上競技大会の審判は、ロードレースと違って、パートごとに専門的な知識・技術が 要求されます。これらの規則を理解し、事前の講習会も充実させて臨みたいものです。 大会開催にあたって、早くから日夜準備に奔走された役員、会員のみなさん、大変 御苦労さまでした。また、当日も朝早くから運営に携わりお疲れだったと思います。 来年も、より多くの参加者を迎えて、市民の手作りの大会として参加者に喜ばれる 大会になるよう、反省もしながら力をあわせていきたいと思います。
<主な記録>
◇男子一般1500m
1位 宗座友也(大山崎町教)     4′03″09
2位 山口卓也(桂川中)        4′10″17
◇男子一般5000m
11位 木村英和(京都ランナーズ)  17′33″4
◇男子一般10000m
1位 松本一之(京都ランナーズ)   36′40″3
3位 駒崎 健(京都ランナーズ)   37′28″2
8位 田中公朗(京都ランナーズ)   40′35″2
◇男子壮年100m
2位 谷角裕之(京都ランナーズ)       12″81
◇男子壮年1500m
3位 武林 誠(京都ランナーズ)     4′49″94
◇男子壮年5000m
4位 藤原久雄(京都ランナーズ)  18′05″5
◇男子一般4×400R
9位 京都ランナーズ(田中、谷角、駒崎、木村)
                             4′06″73
◇男子中学生1500m
1位 深見 幸司(加茂川中)   4′13″12
◇女子中学生800m
1位 矢瀧 茜子(光華中、京都ランナーズ) 2 ′27″05
(走人ニュース213号,1999年11月14日より)


標高差1050メートルの日本屈指の八ヶ岳野辺山100qマラソン

京都ランナーズ総勢13名それぞれに健闘

応援に押され感動のゴール  津田 昌子

9月11日、私は憧れの信州の大自然の中にいた。雄大な山々が連なる大パノラマ、大地には 色鮮やかなレタス畑が広がる。一瞬映画「エデンの東」のシーンを思い浮かべる。明日はあの自 然の中を走れる喜びいっぱいで、夕刻静かな白樺林の中の“八ケ岳山荘”に着く。翌12日は、 カラッと晴れた青空、透明な空気、八ケ岳連峰がくっきりと浮かび上がっていた。10:05、間 寛平さんの号砲でスタート。涼しい木立の林道を走ると楽しみしていた私の思惑ははずれた。 まったく木陰はなく、林道はこぶし大の石がゴロゴロの走りにくいこと、まるで石の川、でも、 道中は涼しい風の吹く峠があり、コース最高点は1908メートルとあった。すすきのオンパレード あり、やさしい秋の虫の鳴き声にホッとしたり、エイドの美味しいみかんを思う存分パクつい たり、山からの滝のような冷たい流水に顔をつけたりと楽しかった。

後半の15`ほどは、強い日差しのカンカン照り、最後の10`はゆるやかながら上り坂、走っ たり歩いたりとつないで行く。もう疲れた体には、歩きさえままならぬ。歩くことがこんなに しんどいとは、初めての経験。まるでプール(水)の中を歩いているようではかどらない。もう 少し、もう少しと自身を励まし、やっとゴールに近づいてきた。もう走る気力、体力もないヘト ヘトの状態。最後500bほどの坂、応援の人がいっぱい、拍手に背中を押されゆっくり走り出す。 そのうちゴールを待っていてくださった武内さん、四宮さん、滝本さん、中浜さん、仲井さん、 宮村さんたちの懐かしい顔が視界に飛び込んできた。少しして岩佐さんも声援してくださった。 うれしさに足が軽くなる。そして、「自然の中を走るのが大好きな津田昌子さんのゴールです。」 とアナウンスされる。時計はあと30秒くらいで7時間になる。けんめいにダッシュしてテープを 切った。

この感動を、ワァッと声に出して叫びたい衝動に駆られ、胸が詰まって涙があふれてきたが、 静かに完走の喜びをかみしめながら、ゆっくりと今来た坂を仲間の皆さんのところへと下りてい った。大自然とすべての人に感謝しながら。そして、わが61歳の夏に乾杯!

