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走人ニュース233号〜250号より

2002 丹波高原マラソン

60歳以上部門新記録で優勝

夏の不調から脱出

鯖街道マラニック・富士登山競争・丹後100キロウルトラマラソンと不調がつづいたが、 八月三五一キロ、九月四一七キロ、十月三七三キロと例年より多い走り込みを行いました。 また上り坂に弱いため水尾から越畑の山を中心に練習をしました。さらに二週間前からのスケジュールを下記のように今までと替えました。 二週間の走行距離は一〇八キロでスピード走は、レースの一週間前に一度走っただけです。(四分/km)
水泳水泳
ジョグ(会社-自宅13km・水泳) 
ジョグ(会社-自宅13km・水泳)ジョグ14km
40km(最後の長距離走) 
水泳水泳
愛宕山(足ほぐし)ジョグ14km
ジョグ7km+スピード走7km大会

五キロ・十キロと快調にラップを刻む

いよいよ大会当日です。ライバルの四宮さんがカゼ気味のため不参加。急きょ浅野さんが参加。会場に着き、 いつものように五キロぐらいをアップする。スタート地点に行くと、今年から登録の部の後ろに一般の部が並ぶ。 京都ランナーズの仲間に会い雑談をする。私の強敵である泉さん(田辺走友会)とも会い話をする。辺りをみわたすが福田勝三さんの姿は見えない。 私の知っているライバルは泉さんだけだった。スタート直後やはり泉さんは抜け出し差をつけられる。しばらく走っているといつもの調子より足が軽い。 スタート直後の登り坂も苦にならない。五キロ近くの折り返し点で確認すると部門別では、泉さんがトップで走っている。 五キロのラップを見ると二〇分一秒。予定より一分早い。このままいけば完全にオーバペースだと思うが足が軽いので集団について行く。 一〇キロのラップは二〇分五秒。十二キロぐらいで前を走っている泉さんの姿が見え出した。二〇キロぐらいで、追いついたらと思っていると、 泉さんが道路の右側に行き給水のコップを持って娘さんに渡していた。泉さんは娘さんの伴走をしていて娘さんの調子がすこし悪いようであった。 泉さんを抜き十五キロを二〇分二十三秒のラップで通過した。ここからは下り坂。また折り返しなので京都ランナーズの仲間の声援も多い。 オーバペースにならないようにと気をつけながら走る。前に走っている土井さんをはじめ谷角会長、井上さん、林さん、藤田さん、三木さん、 原田さんに応援していただいた。(私は近眼なので近くにならないと顔がわからないのでスミマセンでした)。

二〇キロで優勝を確信

二〇キロは十九分五十二秒のラップで通過した。ここまできたらオーバペースもなんのその、行くしかないと考え一つ一つの上り坂を慎重に走る。 この地点では年代別のトップであり、あとはガス欠さえしなければ優勝できると思い二十五キロを二〇分五十七秒のラップで通過する。 やはり最初のオーバペースがたたり時間がかかった。さらに二十五キロから三〇キロまでが地獄の連続で最後のラップは二十一分四十九秒もかかった。 いつもの自分と違うレース展開で不満が残るが部門新の二時間三分九秒で優勝できた。 これも京都ランナーズの仲間の声援や励ましのおかげと感謝しています。ありがとうございました。
(走人ニュース250号,2002年12月8日より,武内満男)


2002 丹波高原マラソン

「無意識」のゴール

今回のロードレースは事前に走りこみも十分に行い、気分的にも余裕をもって準備を終え出場を待った。 前半はゆっくりと、後半はスピードを上げて楽しく走ることを目標にした。
スタートし、順調に走り始めた。五キロの部の折り返し点で少し遅れ気味であることに気づき、 少しペースを上げたため力が入った。一〇キロの手前で急に腹痛が起き、 エイドステーションの係員にトイレを依頼した。付近の民家のトイレを利用させていただいた。 この間の遅れが気にかかり、ペースを上げてレースの流れに逆らってどんどん追い越していった。 二〇キロ地点、一時間四十五分。少し無謀かな、と思いつつ走り続けた。二十六キロ過ぎの上り坂で、 スピードが急に落ち、空・感が漂い、そしてお腹を中心に二つに折れるような感じとなり、 前のめりに倒れるような思いがした。急いで姿勢を立て直し、何とか苦しい中でもゆっくりと走り続けた。

目の前に現れたのは看護婦さん

あと四キロ、三キロの地点も通過し、二キロのエイドステーションで水を求めたがスポンジのみであり、 係員が見かねてヤカンごと水を出され、ラッパ飲みで二口、三口と飲み込み、スポンジを取り走り続けた。 後は思い出せない・・・・・・
なんと目の前に現れたのは看護婦さんではないか。右目横の頬骨のところにガーゼと絆創膏を張り、 治療されている姿が浮かんだ。他に右肩、右足膝、両手の指も負傷しており治療を受けた。 井上さん、藤田さん、冨田さんの顔が見えた。「大丈夫ですか」尋ねる声が聞こえた。 「大丈夫だ」とこたえた。ここで初めてゴールした後、診療所に連れて来られたことを知らされ、 意識としてはっきりと分かった。ストップウォッチをみると、二時間四十五分〇九秒で止まっている。 ゴールした自覚はないが、多分無意識のうちに押したのではないか? また、どの地点で負傷したのか、 思い出せない。 (転んだ記憶も、痛いと感じたこともない)ゴールまでどう走ったのか、さっぱり分からない。
後刻、井上さんにたずねて分かった。 ゴール前一・五キロ付近で転倒したのを後方から走っていたので気がついた。 道路横に座り込んでいたので「大丈夫ですか」と声をかけた。「大丈夫だ」と言って立ち上がり走り出し、 そして、「かまわず先に行け、先に行け」と何回も言われた。あと、一・五キロ以上を無意識の状態で走り続け、 グラウンドを一周しゴールしたことになる。そして、診療所に連れて行かれ、 治療中に意識が戻ったということになる?

五つの反省

反省(自分自身をもっと大切に)
一 十月は走り込みを十分に行い、体力、走力ともに自信があったが、 左膝痛で辛い思いが七ヵ月に及び、久しぶりに走れる喜びが過信になったのではないか。
二 遅れを取り戻すためスピードアップし、事前に設定したペース配分を守れなかった。 二十六キロすぎにガス欠状態になった。
三 このような状況は過去に何回か経験しているが(リタイアした。無理せずウォークに切り替えゴールした)、 生かされなかった。三〇キロということで甘く見ていたのではないか。
四 フル以上の場合は、必ずカロリーメイト他を携帯して走っていたが、今回は準備していなかった。
五 好調なときほどレース運びを慎重に。過信は禁物。自重すること、リタイアを視野に入れた決断を。
(参考)診療所で受診中、救急車で搬送された男性(五〇歳)は、不整脈で死亡された由です。  私のレース後の体調は良好です。普通に早朝ランニングを続けております。ご安心ください。
(走人ニュース250号,2002年12月8日より,谷角慶之)


妻に励まされ仲間に支えられ

フルマラソン百回完走

健康

一九八五年春、地下鉄の階段を歩いていて上ると息が苦しく眩暈がしてきた。 車とエレベーター使用で二十年間ほど歩くことはほとんどなかった。 このままでは早死にすると思い歩きはじめた。 その夏、近所のおばさんたちに誘われて、夜八時よりジョギングに参加した。 ついていくのがやっとで三ヵ月は苦しかった。 約二キロ、十三分もかかった。このままでは終わりたくはなかった。

フルマラソン

寸暇を惜しんで走りに走った。だれと競走するわけでもいがとにかく悔しかった。 そうだ、フルマラソンに参加しよう。 とにかくしゃにむに走った。必死で走った。その結果、一九八六年十二月二十八日、 防府で二時間五十七分五十七秒で走れた。 その後、別大をめざしたが、オーバーワーク(走りすぎ)で故障の連続。

フル百回

五十代の半ばごろより、楽しんで走る気になってきた。それなら百回完走しようと、 コツコツ回数を重ねた。

妻、ガン

十回を過ぎたころ、妻がガンと分かった。二〇〇一年六月のある日。もう百回も無理かと思ったが、 妻が「百回は達成してください」と言って援してくれた。二〇〇二年四月、仕事もやめ、看病、主婦業に専念しながら走り続け。 何とか妻が元気なうちにがんばって二〇〇二年十月二十七日(ゆりかもめ―武庫川)百回目完走できました。 虫の息の妻が手を握って祝福してくれました。涙が止まらなかった。

お礼

百回完走にいたるまで、京都ランナーズ、新日本スポーツ連盟大阪、名古屋(トラック記録会)、 武庫川スポーツクラブ等の例会、記録会、大会に参加させていただき、鍛えていただきました。 これらの会がなかったら、百回達成もなかったと思っています。紙面をお借りしてお礼申し上げます。 大会にはいつも審判、補助員等多くのボランティアの方々がいてはじめて成立します。 いつも感謝しながら走っています。ありがとうございました。
(走人ニュース250号,2002年12月8日より,太田武志)


山歩きのすすめ

山歩きで下肢の筋力強化 御所2周しても痛みなし

持病?の腰痛に膝のじん帯の痛み(いずれも左)のため走れなくなってから六ヶ月、十月二十九日になってようやく一km六分のペースながら 八kmの距離を走ることができた。六月の全国ランニングセンターの総会後の「山西哲郎教授のランニング講座」 でも朝の軽いジョギングがまともにはできなかったのである。
 このとき山西先生のアドバイスは、下肢の筋力が低下しているから走るとじん帯に負担がかかって痛くなり、 痛むからと走らないからさらに筋力が低下する。筋力アップにつながるトレーニングをやりなさいということだった。
 思えば昨年末からほとんど走っていなかった。「びわ湖クロスカントリー、御所元旦ロードレース、京都シティハーフマラソン」 すべて棄権してしまって・・・。もう走れないかも・・・、ならばせめて歩きでもと気を取り直して歩き始めたのは八月末からのこと。 九月は約二百km歩いた。が、まだ少し走っただけで膝が痛くて駄目。十月に入って「山歩き」をプラスすることにした。そして、 十月二十九日、都合六回「あたご山」に登った。そのほかに百四十キロの歩き。そして、十月二十九日、こわごわ京都御苑内を走ったら、 なんと二周完走できたのである。これは山歩きのおかげかなと思っている。澄んだ空気に緑の木陰、木漏れ日の神秘な趣。 登るたびに山は変わって見える不思議。心肺機能を高め、心も癒してくれる。
 皆さん、是非山歩きをお勧めします。ちなみに医学的治療は受けていません。湿布薬等もほとんど使いませんでした。 我流のストレッチングのみ念入りにやりましたが。
(走人ニュース249号,2002年11月10日より,荘司 浩)


京都鴨川 2002おこしやすマラソン

手作りの中にも  華やかさ

十月初旬、本格的なレースシーズンの幕開けを迎え、十一月の福知山マラソンに向けた予行練習にでもなればという気持ちで、 ハーフマラソンに出場しました。
十月六日(日)、天気は“午前中曇り、午後から崩れる”との予報を吹っ飛ばし、良すぎる程のカンカン照りでした。 コースは、鴨川河川敷の出町をスタート、賀茂川右岸を北上してMKビルの手前の西賀茂橋をターン、 賀茂川左岸の河川敷に渡り、御園橋、北大路橋、出雲路橋、葵橋を通り丸太町で折り返し、もう一度西賀茂橋まで北上、 左岸へ渡った後南下して出町でゴールでした。 出場費用については、千円ということで、シンプルな大会と予想していたところ、プロのミュージシャンが来るは、 出町商店街からの応援(コロッケなど)はあるは、手作りの良さを保ちながらも、なかなか華やかな大会でした。
市民ランナークラブ「F-RUN」が主催する「おこしやすマラソン」の記念すべき第一回大会を、 市民ランナーの老舗、京都ランナーズとしても応援しようと、谷角会長のスターターから、 冨田事務局長、木村事務局次長等、役員スタッフとして十一名、選手としても八名が協力しました。私もランナーズの仲間の大声援を受け、 さらに鴨やサギにも応援してもらい、楽しく走ることができました。十一名もの声援を受け、見栄っ張りの私は、 ただただ元気なところを見せようと手を抜くことも忘れ、無理をしたレースでした。 途中、木村さんや鈴木さんに交代してもらおうと「タッチ」と手を差し伸べると駅伝のごとく急発進するポーズを見せるノリの良さ、 リフレッシュできた一時でした。
(走人ニュース249号,2002年11月10日より,杉原道生)


