いま考えていること 402(2010年07月)
――参議院選を振り返って――

国民は大局的にはよく見ているなと言う印象。民主党は消費税問題で負けたというのは、鬼門の増税を謳って選挙に臨んでしまったという意味ではその通りですが、自民党も以前から消費税の引き上げは言っていましたから、その自民党が勝ったというのは消費税の引き上げに国民全体が反対している証ではありません。民主党が破れたのは理想主義に走ってかえって問題解決を困難にした前総理鳩山さんに由来する数々の政策に対する不信の表れです。政権交代すれば簡単に20兆円の財源引出が可能といっていたのにわずか1兆円程度しか捻出出来なかった言葉の無責任さ、議員定数・公務員数の削減を言っていたのに実際は手も着いていないいい加減さ、未経験から来るとはいえ言っていることと現実の施策の乖離、数えたてればいくらでもでてくる実行能力への不信が敗北の根底にあります。

これで自民党は確実な復帰への足場を築きました。私はこの選挙の一番大事な点は自民の復活を許すか許さないかにあると思っていましたから、軍配が自民党にあがったことが一番大きい結果だと思っています。過去の自民党政治には戦前への復帰を根底に持つ憲法改定姿勢を始めいろいろの問題点があり、支持出来ないのですが、民社党・共産党・その他の矮小諸政党が自分の主張に堕して、自民党の復活を許して良いのかという視点が欠けていたことに原因があります。広大な国民の中には自民党支持者が沢山いますし、まだ自民党支持は強いのです。自分の主張だけが真理だという態度では結果的には自民党へのサポートをして多くは自党も力を失っただけです。公明党は自民党との協力関係を維持して自民復活に自分の未来を賭けていると見えます。

それにしても本当のリーダーたる見識を持たない管総理を当分はいただかなければならないのは、この変化の激しい世界情勢の中で鬱陶しいことです。小沢はもう一段嫌いですが。

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いま考えていること  403(2010年08月)
――現状について――

最近の民主党の或いは民主党政府の何らかの成果というものが私には見えないのです。それどころか期待を裏切るような軽薄さや政治的未熟さが目に付くのです。大韓航空機爆破事件の金英姫(キム・ヨンヒ)の仰々しい招待もその例です。これが拉致問題家族の気持ちを和らげる目的だったとすれば、一時的にはそういう効果もあったかも知れませんが、決して拉致問題解決への一歩になるものではなく、やがては家族の皆さんもそのことに気付くでしょう。劇場性の最たるものです。参議院予算委員会ではこれまでの民主党の野党時代の高ぶった政府攻撃の姿勢をもっぱら反省するていたらくで、確信に満ちた新しい政策の提示は見られません。

民主党になってから何かこれといった変化が実感出来たでしょうか。

首相のブレーン小野善康(阪大社会経済研究所長)氏の第三の道提言をオーム返し的に唱える菅首相、山崎 養世の提唱を受け入れた高速道路無料化などいくつかの借り物の試みはあげられますがいずれもアイデアの域で、実施されたこども手当、高校の無料化も財源の裏付けもなく、もっと大きな問題である年金や医療の具体的改革施策は何もないのです。私のようにサラリーマンであった人間には所得の把握の公平さが出来ていない現状では、消費税の方がまだしも公平だと思っていますが、それよりも、地方税や各種保険料の決定のベースになる所得の把握の公正さを先ず解決してほしいのです。国民総番号制で一歩でも前進出来るならそれでもよろしい。また公務員の制度改革も見られません。問題山積の現状なのに何一つ具体的な前進が見られません。現在の息詰まった社会からの脱却を確信させる具体的な明るい展望が示されないままです。一言で言えば民主党政権樹立時の期待が色あせていよいよ政治不信の気持ちが強い今日この頃です。9月民主党の代表選挙にすべては移行しているようですが、一部には小沢さん一派が民主党から別れて新自由党を結成し、自民党と連立するというような観測もあり、こうして「ねじれ」を解消した挙国一致内閣が出来ていくような機運もあります。挙国一致政治は私の体質に合わないものです。戦前の日本を振り返るとやはり反対する勢力が堂々と存在して、批判の中に道を求める方が安心です。そういう点では「ねじれ」が参議院であるのも民主党の政策の鍛錬には有効だと思っています。簡単に一つの方向にシャンシャンと決まっていくよりは手間が掛かりますが、政策が鍛えられてよりよい政治を作れるように思います。スローガンだけの「国民のため」にはむしろ反発を感じています。