感動と笑顔のGOAL  山田 富治

9月11日(土)9時、参加者10名が山科駅前に集合し、2台の車に分乗して、いざ出発。野辺山会場 に14:30到着した後、受付を済ませてからウォームアップのためにゴール前のコースを約4.5`を 試走する。(これが僕にとって本番でとても有効だった)。練習後、八ケ岳山荘に到着し、ひと風呂 浴びて夕食にありつく(18:30〜20:00)。食べきれないくらいの料理(バーベキュー他)とビールを痛 飲する。たまたま自分の44歳(?)の誕生日と重なったので、ワインをあけて皆から祝福を受ける。 100`組(7人)は、早々に床につく。病み上がりの不安と筋力の衰えのため、最初は不参加にしよう かと迷ったが、参加費がもったいないのと、若干観光気分で行ってみたい気持ちがあって、あえて 参加した。

仲間のことを思いつつ…
さて、当日。3:00起床。朝食はおにぎり三つ。3:50宿舎を出発、4:25野辺山の出発点到着。5:00、 寛平のスタート合図で1,000人あまりが一斉にスタートする。10`前から日の出にあわせて、徐々 に上り道になると同時に、すぐ林道(地道)になる。これが難物。26`のエイドまで石ころを踏ま ないように、ひたすら上る。27`くらいから舗装路に出てホッとするのもつかの間、30`前から また石ころとの闘い。35`、稲子湯のポイントでややリラックス。これからはずっと下りで、ま わりはコスモスが1面に咲きほこり、ススキが銀色に輝き、秋たけなわ。最低地点(880m)を過ぎ て、次のメインポイント56`地点に到着する。到着前途中に四宮氏、藤田氏、浅野氏と出会う。 帰路では岩佐さん、勝井氏と会う。60`過ぎてから2度目の山越えが始まる。徐々にきつい上りに なる。74.5`のエイドから77`の峠までは歩いてしまった。峠からの急な下りが疲れた太ももに ビンビンひびいてくる。これでは完走はとてもおぼつかないと思いつつ、だらだら下って行く。 83`のエイドで再度のリフレッシュをして、残り時間は2時間30分あまり。何とか制限時間内には 間に合いそう。でも、疲労困憊、太ももがガタガタになっている感じ。92`前からは、ずっと上 りが続く。頭をよぎるのは、一緒に行ったメンバー。ランナーズの人たち、家族やNASの仲間。 みなから無言の声援を受けて走っている感じ。95`からはまわりは真っ暗だったが、前日の試走 のおかげで、安心して走れた。GOAL手前から、感激の涙が出てたまらず、浅野氏、滝本氏が 出迎える中、感動と笑顔のゴール。制限時間4分前のぎりぎりのGOALだった。

ご馳走ずくめの完走パーティ…
宿舎に戻り、結果を聞くと、50`組み3人は、しっかり完走。100`組7人中6人完走(もちろん自分 が最終ランナー)。またまた、ご馳走ずくめの大宴会。翌日は6:40から7:20、ほぼ全員で朝のJog +散歩を楽しむ。10時過ぎ、山荘を出発。昼は飯田近くの昼神温泉に立ち寄り、露天風呂と料理を 楽しんで、17:40ころ、山科に無事到着する。とても実りの多い体験であった。まわりのみなさん に感謝、感謝。

