趣味−−習い事覚え書き

趣味は自分を変身させ、もう一人の自分を創り、そしてそこから、普段の自分を眺めるような時間を与えてくれます。私は仕事が趣味でと言う人もいますが、趣味は人間の幅を作り、視野を広げます。相対性理論で有名な、物理学者アインシュタインの趣味はヴァイオリンで、結構上手に弾いたようです。我が国でも昔は大学の先生というと、謡曲とか、フルートとか、小唄とか何か趣味を持っておられるのが普通でしたが、戦後は生活に余裕が乏しくなったのと、そんなことをする人は仕事に打ち込んでいない人だというような近視眼的見方しか出来ない人が周囲に増えて、これはという趣味を持つ方は少なくなりました。と同時に、先生方も小粒になってしまったように思います。

美しく装うことは女性の特権であり、世の男性の目をも楽しませてくれるのですから嬉しいことですが、美しくありたいと、どんなに高価なファッションで身を飾ろうと、体からは自ずとその方の人間としての内面が外に匂ってその人を印象づけます。ご時世で贅沢は止めて生活は切りつめなくてはと思っている人は多いのですが、婦人方は結構ファッションと痩身には関心と投資を怠りません。生活の内容を見直してもっと心の世界に投資と贅沢をしてほしいものです。でないと自分自身のファッションさえ自分にふさわしく構成できないのです。その上、心の豊かさは自分も他人もホッとさせてくれますし、小さいことにこだわらない余裕を与えてくれます。生活に余裕がないからこそ、贅沢を忘れないようにしたいのです。子供たちにも「どこかで贅沢を」と勧めています。心のけちくささはどう取り繕っても自然に滲み出てしまうものです。

京都の和菓子で一流のものはただおいしいというだけでなく、見た目もきれいで何となくあか抜けしている感じが、見た目だけでなく、食べた後の風味にも感じられます。これは作る人が日頃からお茶を習ったり、お花を習ったり、あるいは博物館や美術館で優れた作品に接しておられ、有名なお寺の曝涼には足を運んで昔の名品に直接触れるなど京都の長い歴史の中で育まれた、すごい「京都」を体に染みこませて贅沢に感性を磨いておられるからこそ生まれてくるものです。

私はクラシック音楽が好きで、絶えずCDを掛けていますが、基本的には受け身で自分で楽器を奏でることはできません。無趣味よりも、まあそれはそれで良いのだとは思っています。
とはいえ、やはり下手でも積極的に自分で何かを演じることは大事だと思います。それはただ受け身の鑑賞者でいるだけでは、やはり深く楽しむことができないと思うのです。能の鑑賞・謡を謡うこと・それに仕舞いもわたしの趣味の内ですが、能でもただ見ているだけでは生まれてこない深い理解が、自分が謡や仕舞いをして初めて出来るようになるのです。ただ見ている人よりも自分自身が絵を描いている人は、美術分野の鑑賞を深いレベルでしているのです。これが下手でも、何か自分がする趣味を持つ事の意味だと思うのです。