快晴の丹後路を快走

2002丹後100qウルトラマラソン

2002歴史街道・丹後qウルトラマラソン」が九月十五日、全国各地から約千三百人が参加して開催されました。 昨年の大雨の大会から一転して、今年は時々薄日がさすものの、風は爽やかで絶好のマラソン日和になりました。 標高約四百メートルの碇高原牧場の上りなどけわしいコースにもかかわらず、四宮さんが9時間分、 杉山さんが9時間分の好記録をマーク。終わったあとは、温泉つきの民宿で海の幸を満喫し、ぐっすり寝て疲れを癒しました。 秋の気配の漂う丹後路で、今シーズの幕開けを飾るにふさわしい大会になりました。
100kmの部(男子)
順位	氏 名	記  録
33位	四宮 文世    9時間21分49秒
41位	杉山 潔志    9時間36分44秒
75位	仲井 秋雄   10時間16分41秒
159位	高橋 一雄   11時間15分45秒
269位	滝本 純     12時間13分54秒

60kmの部(女子)
順位	氏 名	記  録
16位	久保山多恵子  7時間10分31秒
(走人ニュース248号,2002年10月13日より)


秋味たっぷり和邇LSD

大原路を36人が快走

“苦”あれば“楽”あり 彼岸花・コスモスも応援

マラソンシーズンの到来を告げる和邇LSDが九月二十九日、三十六人の参加で催されました。
うす曇りの中、萩の花が迎える梨ノ木神社前に集合した参加者は、午前九時二十五分、武内さんを先頭にスタート。
一km六分のペースで全員そろって走り、第一エイドの宝ヶ池子どもの楽園北口に到着。まだまだ元気です。 ちょうどこの日は、宝ヶ池STCの周年記念事業の駅伝がおこなわれており、おりしも我が京都ランナーズチームの三木さんの快走シーンに遭遇、 声援を送ることができました。
ここからは、宝ヶ池を一周してから大原へ向かう欲張りグループと、すなおに大原へ向かうグループに分かれて出発。 次第にきつくなるのぼり道に汗をかきながら第二エイドの八瀬の「土井のしば漬け」前まで各自のペースで走ります。
第二エイドから第三エイドの環来神社までは、コース中の最大の難所ですが、反面、大原の風情を満喫できるところでもあります。 彼岸花やコスモスがランナーを応援しているようです。 ところが、ここで最後尾役の幹事が大失態。途中、民家の軒先で給水をしていた二人のランナーを、 別グループと早合点してしまい追い越してしまったのです。お二人には大変な迷惑をおかけしました。お詫びします。
午後一時十五分、最終ランナーが和邇駅に到着。全員がゴールできました。
その後はいつもお世話になっている青木さん宅でお風呂をよばれ、びわこを眺めながらちゃんこと 矢瀧さん手作りのとれたてやさい料理を堪能。一人一人これからのシーズンにかける思いを述べ合う中、 黄昏へと突入してしまったのでした。(走人ニュース248号,2002年10月13日より, 滝本 純)


秋晴れの中、各種目で熱戦を展開 3種目で大会新記録

第40回京都スポーツ祭典陸上競技大会

秋晴れに恵まれた九月二十三日、第四十回京都スポーツ祭典陸上競技大会(兼第二十四回全国スポーツ祭典陸上競技大会京都府予選)が 太陽ヶ丘陸上競技場で開催されました。大会には中学生、高校生を中心に約三百名が参加して熱戦が繰り広げられ、 男子中学生砲丸投、一般女子千五百m、女子中学生千五百mで大会新記録が生まれました。
男子中学生砲丸投では、南部治寿選手(桂川中)が、昨年自身がつくった大会記録を更新する13.75mを投げ二連覇。 同時スタートとなった一般女子と男子壮年の千五百mでは、京都ランナーズの武林誠さんと矢瀧茜子さんがスタートから激しい先頭争い演じましたが、 ラスト百mで矢瀧さんが逆転、4分秒の大会新記録で優勝しました。 また、女子中学生千五百mでも加茂川中の小谷真実選手が独走ながら4分秒の大会新記録で優勝しました。 壮年の部では、五十を過ぎた年配の方が、100mを全力疾走、秒台で駆け抜けていくのを見てビックリ。 五千mなどでも若者に負けない元気な走りに大いに感動しました。
大会には、京都ランナーズの会員も選手として参加するとともに、早朝から役員として運営にもたくさんの方が協力していただきました。 三連休の中の貴重な一日、本当にご苦労様でした。
昨年から学校が週五日制になったことにより、中高生の大会日程が変更になったことなどから、 大会参加者の多数を占めていた中学、高校生が減少していることも・り、来年の大会に向けて検討課題も出てきています。 今後の大会のいっそうの発展に向けて、みなさんの意見も集めて進めていきたいと思っています。 (走人ニュース248号,2002年10月13日より)


第十三回トライアスロン珠洲大会(八月二十五日)

緊張と不安をのりこえ、無事完走   年代別16位

初めてのトライアスロンに参加して来ました。スイム二・五km、バイク一〇〇km、ラン二三kmというもので、 特に私にとって二五〇〇bの水泳は、プールでも一回しか泳いだことがなく、完永そのものが不安と心配に満ちたものでした。  

スイム――牛蒡抜きで最高の気分

さて、当日を迎え、まだ新品のゴムの臭いのするウエットスーツに身を包み、スタート会場に行ってみると心配された波もなく、 気象条件は最高でした。二〇〇人ずつ三組に分かれて五分おきにスタートするウエーブスタートというものでした。 二組目でスタートを待つ私の心臓は緊張でパコパコ状態。これではいけない、落ち着こうと最後尾からゆっくりスタートしました。 それがよかったのか五百bくらいで意外と楽に泳げる自分を発見し、何人か抜いており、少しペースを上げると牛蒡抜き状態で、 五〇人、いやもっと抜いたような気がします。こんなのマラソンで味わったことのない最高の気分でした。 最後は一組目の後ろの人たちに追いつき、ダッシュでゴール。バイクへ移行しました。  

バイク――二周目、最後の峠で転倒

さて、バイクは練習もそこそこやったつもりで不安はなかったのですが、一周五〇kmのコースで、 二周目の最初の峠付近から筋肉の痙攣が起こりはじめスピードダウン。八〇km過ぎの最後の峠で左太股の内側がツリ転倒。 一周目より三〇分近く遅れてのゴールでした。  

ラン――カンカン照りでペースダウン

最後のランは、ちょうどお昼になっており、カンカン照りで陽射しが容赦なく疲労困憊の身体を攻めてきます。 km五分三〇秒くらいで走っていましたが、折り返し付近のエイドからは、その度に氷水を頭からかぶり、 梅干しを何個もほおばりながらの走りなってしまいペースダウン。結果的にはkm六分ペースで、 トータル七時間二九分五五秒でゴールしました。総合二七五位、年代別十六位でした。
来年もがんばろうと思っています。 みなさん、一緒にやりませんか。
(走人ニュース247号,2002年9月8日より,浅野松夫)


夏期合宿

先輩ランナーの話に触発され・・・来年もぜひ

7月27・28日、希望ヶ丘で行われた夏季合宿に参加してきました。夏真っ盛り、 うだるような暑さの中、初心者の私はついていけるか心配でしたが、走るだけでなく講習会やビデオによるフォーム研究、 ソフトボールや懇親会など盛りだくさんの内容でとても中味の濃い、そして楽しい二日間でした。講習会では中村彦四郎さん、 矢野明英さんともそれぞれに体を使った説明で、初心者の私にもわかりやすく、勉強になりました。 ソフトボールで楽しい汗をかいた後は宿舎へ帰り、夕食を兼ねた懇親会。先輩ランナー方の話を聞くほどに、 私の気持ちは触発され、とてもいい影響とエネルギーをいただくことができました。
二次会では、昼間撮影したビデオ上映会。自分の走る姿をはじめて見られるとワクワクしながら臨んだのですが、 一目見て愕然。だらけきった走りに、恥ずかしくて最後まで見ることができませんでした。

あっという間の二日日間、実りある合宿

二日目は、宣言タイムレースから始まり、駅伝など普段ゆっくり走るのみの私にとっては、しんどい時間、 けれどもよい刺激となりました。最後は木陰をゆっくり走りました。暑い中、走りきれるか心配でしたが、 一緒に走ってくださる方がいるだけで不思議と気持ちよく走ることができました。終わってみればあっという間の二日間。 いろいろな方々と交流、そして何よりたくさんの刺激・エネルギーをいただくことができ、実りのある合宿でした。 次回も是非参加させていただきたいと思います。そのときはよろしくお願いしたします。(吉崎 加寿子)

スピード・スタミナ練習と休養の大切さを学ぶ

七月二十七・二十八日と合宿に行かせてもらった。それまでは暑さで水泳や筋トレの連続(涼しいので)で、 走るトレーニングを怠っていたので、この二日間、いい刺激になればと思っていた。約一時間三〇分のロスで幕開けとなったが、 その待っている時間、ストレッチを教わり、いいように過ごせた。一日目は、翌朝のタイムレースのコースの試走とソフトボール。 時間の関係上、昼食後すぐのランニングで胃がチクチク痛む。おまけに暑さで体力を消耗する。その後の旅館までのランニングは、 昼と比べ涼しくなり、おまけに周りの人たちと会話をしながらで、楽しく過ごせた。夜は、懇親会などで盛り上がったが、疲れて眠かった。

合宿の勢いで、無理せず頑張りたい

翌日は、朝一番にタイムレース。昨日の疲れが溜まり、しんどかった。ビデオによるゴールシーンのフォームチェックは、 硬い走りになっていた。朝食後、希望が丘までのランニングはとても暑く、フラフラで一番しんどかったかもしれない。 ペースを合わせてもらい、到着すると歩くことがやっとの状態。その後の駅伝も無理せず走ったが、 思うように走れず悔しい思いを。矢野さんの講座では、スピード練習とスタミナ練習、休養の大切さを知り、 自分自身の考えが変わる。最後の締めとなった八キロのランニングでは、自分にはスタミナがないと思い知らされる。 最後の最後まで猛暑で、靴下の日焼けの後がくっきりとできたほどだった。
この二日間、いい練習ができたし、いろいろな人達の話が聞けて刺激になったと思う。この勢いで練習を積み重ね、 秋のトラックレースや目標としているフルマラソンに向けて、コツコツ無理せず頑張ろうと思う。(斉藤 大明)
合宿宣言タイムレース(5q)
順位  氏 名      宣言タイム  結果   誤差
1	木村 善則	21:00	21:01	1
2	初代 哲夫	28:00	28:10	10
3	土井 正人	19:30	19:41	11
4	山田 富治	24:00	24:23	23
5	吉田 出 	20:50	21:13	23
6	斉藤 大明	18:00	18:28	28
7	勝井 美津雄	30:00	29:16	44
8	露原 裕美	28:00	28:47	47
9	岩佐 和子	27:00	28:00	60
10	谷角 慶之	23:30	22:11	1:19
11	高岡 克己	27:00	28:21	1:21
12	奥村 昌弘	18:20	19:43	1:23
13	吉崎 加寿子	26:00	24:14	1:46
14	吉野 和志	25:30	23:44	1:46
15	豊島 隆行	20:00	18:13	1:47
16	杉原 道生	23:00	25:30	2:30
17	冨田 良一	24:00	21:11	2:49
18	瞿曇 孝道	27:00	30:09	3:09
19	池田 高徳	28:30	24:24	4:06

(走人ニュース246号,2002年8月25日より)


大会結果

富士登山競走(7月26日)