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いま考えていること 404(2010年08月)
――これでも平和な今は良い時代です――

今日は敗戦の日です。去る8日NHKテレビはシベリア抑留の人たちの経験された苦難の日々を振り返っていました。私は兵士の生活は経験していませんので、偉そうなことは言えないのですが、抑留下、帰国するために、民主主義の名の下に行われた共産主義教育への傾倒や、隣人への裏切り・密告をしなければ帰国出来なかった人々の悲しみを追体験出来ました。
戦争中は日本の内地でも食糧もなく、私にも畑に出来たそら豆を盗み取りしてそのまま食べたり、倉庫に忍び込んで生の落花生を食べた経験もあります。タンパク源は田んぼに飛び交うイナゴを母と一緒に上賀茂で捕ってきて、炒って食べたこともあります。私たちの世代は毎日夕方になると今日も生き延びたなあと思い返す日々を経験したものです。大阪で空襲にも遭いました。おそらくアメリカの爆撃機の爆弾投下を指示する計器を担当していた兵士の指が何千分の一秒かずれていたら間違いなく直撃弾を浴びていたと思います。

昭和16年12月8日、日本が第二次世界戦争に突入すると、それまで手に入っていたチョコレートバーも一日で店頭から姿を消し、それ以後戦争が終わる迄手に入らなくなりました。動員中たまに京都に帰ってまた現地に戻る時級友へのおみやげは「梅干し」と母が配給品からくれた「砂糖」でした。
勤労動員で知多半島の半田市に行っていました。勿論工場や寮で食事はでるのです。また中京地区は戦争中でも京都など比較にならない程まだものに恵まれていた地帯でしたが、それでも空腹には耐えきれず、休日など半田の街に食事を求めて出かけるのです。当時ろくに中身の入っていない薄い雑炊でも一杯五十銭でしたが、大勢の人が行列して順番を待っているのです。それでも用意していた数が無くなると「今日はここまで」と打ち切られるのです。私にも打ち切られた悲しい思い出があります。とても現在の日本人には想像も出来ない食生活でした。

当時は男女が一緒に歩くのさえはばかられ、時には警官や憲兵の「非国民」という注意を受けることさえありました。およそ現在の自由な時代にはそんな時代が日本にもあったのかといぶかられても不思議ではありません。すべての人間らしい感情を押し殺して生きて行かなくてはならない時代でした。

私の母はそれまで特に変わりはなかったのですが、敗戦の年昭和二十年一月四日突然ゴボゴボ血を吐いて倒れ、十一日に亡くなりました。おそらく戦争の心痛から来た胃潰瘍でした。医院も少なく、老齢の医者しか民間には残っておらず、薬もなく、まして手術など考えることさえ出来ませんでした。今なら間違いなく助かっていたことと思います。夜中に医者の家まで出迎えに走り、途中履き物の鼻緒が切れ不吉な予感を抱きながら裸足で道を辿った足裏の感触は今なお消えません。医療保険もありませんでした。母は享年四十一歳でした。

自由に勉強出来る現在では想像も出来ないでしょうが、後に京大教授になった私の友人などは終戦を迎えて心からこれでまた勉強が出来ると思って嬉しかったと言っているのです。なぜこのような言葉が出たのかを理解しようとすると、当時の学校の様子を知らなければなりません。昭和16年ハワイ急襲の年に中学校に入学した私たちはこの16年と17年位はまずまず毎日学校で勉強らしい生活を送っていましたが、三年生になると農村への勤労奉仕や軍工場へ泊まりがけで弾丸に爆薬を流し込む作業などに動員され、落ち着いて勉強する環境は急速に失われていきました。中学校には軍からの特攻予備ともいえる予科練募集の割当があり、成績の良くないものから候補を選んで校長名で推薦したこともあって、終戦後戻ってきた同級生の中には「校長殺したる」といきまく人もいたのが現実でした。戦時中は学問の自由など無く、すべては戦争のためと敵国語である英語の勉強すら出来なくなっていました。音楽の時間にlong long ago を習っていたのに次の授業では急に、それまで習ってもいなかったドイツ語でドイツ国歌Deutschland, Deutschland ueber allesを歌わされた思い出もあります。当時五年制の旧制中学でも私たちはろくすっぽ勉強もしていないのに在学年数を短縮されて四年で卒業になりました。