CDといえば私は古いCDプレイヤーが駄目になったのでLUXMANのD-700sを購入しました。このプレイヤーは、手持ちのCDも美しく再生できますが、アメリカのPacific Microsonics社の開発した新しい録音法によるHDCD(High Definition Compatible Degital)にも対応しています。アナログ―ディジタル、ディジタル―アナログ変換過程で発生する歪みを除去するということで、アナログで録音されたマスターテープと同じ音が得られると書いてありますが、確かに聴いた感じではCD特有の堅い感じがなく、柔らかみがあるように思います。HDCDをどこで手に入れられるかインターネットで調べてみましたら、いくつかの会社で作っていることが分かりましたが、ピアノ演奏を中心とするIvory Classicsは直接通信販売しています。一枚10ドル程度です。1週間くらいで届きます。19世紀末のBlumenfeld作品を演奏したPhilip ThomsonのものやDohnanyiの曲を弾いたDavid Korevaarのものもあります。この会社はEarl Wildの演奏したものが主流ですが、ChopinのNocturneは余韻まで美しく入っていて、聴き飽きません。 期待を上回って良かったのはNadia Reisenberg演奏のハイドン作品集でした。Ivoryは新しい現代の演奏だけでなく、1940年以前のホセ イツルビのモツアルト物の演奏も最近出しました。これも捨てがたい味のある演奏です。ステレオを楽しむためには入り口と出口、つまりプレイヤーとスピーカーを良いものにとは良くいわれることです。私の装置もとても高級とはいえぬ代物ですが、実感しています。
HDCDが現れたいきさつからもわかりますように、アナログ録音の良さは、たまに昔集めたLPを聴いてみるとなるほどと言う感じです。LPをお持ちでしたら、たまには聴かれることをお勧めします。

観無量寿経の中に「衆寶国土の十一の界の上に五百億の寶楼閣がある。この楼閣の中に無量の諸天があって天の伎楽を作している。また楽器が中空に懸けられている。天の寶幢の如く鼓せずとも自ずと鳴り」と書かれています。つまり極楽世界には音楽堂がたくさんあり、いつでも音楽が奏でられているというのです。宇治の平等院の堂内を飾る天女達の奏楽像はこれを表現しています。もっとも、空気のような媒体がなければ音も鳴らないのですから、霊界である極楽の描写としてこのような情景は物理的には考えられないのですが。

私たちにとって音楽を楽しむことの良さは、まず音楽に合わせて心の中で歌えることです。つまらぬことをクヨクヨ考えないでおられます。歌うだけで良いのです。こうしていると音楽の基本は人間が鳥のように自分の声で歌うことだという思いが深くなります。器楽も所詮私の声の代わりにヴァイオリンやピアノ、オーケストラが歌っているのです。私は演歌も好きですが、演歌を歌って良い気持ちになるのとクラシックを聴いてよい気持ちになるのとに何も変わりはないのです。演歌では、春日八郎さんの音程の確かさはすばらしかったし、美空ひばりのほとんど最後の演奏会といってもよい東京ドームでの絶唱“不死鳥”のライブもすばらしいと思っています。五万人といわれる観客を相手に、とても1年後に亡くなる宿痾を抱えた人の歌とは思えない張りがあり、美空ひばりのすべてが凝縮している感じです。こんなにうまい演歌はありません。すばらしい演奏でさえあれば私にとってはすべて嬉しいのです。何か心が震えれば。越路吹雪の歌も聴いて下さい。彼女の歌は明晰で何を歌っているのか歌詞がはっきり聞き取れます。このような歌手も希有です。
家内の部屋では一日中ラジオを鳴らしていますが、NHKでも若い人向きの番組が多く、ことに歌の番組も多いです。愛する人に自分の気持ちを伝えようとする歌も多いのですが、確かに気持ちを伝えるのに言葉だけよりもその言葉を、言葉にふさわしい曲に乗せると感情が豊にふくらまされて伝わります。このことは例えば森新一の「おふくろさん」を取り上げても、よく分かっていただけるでしょう。言葉では気恥ずかしくて表現できない時でも、歌として歌い上げると自然な感じがするということもあります。この終着駅には曲だけで感情を伝えるという発想が生まれます。これが器楽でしょう。
こういうわけで、演奏を通じてその演奏家の考え−魂−そのものに接しられるのも音楽の楽しみです。オーケストラの指揮者でカラヤンはあまり好きではありません。私が理科の人間だからかもしれません。というのはカラヤンの演奏はあまりにも理知的すぎるので、私の本業から離れたやすらぎが感じられないからかもしれません。ベーム(Karl Boehm:1894-1981)が好きです。以前はマーラーは肌に合わないと思っていたのですが、近頃気に入っているのは1999年ライブ録音されたケント・ナガノ指揮ベルリン・ドイツ交響楽団演奏の交響曲第3番です。ピアノでは近頃の人は整然としていて上手なのですが、やすらぎがあまり感じられないのです。一番好きなピアニストは古い人ですがアルツール シュナーベル(Artur Schnabel:1882-1951)です。人間くさい温もりのある演奏なのです。

