私と同志社高校の『舎密開宗』(セイミカイソウ)

私は11年間同志社高校で化学を担当していました。この学校には懐かしい良い思い出をいろいろ持っているので、何かお返しをしたいと思っていましたが、同僚であった石村壱先生をリーダーとして森田昭典先生と私と三人で設計した理科教室が古くなって1991年4月3日新しい理科館が竣工、献堂式が挙行されました。私は同志社在職中にたまたま臨川書店の武井さんが同志社高校に在学されていたので、もし『舎密開宗』の出物があったら連絡をしてほしいと頼んでおりました。運良く出物があり購入できました。その時の夏のボーナスをほとんど投入したと記憶します。天保八年(1837年)の初版本ではなく天保十五年(1844年)版であったと記憶するのですが、7冊の和綴じのものです。漢字とカタカナで書かれておりますから、内容も容易に理解できたのです。ウラニウムのことも書かれています。この本は宇田川榕庵が翻訳したものですが、単なる翻訳ではなく、可能な限り自分でも試してみてその経験が注として書き込まれているのです。『舎密』はシャミツではなくセイミと読みます。オランダ語のChemie(化学)の音読を漢字で現したものです。現在使われる“化学”という語を日本で初めて使ったのは川本幸民で、ドイツのストックハルトの化学書Die Schule der Chemie(初版 1846年)のJ. W. Gunningによる蘭訳(初版1847)を安政四年(1857)翻訳しましたが、このとき『化学』という語を使ったと伝えられます。万廷元年(1860)、その第二版を手にいれてこれを訳し、さらに文久元年(1861)、第三版を補足翻訳して『化学新書』と名づけました。『化学新書』(稿本)/川本幸民訳/文久元年は現物が日本学士院に所蔵されています。

新理科館献堂式当日『舎密開宗』を同志社高校に持参し、理科の先生にお祝いとして託しました。

最近同志社高校にはメディアセンター「知創館」が完成しましたが、この教室は図書館機能と映像、電子メディア機能を兼備しています。ずらりと生徒用のコンピューターが並び二階にはプレゼンテーションステージ(収容定員:120名)を持ち、これを知創館の中心として演劇会、講演会、ミニコンサートもできるようになっています。知創館完成に伴い、もし機能的に理科館よりも生徒の利用に適しておれば、『舎密開宗』も知創館に収納して頂く方がよいかと思って、嘗ての同僚であった上野務先生に相談しましたらメディアセンター司書浅井直子さんに取り次いで頂きました。私も浅井さんと直接コンタクトを取り、頂いたのが次の手紙です。記念のためにここに収録させて頂きます。

上野先生から、先生が理科館に御寄贈されました『舎密開宗』について、お尋ねがございました。私はそのことを今日まで知らなかったものですから、理科教室の方に、問い合わせいたしました。玉村先生がそのことをよくご存じでして、大事に保管されておりました。
図書館は昭和58年発行された『舎密開宗』を購入しており、私もその本のことはよく存じておりました。けれど、理科教室に寄贈されました『舎密開宗』を見せていただき、復刻・現代語訳注の図書館蔵のものとは全然違う、大変立派で見事な和綴じ本に、驚きました。
先生が化学の道を志す生徒達が、輩出することを望み、本物の化学の書に接し、手に取ってみてほしいと願われたお気持ちが、よく分かりました。和綴じの書物に触れることがほとんど希な生徒にとって、書かれた年代を知り、内容を知り、精密な実験器具などの挿絵に接する事は、素晴らしい発見であろうかと思われます。
理科では、早速理科館の陳列ケースの中に、展示して、生徒の眼に触れるようにしたいと考えているようです。
新メディアセンターには、陳列ケースが、現在ございませんので、理科館の陳列ケースに展示する方がよいのではないかと思います。ケースは生徒が毎日通る理科教室の廊下に沿って、目に付く場所にありますので、有効かと思います。
また皆で先生のご意向に沿う形での有効な利用について、検討することになるかと思いますが、現在の状況について、お知らせさせていただきました。
なお、先生が御寄贈されました当時の添え書きのコピーを同封いたします。

先生をはじめ、旧理化学館の設計に携わった先生方の、並々ならぬ情熱が伝わってくる素晴らしい文章で、感動しております。先生がいかに理科教育とりわけ化学を志す若者の教育に情熱を傾けられたかが、ひしひしと伝わってまいりました。
このように立派な書物を、お贈りいただきました経緯などを知り、一司書として、感激しておりますことを、付け加えさせていただきます。

同志社はこれから、岩倉での小学校新設・岩倉への中学移転と大きく変わろうしております。岩倉の風景も大きく変わりそうな気配です。未来への大きな可能性を秘めて、私たちは今、試行錯誤と多忙の毎日の中におります。