[山頂男子]
443位	四宮 文世	4:11:18
600位	杉山 潔志	4:20:22
751位	武内 満男	4:26:28
799位	林 登志雄	4:28:45

みかた残酷マラソン(6月9日)

[男子40歳〜49歳]
33位	土井 正人	1:55:24
38位	武林 誠 	1:57:24
45位	杉山 潔志	1:58:41
151位	滝本 純 	2:21:21
[男子50歳〜59歳]
11位	武内 満男	1:52:39
13位	仲井 秋雄	1:54:11
40位	林 登志雄	2:01:37
76位	浅野 松夫	2:12:52
[男子60歳以上]
5位	四宮 文世	1:57:48
[女子40歳〜49歳]
6位	丸井 清子	2:03:28
10位	三木 直子	2:08:44

西宮国際ハーフマラソン(5月26日)

[ハーフ男子]
639位	原田 孝一	1:45:55

(走人ニュース245号,2002年7月14日/246号,2002年8月25日より)


温泉と但馬牛の美味が魅力

第10回みかた残酷マラソン

快晴の6月9日、兵庫県三方町で「第10回みかた残酷マラソン」が開催され、11名が参加しました 。前夜祭にはスポーツNG0「ハート・オブ・ゴールド」を設立しカンボジアなどを中心に支援活動を行っている有森裕子も参加して、 高石ともやとのトークと歌を楽しませてくれました。
 さて、レースはスタート地点から約3qはやや下りながら、その後一気に林道を700m駆け登って駆け下りる周回コースで、 10年前このコースを提案したとき「そんな残酷な!」と言ったのがこの名の始まりとか。 この大会は、地元上げての応援と温泉につかって美味しい但馬牛をたくさん食べられることが魅力。 ゴール後に振舞われる路地もののトマトも日ごろはなかなか口に出来ない美味しさです。 上位入賞者の賞品はもちろん但馬牛。今年こそ但馬牛には手が届きませんでしたが 、来年は、複数で狙える、そんな期待の膨らむ大会でした。
(走人ニュース245号,2002年7月14日より)


夢であれば・・・

――癌とたたかう覚悟を決める――

 昨年の秋以降は、右足の故障のため欠場したりで、散々な結果に終わった。走りだして4年目、初めての経験だった。
年が明けて、元旦ロードレース入賞、久御山10kmレース3位、篠山マラソン3時間7分9秒と調子も上向き、 自信も蘇り、いよいよ秋の福知山で念願のサブスリーをという目標に焦点をあわせ、練習計画を立てていました。 特に、これからの季節は野山の中を走り、新緑の景色を楽しんだり、山菜を摘み走り終わった時、 素麺とアマゴや山菜天ぷらをその場で食べるのが何よりも幸せを感じるひと時でした。

4月14日未明、突然予期せぬことが・・・

4月14日(日)も相棒と山へ山菜取りマラニックへ行くために早く床に着き、いつもの休日の前日となんら変わりのない夜を過ごした明け方 、予期せぬことが起こりました。吐血、下血、もちろん初めての経験。体に大変なことが起きている! 生まれてから今まで病気らしい病気もせず、マラソンに出会ってからは、年1回の市民検診の結果の良さを自慢していたくらいでした。 しいて言えば、篠山マラソンの頃から空腹時になると胃がシクシクと少し痛むことがあったくらいでした。

「胃癌です。すぐ入院の手配をします」

18日に胃カメラ検査の結果をモニターを見ながら説明を受ける。急に頭を殴られた感じ。 モニターには、素人の私が見ても癌とわかるのが写し出されている。目を疑う・・・まさか!夢やろう・・・ 「すぐ入院の手配をします。手術です。」と友人のDrに告げられる。帰りの車を運転しながら、 いろいろなことが頭の中を駆け巡る。転移していたら・・・。仕事(自営)、家族のこと、ランニングも秋までは無理だろう。考え出すときりがない。家へ帰ると妻が心配そうに「どうやった」。私は正直に「胃癌やって」と言う。妻の顔色が変わり、「ウソ、ウソやろう!」と寄りかかってくる。「手術して取ってしまえばいいんや」と強がって言った。

現実を受け止め、家族と励ましあう

大学4回生の長男にも事情を説明すると、真剣な顔つきで「分かった。家業は自分が継いで頑張るから心配せずに入院したらよい」と力強かった。 4月22日入院。1週間ほどで検査を終え、主治医の結果説明を家族と聞く。淡々と説明がすすむ。思っていたより悪いようだ。 手術ではリスクが大きすぎて無理、強力な抗癌剤でリンパ節の腫れを小さくして手術の出来る方向へ。今の状態ではそれが最良の方法とのこと。 主治医の話をひと言ひと言、夢であればと思いながら聞く。何で俺が・・・3月にはフルマラソンを3時間7分で、 4月7日の和邇LSDでは、元気よくトップを切って走り、刺身を作って皆さんと美味しく、楽しくいただいたりしていたのに・・・思っても仕方がない 。現実を受け止め、俺も頑張るから家族もみんな力をあわせて頑張るように励ます。 これからは、長い闘いになるであろう。念願であったサブスリーという目標を癌に打ち勝つという目標に変え、気力、体力に自信のある私は、 いつもどおりの頑張りで、癌とたたかう覚悟を決める。
2002年5月22日
  某病院にて
    北山 賢二

<追伸>走力、体力に自身のある方、年1回胃カメラを呑んでください。バリウムでは分からないそうです。私は、血液検査のみで、数値は完璧でした。
(走人ニュース245号,2002年7月14日より)


FSGT(フランス労働者スポーツ体操連盟)7名が入洛

春の京都市内を観光ラン

 このゴールデンウィークにフランスよりFSGT(フランス労働者スポーツ体操連盟) のメンバー7名が横浜駅伝に招待されて来日し、京都にも夕方着の1泊2日というハードな日程で立ち寄られました。
 5月1日、神奈川県連盟の通訳ボランティアの山口氏と共に京都駅に降り立った面々は、 地下鉄で宿泊先となる新年会でお馴染みの“平新”へ。早速、府連盟の理事、ランナーズの有志など14名が加わり、 お座敷ですきやき・お刺身・てんぷらという純日本スタイルでの歓迎会が行われました。 杉原綾さんが通訳の助っ人に加わり、あとは身振り手振りのボディーランゲージで交流を深め、 自己紹介や記念品の交換なども交えての、あっという間の3時間でした。
 翌2日は、前夜プレゼントした京都ロードレースのTシャツを早速着用してくれた一行と共に、 市バスで金閣寺、二条城を見学。二条城からは、汗ばむ陽気の中、御所・平安神宮前を通って円山公園までジョギングを楽しみました。 途中、市役所にも立ち寄り三宅さんのお計らいで市議会議場も見学。 (まさかTシャツに短いスパッツといういでたちで初めて市役所を訪問する事になろうとは!)
円山公園の木陰で昼食を済ませた後、石畳をゆっくり散策し、最後の訪問地清水寺へ。清水の舞台より京の町の景色を楽しんだ後、 一行は、最大級の感謝と是非フランスにも来ていただきたいという言葉を残し、帰京の途につかれました。
 なにぶん、たった1日の市内観光。初めての京都をゆっくり楽しむ客人達。予定の遅れにハラハラする私達・・・そんな中で 杉原さんには堪能な仏会話にて2日間協力していただき、どんなに心強い事だったか。
 さて、一行に手渡されたお土産の中で、1番うけた物。それはなんと、前夜の歓迎会で自分が履いているのを見て興味津々だったからと、 三宅さんが急遽みんなに用意して下さった5本指のランニングソックスでした。 今頃、フランスのランナーの間で話題をさらっているかも・・
(矢瀧玲子,走人ニュース244号,2002年6月9日より)


雨が幸い?皆好記録で完走

第七回鯖街道マラニック

5月19日に開催された第7回鯖街道マラニックに武内氏、四宮氏ら10人が参加しました。 前日までの雨も日曜日には止むだろうとの予報もむなしく、当日も雨が降ったり止んだりの天気で、 コースの山の中の峠は足元がぐちゃぐちゃで、滑ったりして気を使いましたが、暑くなかった点は幸いしたようで、 みんな好記録でゴールしました。ゴール後は、出町広場で主催者提供の焼き鯖と缶ビールで楽しい打ち上げ。 苦しかった道中を思い出しながら、完走した喜びを語り合い交流を深めました。
(走人ニュース244号,2002年6月9日より)


途中超えのリタイア者もなく全員完走!

異常な暖かさのおかげで、桜は1週間前に満開。散り初め葉桜を眺めるという中のマラニックでした。 風がありやや肌寒いが、ランニングには最適というところ。伝説の(!)安達さん始め、久し振りのマラニック参加という会員の方も多く、 会員外7名含み総勢34名というかなり大人数で出発しました。
 宝ヶ池をすぎてからもそんなにハイペースではなく、土井のしば漬けでは女性陣がトップで到着というのが 、此処の所の傾向でしょうか?すぐに宝ヶ池1周組が追いつきましたが、休憩もそこそこに出発していく・・・というあわただしさは 今回はありませんでした。途中越えのリタイア者もなく、初めての参加者も全員完走され、 全員鍋のパーティに参加と、充実した結果でした!

新鮮な刺身に舌鼓

 今年もまた北山さんが新鮮な魚をさばいてくださり、おいしい刺身やマリネをいただくことが出来ました。感謝♪感謝♪  鍋の中身やそばが足りないかと思ったのですが、 女性が多かったせいか(?3分の1でしたね)そんな心配も無く十分満足できましたね?
 今回は会員外の参加者が多く、ランナーズの良さがアピール出来たでしょうか・・・安達さんから長距離ランの極意をお聞きする等、 本当に中身の濃い一日でありました。いつも場所をお借りしている青木さんにも感謝申し上げます。
(山内英子,走人ニュース244号,2002年6月9日より)


大会結果

第5回奥びわ湖健康マラソン(5月19日)

[15q]
225位 原田 孝一 1:10:28

第7回鯖街道マラニック(5月19日)

武内 満男	8°26′
四宮 文世	8°21′
丸井 清子	9°15′
滝本 純 	10°09′
杉山 潔志	8°22′
岩佐 和子	12°10′ 
広瀬 博子	13°24′
安達 洋子	8°15′
仲井 秋雄	8°44′

2002舞鶴インターナショナル・デュアスロン(5月19日)

[男子40歳〜44歳]
6位	土居 誉生	3:29:04
[男子50歳〜54歳]
12位	浅野 松夫	4:06:56
20位	大槻 裕治	4:19:40

第14回美浜・五木ひろしマラソン(5月11日)

[10k男子一般]
92位	一 浩次 	44:25
[20k女子一般]
4位	三木 直子	1:38:46

日吉ダムマラソン(4月21日)

[10q一般男子]
21位	斉藤 大明	41:38
84位	吉田 出 	48:38
[ハーフ18歳〜40歳男子]
144位	吉野 和志	1:55:17
[ハーフ41歳以上男子]
18位	杉山 潔志	1:28:32
27位	武内 満男	1:31:09
80位	浅野 松夫	1:40:10
96位	滝本 純 	1:41:37
197位	冨田 良一	1:52:39
250位	柴田 公敏	1:57:38
307位	西村 二郎	2:06:46
346位	原田 尚浩	2:16:46
[ハーフ41歳以上女子]
5位	丸井 清子	1:37:07
8位	三木 直子	1:40:49
35位	広瀬 博美	2:04:47
49位	矢瀧 玲子	2:14:12

小笠・掛川マラソン(4月21日)

[フル男子30〜34歳]
66位	肥田 嘉文	3:20:09
[フル男子45〜49歳]
42位	原  邦夫	3:25:46
[フル男子50〜54歳]
93位	木村 善則	3:36:04
239位	井上 進 	4:03:09
[フル男子70〜74歳]
6位	谷角 慶之	4:07:44
[フル女子60〜64歳]
2位	津田 昌子	4:32:30

若狭マラソン(4月21日)

[ハーフ40歳以上男子]
11位	土井 正人	1:26:47

長野オリンピック記念マラソン(4月14日)

[登録男子]
253位	奥村 昌弘	3:20:06

京都シティハーフマラソン(3月10日)

