2006年3月

2006年3月に味わった経験はこれまでのわたしの考えを根本から覆すようなものでした。ことの起こりは隣接する隣家のトユから溢れるような大雨の影響が度重なった為に東側の壁が大きく破損し、壁や天井に雨漏りの兆候がひどくなって、ついには野良猫の声が天井裏で聞こえるようになりましたので、修繕に踏み切ったことです。当初この機会に古くなった風呂も一新しトイレともども一体化しての大規模な部分的改築も考えたのですが、この家は借家ですから家主の承諾が必要です。わたしも軽率でしたがこの案は家主の承諾は得られず、あまつさえ工事の準備中にトイレに貼り付けてあった飾り板を外してみると内部の壁土が崩れて出てくる有様で、西側にマンションが出来たときの振動の影響もあって点検を迫られました。その結果大幅な修繕が便所にも必要である事が明らかになりました。

この家全体が築後約80年ですから、最早老朽化し早晩立ち退かなくてはならない状況にある事は家主からもいわれていましたが、わたし自身もこのことを実感させられ、家主の言うことも理解できたのです。これまで立ち退きの必要を実感したコトは無く、借家とは言え住みやすさに甘えて生後1年後から続けてこの家にのうのうと住んできましたから、これは大変な出来事でした。

家内の看病は現在この地区のこの家で療養している事を前提として、医療・看護の体制とも成り立っていますので、今直ちに転居する事は不可能です。当面は自費で修繕して住み続けようと思っていますので、工事の範囲を縮小し、家主にも原状復帰の範囲の修繕に留めることを承諾してもらって、古い家の修繕に慣れている工務店と契約し、工事を始めてもらいましたが、いずれは家が壊れた場合新しく住まいを手に入れることを考えなくてはならなくなりました。わたしも高齢ですから何時まで命が保てるか分かりませんが、この問題は荷に余るような大きい問題としてのしかかってきました。そのストレスは大変なものでした。体重も2.5kg減りました。

わたしのような高齢になりますと費用を住宅ローンに頼る事は出来ませんから、自分で費用をひねり出さなくてはなりません。家内の現状が続く限り、家主の承諾を得つつ、出来るだけこの家に留まるつもりですが、事情が変わればわたしも転居を実行しようと思っています。生活を出来るだけ簡略化していわば「隠居所」と思って一戸建てにせよマンションにせよ費用の安い中古を探そうかと思っています。若い人のように子育ての事も考え生活をエンジョイする為に気の利いた住まいをと考える事は必要ないと思うのです。残念ながら長男一家への援助、あしなが育英会への拠金も止めざるを得なくなりました。最近「いま考えていること」シリーズの追加をしていないのもこういう事情で書く精神的余裕を失ったのです。

転居の費用は所有する株式しかありませんから、そろそろ処分して現金化しようと思い、そのことに着手しました。譲渡益に対する税金も平成20年からは倍額の20%になりますし、株価も基本的には何時下がるかも知れませんから、ここ一、二年高値の内に大部分は処分しようと思うのです。特定口座も確定申告の不要な源泉徴収に今年はしました。株式投資に未練はありますので株式の一部は残して所持していきますが、大ざっぱに言えば手仕舞い時なのでしょう。

現在の修繕作業が一段落すれば、一休みの後まず家の中の不要品や古本の整理にかかろうと思っています。この作業には子供達にも手伝ってもらう予定です。品物には子供達自身のものもありますし、わたしが仮に今日この家で命の終末を迎えても、残った品物の整理はいずれ子供達がしなければならないのですから。年を取れば思いきって身の回りの品を整理していく事が必要に思われます。

家内もわたしがいなくなれば子供達も在宅ケアは出来ないようですから、方針を変えて家内を預かってもらえる施設に申し込もうと思います。家族制度の崩壊している現状子供達にわたしと同様のケアを要求するのは無理な事も理解できます。だとすればいずれ家内も施設に預けざるを得ません。知人の話では介護保険が出来ても家内のような人を施設に預かってもらうには何年も順番待ちしなければならないようですし、わたしが急死したとき子供達があわてて手続きしてもなかなかそういうところはないのです。まして単に老年だというのでなく家内のように病気を持つ人の場合、看護師さんが常駐する施設でないとケアしてもらえないので、条件が制約されてくるのです。介護保険も無力なものだと思い知らされます。当分わたしが見ていこうとは思いますが施設入所の申込みは必要と思われます。

これまで出来るだけ子供達に遺産を相続させようと思って努力してきましたが、先々そんなに私達両親の世話をする気はなさそうですから、方針を転換。出来るだけ自力で自分の資産をフルに使いながら自主的に過ごそうと考えざるを得なくなりました。私達の世代は親の世話をするのが当然と考えてきたものですが、もはや家族制度の無くなっている現代ではこの考えから離脱して自分自身の生きる道を考えざるを得ないようです。

   

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