戦争が始まるといろいろなものがあっという間に姿を消しました。品物を持っている人がみな隠匿したのです。勉強に必要なノートや紙も充分手に入らず、数学の先生は「ノートが無くても運動場の土の上で計算が出来る」と、実際授業で小枝で運動場に彫りつけながら計算させられた思い出もあります。
私がこれまでの人間の発明品の中でためらうことなくもっとも賞賛すべき品物は「石鹸」だと断言するようになったのも、あの勤労動員中風呂に入った記憶も無いのですが、シャワーをしても全く洗剤がなく、体にはシラミがわき、毎日の飲用に使っているヤカンの中に履いていたパンツを入れて食堂から排気される高熱の蒸気に晒してシラミを殺さなければならなかった体験があるからです。今の人には経験しようにも経験出来ない、もののない生活を私たちは戦時には経験してきました。

今よりももっと良い生活をと願っておられる人に、私の今の心境をお話しするのは妨げになるとは思うのですが、あの戦争中の生活と当時の政治組織を振り返ると、現在の不満に満ちた世情でもあの当時に比べれば、比較にならない幸福な世情です。ものが有り余るなどとても想像出来ませんでした。今は言論の自由もありますし、医療保険もあります。いつ核爆弾が頭上で炸裂するかという差し迫った恐怖もありません。外国の人を平気で殺すこともありません。日本のように石油その他資源もなく、食糧も自給出来ない国は戦争をする経済的な基盤をもともと持っていないのです。 とても戦争などやれる国ではないのです。平和に徹し、外国との友好に依存しないと生きてはいけない国なのです。平和ほど無くてはならない尊いものはありません。

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いま考えていること 405(2010年08月)
――自壊?――

急激な円高旋風が日本を巻き込んでいます。輸出には大打撃で、企業の外国への移転を促進し、若い人の就職先の減少も心配されています。連日株価は低下を続け、人々の心理は冷え込んでますますデフレの傾向を強めていきます。状況は本当によくありません。とはいえ、これが真実の姿なのかも知れません。これまでの各国の緊急の「頓服」の効果が切れていて、本来のあるべき姿を示すようになっただけかも知れません。このような時現在のように公定歩合がほぼゼロという条件では日銀も昔のように公定歩合引き下げで株価防御という手段も打てず拱手傍観のようです。政府も参議院選敗退のショックからまだ抜けられないのか何もせず、政府があるのかないのか分からない状況です。政府与党民主党は9月を目前にして総裁選挙にうつつを抜かし、小沢復活にゴマをする手合いも見られ、小沢は小沢で検察審査会の告発を免れるための作戦か、総裁選に立候補する構えが看取られます。このように詰まらぬことにうつつを抜かし、完全の政策の検討実施を放っておくような状態が続くと人心は民主党を離れ民主党は自壊の道を辿るかと思われます。菅さんも人の意見を聞くと言えば聞こえはよいが基本的に自分のしっかりした哲学・発想がなく、菅の個人的イメージはぼけたままです。どうも総理の持つべき素質が欠けているようです。22日午後大国魂神社に参詣したとのことですが、今そんなことをしている場合かと言いたくなります。小沢は菅よりは自分の哲学は持っているようですが、その哲学が今朝の毎日新聞風知草にも書かれているように「議論なき小沢独裁の「北朝鮮型民主主義」」では到底受け入れられません。