12時間12分 苦闘のレースは終わった  藤田 克巳

2月に左太ももを肉離れし、7ヶ月ぶりの復活レースとなるのだが、レースの3週間前にぎっくり腰に、 それをかばっていたら膝痛に、満身創痍の状態で参加するか、不参加か、間際まで悩んだ末、痛み がくれば途中リタイアする気で、とりあえず来てしまった。当日、腰にコルセットを巻き、ウエス トポーチにコールドスプレー・エアーサロンパスを入れ、開き直ってスタート地点のJR野辺山駅前 に並んだ。朝5時、スターターの間寛平のピストル音でスタートした。体調の悪い割には信州の 美しい山々を見る余裕もあり(残念ながら富士山は朝もやがかかり何も見えず…)、前半のピーク である横岳の高低差600bもあるアップダウンをものともせず、何とかマイぺースで走れ、30`ま で武内さんについて行くことが出来た。当然ながらだんだんと離され、一人になり、無我夢中で 56`の着替えポイントであるエイドステーションまで辿り着いた。このエイドに来るまでの4`は 対面走行になっていて、折り返しをする地点である。そこに到着するまでの往路では、一緒に着た 宮村さん、武内さんとすれ違うが、前半調子の良かった仲井さんは残念がらここのエイドでリタイ ア。そこで着替えをし、腹ごしらえをし、腰・膝にエアーサロンパスを塗り、再スタートの準備は出 来たが、ここまで来られたことで、ひと安心したのか30分も休憩をしてしまう。

暑さと坂とたたかって…
腰・膝とも大丈夫だ。重い腰を上げてゆっくりと走り出す。11時過ぎだ。日差しが急にきつくなっ たように感じる。復路では浅野さん、山田さんとすれ違ったが、四宮さんとは会えず、どうされた のかと思っていたら、休憩中に抜かれたらしい。すれ違ったランナーのみんなは元気に走っている。 なんと勇気づけられたことか。その後、暑さのためにエイドごとに頭から水をかぶりながら、この レース最大の難所である馬越峠の入り口にきた。ここから11`の上りに入る。頂上手前5`は急な坂 で歩いてしまうと後走れないと思い、76`の頂上まで走り通した。頂上から今上ってきた馬越峠の麓 を見下ろすと、はるか彼方に南相木村の集落が見える。よく上って来たものだと、我ながら感心する。 77`のエイドで一服。上りの疲れを癒し、気を入れなおし、「さあ、あと23`だ…」と自分に言い聞 かせ、83`のエイドまでの下り坂をいっきいに降りた。何しろ暑い…!

歩きながら苦闘のレースを回想…
 83`のエイドは着替えポイントだが、時計を見ると午後2時30分だ(スタートして9時間30分)。 この調子で行ければ11時間15〜20分位でゴール出来るのではと、着替えもせず、休憩もほどほどに 走り出した。農道から県道に続く平坦な道は、90`のエイドまで日陰が全くなく、日差しは相変わ らずきつく、グロッキーだ。90`からの延々と続く上り坂で精根尽きた。途中、50`レースに参加 された津田さんと(コース上で合流しゴールまで同じコースを走るところがある)偶然会い、お互い もう少しだから「頑張りましょう」と言って追い抜いたものの、もう走る気力を全く失う。おまけに 腰まで痛くなり、歩かざるを得なくなった。歩いていると津田さんに追いつかれ、逆に励まされ、 抜かれる。ついて行こうとするが、足が動かない。後はゴール目指して歩くのみであった。歩きなが ら、もうゴール時間は気にならず、「どうでもいい、早く終わりたい」との思いと、今日1日の苦闘が 走馬灯のごとく回想された。「なぜ、こんなしんどいレースに最悪の状態で来てしまったのか?」 「富士山を見たかったのに」、また「浅野さんはこのレース3度目の挑戦だが、大丈夫?」とか、 「レース直前食中毒で入院された山田さんはどうされただろうか?」等々…。

ゴールは走って…
 色々なことを思いながら、かれこれ1時間は歩いただろうか。『ゴールまで、後1`』の距離表示が 見た。ゴールは走ってと思い、最後の気力、体力を振り絞り重い足を引きずりながら走り出した。 夕日が真正面からまぶしい、ゴール手前で「ナンバーカード839番、京都ランナーズの藤田選手です」 とレース前に出していたコメントの「完走目指して、楽しんでゆっくり頑張ります」のアナウンスを 聞きながら、「やったー!ゴールだ!」午後5時12分。12時間12分の長い長い苦闘のレースは終わった。 私自身、昨年のサロマに続いて2度目のウルトラマラソンで、さほど感動もなかった。坂道に悩まさ れはしたが、楽しく走ることが出来た…?満足だ!それよりも完走された浅野さん、山田さんの方 が感動的だった。おめでとう!