スヴィアストラフ・リヒテルもすばらしいピアノ演奏家でした。京都会館でも演奏会があり、あの巨匠にもかかわらず楽譜を見ながら演奏されたのに意外な感じを抱いたものでした。楽譜を見られるか否かとは離れてもリヒテルはある時から譜面台を立てて演奏され、人びとの話題になったそうですが、「リヒテルに極近い人によるとある時からピアノの向こうにリヒテルはお化けを見るようになり、そのお化けを見ないですむように譜面台を立てるようになった」という話が「音霊の詩人 遠藤郁子」には載っています。
      (音霊の詩人 遠藤郁子 p.84 藤原書店(2004))

一休みしましょう。



Realplayerを合わせ持っているプラウザでは何もしなくてもよいのですが、それ以外のブラウザの方はまずRealplayer(無料)をダウンロード後インストール(Netscapeなら\Netscape\Communicator\Program\Pluginsに) してください。次に「指揮者」の絵をクリックしてしばらくお待ちください。この間にJavaが起動します。"ポルムベスク:BARADA"とでましたら左の方の三角形をクリックしてください。

ルーマニアには国立“チプリアン・ポルムベスク”音楽院があります。指揮者曽我大介氏はこの学校を首席で卒業しました。チプリアン・ポルムベスクというのは1883年に29才で亡くなったこの国の天才作曲家で、学生時代独立運動に参加して投獄され、母と弟を死に追いやった結核が原因で彼も夭折したといいます。ウイーン郊外の町に亡命していたルーマニアの音楽家イオン・ベレシュが故郷を思って演奏していたのがポルムベスクのBARADAで、ヴァイオリンを趣味とする日本の外交官岡田真樹(元・外務省国際貿易・経済担当大使)が1985年ベレシュからこの曲を託されます。岡田は横浜の佐藤弘子氏の支援を得て、1993年天満敦子のこの曲初演リサイタル開催に漕ぎつけました。聴衆に深い感銘を与えた曲はこのような経緯から日本では「望郷のバラード」と呼ばれています。NHK スペシアル望郷として2005年5月7日21時から22時30分までこの曲にからむ日本人とルーマニア人のエピソードとして創作された一つの戯曲が放映されました。これはこれとしてなかなか良いものでした。

「流星」の絵をクリックしてしばらくお待ちください。この間にJavaが起動します。ここには私が関心を持ったものを短期間スペッシャル プログラムとしてお送りします。現在は"湖沼の伝説:加古 隆"を載せています。湖にはさざ波が静かにリズムを奏でています。波が収まったと思うと水中から何かが姿を浮かばせて情熱的に物語り、あるいは舞うのです。時間が経つと水面は元に返り、静かに再びさざ波が立ち始めます。私の感じた印象を書きましたが、どのようにお聴きになるかはご自由です。私はこの曲も大好きです。

「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」の絵の方はクリックしてしばらくお待ちください。この間にJavaが起動します。"漢宮秋月"とでましたら左の方の三角形をクリックしてください。

聞こえてくる曲は中国の「文曲」といわれるもので小人数で演奏され、音量も小さくしっとりしたものです。揚琴(台形の共鳴箱に張られた弦をばちで叩く)、二胡(日本で胡弓といっている)、簫(縦笛)、琵琶による演奏です。宮廷の孤独な女性の気持ちを現しているといいます。

