考えたい言葉
◆愚人謂(おも)わくは利佗を先とせば自らが利省かれぬべしと、爾(しか)には非ざるなり、
利行は一法なり、普ねく自佗を利するなり。
修証義
仏教の宗派によっては『我』を去れと説きますが、『利佗』即ち『利他』を
いつも心がけておれば自ずと『我』を去ることが出来ます。また自分にとってもプラスに働くのです。
◆ 而今
この言葉は晩年の水上勉が好んだ言葉のようです。意味は「この今」
と言うことで「而今の山河・・・」というように山水経に出てくる
らしいのですが、晩年の水上さんは先々のことをいろいろ考える
のは止めて「この今」に徹しようとされたのです。
「ジコン」と読みます。
◆死に様(ざま)は生き様(ざま)で決まる。
早川 一光 (NHKラジオ深夜便 心の時代2004・5・12から)
◇人は生きてきたように死んでいく
文句ばかり言いながら生きてきた人は、文句ばかり言ってなくなります。
感謝しながら生きてきた人は、感謝しながら亡くなっていきます。 柏木哲夫 (ホスピス医;金城学院大学長;毎日新聞夕刊2009・10・09)
◇私は思った。
人はその生きたように老いるのだ、と。
つまり、人は老齢になったから突然、自制の箍が外れるのではなく、
また年をとったからと言って急に立派になるものでもないのだ。
斉藤明美 (作家;“高峰秀子の流儀”から)
◆つまり問題はどう生き続けるか、どう死ぬかではなく、生きている間をどう大切に暮らすか
だ。
その一時一時を、自分なりに充実して生き、自らを高められるかどうかが問われる。
宮本亜門 (毎日新聞2006.05.14日曜クラブ"五十音らくがき帳")
◆軍事力のみが正義を実現しうると信じる座標軸上のフツウの国に、被爆国日本が
成り下がっていいものか。軍事力は頑丈なザルのようなものでウイルス的犯罪には
無力だ。日本に対するよきイメージを武器に、蒙昧なフツウの国を日本のように
するよう、働きかけていくべきだと思う。
高樹のぶ子 (毎日新聞2004・01・05から)
◆
この言葉は司馬遼太郎「この国のかたち」一 にも取り上げられており一つの理想の人物像です。
この言葉の一手販売のようだったのは土佐だと書いています。江戸期知識人の間ではごく普通の
言葉だったようで
“ある種の独創家、独志の人、あるいは独立性のつよい奇骨といった人格をさす”
とあり、中江兆民、坂本竜馬が例としてあげられています。「テキトウフキ」と読みます。
◆教育の根っこは一つしかない。生徒にかける教師の無償の愛と夢だけである。
瀬戸内寂聴 (毎日新聞2004・01・25から)
◆どんな子供でも三、四才になると、何事にも疑問を抱き、問いを発するようになる。これは人間の
本性である。
この本性を押さえ込むのではなくて引き出してやるのが教育であろう。問いに答えてやるだけが能では
ない。答を自ら探し出し考え出すように仕向けてやれば、自力解決の喜びを味わうことによって
ますます探求心がそそられてくるに違いない。
自ら問い自ら答える方が、問われて答えさせられたり問うて答えてもらうよりも、遙かに大事である。
堀 健夫 (出典不詳)
◆子どもたちにはこう話しています。けんかをして殴られたら、仕返しをしたくなるだろうが、
応戦しないでほしいとね。恨みが恨みを呼んで、報復がいつまでも続く、これが大人の戦争です。
この恨みの悲劇的な連鎖を断ち切るには「恕しの心」しかありません。平和の実現には犠牲が
つきものです。相手を恕す勇気と暴力や武器を放棄しても決して負けない精神力とをあわせもって
初めて平和は実現するのではないでしょうか。
日野原 重明 (96歳 :毎日新聞夕刊 2007年10月29日から)
◆自分の生き方は自分で決めたい。親だからといって子どもの進路を決定してはいけない。希望しない
道に進んで、空虚さを抱える悩みとかかわってきた私としては、親は子どもが本当にしたいことを
見つけ、実現できるように手助けをしてほしいと思うばかりである。
海原 純子(心療内科医) (毎日新聞日曜クラブ2007.09.30から)
◆親も一人の悩み多き人間である。私は子供の頃のその認識は正解だと思っている。完璧でなくていい。
尊敬を求めて子供の前で親の権威を振りかざすのでなく、悩みながらも自分で出来ることを一生懸命
やっていく姿の方が、子供はいいなあと共感出来る。
海原 純子(心療内科医) (毎日新聞日曜クラブ2008.09.21から)
◆自分自身のよさや自分の国のよさにもう一度目を向け、それに磨きをかけたいものだ。清潔さや
まじめさがないがしろにされる風潮は、悲しい。
海原 純子(心療内科医) (毎日新聞日曜クラブ2009.11.29から)
◆ 命はひとつ 人生は一回
だから 命を すてないようにネ
あわてると つい フラフラと
「御国のためなの」と 言われるとき
[加川 良:教訓1]
お国のためという言葉が使われるときは、本来の人間性を政治が
ゆがめようとするときですね。
◆次第に日本の脱米入亜が進めば、日米関係そのものを含めて、世の中、何かと正常化
と成熟化の方向に向かうのではないかと思う。
浜 矩子 (毎日新聞2004・10・17から)