56` 無念のリタイア

 56`でリタイア。83`のエイドでは、スタッフに写真を撮ってもらおうと思い、カメラを入れてお いたのに、届かず残念です。やっぱり私にはウルトラは無理のようでした。 (仲井 秋雄) --昨年は完走されています

完走できてうれしい!

 昨年は途中で棄権しているので、完走できてうれしい。80`からガンバッタ。藤田さん、山田さん が体調が悪いのにもかかわらず完走されたのは頭が下がる。浅野さんが3度目の挑戦で完走されたの も立派なものだ。(武内 満男)

我が人生に貴重な1頁

 日本1過酷といわれる八ヶ岳野辺山100qマラソンに挑戦し、3度目にして初めて完走。それも 12時間台(後半)で、約1時間の余裕を残し、元気いっぱいのゴールは、超満足の結果でした。
 又同行(同宿)した京都ランナーズの仲間10人と過ごした3日間は、レースも含め我が人生に とって幾日もない楽しくも貴重なものでした。(浅野松夫)

[100キロの部(男子)]
42位 宮村 秀志 10:19:42
 75位 武内 満男 10:56:17
107位 四宮 文世 11:32:45
160位  藤田 克巳  12:12:18
263位 浅野 松夫 12:59:09
455位 山田 富治 13:55:43

[50キロの部(男子)]
74位 久保 夕児   5:36:28
156位 滝本 純     6:18:03
164位 中浜 雅夫   6:21:32

[50キロの部(男子)]
32位 久保山多恵子 6:28:37
53位 津田 昌子   6:59:32
(走人ニュース212号,1999年10月12日−213号,1999年11月14日より)


観れば観るほどに残したい豊かな御苑の自然
識れば識ほどにムダの極み…『和風迎賓館』

--京都御苑ウォッチング--

9月23日、スポーツ連盟主催の京都御苑ウォッチングに行きました。ハイクファミリー他6 協議会25名が、京都御苑への『和風迎賓館』建設に反対する連絡会の竹本文夫さんの案内で 2時間ほど建設予定地周辺の自然観察を行いました。苑内には明治期に植林された松林と 公家屋敷の庭園に植えられていた樹齢2、3百年以上の各種の樹木が森林公園を形成していて、 その数約5万本。御苑内の生態の基本は、自然に近い状態を保持するところにあり、苑内には 約80種の野鳥も集います。
 特に、御苑の東面には、その名もバッタが原、こおろぎの里、野草観察地、鳥の水飲み場、 母と子の森などなど。ここはより自然に近い状態を保持するために、長年にわたり営々と努力 が重ねられてきたところです。それが、こともあろうにそのど真ん中に鉄とコンクリートの 巨大な『和風迎賓館』をドーンと建てようという、この無神経さ。大企業でさえ地球環境を守 ることを掲げなければ営業活動に支障をきたす時代なのに、国や自治体が先頭に立って自然破壊 に手を貸すとは……。
建設予定地の南隣には素晴らしい庭園を備えた「大宮御所」があり、皇室関係者や国賓の方々の 宿泊所として使われています。それに、国も自治体も空前の財政危機下(負債600兆円とか)にあ って、節約に努めなければならない時期に、何ゆえ巨額の費用をかけてかかる無用の長物を建造 するのか、市民の常識ではとうてい理解しがたい『平成の大ミステリー』ですね。
さて、建設工事は埋蔵文化財の発掘調査や球技場移転など着々とすすんでいるかのようですが、 数々の法的規制をクリアーしなけばならないし、専決事項として京都市長が許諾の権限を持っ ているなど、直ちに建設がはじめられることはありません。
会員のみなさんにお願いしている『和風迎賓館』建設に反対する署名運動に引き続く御協力と ともに、来年1月に行われる「京都市長選挙」の動向がキーポイントとなるものと予想されますの で、会員の皆様の賢明なる御理解をお願いします。
(荘司 浩,走人ニュース212号,1999年10月12日より)