[男子総合]
378位	武内 満男	1:22:05
396位	土居 誉生	1:22:40
439位	渡辺 周一郎	1:23:36
491位	福田 勝三	1:24:47
504位	川橋 豊 	1:25:02
790位	北山 賢二	1:29:38
803位	仲井 秋雄	1:29:44
1206位	長束 勲 	1:34:18
1317位	林 登志雄	1:35:36
1397位	福井 博茂	1:36:22
1422位	太田 武志	1:36:34
1583位	原  邦夫	1:37:58
1594位	紀村 隆 	1:38:04
1781位	一 浩次 	1:39:42
1952位	原田 尚浩	1:41:00
1964位	滝本 純 	1:41:05
2034位	冨田 良一	1:41:37
2107位	高橋 一雄	1:42:12
2189位	寺内 俊介	1:42:55
2710位	吉田 出 	1:46:32
2822位	磯野 清 	1:47:33
3103位	井上 進 	1:49:21
3235位	上茶谷博 	1:50:14
3906位	杉原 道生	1:54:26
4267位	初代 哲夫	1:57:14
4480位	加藤 隆幸	1:59:04
4535位	谷角 慶之	1:59:29

[女子総合]
46位	中辻 由嘉	1:28:42
83位	三木 直子	1:35:11
366位	広瀬 博美	1:52:46

篠山マラソン(3月3日)

[登録の部男子]
75位	肥田 嘉文	2:59:05
116位	土居 誉生	3:08:29
253位	渡辺 周一郎	3:28:53
447位	冨田 良一	4:19:11
[登録の部女子]
11位	三木 直子	3:21:17
[未登録の部男子]
98位	北山 賢二	3:07:09
460位	木村 善則	3:20:22
470位	浅野 松夫	3:30:49
909位	滝本 純 	3:46:47
1575位	井上 進 	4:03:27
2097位	谷角 慶之	4:18:08
2414位	二宮 博昭	4:25:18
2475位	細井 勝博	4:26:47
[未登録の部女子]
103位	丸井 清子	4:09:18

(走人ニュース242号,2002年4月14日/243号,2002年5月12日/244号,2002年6月9日より)


篠山マラソン報告

1ヶ月に3本のフルマラソン

 木津川、泉州、篠山と立て続けに走ったフル、篠山で何とか3時間を切りたいと思いのぞんだ。  当日、天候はよかったが、飛曽山峠までの向かい風に苦しめられ、またしても涙。 給水所での有森さんとのハイタッチ、美味しいボタン鍋も食べられたし、まあいいか?(土井)

次回のレースでは自己新をめざす

いつも前半から飛ばして30km以降はすごく長く感じるのですが、今回は6分/kmのペース で最後まで気持ちよく走ることができました。次回のレースでは、もう少し速いペースで走って 自己新をめざしたいと思います。(二宮 博昭)

タイム悪くとも、ぼたん鍋で満足

ここ数年で一番悪いタイムですが、歩かず完走して、ぼたん鍋もうまかったので、まぁいいや、 ということで来年頑張ります。今シーズンは故障で不調でしたが、駄目もとで2時間55分の設定で スタート。果たして20kmでもう挫け、やめたくなりましたが、LSDモードに切り替えてなんとか 走りました。(土居 誉生)

初フル完走、来年も参加したい!

フルマラソンに参加するのは今回が初めてでした。はてさて、どこまで行けるのやら〜! とりあえず行けるところまでと思っていたのですが、意外にも完走することができました。 本当に良かったです。走ることを愛しておられるランナーの方々とのバスツアーは楽しかったです。 来年も是非参加したいです。(日下部真子)

胃腸のトレーニングの重要性を実感

今回も3時間25分を切ることをひそかに目標にしてスタート。 「前半は抑えて終始イーブンペースで」と心がけて走り出すが、 後半思いがけなく腹の調子がおかしくなりだし、40km手前からはグルグルと言い出しペースダウン。 結局3時間30分もオーバーしてしまう。脚もさることながら、胃腸のトレーニングの必要性を実感。 京都ランナーズの行事では宴会がなぜセットになっているか、 よくわかった今回のフルマラソンであった。(木村 善則)

(走人ニュース242号,2002年4月14日より)


第一目標達成!

3時間15分を切る日が夢でなくなるかも?

兵庫レディースマラソン

 3時間18分51秒。第1目標の20分を切ることが出来、「やったー!」という気持ちです。 本当は、兵庫で15分を狙うなんていう計画だったのですが、 1月の550kmの走りこみのせいなのか?大腿四等筋の上部炎症のため、 木津川以来ほとんど走れていなくて、不安いっぱいのスタートでした。最初の5km23分23秒。 次が23分51秒。予想通りスピードにのれない、楽じゃないのにあまりにも遅すぎるペースに もうだめだと思い、20km過ぎた時には絶望的な気持ちになりました。 今回はイーブンペースしかないと思ってレースに臨んだのですが、前半は少し余裕を持って 走りたかったのです。でも結果は福知山の20kmより遅いタイムで、 20分を切るどころか自己ベストの更新すら無理。 折り返し点を過ぎ、ずっと23分台で走れば何とかなるかも?気持ちを立て直し、 木津川の20kmを思い出し、あのイメージで今からスタートする気持ちで走りました。追いつき、 抜いていくというのも力になったのか、結果後半のほうが1分あまり速いというフルマラソンに なりました。 今回、5kmのラップがすべて23分台。やっぱりイーブンペースが一番速いんだということが 実感としてわかり、諦めない気持ちが大事だということがわかり、とってもいい勉強をしました。
 それに3時間15分を切る日が、夢でなくなるかも?なんて期待も膨らんで・・・。
 でも次は、故障もしっかり治して、前半から絶望的な気持ちにならないようなレースをしたい と思っています。

(三木直子,走人ニュース242号,2002年4月14日より)


ぽかぽか陽気の中、レースと景色を楽しむ

男子ハーフの部で新記録誕生

小春日和の好天に恵まれた3月17日、嵐山東公園をスタート・ゴールに、 北は北海道から南は九州まで約700名が参加して第24回京都ロードレースが開催されました。 4月中旬のぽかぽか陽気の中、午前11時の小・中学生の3kmの部を皮切りに、一般男女5km、 一昨年から変更になったハーフマラソンが次々にスタートし、 全国から集まったランナーは日頃の練習の成果を発揮して、思う存分レースと景色を楽しみました。
男子ハーフの部では、同志社大学の三島悠司選手が昨年の大会記録を約1分短縮する1時間9分44秒の 新記録。好天に恵まれ応援の方も多く楽しい大会となりました。
大会終了後は、恒例の大抽選会が行われ賞品が当たるたびに大きな歓声が上がっていました。 大会には陸協役員、京都ランナーズ、スポーツ連盟から運営協力をいただきました。 また、忙しい中多くの方に早くから大会準備に携わっていただきました。ありがとうございました。

(走人ニュース242号,2002年4月14日より)


大会結果

宇治川マラソン(2月24日)

[10km成年男子]
36位	細井 勝博	 46:56
[10km壮年男子]
6位	武林 誠 	 37:49
[10km壮年女子]
6位	三木 直子	 44:02
[ハーフ壮年男子]
12位	川橋 豊 	1:25:02
95位	林  穣 	1:40:39
98位	上田 耕史	1:40:43
309位	登尾 猪三郎	1:57:21
360位	西村 二郎	2:01:30

吉備路マラソン(2月24日)

[フル男子B組]
83位	杉山 潔志	3:04:06

木津川マラソン(2月3日)

[20km男子一般]
25位	渡辺周一郎	1:18:11
26位	川橋 豊 	1:18:19
37位	土居 誉生	1:20:47
56位	渡辺 元臣	1:23:18
86位	木村 善則	1:26:15
109位	二宮 博昭	1:27:55
138位	藤井 廣司	1:30:07
228位	秋田 重雄	1:38:20
353位	柴田 公敏	1:45:44
[20km女子一般]
8位	三木 直子	1:28:42
46位	津田 昌子	1:45:56
117位	酒井 直子	1:58:47
119位	杉原 綾 	1:58:49
206位	村瀬 洋子	2:23:12
[フル男子一般]
44位	杉山 潔志	2:57:00
52位	土井 正人	2:58:09
79位	武林 誠 	3:03:01
89位	肥田 嘉文	3:04:38
199位	古澤 光一	3:18:40
264位	浅野 松夫	3:24:40
386位	紀村 隆 	3:34:31
448位	南井 勉 	3:38:22
566位	原田 孝一	3:46:36
656位	滝本 純 	3:51:07
699位	林 登志雄	3:53:45
928位	井上 進 	4:09:38
1128位	谷角 慶之	4:23:40
1129位	初代 哲夫	4:23:41
1347位	杉原 道生	4:42:51
1541位	原田 尚浩	5:03:08
[フル女子一般]
52位	久保山多恵子	4:03:21
85位	井上 貴久代	4:18:04
157位	矢瀧 玲子	4:43:03
162位	高橋 洋子	4:44:24

くみやまマラソン(1月27日)

[3km一般女子18歳以上]
3位	藤井 眞寿美	14:57
[10km一般男子18歳以上]
1位 	松本 一之	37:03
10位	武林 誠 	37:50
22位	杉山 潔志	39:40
24位	渡辺周一郎	39:43
40位	渡辺 元臣	41:39
147位	吉野 和志	48:35
[10km壮年男子]
3位	北山 賢二	40:01

元旦ロードレース(1月1日)

[男子30〜39歳]
26位	二宮 博昭	15:20
49位	山嵜 貴之	17:30
[男子40〜49歳]
6位	北出 吉弘	13:10
8位	武林 誠 	13:16
12位	古澤 光一	13:52
[男子50〜59歳]
1位	松本 一之	13:30
9位	北山 賢二	14:33
11位	武内 満男	14:41
[男子60歳以上]
4位	福田 勝三	 14:39
14位	四宮 文世	15:35
16位	太田 武志	15:47
[女子35歳以上]
14位	法貴 和美	16:43
16位	丸井 清子	16:53
32位	松岡 美恵子	18:52
40位	露原 裕美	20:15
[親子リレーの部]
13位	藤井 廣司・廉	15:04

京都東山三十六峰マウンテンマラソン(12月9日)

[男子46歳〜55歳]
44位	紀村 隆 	3:25:17
126位	井上 進 	4:11:29
138位	谷村 守茂	4:18:58
[男子56歳以上]
2位	武内 満男	3:05:26
[女子18歳〜45歳]
51位	露原 裕美	5:46:39
[女子46歳以上]
51位	岩佐 和子	5:04:36

甲子園西宮国際マラソン(12月23日)

[フル] 741位 原田 孝一 3:53:40

(走人ニュース240号,2002年2月10日/241号,2002年3月10日より)


今年も“健康で、楽しく走り続けられるように”

44名の参加で盛大に新年会

 1月13日(日)、恒例の京都ランナーズの新年会が“平新”で行われました。 午前中の例会の後、雲が畑方面へLSDに行きましたが、この日の気温は4月上旬並みで春を思わせるくらい暖かく、 半そでに短パンという方も数人あり、例年には考えられない格好でスタートしました。新入会員の方が多く、 ゆっくりとしたペースでしたが、すぐに汗びっしょりになりました。それぞれの走力で折り返しましたが、 なかには洛雲荘まで一気に走っていく人もありました。
 帰ってきて風呂で汗を流した後、新年会は44名の参加で行われました。谷角会長のあいさつに続き、 沙さんのいつもの元気な乾杯で開宴。一風呂浴びた後のビールは格別で、これがあるから走るのをやめられない人もいるようです。 野菜たっぷりの鍋にビールとなると、あとは舌戦あるのみ。アルコールがすすむにつれ、 あちらこちらに会話の輪が広がり、大いに話が弾んでいました。いつものごとく、飲み、食べ、しゃべり、 宴も盛り上がってきたころ、全員に今年の抱負や去年の反省などを発表してもらいました。そして、 去年に引き続き豪華賞品の当たる大抽選会が行われ、 今年はキャロットさんのご好意によりたくさんの賞品があり、いっそう盛り上がりました。 ランニングシューズを引き当てた紀村さんの周りには黒山の人だかり。 「ちょっと小さいで」と親切(?)にアドバイスをする人もいましたが、顛末は酔いにまぎれて闇のなかに。 顔ぶれを見ていると、新年会だけが楽しみで入会されているのではないかと思われる人もいるようです が、それも大歓迎。
 今年も、“健康で、楽しく走り続けられるように”と決意を新たにした新年会でした。 (丸井清子)