(2010年8月27日追記)昨日小沢氏は総裁選に立候補を表明しました。小沢氏については上のような心証を持っていますので、支持する気持ちにはならないのですが、「いま考えていること378」に記したように、民主党の本当の重鎮は小沢氏なのですから、その人が表面に出てくることはやはり避けられない局面なのかも知れません。願わくば党首戦を通じてこの国の現状を打破し、進むべき道を菅・小沢両氏共に示し我々に考える手がかりを与えてほしいものだと思っています。監視の掲げる第三の道の一つ「強い社会保障」にしてもこの間のNHKの朝のビジネス展望で京大の諸富 徹教授の話ではこれはスエーデン型の社会保障を考えており、自立を前提とした一定のサポートは与えるが、それに応えられないものは倒壊させ切って行くタイプのようでした。その当たりも菅さんから説明はないようですし、この機会にはっきりしてほしい点の一つです。

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いま考えていること 406(2010年08月)
――コラーゲンは効くのか?――

近頃のテレビの広告にコラーゲンを宣伝するものも多く、拙宅にまでコラーゲン売り込みの電話があり、むかし生物化学教室に学生だったこともあって一応、「コラーゲンがそのまま腸から吸収されるはずがない」といって断っておいたのですが、今日(2010.08.30) の毎日新聞朝刊の“メディア時評”に永田和宏教授の「大事にしたい科学的根拠」に教授の立場からの一言が載っていたのでその一部を紹介させて頂きます。私の言いたいことが尽くされています。

肌の柔軟性の維持にコラーゲンが大切であることは科学的に正しいが、口から摂取したコラーゲンがそのまま皮膚に蓄積して若々しい肌を保つのに寄与するというたぐいのコピーは、科学的に根拠がない。いくつかコラーゲンを飲むという宣伝がされているが、見るたびに苦い思いを禁じえない。
コラーゲンは私たちヒトの全タンパク質の3分の1を占める主要なタンパク質である。タンパク質はアミノ酸の連なったものであり、口から摂取されたコラーゲンはいったんアミノ酸にまで分解されて、新たなタンパク質を作る材料となる。コラーゲンをいくら多く摂取したからといって、それでコラーゲンが多く作られるわけではない。複雑な過程を経て、一部コラーゲンに作られはするが、コラーゲンから得られたアミノ酸がすべて、コラーゲンを作るためだけに使われるのではないのである。
飲んでも害はないのだから、目くじらを立てることもないのかもしれない。しかし、私のように細胞生物学のなかでも、コラーゲンを専門としている人間が、このような誤解を前提とした広告に何も言わないでいるとしたら、科学者として責任放棄と言われても反論は出来ないと言う気がする。

コラーゲンだけでなくヒアルロン酸についても同様の考え方がいるのです。やはり女性の美容や老人の膝関節の機能に必要なコラーゲン・ヒアルロン酸を維持しようとすれば万人の薬「食事」からの一般のタンパク質摂取を心がけ、それを素材に体内で合成されるのですから体調の維持のための努力たとえば運動が一番でしょう。

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いま考えていること 407(2010年10月)
――近況――

この欄から1ヶ月遠ざかっていました。帯状疱疹に見舞われ、患部の手当もさることながら、体から元気が全くなくなって気力もなくなり、書く気もしなかったのです。いまも治療中ですが、少し書く気が出てきました。この1ヶ月世の中はいろいろ変化を経験しましたが、極端に言うとすべてどうでもよくなってしまいました。

現在日本が直面している問題はもはや日本だけを考えていても、どうにもならないように思うのです。経済の流れでも金融資本主義の崩壊から、次に構築される経済システムは世界的にもまだ明確な姿は見えず、新しいシステムの理念が模索されている段階ですから、解決には程遠く、焦っても答えはまだ見えないのです。

大きな過渡期にあるのが現状ではないでしょうか?国債発行額をカバーする国民の預金がもはや限界に達し、これ以上の国債発行に当たっては外国の引き受けを考慮しなければならなくなっているのは今後の予算のあり方に対し無視出来ないもんだいになってきました。また少々経費の節減を計っても、消費税など新しい税源の導入がない限りこれ以上の福祉の充実も望めないのが実像でしょう。

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いま考えていること 408(2010年10月)
――成田空港のこれから――