◆戦争を起こすのは人の心です。戦争を起こさせないとするのも人の心です。
恐ろしいと思うのは、戦争の惨めさ、悲しみが忘れ去られることです。
高木 敏子 (ガラスのうさぎ 著者 毎日新聞夕刊2008・03・31)
◆新憲法制定で軍事大国になれば、表現の自由も極端に侵害されることになるでしょう。
軍隊を持つことに反対できなくなり、働く人たちが戦争反対の集会を開けなくなります。
軍事費が増えれば、社会保障費も削られ25条の生存権だって、いま以上に損なわれます。
戦前がそうでした。
渡辺 久丸 (憲法研究者 毎日新聞夕刊2008・04・17)
◆ 戦争で得たものは、憲法だけ
この言葉は城山三郎さんの口癖だったということです。
城山さんは叙勲を拒否し続けました。その理由は佐高信さんによると
「国のためにと思って、親の反対を振り切り、死ぬために軍隊へ行った。そしたら、国民は
裏切られていたことが後で分かった。城山さんが一番言いたかったことは、『そんな国から
勲章なんかもらうな』ということです」
(毎日新聞2007年4月16日夕刊:城山三郎さんの遺言(野嶋康祐)から)
◆口幅ったいようですが、とにかくまずは向き不向きより与えられた環境に前向きであることです。
青島 健太(あおしま・けんた)
◆ここに入れたいのですが、少し不向きなので注に入れます。
たまたま読んだ美輪明宏さんとのインタビュー記事です。
◆物事を見るときには、望遠鏡のように遠く広く見ると同時に、顕微鏡のように近く深く見る
必要があります。この二つの心が並行してこそ、我々は本当に物事を正しく理解できるし、
解決策を見つけることが出来ると思います。
金大中(キム・デジュン)(韓国元大統領 毎日新聞朝刊2009.09.10)
◆二鼠競ひ争ひて、目を度る鳥旦に飛ぶ。
四蛇争ひ侵して、隙を過ぐる駒夕に走る。
山上憶良 (日本挽歌(万葉集 巻五))
この一節は親しかった大伴旅人の妻 郎女がなくなった時に歌った歌の前文にあります。
二鼠というのは白黒二匹の鼠で満月と新月を象徴し、「時」を意味します。時が争うように「命」を食し眼前で
朝に鳥が飛ぶかと思えば四匹の毒蛇が争って人を侵す。夕べには隙間を一瞬白い馬が通りすぎる。このように
人生とは儚いものだ。ということでしょう。
◆ハッピーエイジングの秘訣は
心を明るく保つこと。
食事の内容と量に配慮すること。
そして適度な運動を行うこと。
この三つにつきます。
満尾 正(医学博士;アメリカアンチエージング学会認定医)
満尾博士は“大食いの人間は早死にするが、小食だと長生きするばかりか苦しまずに死ねる”
“朝食は軽めに、昼食をしっかり摂って、夕食は軽めに” とも言っておられます。
◆ 少肉多菜 少食多齟 少言多行 少車多歩 少塩多酢
少煩多眠 少欲多施 少糖多果 少怒多笑 少衣多浴
尾関宗園(大徳寺 大仙院閑栖)
◆待て 而して 希望せよ
モンテ クリスト伯(アレクサンドル ドュマの厳窟王)
振り返るとこの言葉に勇気づけられたことも多いのです。
◆空襲下のドイツのある地下室の壁に、誰かがこんな詩を書いたそうです。
「私は今、太陽をみられないけれど、太陽があることを信じます。
愛を感じられないけれど、愛というものを信じます。
神を感じられないけれど、神を信じます」
と。そんな人は、どんな状況にあっても幸せを見いだせるでしょう。
辰巳芳子(料理研究家:毎日新聞夕刊2010年7月2日)
◆でも生きていることが大切なのです。今日まで生きてこられたなら、少しくらいつらくても
明日もまた生きられる。
そうやっているうちに次が開けて来るのです。今回の震災も永遠に続くことはありません。
やなせたかし(アンパンマンの原作者:毎日新聞夕刊2011年3月17日)
◆孤独は普遍性を持ちながら、あくまで個性的なものです。ひとり、ひとりが自分の孤独に対決し、
それを凝視して、その性質を掴み、それを飼い慣らす方法を発見していくしかありません。
瀬戸内寂聴(著書“孤独を生ききる”から;1998年)
◆どんなに医療が進歩しても私達は老いる生き物だ。老いない、死なないことを目指すのはほどほどにして
限りある時間をいかに充実させるかに焦点を向けることも大切だろう。
海原純子(心療内科医:毎日新聞日曜クラブ2012年7月8日朝)
◆平和の申し子たちはへ!泣きながら抵抗を始めよう
なかにし礼(毎日新聞夕刊2014年7月15日夕)
本文は長いので"注"に記します。
◆自分の眼(感覚)だけが信じられます。現場主義でなくてはなりません。
現物を自分の眼で確認し、手を打たねばなりません。
自分の哲学を持ち、その哲学に忠実でなければなりません。
◆愛は帰するところ疑いを持たない100%の信頼ではないでしょうか。母性愛、師弟愛の尊さです。
映画「ある愛の物語love story)」では愛とは決して後悔しないことですと言っていますが。
著作はその著者の眼(感覚)というフィルターがかかっています。
可能な限り自分の眼で、頭で、確かめることが大事です。
このホームページ著者の人生についての結論 (2009年)
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