パブロ・カザルスはチェロから独奏楽器としての能力を初めて引き出した巨匠です。反ファシズムを貫いた彼は、1936年スペインにフランコ独裁政権が出来てからこれを承認する国(全世界!)では、チェロの演奏を絶ちました。唯一の例外は彼が隠遁していたフランスの寒村プラドでの音楽祭で、彼の演奏が聴かれました。以後は指揮者として活躍しましたが、京都で指揮をしたときも「マエストロに敬意を込めて、演奏が終われば立って拍手してください。これは世界中の習わしです」とアナウンスされました。1971年10月21日国連演奏会で指揮したとき、そのアンコールに長い禁断を破って94才の彼は、故郷カタローニヤの民謡“鳥の歌”の無伴奏演奏を行いました。鳥は空で平和を願うと語る彼の声は涙の絶叫となりました。こんなに心の籠もった演奏は数多くの演奏を聴いてきた私にとっても最高のものです。少し良くない録音ですが、手元に持っていますので"私の聴いた最高の魂の歌"として、ここに恒常的に掲載します。この録音はなかなか聴けないものですから、是非一度「鳥」をクリックしてお聴きください。 なお、96年の春、癌のために55歳で生涯を終えたチェリスト徳永兼一郎は、死の2ヶ月前3月31日に、入院先のホスピスの小さな集会場で最期のコンサートを開きました。アンコールに応えて彼が生涯の最後に弾いたのはこの曲でした。

最後に“風の盆”を追加したのですが、RealProducerがHelix Producerに進化したのでまだ使いこなせず、他とは仕様が違うのです。ともかく一度絵をクリックしてみてください。
越中おわら節「風の盆」は飛騨の山々が描く稜線から富山平野へとたどるその途中の、細く長く広がる坂の町・八尾が9月1日から3日迄繰り広げる情緒豊かな踊りの音楽です。元は旧暦八月の盆の頃の行事であったようですが、新暦の今はこの時期に相当する9月初めの行事です。日本音楽には珍しく胡弓が使われ、踊る人の服装とも相俟って静かな、もの悲しい情感が流れます。


趣味の「謡」で感じたことは、曲は極端にいえば何でもよく、その曲に自分を託して何かを謡えればよいということです。クラシックの同じ曲でも演奏者はそれぞれに、自分を託して何かを唱っているのです。その何か、今まで自分が感じていなかったものを演奏してくれる人を求めて、次から次へと聴きたくなるのです。
今もかなり新盤を買っていますが、外出してCDを探して歩くのが家内の介護で難しいので、相変わらずamazon.com,HMV,H&Bをもっともよく利用しています。これらの店は品が豊富で対応が良く、たまに不都合があっても連絡すると誠実に対応してくれて推奨できる店です。円高時代に英米から買いましたので、一通りの聴きたいCDはほぼ揃っています。今はそのときの気分の赴くままに取り出してきて、プレーヤーに乗せます。若いときからよくレコードを楽しんでいましたが、息子二人も自然に耳から入っていたためか、一人はフルート、一人はファゴットを演奏し、共に大学時代は「おまえら法学部と違うて音楽部やな」と冷やかすほど大学のオーケストラ部で活躍しました。就職後も音楽を楽しんでいるようです。それどころか遂に長男は11年にわたる新聞記者生活を辞めて京都芸大の音楽学部大学院に入学し修士課程を終え、仕事も大阪のザ・フェニックスホールで企画など担当しています。娘はそれほど音楽が好きではないようですから、あるいは生まれながらの素質がそうさせているのかもしれません。

ボケ症状の現れた人に音楽療法がありますが、やはり患者が健全な時から音楽に親しみ、愛好していなかった場合には効果が乏しいようです。家内の主治医の先生が、岡山大学での研究の結果だと言っておられました。