新年会の抱負から

杉原道

去年の4月からランナーズに入らしてもらっています。 去年の目標はこれ(敢闘賞トロフィー)でした。今年の目標は、 フルマラソンを完走したいなというのが一つ、もうひとつは例会のタイムを少しでも上げ、 18分を切ってみたいと思っています。最大の目標はみなさんと楽しく走るということです。

丸井

今年年女。去年一年間例会をサボっていたらレースのときに結果がきっちり出て、 すごくスピードがなくなって遅くなりました。今年はスピードを求めませんが「美」 を求めて走りたいと思います。

奥村

昨年福知山で3時間23分55秒の自己ベスト。一昨年より9分近く更新しました。 今後の日程は2月末の大阪シティと3月の京都シティ、4月の長野オリンピックマラソンを申し込んでいます。 そして、11月の福知山では3時間15分をきることを目標にしています。

日下部

今日はじめて例会で走って、はじめてLSDも参加させていただいて、 大変だったんですけど楽しかったです。明日休日でよかったなと思っています。

塚本

今度京都シティハーフを走ります。できたら1時間45分で帰りたいと思っています。 それ以上かかったら会を辞めていきたいと思っています。

三木

去年から真剣に走りはじめて、去年1年間は走るレースすべて自己ベストを更新することができました。 今年は、夢の3時間15分なんか私には関係ない世界だと思っていたのですが、 おだてに乗って何とかなるかなと真剣に思い始めてきたので、がんばりたいと思います。

吉澤

私は三木さんなんかと違って美容と健康のために走りたいと思っているのに、 走らない間に太ってしまって美容も損なっているので、 今年はボチボチ走ってもう少しスリムになろうかなと思っています。

矢瀧

去年、はじめて福知山マラソンを走って、完走できたのでよかったなと思っています。 今年は木津川マラソンがあるので、今また一生懸命走り始めています。一生懸命がんばる女性もおられま すが、一生懸命遅くがんばる女性がいてもいいかなと、杉原さんと一緒にがんばりたいと思います。

山田

昨年4月に顔を見せてから9ヶ月ぶりに皆さんと顔を合わすことになります。今は一日に200q くらい走っています。ただし車です。仕事は新米ですが、ランナーズであちこち走っていたのが非常に役にたっていて、 1年目ながら奮闘しています。市内中を走り回っていますので、また顔をみたら声をかけるようにします。

林穣

きょう入会しました。あさの紹介のとき「いろんな人の指導を受けて4時間を切りたいと思っています」 と言ったところ、さっそく会長と津田さんにご指導をいただきまして、何とか目標を達成できるかと思っています。

初代

きょうのLSDはしんどかったです。帰りに女子駅伝の47選手全部見て、感想として 「あんな華奢な体やったら速かって当たり前やな」と、「私には無理やな」と。 だからスピードは求めません、丸井さんのように美も求めません。私の求めるのは「食」、 走るフードファイター。エイドステーションでは何でも食べる、これが私の目標です。

(走人ニュース240号,2002年2月10日より)


楽しんで、自己ベスト

甲子園西宮国際マラソン

1ヶ月前の福知山での失敗を生かし、後半の落ち込みを少しにとどめたいと思っていました。 30km以降余裕はなかったものの、いつもほどの極端な苦しさはなく、フルの自己ベストとなり大満足。 フル5回目にしてようやく本の少しコツがつかめたかなと、という感じ。楽しめたレースでした。 相変わらず42.195kmは長いけれど、いい思い出になりそうです。
(原田孝一,走人ニュース240号,2002年2月10日より)


私の初夢

「60歳でサブスリー」をめざす

 「60歳でサブスリー」という夢をかなえる年がやってきた。 実現できるかどうかは別にして、練習に励み何とか夢をかなえたい。 しかし2000年の掛川マラソン以来サブスリーから遠のき、 篠山マラソンでは最悪のワースト記録まで作ってしまつた 。また4月と9月に故障になり、年末になってようやく回復の見通しがたった。 守山ハーフマラソンでは、4分/qをわずかですが切りました。 今から9月の福知山マラソン大会を目指して練習と休養をうまく 絡み合わせ仕上げて行きたいと思います。
(武内満男,走人ニュース239号,2002年1月13日より)


時計をにらみラストスパート

大会名:第14回全国健康福祉祭広島大会(2001ねんりんピック広島)
参加種目:高齢者代表(60歳以上)10kmの部
記 録:54分02秒
順 位:8位

風光明媚な海岸沿いのコースで楽しい一日

 10月7日、瀬戸内海(広島湾)に浮かぶ能美島の南部大柿市で開催された 2001ねんりんピック広島、三世代交流マラソン大会に参加しました。 ねんりんピックのために整備され近々陸連公認になるという風光明媚な海岸線に沿ったコース、 前半上り、折り返し手前急坂の大きな上りという体には一番きついパターンでした。
10時40分、真夏を思わせるような暑さの中、移動日と開会式参加と夜の睡眠も十分取れなかった事情もあり、 体は疲れきった状態でのスタートでした。入りの1kmは4分49秒と速すぎるが、レースとなれば仕方ないか等と考え、 しかし上りがだんだんきつくなり、2.5kmで早くも給水、最後のきつい坂を歩いている人もいる、 あえぎながらの走りとなる。地を這っているような感じ、やっと折り返し。 時計を見ると27分18秒。ゴールは54分台になるかも、とギョットとする。多くの人に置いていかれ、 順位もわからず何とか目標の53分台をと、後半の下りでピッチを上げる。徐々に体もリズムに乗ってきて、 調子もよくなり大勢の人を抜く。7kmくらいまで集中した走りができ、7km〜8kmの間は少々疲れ給水をする。 8kmでタイムは43分台。何とか53分台でクリアしたい!!あと、1kmからまたピッチを上げ、最後グラウンドに入り、 トラックではカーブを利用して短距離走のようなラストスパートができ、大時計は54分02秒。 目標より2秒オーバーしたけれど、ゲストの鈴木博美の応援も受けて8位のおまけもついた楽しい一日でした。 大勢の皆様ありがとうございました。
(津田昌子,走人ニュース239号,2002年1月13日より)


福知山マラソン

30kmまでは這ってでもたどり着こうと・・

第11回福知山マラソン大会が、11月23日(金・祝)に行われ、 今年もJR京都駅八条口から、京都ランナーズバスツアーが出発しました。 行きのバスでは、みんな思い思いの意気込み、抱負を語り、 また、ベテランランナーでマラソン経験豊富な武内満男さんの御好意による 「ワンポイントマラソン質問コーナー」の企画があり、和気あいあいながら、 次第に緊張感が高まっている雰囲気が皆さんから感じ取れるようでした。
 当日の天気予報では、快晴で暖かい一日になると言っていましたが、 会場は肌寒く、バス駐車場からスタート地点まで約10分程度かかるので、 走る服装には気を使いました。本大会では、参加者のうち藤田さんが故障のため サポートにまわっていただくことになりました。自宅から、折りたたみ自転車を持参して30q地点で給水と 「叱咤激励」をしてもらうことになり、 みんな30qまでは這ってでもたどり着こうという意気込みでスタートしました。
数時間後、みんな思い思いで次々にゴールし、走りきった疲れと心地よい達成感、 満足感を噛み締めながらバスに戻ってきました。
全員がバスに無事生還したところで、お待ちかねの食事会場である「三和荘」に向かい、 ゆっくりお風呂に浸かって疲れをとった後、谷角会長の乾杯の音頭で恒例の宴会が始まりました。 みんな思い思いに走り終えた感想を語りあい、時の過ぎるのも忘れるぐらいでしたが 、そろそろ京都に向かわないとヤバイ時刻になってきたので、サポートに徹していただき 「走りたいエネルギーをお酒で十分発散された」藤田さんの締めの一言で御開きになりました。
帰途のバスの中では、みんな心地よい疲れとほろ酔い気分で京都に着くまでぐっすりと お休みモードになっていました。
最後に、以前から福知山マラソンにスポットとして参加されていた山科疎水付近在住の 「森本忠さん」が、飲み、食べ、多いに語り合う宴会に魅了され、 当日より京都ランナーズに正会員として入会されましたので、あわせてご報告させていただきます。 (二宮博昭)

仲間の顔を思い、出せない力も出せた  関門とのたたかいの復路、頑張った日々を振り返る

娘の桂高校入学を機に、陸上部の朝練を送り出した後の時間を利用して、 少しずつ走り始めて1年半。 今年の目標は2002年の木津川での初フル完走のための足作りだったのですが、 はからずも予定を繰り上げ、それも(私には厳しい)制限時間のある福知山での初フルトライとなりました。
のどかな秋の景色を楽しみ、すれ違う人の波からメンバーの顔をみつけてエールを送り、 気持ちよく自分のペースで走っていたのも折り返しまで。
誰にも出会わない、そもそも貯金の少なかった帰りの道は、 27.7qの関門あたりから常に関門閉鎖と自分との闘いとなりました。 ここでひっかかればバスに乗れるよ、という悪魔の甘い誘いを何度も振り切り、 この日が来るまで様々なアドバイスや励ましをしてもらった人たちの顔を思い浮かべながら、 そして何よりも今までになくがんばったここ何ヶ月かの日々を振り返りながら、 ほとんど感覚がなくなってきた自分の足のどこにそんな力が残っていたんだろう、 と自分でも驚くような関門前の追い上げで32q、37.3qも何とか通過することが出来ました。 キロ8分で走れば、5時間以内でゴールできたのですが、さすがにオーバーペースがたたり、あとはボロボロ。 それでも最後の坂も何とか歩かずに、最後の応援に後押しされ、感動の5時間2分6秒のゴールでした。
きっとメンバーの皆さんと来ていたから、待っていて祝福してくれる人達がいるとわかっているから、 出せない力まで出せたのだと思います。福知山に行ってよかった!応援して下さった皆様、感謝、感謝!(矢瀧 玲子)

それぞれの福知山マラソン 感想記

私始めたのが2年前です。500m走るのが走れなかって、腹の周りも88センチほど、 体重も73sあって、これはあかんなと思って走り出したら急に面白くなって、 きょうゴールできたのが夢のようで、じわじわと喜びがこみ上げています。(上茶谷)

3時間を切りたかったのですが、3時間2分台になってしまいました。武内さんにずっとつかれて、 ずっと一緒に走れたのはよかったです。35kmからは武内さんは自力があって、じりじりと離されましたが、 5回の福知山マラソンの中ではベストが出た。次には3時間を切りたいと思います。(杉山)

みなさんのおかげで年代別2位に

きょうは3時間15分くらいを目標にしていた。いつもは前にいるので、 15kmくらいまでは抜かれっぱなしであるが、きょうは体調が悪く早くにトイレに行って遅れたので、 そこからは最後まで抜きっぱなしで、59歳でありながら年代別で2位になれたのもみなさんのおかげです。(武内)

フルの自己ベストは出ませんでした。30km以降ジョグ状態になって4時間3分台でしたが、また頑張ります。(原田 孝一)

30km以降きれいな紅葉を楽しんで歩いたり走ったりしました。(山中)

今年は頑張らなければと思っていて、4時間16分で完走しました。 加藤君が見えて頑張ったのがよかったと思います。今月350km走った成果が出ました。(上仲)

タイムは4時間10分くらいですが、途中ゆっくり走ったこともあって 、最後まで気持ちよく走ることができました。(谷角)

完走できなくてバスに乗りました。あと1分くらい早く行っていたら何とかなったのですが、 次は木津川マラソンで頑張りたいと思います。(人見)