山科、疎水 マラ肉(9月19日)

去る9月19日。残暑厳しいというより真夏の猛暑という雰囲気の中、恒例となった山科方面 のマラニックが行われた。
昨年は、台風の影響で通ることが出来なっかった南禅寺裏の山も無事越えることができ、 一路疎水公園へ。ここは、適当に木陰もあり、比較的走りやすいところであるが、走りやすい コースというのは走りやさん達にとって自分の力を発揮する絶好の場でもあるので、ぐんぐん 差は開く一方。後は例によってレース感覚で飛ばす人や、きっちりマイペースを守る人。中に は誘惑に負けて車に乗り込んでしまった人や、初参加で道に迷ってしまった人もいたようであ るが、全員無事にゴール地点であるパセオダイゴロー前に到着した。走るスピードは個々に違 うが、皆それなりの満足感があったのではないだろうか。その場で麦のジュースで喉を潤し、 スポーツジムで汗を流した後、本日のメインである焼き肉PARTYへ。
やっぱり走った後のビール と焼き肉は最高である。これがあるからしんどくても頑張れる。今後への提案としてランナーズ 主催のマラニックは、マラ肉と改名したらどうだろうか。マラビールの方がええかな?
(細井勝博,走人ニュース212号,1999年10月12日より)


第12回スイス村リゾートマラソン大会(6月27日)

スイス村で大フィーバー

 3位 3位 3位(武内満男さん、田中公朗さん、丸井清子さん)


副賞のお米5`で大満足?

この日は、折しも、台風?号の影響で、前夜から大雨と強風にみまわれ、最悪の天候でした。 当日、武内満さんと宮村さんと待ち合わせ一路、丹後半島の弥栄町へ出発、車中は寝ていた ので省略。
 受付会場で谷村さんファミリーと合流し、スタート地点では、丸井さんと松本さんにであ いました。
 この時期は、毎年仕事(勉強)で、あまり走れていないのですが、更に夏風邪をひいてし まい2週間全く走ることが出来ませんでした。(いつもの言い訳です。)
その為、今日の目標は、練習のつもりで完走しようと決めました。が、スタートが近づく につれ、はやる気持ちを押さえきれずに、行ける所までいって、後はなんとかなるわと思 うようになってきました。(何とかなった事はありません。)
 いよいよスタート、頭の中は絶好調時の自分しかいません。少し前に武内さんを見つける と、その後ろに付けて下り坂を1q3分15秒のペースで3q程走りました。
 前を行く武内さんの呼吸が乱れているのが聞こえ、「しめしめ。」と思いながら抜きまし たが、すぐ上り坂が来て、5q位からペースダウン。中間点は、40分位で折り返しました。 起伏の激しいコースが幸いして下り坂でスピードにのり、上り坂を何とかこらえて、5q位 からのバテバテの体を何とかゴールまで運ぶことが出来ました。
 タイムは1時間23分51秒見事、年代別の3位に入賞することが出来ました。(パチパチ)
 京都ランナーズからは、武内さん、丸井さんも3位に入賞されました。
 何よりもうれしかったのは、副賞の米5`が初めて家の人に喜んでもらえた事です。
 まだまだ聞いてもらいたい事があるのですが、書ききれませんので、秋の爆走を誓って、 この辺で。
(田中公朗)