私の家は元々加賀大聖寺藩士でしたから、伯父は宝生流の謡を楽しんでいました。立派な漆塗りの蒔絵の箱に謡本が入れてありました。私の目にはその伯父の姿がいまも焼き付いています。高等学校に入ってから化学班だけでなく謡曲部に所属したのも、これがきっかけの一つです。化学班の先輩に謡曲部にも所属する人が多かったのも契機になりました。当時阪倉篤太郎先生は現役の教授ではなかったのですが、放課後お見えになって教室で丁寧に教えて下さいました。みんな一緒に声を合わせて謡うので、一人で謡う自信はつきませんでしたが、後年、武田欣司先生に師事したとき、さすが基礎はきちんと阪倉先生は教えておられますねと言っていただきました。1950年大学に入った時は騒然たる時代でしたから、とても悠長に謡を謡う気分になれず、止めていました。私の父はお芝居が好きでした。テレビを見ながら、よく批評もしていました。しかし基本的には受け身で、自分で何かをする人ではありませんでした。私は満40才になったとき老後に備えて、受け身の趣味でなく何か積極的に自分が創っていく趣味をしたいと思いました。何をしようかと考えたとき、やはり嘗て嗜んだ謡曲がよみがえりました。縁あって武田先生門下になり、再び基礎からお習いしました。やはり若いときに何か趣味の手ほどきを受けておくことは大事だと思います。

私の先生は録音を許されません。録音して帰ってゆっくり聴いてなどと言うことがもしあれば、もってのほかだと思います。真剣に稽古場で稽古する気持ちを持たなくなるからです。桂小金治師匠は若い落語家の話を聞いていて、これはテープで稽古したなとおわかりになるそうです。きっと個性のでない真似芸になっているからでしょう。これは謡でも同じです。自分の謡を謡わなければなりません。謡う人の個性は潰さないでおかしいところを、良い先生は直して下さるのです。それはさておき、稽古場では私の稽古が終わると直ぐに謡本をしまってしまうようなことはしないで、次の人が先生に稽古をつけてもらっておられる間に、今日教えてもらったところをおさらえし、時には先生に改めて質問もさせていただきました。先生の声が未だ耳に残っているときに、その場で復習するのは大変良いことだったと思っています。こういう態度で20年間稽古場に通いました。20年もしていますと、よほど特別な謡方の箇所以外は細かい謡方の御注意はなくなるものです。そういう段階では先生の注意は、ご自分が演能される時の経験から「そこは能では・・・・」とか「そこでの小町の気持ちは・・・・」というようないわば演出上の注意になります。ですから稽古事の先生は一流の方に師事することが必要なのです。極端にいえば初心者ほど、一流のその曲の精神を把握し精通しておられる方でなければならないのです。家庭に引き隠らなければならなくなってから、自分で謡を謡うことは少なくなりました。なぜかと言いますと、もし万一間違った謡い方をしても注意をしてもらえませんから、我流に崩れていくかも知れないと言う恐れが強いのです。先生というのは謡に限らず、ある段階からは弟子の個性を生かしながら、高度な立場からアドバイスしていただける方を意味するのです。