以下省略

読者にとって蛇足かも知れないが、いただいた寄贈当時私が貼付した解説もここに転載させていただく。

私は昭和29年春から39年10月まで化学を担当する理科の先生として同志社高校におりました。30年の夏に同志社高校創立期に建てられた木造理科教室が火事で焼失し、石村壱先生を中心に、森田昭典先生ともども旧理科学館の設計にたずさわりました。階段教室の床の勾配曲線をどうすれば後ろの席の生徒も教壇の展示実験を見やすくなるかと議論したり、当時は暖房も生徒諸君の服装も今ほど保温性がよくありませんでしたから、足元からの冷えが少しでも緩和されるようにコンクリート床の上に木のフロアリングを施しました。実験台の裾にも靴の爪先が入る入り込みを作って生徒諸君が実験しやすいようにし、実験台の椅子の高さも3人で椅子の脚の下にいろいろと差し込んで見ては生徒に座らせ、一番良い高さはどれくらいかを検討して、台・椅子とも別注しました。もちろん当時でも高校生の椅子の高さの標準はあったのですが、同志社の生徒諸君は標準より高かったのでそれにふさわしいものを考えたのです。石村先生は超微量天秤の設計を後には専門とされた方でしたから、セミミクロ天秤を理化学館に設置され、この天秤に振動が伝わらないように独特の天秤台も設計されました。校舎設計にあたり校舎の配置はH型にし、南は物理・化学、北は生物・地学として二つの建物を廊下でつなぐ構想で、そこには日常的に生徒諸君がいろいろな展示に接する事ができるような施設も考えられていましたが、これは予算の点で実現しませんでした。新理科館ではこの夢が実現しており立派なドームまで備えて美しい姿を現しました。落成に到るまで現在の先生方のご苦労、ご努力も大変であったろうと拝察します。

宇田川榕庵の『舎密開宗』は、田中実らによって復刻とその現代語訳・注が『舎密開宗研究』と共に昭和58年5月8日、講談社から発行されました。内容の理解にはそちらを利用していただければよろしいが、生徒諸君に現物に接していただき、榕庵がただ原書を翻訳しただけでなく、実験器具も何もない当時に、例えばヨウ素を海藻の灰から取り出そうと自ら試みていることなども知っていただきたいのです。高校生諸君に良い刺激になり、将来化学関係を志す生徒が多数現れることを希望し、1991年4月3日同志社高校新理科館献堂式に当たり寄贈したいと考えました。

『舎密開宗研究』の中に収録されている坂口正男氏の論文“舎密開宗攷”によると、この本のもともとの原書は1801年に初版が発行されたWilliam Henry(1775-1836)のAn Epitome of Chemistryの第2版で、ドイツ人J.B.Trommsdorff(1770-1837)が増補翻訳しましたが(書名 Chemie fur Dilettanten)、これをさらにオランダのAdolf Iipeijが転訳した『初学者のために書かれた化学の入門書』(Leidraad der Chemie voor Beginnennde Liefhebbers)を邦訳したもので、序文は天保七年(1836年)に書かれて天保八年から弘化三〜四年にかけて出版されたといわれます。An Epitome of Chemistryは後に増補改訂されその第六版に至って書名はElements of Chemistryと改められました。改められた書名からも明らかなようにこの本は化学の入門書を目指すと共に、鉱水、鉱物の検査法と、試薬類の用法、混ぜものや毒物の検出などの、分析化学のハンドブックとしようとしたもので、簡潔でしかも時代の先端の知識を集約した好著でした。その上、榕庵は翻訳を「鉱水の分析」で打ち切っており、完訳にはなっていません。榕庵は実際家でしたから自らの翻訳の過程で会得した鉱水分析法の知識を直ちに、わが国の温泉の分析に応用しています。『舎密開宗』が発刊された後、これに匹敵する体系的な化学書は出なかったので、幕府の蕃書調所での必読テキストにもなり、天保以後弘化、嘉永にかけては諸国各藩精錬方の座右の書とされ、明治に至ってもなお需要がありました。このため比較的多く現存し、時たま古書店に出てきます。明治以後の日本の化学命名法の基礎となったこともわが国化学史上重要な意味を持っています。

                                                          以上


    1991年4月3日  

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その後5月15日同志社高校情報教育部の望月慶子先生から、理科教室での展示の様子を写した写真3葉をいただいた。展示品には解説も付けられ、私が帙の裏側に書いた生徒諸君へのアピールもそのまま展示して頂いています。生徒諸君への刺激になれば本当に嬉しい。

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