負けて悔しや

それまでの激しい雨も止み私にとっては初めてのスイス村ハーフマラソンがスタートした。
 50歳代には、土井さん・堀江さんと京都の一流ランナーが参加しているので、ガンバ らなければならないと言い聞かせ走る。スタート直後は少し上りですぐ下りになり2km の通過が6分台と完全にオーバペース。横を走っていた田中君に抜かれ、折り返しまでは 悪戦苦闘の連続。しかし、その後調子が徐々にあがり一人二人と抜いて行く。ゴールまで には田中君がバテテ待っているはずだ。追いつくのも時間の問題だと言い聞かしながらガ ンバる。しかし、田中君の姿は探がせども探がせども見えない。ゴールは目前だ。田中君 の姿は見えない。松本さんの姿がみえた。田中君ではなく松本さんとゴール直前の争いに なった。結局田中君には2〜3分の差がついた。私としてはマアマアのタイムであったが、 田中君が早すぎたのだ。この悔しさは丹波高原マラソン・福知山マラソンでと思っている。
(武内満男)

記録 (走人ニュース211号,1999年9月12日より)


第14回琵琶湖ジョギング・コンサート

 去り行く夏を惜しみ、琵琶町10キロレースを走る

     中浜 雅夫

とにかくここのレースの日は暑い。例年脱水症状などで救急車が行き交うほど。それでも 琵琶湖ほとり、姉川の歴史的合戦上を走れるのは楽しい。
 8月29日の琵琶町ジョギングマラソン10キロコースを走った。高石ともやさん、 浅井えり子さんがゲスト出場、記録よりも楽しく走ることをモットーにしている。この日は、 期待通り暑い。残暑が照りつける。違いはさわやかな風、湿気が少ないこと。走りやすい 気候だといえる。
 スタートからいつものようにマイペースを心がけるが、レースとなるとやはり気が前へ前へ と行ってしまう。快調なペースで滑り出し。ちょっと色気を出し、スピードアップしてみた。 行けるところまで行こうと。力からすればオーバーペースに持っていく。
 照りつける太陽は、容赦がない。6キロまでは4分台。ちっと早過ぎる。案の定、残り 4キロはバテバテ。次から次と追い抜かれ、気があせるが何ともしようがない。最後は気力。 練習不足を悔やむ。それでも47分45秒は「自分を誉めてやりたい」結果だった。走り終わ ったあとの長浜の地ビールが、レースに花を添えてくれた。
(走人ニュース211号,1999年9月12日より)


大江山登山マラソン(8月29日)

 スイス村に続きまたもや入賞

  女子36歳以上 23.5km 2位 2時間33分40秒

標高833mの千丈が岳の頂上を目指す山岳マラソンです。話には聞いていましたが、 走ってみて、あまりにも過酷なコースでびっくりしました。練習もあまり出来なか ったので、不安でしたが何とか最後まで頑張ることができました。お蔭様で2位の副賞 として、米20kをもらって帰りました。
(丸井清子,走人ニュース211号,1999年9月12日より)


ビアパーティ第2弾 8月29日(日)於:鴨川公園

マラソンシーズンの到来を感じさせる話題で持ちきり

去る8月29日、1ヵ月半の例会の夏休みが終わり、8月第4日曜のサマータイム例会が 16時から行われました。この日もまだまだ残暑は厳しく、35℃を越えた最高気温が 物語るように汗が吹き出る御所周回でした。
 例会後、17時半から場所を鴨川公園に移し、恒例の第2弾「夕涼みビァパーティ」 の始まりです。この日は、太陽が丘で近畿マスターズの大会があり、そのお手伝い の後駆けつけて来られた冨田事務局長他2名の方々や、飛び入り参加の方も含め34名 の参加。走って汗を流した人はもちろん、私も含めビァパーティからの合流組も喉 はカラカラで、乾杯まで白く泡立つジョッキを見つめ、まさに“喉から手が出そう な状態”です(フライングもありました)。待ちかねた谷角会長の乾杯の音頭の後は、 ビールはハイペースでジョッキから消え、お世話をしてくださった松岡さんの御主 人は、目の回るような忙しさで“お代わりコール”に応えてくださっていました。
 話題の方は、日頃のトレーニングのことはもちろん、9月の八ガ岳野辺山ウルトラ マラソンのこと、11月の福知山マラソンのことetc…。いよいよ本格的なマラソン シーズン到来を感じさせるものでした。
 現在、膝のリハビリ中でまだ走ることが出来ない私ですが、参加させて頂いて何 だかすごく元気になったような気がしたのは、楽しいお酒の酔いではなく、皆さん のすごいパワーのせいだったのではないでしょうか?
(矢瀧玲子,走人ニュース211号,1999年9月12日より)