近頃は1時間以上の外出はままなりませんが、自由に外出できるときは旅行も好きでした。また美術展などの展覧会にもよく出かけました。いままでに見た内外多くの作品のなかで、一番すばらしいと思っているのは雪舟の秋冬山水図の内の冬の景。画面に透 明な空気が奥深く一杯に拡がり、その中に風景が正に自然そのもののように息づき、墨一色の画幅が恐ろしく空間感、遠近感、それに寒気をさえ携えて迫ってきたのです。
秋冬山水図 冬
(ほかの水墨画でこの様な空間の存在を感じたのは、京都大原の三千院のふすま絵の一つ、竹内栖鳳の松林図を見たときでした)有名な"山水長巻"はカラヤンの演奏でも聴くような明晰さがありますが、雪舟の画法は一つではなく溌墨で描かれた76歳の作、"破墨山水"のような自然の精髄を凝縮した作品も見られます。複製では実物の醸す空気は伝えられませんが、まあ、ご一覧ください。
破墨山水
旅行と展覧会鑑賞に共通して言いたいことは、原則一人で行くことと解説を見過ぎないようにということです。旅行の場合は行く前に本や資料を調べてコースなどのプランを作ることで5割方の楽しみは終わります。さて旅行に出かけたら、資料から離れて自分の目でじっくりと見つめ、音を聞くのに専念します。どちらかというと私はカメラ派ではありません。北海道を一人で旅行したときは、網走からはハイヤーを雇って2日間同じ運転手の世話になりました。知床五湖も訪ねましたが、小さいノートで簡単なスケッチをしながら歩きました。運転手も文句も言わず私がスケッチする間は辺りをぶらぶらしてくれていました。カメラは「写真」機と訳されていますが、“真”を“写”しているのはカメラ君だけかも知れません。小さいファインダーから見た対象はもはや「限られた切り取られた」ものですし、そこにカメラマン意識が入ると敢えて対象を変形してしまう意識さえ持ち上がるのです。シャッターを切ると対象をフィルムに固定できた安心感、成就感が生まれて、もう次の対象を求める気持ちが先立ちます。ところがスケッチですと、まず自分の目で対象をしっかり眺め捕まえる作業があるからでしょうか、頭にしっかり焼き付けられるのです。二〇年ばかり経った今日でも、辺りの雰囲気ともどもはっきりと思い出すことができるのです。一人だから自由にコースも変えられるし、時間を取るのも自由です。気に入った場所ではもう一晩宿泊を重ねることも自由です。十和田湖を訪ねたとき、前日泊まった蔦温泉からバスで十和田湖まで直行し、予約していた旅館に荷物を置き、とんぼ返りにまたバスで石ケ戸まで降りました。それから身軽ですからゆっくりと奥入瀬渓谷を足で辿りました。「歩け奥入瀬三里半」という言葉がプラン作成の時から頭にあったからです。外国の中年の一婦人が腰に弁当を結わえて、私の前をゆっくりと歩いていました。団体旅行はそういう点でわたしの趣味には合いません。見知らぬ異国を訪ねるのに団体旅行の一員として参加されることを否定する気はありません。しかし、それは下見旅行なのです。勉強会なのです。是非そのときの経験を土台にして次は一人で出かけてじっくり見物していただきたいものです。こんなこともしました。同志社高校に勤めていたときは若かったので、修学旅行団のマネジャー役も勤めました。結論的には修学旅行は旅行じゃない、いわば兵員輸送じゃないか、ことに同志社高校の生徒の場合、みんな家庭も豊で、どこへでも自由に行ける環境にいる、こんなものを旅行と思うのは生徒にとっても良くない、このような印象を持った私は教員会議に提案して修学旅行を廃止してもらいました。以来50年近い歳月が流れ、私が去ってからも既に40年以上になりますが、復活はされず、今でも同志社高校は集団の修学旅行のない学校です。生徒諸君は親しい友達同士で旅行のプランを好きに組んで、盛んに出かけているようです。それが旅行なのです。展覧会も同じことで一人で行くものです。好きな作品に出会ったら同行の人の都合や時間を意識しないで、じっくりと見つめていることができます。解説は特に読みたいものに出会ったときにだけ読みます。解説を読むことばかりに熱心な観客も見かけますが、読むだけなら、旅行のガイドブックと同様に、家でゆっくり読めます。家ではその生(ナマ)の作品を直接見ることが出来ないのです。実物と印刷された画集でも全く違うのです。すぐに忘れてもよいのです、じっくり一つのナマの作品を見て何か深く感じることこそが至福であり、この至福の時を、数多く経験し、重ねていきますと次第に目が肥え、見る目が自然に鍛えられて変わって行きます。今まで見えなかったものが見えるようになります。楽しみ方が一段と味わい深いものになってきます。嬉しいではありませんか。