4時間30分くらいの設定でしたが、35kmくらいから脚に痙攣が来て、ゴールが間に合うか気になりだし、 ストレッチをしたりしながら4時間55分で完走できました。11月10日に孫が生まれておじいちゃんになりました。(冨田)

ひそかに自分のなかでは3時間20分を目標にしていたのですが、スタートラインを通過するまで1分かかってしまい、 動揺して5km23分くらいで行って、32kmくらいではバテバテでしたが、何とか24分台でゴールでき、 年代別で3位になりうれしかったです。 でも、10月に500km走って絶対20分を切りたいと思っていたので、めちゃ悔しい。(三木)

満足度は120点

完走できたら100点満点だという話もありましたが、結果的には120点でした。なぜかと言うと、 ゆっくり走ると周りの景色を見ることができるし、たまにはランナーのフォームを観察したり、 女性の顔をのぞいて「きれいやな」「・・・」などと楽しむことができました。(高岡)

夏ごろからぼちぼち再開して、福知山に絞って丹波高原も走らず3時間15分の目標でしたが 3時間14分で走れてよかったです。次は防府にエントリーしているので 何とか出る方向で頑張りたいです。(肥田)

5月の鯖街道以来故障で走っていません。きょう皆さんの走っている姿を見て、うずうずしています。 これがストレスで、夏にはポリープができて手術をしました。私には走ることが命で年内は完全休養。 来年からぼちぼち頑張りたいと思います。(藤田)

公言どおりサブフォー

きょうは4時間を切ると公言していて、何とか切れました。タイムは3時間44分。 昨年は4時間50分くらいかかっていたので、この調子で練習を重ねて少しでも早くなりたいと思います。(加藤)

今日は大満足な一日でした。5時間で完走できたというのがすごくうれしくて、あまり練習はしていませんでしたが、 3週間くらい前から自宅から駅まで走るようになって毎日走っていると体が軽く感じるようになりました。(粟津)

次の篠山でリベンジ

結果は4時間19分で、顔は笑っていますが心の中は悔しさでいっぱいです。練習をしていなかったら仕方ないが、 8月から福知山一本に絞って体重を落としトレーニングを積んできたのにタイムが出なかったので腹が立っている。 次の篠山では万全の調整で頑張りたいと思います。(二宮)

(走人ニュース239号,2002年1月13日より)


大会結果

三田国際マスターズマラソン(12月16日)

男子45歳の部
  38位	杉山 潔志     1:26:57
 455位	初代 哲夫     2:06:03
男子50歳の部
   7位	松本 一之     1:20:45
 233位	原田 尚浩     2:04:51
男子55歳の部
  68位	秋田 重夫     1:41:27

ほたるのまち守山ロードレース(12月16日)

ハーフ男子18歳〜44歳
 23位	渡辺 周一朗	1:23:13
 49位	渡辺 元臣	1:29:21
ハーフ男子45歳以上
 10位	武内 満男	1:24:19
 44位	林  登志雄	1:35:22
 46位	浅野 松夫	1:35:37
 61位	滝本 純	1:37:50
 71位	高橋 一雄	1:39:18
ハーフ女子40歳以上
  6位	三木 直子	1:38:21
10km男子
 20位	二宮 博昭	42:23
3q男子45歳以上
  1位	北出 吉弘	10:29

けいはんなハーフマラソン(12月2日)

男子ハーフ40歳以上
  15位	土居 誉生	1:25:19
  19位	古澤 光一	1:27:27
 211位	登尾 猪三郎	1:50:32
男子10km40歳以上
   2位	武林 誠	36:38
  25位	一  浩次	42:52
女子10km40歳以上
   4位	三木 直子	44:34

第11回福知山マラソン(11月23日)

男子登記登録の部
 104位	川橋 豊	2:57:53
 235位	土井 正人	3:13:21
 244位	肥田 嘉文	3:14:38
 350位	奥村 昌弘	3:24:47
 550位	林  登志雄	3:54:27
 628位	谷村 守茂	4:11:46
 738位	冨田 良一	4:55:31
一般男子25歳〜29歳
 113位	加藤 隆幸	3:44:37
一般男子30歳〜34歳
 345位	二宮 博昭	4:19:25
一般男子35歳〜39歳
  32位	渡辺 周一朗	3:08:19
 163位	渡辺 元臣	3:39:58
 463位	細井 勝博	4:18:29
一般男子40歳〜44歳
 90位	古澤 光一	3:22:09
一般男子45歳〜49歳
  14位	杉山 潔志	3:02:41
 710位	一  浩次	4:39:32
 809位	粟津 温重	4:51:56
一般男子50歳〜54歳
 153位	北山 賢二	3:41:10
 318位	原田 孝一	4:03:35
 448位	山中 博	4:17:55
 628位	谷村 守茂	4:11:46
 760位	井上 進	4:52:28
一般男子55歳〜59歳
   2位	武内 満男	3:01:10
 355位	高岡 克己	4:55:02
一般男子60歳〜64歳
  73位	上田 耕史	3:57:17
  78位	柴田 公敏	4:00:10
 102位	上仲 軍治	4:16:32
一般男子70歳〜74歳
 8位	谷角 慶之	4:10:14
一般女子40歳〜44歳
 3位	三木 直子	3:24:59
一般女子45歳〜49歳	
   2位	丸井 清子	3:27:30
 126位	矢瀧 玲子	5:02:06
一般女子55歳〜59歳
  7位	広瀬 博美	4:09:13
 17位	岩佐 和子	4:43:20
一般女子60歳〜64歳
 4位	富山 ナツエ	4:17:01

大阪リバーサイドマラソン(11月11日)

ハーフ男子40歳代
 17位	土井 正人	1:28:45
ハーフ女子40歳代
 16位	矢瀧 玲子	2:05:18
ハーフ女子50歳代
 13位	岩佐 和子	2:11:51
10km男子40歳代
 6位	土居 誉生	38:49

青垣もみじの里マラソン(11月4日)

ハーフ男子50歳〜54歳
    5位	  藤原 久男	1:23:24

京都丹波高原ロードレース(11月3日)

10km男子40歳代
  4位		北出 吉弘	36:52
  7位		武林 誠	37:36
  60位	福井 博茂	48:28
10km女子39歳以下
  96位	杉原 綾	1:00:17
10km女子40歳代
  28位	矢瀧 玲子	56:30
  36位	露原 裕美	58:44
10km女子50歳以上
  7位	久保山多恵子	51:26
30km公認男子
  36位	川橋 豊	  2:04:35
30km男子30歳代
  105位	細井 勝博	  2:35:04
30km40歳代
  20位	土井 正人	  2:02:57
30km男子50歳代
  16位	武内 満男	  2:08:56
  47位	林 登志雄	  2:25:12
  50位	秋田 重雄	  2:25:34
  51位	紀村 隆	  2:25:45
  126位	井上 進	  2:41:43
30km男子60歳以上
  12位	磯野 清	  2:29:36
  25位	谷角 慶之	  2:42:48
  26位	柴田 公敏	  2:43:46
30km女子40歳代
  1位		丸井 清子	  2:19:11
  3位		三木 直子	2:19:38

第20回マキノ健康栗マラソン(10月21日)

ハーフ男子
  47位	北山 賢二	1:29:30
ハーフ女子
  9位 	丸井 清子	1:34:38
5km男子
  1位 	新居 健 	16:48
5km女子
  16位	藤井 真寿美	27:19

2001あざいお市マラソン(10月7日)

ハーフ男子一般
  25位	木村 英和	1:23:31
  98位	渡辺 元臣	1:32:47
5km一般男子
  30位	藤井 廣司	20:57
(走人ニュース236号,2001年10月14日/237号,11月11日/238号,12月9日/239号,2002年1月13日より)


第1回歴史街道丹後100qウルトラマラソン

雨の中、沿道からの大声援で元気百倍

 第1回「歴史街道丹後100kmウルトラマラソン」が行われ、京都ランナーズから100kmの部、 60kmの部合せて13名が参加しました。当日は、あいにくの雨でしたが、結果的には楽に走れて よかったのではないかと思います。
 宮村氏は、宣言どおり「年代別入賞」を目指して快走し、総合10位でしたが、 年代別の表彰がないということで、本人も我々もちょっとがっかりしました。 女子の安達さんは道中は一緒ではなかったですが、 相変わらずの強さで故障にもめげず2位入賞でした。60kmの部では土井さんが6位に入賞しました。

網野に来るならパンプキン

 目標だった完走を、なんとか12時間33分で果たせてやれやれです。
 アップダウンが予想以上にあり、きびしいコースでしたが、久美浜湾の静けさ、 リアス式海岸の美しさ、そして雨に助けられました。 そう、たくさんの沿道の応援にも励まされました。
 道中、さまざまなアクシデントがあります。これを自分なりにしのぎ、 ごまかしてゴールをきるところに100キロレースのおもしろさがあるのかなと思いました。
 ところで、前泊は網野町の「パンプキン」なる怪しげな名の民宿。 「魚がウリのはずなのになんでカボチャやねん」と思いきや、 なっ、なんと夕食に出た造りの鮮度のよさ、板さんの腕の確かさ、暖かいサービスはなんだ。 網野に来るならパンプキンですぞ。(瀧本 純)

天国と地獄

5q30分を標準タイムに設定し、平坦では少し早め(27分位)、登りは少し遅めと言う計画で走り出し、 42.5q地点ではサブフォーで通過し、絶好調の滑り出しでした。60q地点では20分位貯金があり、 少し早すぎるのでは。案の定急に足が重くなり70q地点では貯金どころか借金になっていました。 残り20qは走ることが地獄の責め苦を思わせるものでした。クソーと大声で叫び、 自分に激をとばして走りました。なんとか歩かずに10時間24分でゴールは出来たものの ペース配分の悪さを感じました。(浅野 松夫)

今回も"完走"できず

90kmまでは、順調に走ることができ、10時間を確実に切れると思っていたのが、 90kmの標識を見たとたん右足付け根が痛くなり走る事が出来なくなった。 痛みを我慢してとにかく歩いた。沿道の励ましの言葉も無視して歩いた。 10kmを1時間19分26秒かかり、やっとの思いでゴールした。来年こそは完走を!!(武内 満男)

雨の中、熱烈な声援を受け無事完走!

今年の鯖街道、一昨年の八ヶ岳100kmと二度続けてリタイアしているので、 今回はとにかく完走が目標でした。後半の碇高原牧場への上りも考慮して 11時間半のタイムを設定していましたが、50分ほど上回ってゴールできやれやれです。 それにしても、雨に助けられました。「雨の中、ごくろうさん」と声援を送ってくれるが、 走っているわれわれよりも応援の人のほうが大変だったと思います。 「がんばれ!がんばれ!」と、それはそれは熱烈な応援。そんな中、あるおばあちゃんは 「ぼちぼち行きなヨ」と言ってくれたのが、心がこもっていてうれしかった。 泊まった民宿も、ゆったりできて料理も美味しく、思い出に残る三日間でした。(仲井秋雄)