山間地で快適なマラニック  秋の気配漂う「柚子の里水尾」

8月29日、有志10人で「柚子の里水尾」から越畑方面へマラニックに行った。8月下旬と はいえ京都市内は残暑の厳しい日だったが、越畑まで行くと流石に400bを越す標高 だけあって、木陰に入るとヒヤッっとするほど涼しいので、この時期のランニングに はもってこいである。午前8時に渡月橋に集合した一行は、洛柿舎など嵯峨野の景勝地 を抜け、約1時間半で水尾の源さんに到着。とりあえず荷物を置き、冷たい水と暖かい 柚子茶のもてなしを受けて、越畑方面へ走り始める。9月に100`マラソンを控えている 者が多く、それなりに練習を積んでいるとみえて皆快調である。神明峠も快調に上り、 越畑まで約50分。途中愛宕山からの冷たいお助け水をいただきながら、復路も元気に 走り終えた。
 丸源さんの柚子風呂は非常にいい香りがして、外から秋の陽射しが差し込みうっとり としてしまう。疲れた体にとてもやさしい。汗を流してさっぱりした後は、ビールで 乾杯。入念にウォーミングアップをしていた者もいたが、それもなんのその、ビールが 次々にあいていく。かしわの水炊きをつつきながらあっという間に3時間が過ぎてし まった。みんなの決意を聞きながら、秋からのレースシーズンに向けて、心身ともに 英気を養った一日であった。
(仲井秋雄,走人ニュース211号,1999年9月12日より)


涙と喜びの150日余り 高橋 一雄

今年の1月の始めに左膝をひねり、痛みを我慢していたが,治らないので病院で検査を してもらった。結果は「左膝内側半月板損傷」と診断が下されました。左膝は以前から 時々痛かったので、かえって気持ちがスッキリして早速、手術をしてもらうことを決意 し、2月1日から入院。あわただしい日々が経過して、3日に手術して10日には退院 しましたが、手術後、数日は何もできなく1日が長く感じましたが、5日目からリハビ リを始めてからは一日が早く感じるようになりました。リハビリは、忍耐がいって、と ても痛い思いをしながらの訓練の日々でしたが「ゆっくりでもいいから、もう一度走り たい」と思うと苦にはならなかった。
 退院後、1日も早い回復を願い通院をしていたある日、先生から急に「高橋さん1回 走ってみるか」と言われ、私は、びっくりして「へっ走れるのですか?」…しかし、足 を前に出そうとしても不安で一歩が出ない。何とかスローモーションみたいに一歩一歩 と足を前に運ぶ。うれしい!! 本当にうれしかった。感激し涙を流しもした。
 今まで走れることが当たり前のように、そのありがたさには気付きませんが、手 術をして痛い目にあって始めて分かるような愚かな私です。又、今もリハビリに通院 しています。
 3月から4月には、昨日は10分、今日は15分走れたと喜び。夕方、梅小路公園で 家内と一緒に30分〜40分走れる日もありました。クラブの皆さんと、LSDやマラ ニックにも行きたいし、楽しいランニングをしたいと思う毎日でした。 5月中旬頃には、60分位走れるようになり、箱舘山へウオークに行ったり、哲学の 道へホタルを見に行ったりと、外で活動する時間が長くなってきました。
 1度LSDへ行ってみようと、6月12日に、会長さん、浅野さん、井上さん夫婦そ して、私ども夫婦の6名で、JR嵯峨駅から六丁峠、水尾、神明峠から、樒原の往復を 新緑の山々や、木々を通り抜け、川の流れの音、野鳥のさえずりを耳にして、又、道路 にヘビが堂々とランニング?していたり、さわやかな風を全身にあびて、大自然を体感 しながら5時間程楽しんできました。その後は、風呂に行って、おきまりの?コースで した。話をしながらのランニングは、久しぶりのことで、皆さんに引っ張ってもらった お陰と感謝しております。
 これからも、一歩一歩確実に大地をふみしめ、楽しくランニングをしようと思ってい ます。
(走人ニュース210号,1999年8月22日より)