元々は趣味でもなかったのですが、草花造りの好きだった妻が病気になって世話が出来なくなったので、それまでは専ら鑑賞者に過ぎなかった私が、このまま枯らせてしまうのもと思って跡を継いだのです。四季折々にプランターに花を植えて楽しんでいます。セイロン弁慶草とハイビスカスは昨年に引きつづき11月初めに室内二階に入れました。5月になればまた野外に出します。昨年八重桜の盆栽を購入し美しい花を愛でたのですが、いくら「さくら切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」といいましても花が終わると伸び出しますので昨年少し刈り込んだのです。やはり切り口から感染したのか枯れてしましました。2005年の今年は1m30くらいの大きさの苗木を求め、庭に直植しました。春には美しい花をつけます。先年大きくなったので少し刈り込み、切り口にカルスメイトを塗りつけました。幸い枯れることもなく無事成長を続けています。
梅の盆栽を購入し、また散歩の時山の楓の根元付近に小さい楓が芽吹いているのに気が付いて、6本採って帰り育てましたが、そのうち2本だけが成長してこれも小さい鉢に植えています。梅も楓も今年(2010年)の猛暑で葉がチリチリになり枯れそうになりましたが、梅を購入したガーデン×ガーデンさんから送られてくるメールに、灼けた葉は摘み取って朝晩水をやり日陰に入れてやるようにとのアドバイスが記載されていたのでそのとおりにしましたら、どの鉢も元気になり、新しい葉の芽が出てきています。
動物は、どこからか雄のカナリヤが一羽裏の入り口から飛び込んできて、当時いた猫(Ann:1997年の6月、十六年の寿命を終えて亡くなりました。人なつこい可愛い猫でした)に襲われそうになったので、猫を二階に追っ払って捕らえ、それ以来飼っていました。ピーチャンと呼んでやると、こちらを振り向きます。始めの年はよくさえずったのですが、その後は鳴きません(ピーちゃんは2000年4月12日に急死しました。庭に埋めてやりました。寂しい)。
あとは小さい池に飼っているコメット8匹です。前から数年いたコメットは、春先鴨川から飛来した鷺に全部襲われて捕られてしまいました(2001年3月の二日間に音もなく姿を消しました。金魚屋さんの話ではこのころは鳥も餌が乏しく、金魚の大きさも食べ頃で上空からも赤い色がよく見えるので襲われるようです。早速また可愛いのを買って育てています。水温の低い昨今藻の間に体を隠してめったに出てこず、餌さえ欲しがりませんが、やがて暖かくなって大きくなった金魚が襲われそうな季節になれば、今度はしばらく大きい覆いを掛けています)。小さな池の中にたっぷり藻が生えているのが効果があったのか2005年1匹ですが、金魚の子供が泳ぎ出しました。この金魚は今ではもう立派な大人になって泳いでいます。また、2009年8月えさをやったとき、見れば体調4cmくらいのかわいい金魚が3匹池の中をすばしこく泳ぎ回っているのに気付きました。たいてい卵の内に親に食われてしまうのですが藻が繁殖しているのでこの3匹は生き残ったのでしょう。その上今年は梅雨が長く池の掃除が出来なかったことも幸いしたのかも知れません。6年いる3匹と5年の1匹では身長と長い尾の比率ががかなり違っています。2009年は3匹孵っていました。可愛い小さいコメットが仲間に加わりました。毎年初夏、水温が20度になると鰓にイカリ虫などが出る季節になるので、予防にグリーンF(ニトロフラゾン・スルファメラジン ナトリウム製剤)を早めにかつ多めに投入しています。
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病床の妻と私だけですが、こういう命ある美しいものたちも家族に加えて一緒にいますと、何となく心が和みます。命への愛惜の念を覚えさせてくれるだけで、こういう仲間に感謝の気持ちが湧いてきます。何となく幸せな気分を味わっています。

 

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