「目標達成」&「夢心地」

100qマラソンは今回で2度目の挑戦です。午前5時、暗闇のスタートからほぼ上りっぱなし。 明るかったらリアス式海岸線の景色が美しいであろうと思いながら、6〜7qを浅野さん、 仲井さんにピタリとつき、先を走る。20qを過ぎたあたりで武内さんに追いつき、 並走して数q走っていたが見失う。その時自分が先行していることを感じた。 レース中に武内さんをリードしたのは初めてで、30qくらいまで先行し夢をみているようだった。 調子は上々で、ペースが早すぎることも分っていたが止まらない。「もういけるところまで走ろう」 と思い、懸命に走る。まもなく武内さんが追いついてこられて並走したが、力の差は歴然としていて 武内さんを見送ったが、自分のペースは決して悪くない。 35qまでは5qを25分〜27分のラップで走っていた。フルの通過タイムも3時間53分と元気だった。 50qあたりのエイドで「10時間が切れるかも」と甘い考えが頭をよぎる。まもなく杉山さん、 次いで浅野さん、仲井さんが一緒に追い越して「がんばって!」とエールを交わし、 またもや見送ることになった。
 56qのレストステーション(着替所)で3人と合流したのも束の間、 3人は元気よく走り出していった。これからがコース最大の難所、碇高原牧場へ13qも続く上り坂。 前のランナーが歩くと私も歩き出した。ついにそのランナーと連れ立って話しながら歩く方が 多くなる。この間の15qを2時間10分もかかったが、あせる気持ちは全然なかった。 むしろそのランナーと一緒だったので短く感じた。牧場のエイド(73q)ではあたり一面霧で白く、 雨はドシャ降り。体が冷えてきたので暖かいスープ2杯、ココア3杯とクッキーを腹に入れると ホッとした気分になったのか、「完走」の二文字が頭をかすめる。この大会に出る前からの目標は、 11時間20分〜50分で完走したいと思っていたので、これを何とかクリアしようと思い、 きつい起伏のコースを一生懸命に走りつづけた。88qの丹後町役場では、おしるこ2杯、 ドリンク2杯いただき、足のマッサージをしてもらった。 
 最後の12qはまた元気が出てきてペースも上がり、目標に向かって一生懸命に走り、 うれしい目標達成の11時間11分21秒でゴールイン!!おまけに、 ゴールするとすぐ若い女の子に完走メダルを首にかけてもらい、優勝したような気分を味わいました。 その夜は、仲間ときょうのレースの話に花が咲き楽しい一夜を過ごしました。 本当にありがとうございました。(高橋 一雄)

冷たい風 56qで無念のリタイア

参加メンバーは、9月15日(土)の12時20分に京阪五条に集合。女性は私ただ一人。 “丹後あじわいの郷”をめざして、福知山・大江山・スイス村とマラソン談義に花が咲く。 2時間半を過ぎて、会場近くの宿「パンプキン」に着く。大きなカボチャの置物が迎えてくれた。 浜風の勢いが、今思えば私の明日の波乱を教えていたのかもしれない。
 宿の女将のはからいで、夜中の3時30分に美味しい朝食で腹ごしらえをして、 暗がりの中をスタート地点に向かう。風が冷たく、ナイロン袋をかぶる。雨も気になる。 暑さに備えてサングラスをかけたが、強い日差しはわずかで雨の多いレースになった。
 スタートまもなく上りが始まる。7qまでの150mの上り坂である。思ったよりスムーズに上りきり、 集団から外れることもなかった。が、下りで苦しくなる。予定より早いペースで走ってしまった。 久美浜で九州の友達(60qに参加)が応援してくれなかったら復路の七竜峠は越えられなかっただろう。 30q地点で3時間38分(7分/q)で予定どおりだ。胃に良くないと知りつつエイドにはオレンジのみ、 (ザバスも持っていたが)つい口にしてしまう。40q地点で5時間。少しオーバータイムだ。まだ間に合うが胃が痛い・重い。 歩きが多くなる。まずい雰囲気になってきた。60q地点に1時到着がリミットであるが無理になってきた。55q地点に着いたときには、 おにぎりも食べられず、体も冷えて風が冷たく、気力も萎えてきた。着替えの置いてある73q地点は400mを越す上りを越えなければならない。 更衣室で体を横たえ、リタイアを決める。

丹後の自然と人々にもう一度逢いたい

思えばこの半年、胃弱に悩まされている。10月の秋田には、エイドの漬物につられて嘔吐、 1月の宮古島は75qから飲まず食わずでゴールに倒れこむ。今年7月の夜叉が池は、1100mを食べずに上る。 もうこの辺で胃に休養を与えないといけないのかもしれない。楽しく、のんびりのウルトラを取り戻し、 練習量に見合ったエントリーをしていこう。
 苦しみの報告になってしまったけれど、断崖に打ち寄せる白波や、 遥か遠くの岬を目指して走るあのコースが忘れられない。もう一度丹後の自然と人々に逢いに行きたい。(岩佐 和子)

記録

男子100kmの部
10位	宮村 秀志	8:51:11
63位	武内 満男	10:08:45
83位	浅野 松夫	10:24:03
100位	仲井 秋雄	10:40:14
145位	高橋 一雄	11:11:21
330位	滝本 純 	12:33:47
530位	山中 博 	13:36:55

女子100kmの部
2位	安達 洋子	9:31:34

男子60kmの部
6位	土井 正人	5:10:41
(走人ニュース236号,2001年10月14日/237号,11月11日/238号,12月9日より)


レースシーズンへの意気込み 夢を託して大いに盛り上がる

マラニック 和邇コース

3日ほど前までは申込者17人と例年にない少ない人数でしたが、 最終的には28人と例年並の人数で9:30に御所をスタート。
今回は、初参加が5人ということでコース違いを心配していましたが、最後尾を会長さんに走ってもらったので 全員無事に青木邸にゴールしました。宴会はここ数回ちゃんこ鍋が続いていたので狂牛病騒ぎ にもかかわらず焼き肉にしました。
午後からは雨が降るという予報は外れ、宴会はいつものようにカンパイの前から始まり、 自己紹介ではそれぞれの近況やこれからのレースシーズンへの意気込みなど大いに盛り上がりました。
 毎回この場を貸してくださる青木さん、今回の役員の方々、また臨時に手伝ってくださった浅野さん、 武内さんありがとうございました。 また来年春の和邇マラニックを予定していますのでよろしくお願いします。

(宮村,走人ニュース236号,2001年10月14日/237号,11月11日より)


快晴の秋空のもと各競技に熱戦

壮年の部も元気いっぱい

第39回京都スポーツ祭典陸上競技大会

 秋晴れの9月24日(月・祝)、第39回京都スポーツ祭典陸上競技大会が太陽ヶ丘陸上競技場で 開催されました。
 大会当日は雲ひとつない快晴の天候に恵まれ、絶好のコンディションのもと、 京都府内をはじめ近隣府県から約300名の選手が参加し、秋空のもと各競技に心地よい汗を流しました。 例年中学、高校生が多数参加していますが、今年は前日に中学生の大会が行われ、 連続することもあって中学生の参加が少なく、絶好の天気だったのですが、 やや寂しい大会になりました。
 そんな中、前日の中学の大会で優勝した七条中学の中村選手が元気な姿ですばらしい走りを 見せてくれたり、壮年1500m、5000mなどでは年齢を感じさせないはつらつとした走り、 また、年齢的には壮年に属しながら、あえて一般の1500mに出場し好記録で優勝した水木選手など、 我々も元気をもらったような気がしました。チーム力を競うリレーでは、 大学生、高校生に混じって中学生もよく健闘しました。先輩から学んだものを今後の競技生活の中に 生かしてもらえたらと思います。
 記録的には、審判長の講評にもあったようにやや低調でしたが、日ごろ陸上競技場で走る機会のない人 も含め、誰でも参加できる大会として引き続き発展させていきたいものです。 なお、本大会の成功に向けて、要項の作成、発送から始まり、受付や名簿の整理、関係者への連絡、 諸々の資料の準備など多くの会員の皆さんの御協力をいただき、 また、大会当日も朝早くから参加して各部署で運営に当たっていただきありがとうございました。
(走人ニュース236号,2001年10月14日より)


山嵜・松若君がアベック優勝

第21回全京都障害者総合スポーツ大会陸上競技の部が、9月24日(月・祝)開催され、 山嵜貴之君が男子ソフトボール投げで33m43、松若恭伸君が男子400mで1分37秒04をマークし、 それぞれ優勝しました。
(走人ニュース236号,2001年10月14日より)


夏・北海道マラソン

調整ミス?これが実力?

初挑戦の『北海道マラソン』はあっという間に終わってしまいました。 “走っていた時間が”いえいえ走っている時間はとても長く感じました。 4月からこの日のために出来る限りの時間を割き、走りこんできた日々の長さを思えば という意味です。
 前日に北海道入りし、招待選手と同じホテル・フロアーで気分は一流。 斜め向かいの部屋に佐々勤さん、また千葉真子ら「積水」の人たちと朝食が一緒になり、 “同じ物を食べたから同じように走れる!”と思っていたら、彼女ら福砂屋のカステラを 切り始めました。“きゃー!カステラか”私と千葉真子の走りの差はカステラにあったのです。

気温32℃、変えた目標に集中

 冗談はさておき、当日の天候は、晴れ、気温30℃、湿度75%。途中32℃まで上がり、 スタート時から体にまとわりつくようないやな暑さでした。でもどんな条件でも、 私の頭には3時間30分を切ることしかなかったのです。最初の10kmは緩やかな下り。 おさえて入ろうとだけ思い、5kmのラップが24分5秒、24分10秒、10kmから小さなアップダウンが 始まり、20km地点までは25分前半のラップで走れたのですが、中間点を過ぎて体が重くなり、 このままでは目標の30分は切れないと思った瞬間から精神的にもきつくなってきました。 5km毎に水、その中間にスポンジと、2.5km毎に給水出来るのですが、 その2.5kmすら我慢できないくらいの渇きを覚え始め、“30分は無理でも自己ベストは出そう”、 それも無理だと分った時には“ひとつでも順位を上げよう”と目標を変え、 集中することに努めました。実際、30km過ぎて結構回りの人を抜いていたのですが、 私のラップも確実に落ちていました。どんどん疲れていく中、「三木さん頑張って」という沿道 の声援にも励まされ、ゴール。

『おめでとう。名前が載ってるヨ!』

 後半こんなにペースダウンしたのは初めてで、反省点はいっぱいあると思います。 でも次の日『おめでとう。99位で名前が載ってるヨ!』と新聞をプレゼントされ、 驚き!100位までしか載らないので、これが4月から5ヶ月間頑張ったご褒美だと思うことにしました。 今年は過去最低の、完走率61%という過酷なレースでしたが、あとのフェアウェルパーティも 楽しくて、もう一度走りたいと思えるお気に入りの大会になりました。
(三木直子,走人ニュース235号,2001年9月9日より)


鴨川の風もさわやか

夕涼みビアパーティ

ジョッキ片手に近況報告や抱負を語り合う

雨が降ったり、降り止んで西の空が明るくなってきたのでもう大丈夫、 と思っていたら又降ってきたりと、朝からパーティ直前まではっきりしない 天気は班長の矢瀧さんをとても悩ませました。でも思い切って外でやって正解でした。 パーティが始まるときれいに晴れ上がり、そのうえ陽の残っているうちから涼しく、 夕涼みには最高の天気になりました。
 夕方のサマータイム例会の後、鴨川河川敷に移動してのビアパーティは、場所もよく、 鴨川の風はさわやか、生ビールは本格的で弁当はお値打品と、例年通りながらもノウハウの 蓄えられたすばらしいパーティです。今年は矢瀧さんの手作りの差し入れもおいしゅう ございました。
 場所柄、横を走っていくランナーも多く、当然知り合いのランナーも走っています。 一休みして一杯やって行くよう声を掛けたりしていましたが、さすがにビールを飲んで いく人はいませんでした。ランナーは誘惑に負けない強い意志を持っているものです。 また、つまみ類を口にするとき、これは身体にいいとか悪いとかの話題で盛り上がったことも、 健康や体調に留意するランナーらしい一面でした。といってもビールの量を控える気持ちは あまりないようです。とにかく例会で走った後には、また例会とは別に練習をしてきた人にも、 冷たい生ビールは最高です。昼間30km以上の練習をこなしてきた人達もあるようです。
 パーティに並行してクラブ内の表彰式も行われました。2年分たまっていた各種表彰が この機会に一気にさばかれました。特に例会参加回数の多い人を讃える敢闘賞は励みに なるようで、自己ベストとかなんとかは置いといて、例会に多く出て敢闘賞をもらうぞ、 と抱負を語る方もありました。ひとりひとりの近況報告や抱負を聞くと、特に暑かった 今年の夏でさえ月間400kmや500kmも走っている人も珍しくないようです。さすがはランナーズ です。
 参加者31名で盛会でしたが、すこし寂しく感じたのは、木村事務局次長が、 7月のビアパーティに続いて欠席されたことでした。それもあるのか気候のせいなのか、 今回はいつもの熱気溢れる宴会というより、涼しい心地よさを感じる名前通りの夕涼み ビアパーティでした。秋になって本格的に涼しくなるといよいよランナーの季節です。 楽しみです。
(土居,走人ニュース235号,2001年9月9日より)