第18回反核・平和ランニング大会

平和に願いを込めて

去る7月4日(日)梅雨の真っ只中に今年も第18回関西網の目反核・平和ランニング 大会が開催されました。1昨年・昨年の暑い日とは、打って変わっての薄日の射す比 較的涼しいランニングには最適の日でした。
京都二条城から大阪城までの58`(8区間)のコースに、京都ランナーズ・吹田中ノ 島ランナーズ・京都ピースランナーズ・京都トライアスロン・太陽ヶ丘JC等個人参 加も含めて、多数の方々が参加されました。(約60名)朝早く滋賀県庁から参加された 方も数名おられ、みんな元気に完走目指して、二条城を午前8時にスタートし、JR 西大路駅〜向日市駅〜阪急大山崎駅へとランニングは進み、ほぼ中間地点であるJR 高槻駅にやっとたどり着いた。午後12時過ぎ、待望の昼食です。いつも楽しみにし ている久保山さんからの差し入れである。今年は大きな混ぜご飯おにぎりを(全員に 行き渡るほどの数量を、朝早くから支度していただき、いつも感謝しています。有難 うございました。)頂き、満腹。ゆっくりする時間もなく、次のエイド場所であるJR 茨城駅〜阪急吹田ランニングの行進は続く。吹田では冷えた甘いスイカをかぶりつき、 最後のエイド場所の京阪関目駅へと向かう……。途中、いろいろな団体・組合等のデモ、 集会に出逢うが、エールを交換しながら、何とか関目駅までついた。ゴールの大阪城公 園まであと5q、「もうちょっとだ……。最後の力を振り絞って……。」と全員が思っ ているに違いない。最後のエイドでは残った飲み物、バナナ等全て平らげ、いよいよゴ ールである大阪城公園へとランニングは進む。ゴール近くなると、みんな元気になり、 無事反核平和ランニング大会を終えることが出来た。平和であるからこそこのような 大会が開催され、我々も参加することが出来るのだと、あらためて、平和のありがた さを再認識させられた。これからも永遠に平和であることを願いつつ報告を終わりま すが、この運営に携われ、いつもご尽力頂いている方々に感謝すると共にこの大会に 参加された多数のランナーの方々お疲れさまでした。その後、銭湯に行き、いつもの 居酒屋で懇親会と相成りました。総勢28名の参加。楽しく過ごすことが出来ました。
(藤田克巳,走人ニュース210号,1999年8月22日より)


京都ランナーズの精鋭「ランナーズ」誌に出演

去る7月7日に潟宴塔iーズ社からコンバースメイトの取材の依頼がありました。 事務局は京都ランナーズの精鋭、土居誉生氏、安達洋子さん、仲井秋雄氏の3人を 推薦しました。
 コンバースメイトとは、3人にコンバースシューズのモニターになってもらい、 感想と写真をランナーズ誌のカラーページ2ページを使ってコマーシャルするもの です。
 7月16日に平新で打ち合わせ及び取材。3人の他に谷角会長、富田事務局長、 浅野が協力しました。翌日午前7時から祇園新橋で京の町屋をバックに写真撮影が 行われ、後に鴨川に移動し数多くのシャッターが切られ、9時頃終了しました。
 8月22日発売の10月号に掲載されます。是非皆さんも機会があればご覧くだ さい。
(浅野松夫,走人ニュース210号,1999年8月22日より)