ビデオでランニングフォームをチェック

各自の長所・短所再発見

曇空で快適なジョギングを楽しむ

恒例・夏期合宿 7月28日・29日 滋賀・希望ヶ丘

2001年夏期合宿が7月28日(土)、29日(日)、滋賀県野洲の希望ヶ丘文化公園で行われました。
28日午後1時、梨ノ木神社に15名が集合、車3台に分乗し一路希望ヶ丘へ。到着後、 二日目早朝恒例の宣言タイムレースのコースを試走、涼しい山の中を走る約4.5qは夏にはなか なかいいコースである。その後は広い芝生の広場で全員のウォーキングからジョッグまでの フォームをビデオ撮りして、一日目の予定終了。今年の懇親会は、ビデオ撮りした各自のフォーム を大槻さんが解説入りでチェック。夜から参加の吉野さんや明日の宣言タイムレースの賞品を届けて くれた池田さんも加わり、各自の近況報告なども交え11時過ぎまで話題は尽きませんでした。
29日は、6時起床。7時から宣言タイムレースのため希望ヶ丘公園へ。計時担当の冨田、上仲、木村の 3名は計時やビデオ撮りの準備。いよいよ恒例の「朝飯前宣言タイムレース」がスタート。 今年は曇空で涼しく、皆気持ちよくゴール。全員のゴールシーンをビデオ撮り。 ゴール直前のラストスパートが一番自然なその人のフォームのようで、長所、短所が良くわかる ようです。
旅館に帰った後風呂に入り、朝とはいえ走った後はやはりビール。食後、先ほどの宣言タイムレース のゴールシーンのフォームチェックが、大槻さんを中心に皆がビデオの前に集まって盛り上がって いる。10時半、旅館を出発。今年も女将さんが気持ちよく見送ってくれる。再度希望ヶ丘へ。 またまたランニング組数名。初参加の露原努さんは、少しあきれ顔。午後は全員でのランニングで、 今回の合宿を締めくくりました。
 例年にくらべ陽射が弱く、比較的しのぎやすい二日間でしたが、ユニフォームの後はきっちり つきました。(木村善則)

〜参加者からひとこと〜

皆さんのタフネスぶりに脱帽 「こいつら、人間ちゃうで!」

「ろくに例会に出てもいない俺が、合宿なんておこがましいな」というのが出席前の気持ちでした。
いざ参加してみて、やっぱり思ったとおり。皆さまのタフネスぶり、その超人的なパワーには、 あきれるばかり。「こいつら(失礼)人間ちゃうで」
 来年のそれには、もう少し鍛えて皆さんに少しでもついていけるようにがんばろうかなと思っており ます(思っているだけだったりして)。(露原 努)

ビデオでフォームチェック マッサージやストレッチも教わり貴重な二日間

猛暑の中、いそいそと御所へ向かいました。食べ盛りの子ども3人と犬を置いてのこの開放感。 「明日まで走ることだけを考えていればいい」私にとっては、とても貴重な二日間でした。
内容も充実。初めてフォームをビデオで見せていただいたりして、マッサージやストレッチを 詳しく教えていただいたりしたこと、そして何より坂道を30分ほど粘って走ったあと、 ふっと身体が軽くなって、とても気持ちよく走れた体験が一番の収穫でした。
お世話いただいた方々、本当にありがとうございました。いつもの行事のときもそうですが、 レベルが違っても楽しく参加させていただきうれしく思っています。(露原 裕美)

合宿で7月の目標200qを達成 福知山は3時間半切りに挑戦

今年は昨年より内容が一部変更になりましたので、自分なりにがんばって走り込んでみようと思いました。 この二日間、私にとって様々なことがありました。一つは月間の走行目標距離の200qを達成できたこと です(最終は、7月度232q)。あと、大槻さんのビデオでのフォームチェックもあったこと、もうひとつは、 丸井さんとほとんど一緒に走れたことです。丸井さんはフル3時間半、ハーフ1時間半で走られるランナー なので一緒に走ることによって、どれだけの走力があるのか確認しようと思いました。今年に入り記録が 2分づつ落ちているということを聞きましたので、それならもう少し早いペースで走ればいいのではと思い、 スピードを上げて走りました。そうするとそのペースについて来てもらえたので、私としても良かったと 思います。
今年は時間が空いたらなるべく走るようにしており、8月の走行距離目標も230q以上は達成できるように がんばります。そして、9月、10月と積み重ねて、11月の福知山フルには、3時間半切りが達成できるように 練習して突破したいと思います。(奥村 昌弘)

夏期合宿・宣言タイムレース結果

順位	氏 名		申告タイム 結果	誤差
1	土井 正人	18:00	18:03	3
2	武林 誠 	18:00	17:47	13
3	露原 裕美	28:00	27:46	14
4	丸井 清子	20:00	20:20	20
5	勝井 美津雄	27:20	27:44	24
6	吉田 出 	21:00	20:31	31
7	奥村 昌弘	21:00	19:47	1:13
8	加藤 隆幸	20:30	18:55	1:35
9	山嵜 貴之	28:45	27:02	1:43
10	初代 哲夫	26:30	24:03	2:27
11	大槻 裕治	23:00	20:17	2:43
12	露原 努 	25:00	21:38	3:22
13	吉野 和志	27:30	23:28	4:02
14	谷角 慶之	22:00	26:10	4:10
<計時>上仲、冨田、木村
(走人ニュース234号,2001年8月26日より)


死闘の4時間29分02秒 危機一髪で完走

第54回富士登山競走

昨年、当大会に参加するも荒天の為5合目打ち切りとなり不完全燃焼に終わり、再挑戦しました。 標高差3000mにアタックする山頂コースは年齢制限が55歳未満であり、私に与えられるチャンスは残り少ない。
7月25日、朝から快晴で気温の上昇が予想された。服装に悩んだあげくランパン・ランシャツで望むことに する。腰にはボトルポーチとウエストポーチを着け、軍手・防寒着・チョコレート・小銭を詰めポンポンに 膨らむ。
7時30分、山頂コースがスタート。制限時間は4時間30分。おおよそ2000人が富士吉田市役所前を出発し、 標高3700mの山頂を目指す。
吉田口の登山口である「馬返し」までは11q、アスファルト道路で700mの登りが続く。とにかく暑い! 馬返し手前2q地点で歩き始める。追い越すランナーに「ガンバレ」と何回も声をかけられた。
中間点である5合目(2305m):15q通過2時間11分。この時、山頂到着予想はすでに制限5分オーバーの 表示である。とにかく完走を信じて進む。
7合目(2700m)通過2時間50分。下から吹き上げる風が心地よい。溶岩道は四つん這いで進みコースを ショートカットし前を急ぐ。
8合目(3020m)3時間21分で通過。本8合目(3400m)3時間53分、残り標高300m を37分。3回の試走では、ここから40分を要していたので完走はかなりキビシイ。絶対完走するぞ!! 休まずに進む。一般の登山者はゴメンして追い越す。道には完走を諦めて寝そべる者、高山病でうずくまる 者、四つん這いになったまま動かない者が行く手を遮る。「残り3分!」「走れ!」上から罵声が飛ぶ。 もう極限であった。
足が上がらない。「アト2分!」「ガンバレ!」山頂から大声援。焦るな・絶対完走できると自分に 言い聞かせ、両手・両足を使って前進する。心臓は破裂寸前であった。 山頂の鳥居が見えた。「残り1分」の声と同時に石段を上りきる。
やった!ゴールイン!! 4時間29分02秒、制限時間まで残り58秒で、完走者811人中の788位であった。 フルマラソンに比べ制限時間の設定が極めて厳しい過酷な大会であった。もう一度、来年挑戦しよう。 来年は有終の美を!
(林登志雄,走人ニュース234号,2001年8月26日より)


暑い夏に負けず、がんばるぞっ!

皆の生き生きした顔をみて闘志が湧き立つ

7月8日 ビァパーティ 第一弾

7月8日。本来であれば梅雨の真っ最中であるこの日、恒例の夕涼みビアパーティが行われた。 梅雨というのは名ばかりでまさに真夏の日差しが降り注ぐ絶好のビール日和であった。 場所は3年連続して平安会館。別に私が何かを握らせてもらった訳ではなく、風呂の魅力である。 そう、ここは例会後に入浴ができるのだ。3年連続となると会場もわきまえたもので、うるさい客は奥へ という訳でもないだろうが、一番奥の席に固めて座らされた。それと本来は全員そろって、 お金を払ってからでないと飲み物を出してもらえないのであるが、特別に来たものから順にジョッキが 手渡され、会長の乾杯の挨拶の時には全員できあがってしまっていた。これもランナーズとしては恒例 である。あとは例によって例のごとく、ドンチャン騒ぎ。練習不足の身にとって皆の生き生きとした顔が なんとなく寂しく、この夏はがんばるぞと闘志を掻き立てられたものでした。個人的には木村局次長が 来られなかったのは寂しいです。やっぱりあの人が来んと始まらんわ。いろんな人種が集まるランナーズ。 これは両刃の剣。魅力でもあるし難しくもある。でも、飲む時はパーと楽しくいきましょう! 暑い夏にも負けず、がんばるぞっ!みなさん、飲みすぎには注意しましょう。
(細井,走人ニュース234号,2001年8月26日より)


20年目を迎えた反核平和マラソン

平和を願う世論の動きを実感!

第20回反核平和マラソンに京都ランナーズから26名が参加

 平和を呼びかけながら大阪城を目指して近畿各地を走る「関西・網の目反核平和マラソン」 7月1日開催され、京都コースは二条城から大阪城まで、沿道の人々に平和の大切さを訴えながら 走りつづけました。
 「ノーモア・ヒロシマ!ノーモア・ナガサキ・ノーモア・ヒバクシャ!」のスローガンを かかげて、核兵器のない世界と日本を願い、「反核・平和マラソン」と取り組んで、 今年は20回目を迎えます。
 21世紀を迎えて、いま核兵器をなくそうという声が世界を動かしています。昨年5月には、 核保有国を含めた187の国々が、「核兵器廃絶を達成する」ことに合意し、秋の国連総会でも 確認されました。ところが、核保有国はこうした反核・平和の世論を踏みにじって、いまだに 3万発を越える核を配備し、必要ならいつでも核脅迫、核攻撃が行える体制をとり続けています。
 反核平和を訴えて20年目を迎えた反核平和マラソンは、各コースとも広がりを見せ、 今年は京都府下では新たに向日市と大山崎町からメッセージが寄せられ、自治体からの協力も 21自治体に広がっています。また、中継点も昨年から高槻市役所と吹田市役所を使用できるよう になり、庁舎前では市の関係職員が出迎えていただき、市長のメッセージも読み上げられました。
 きょうの一歩、一歩は参加したランナーの決意を新たにするとともに、沿道で拍手で迎えて くれた人々の胸に共感を与えたものと確信しています。「スポーツは平和とともに」のスローガン をいっそう高く掲げ、反核平和のためにスポーツ愛好者にふさわしい行動をいっそう発展させま しょう。
 京都ランナーズからは延べ26名が参加し、浅野、宮村の両氏は滋賀県庁から完走し、 いい練習ができたと誇らしげでした。ランナー、スタッフとして参加された皆さん、暑い中本当に ご苦労様でした。
(走人ニュース233号,2001年7月8日より)


大会結果

みかた残酷マラソン(6月10日)

男子30歳〜39歳
  154位	二宮 博昭	2:44:49
男子40歳〜49歳
  16位	宮村 秀志	1:51:57
  38位	土井 正人	2:03:04
  45位	仲井 秋雄	2:04:24
  124位	藤井 廣司	2:19:59
男子50歳〜59歳
  43位	林  登志雄	2:11:51
  82位	浅野 松夫	2:26:38

スイス村リゾートマラソン(6月24日)

10km男子50歳以上
  2位  北山 賢二     41:49
10km女子40歳以上
  1位  丸井 清子     45:14
(走人ニュース233号,2001年7月8日より)