羽田空港が国際線も運用することになり、これまで国際線と羽田の国内便と住分けていた構想が崩壊しました。強引な成田空港建設に伴う住民だけでなく政治勢力の反対運動もあって、運用時間の制限もあり、ハブ空港の機能を持てない成田はもはや韓国のインチョン空港に太刀打ち出来なくなりました。羽田との棲み分けは不可能になりました。地理的な便利さでは羽田空港が国際線を運用するとこの面でも成田は太刀打ち出来なくなります。日本にハブ空港が必要なら、羽田・成田を一体化してハブ空港に必要な機能を持たせるしか方法はありません。

このためにどうすればよいか。私の考えは羽田は便利になりましたが滑走路の問題を見ても危険な空港ではあります。折しもリニアーモーターカーの建設が日程に上ってきました。これは技術的にはリニアーの技術が日本で完成したことを意味します。建設費が膨大になるようですが、羽田・成田間に限ればそんなに恐ろしい金額ではないでしょう。さしあたって成田・羽田間にリニアーを建設して時間的に一体化を進め、この間の運賃は格安にして利用者にも一体的使用を可能にし、両空港の持つ国際線を運用可能時間も考慮して両空港の間で仕分けるのが一法ではないでしょうか。ともかく時間的空間的に一体化するための切り札はリニアーカーだと思うのです。このために必要なら建設国債を発行しても良いと思います。

両空港の着陸料を引き下げるために空港特別会計の抜本的見直しも欠かすことが出来ません。

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いま考えていること 409(2010年10月)
――チリ炭坑の救出――

こんばんはNHK総合テレビでチリの救出に伴う特集を放映しました。その中で作家の吉岡さんに一番印象に残るのはと質問していましたが 、私の一番印象に残ったのはどうして直径10センチほどのパイロット穴を正確に避難していた場所に掘ることが出来たのかと言うことが、一つ。こちらはフォルテ教授の話では13本掘った中の一つが成功したと言うことでしたが、よくいくつも掘り進めたという周到な試みに賛歌を捧げたいのと、今ひとつは地底で神に祈りを捧げてみんなの気持ちを落ち着かせたという宗教の力が印象に残りました。人々に生きる力を与えるという宗教本来のあるべき姿が見えたことでした。人を苦しめるような宗教はまやかしだと思うからです。このところは今朝ラジオで小川未明の『赤い蝋燭と人魚』の朗読を70年ぶりに聴いたこともいまの私の心に印象深かったからかも知れません。

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いま考えていること 410(2010年10月)
――G20と円安問題――

「野田佳彦財務相はG20後の会見で「先進国は必要な時に適切に協力する。市場も評価してほしい」と述べたようですが、10月26日の市場はあざ笑うように下落しました。具体的な施策を伴わない一つの会議の結論で経済は動きません。いや経済だけではありません、すべて物事は希望する事態が実現するためにはそれを可能にする条件が整なっていないと実現はしません。ドル安・円高の解消の条件は目下の所基本的にはありません。為替介入も頓服程度の効果は期待してもよろしいが、根本的な解消策ではありません。

では根本的な解決策は何でしょう。それはドルの基準金利が日本の金利に比べて高くなり、他国の資金がその金利の利益を受けるべくアメリカに流れ込むようにならないとダメでしょう。この考えを受け入れるならば、現在の事態がなくなるのはアメリカの経済が回復してアメリカ国内で経済の引き締めが必要になり、金利の引き上げが起こる時でしょう。そういう時期は当分は現れず、まだ金融緩和が進行する内はまだまだドル安の傾向は続くでしょう。あわてずに待つのが方策ではないかと思います。

客観的な条件が整っていない時にことを起こそうとしてもそれは無理です。何かを起こそうと思えば条件を整えることが不可欠で、現在の難しさはその条件の構築は国内事情だけでなくグロ−バルに整えなくてはならないことです。

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いま考えていること 411(2010年10月)
――TPPへの加盟――

いまTPPへの加盟を巡って大きな論争が起こっています。関税の撤廃が広範囲に及ぶこと−−特に農業分野も例外が認められないのでこれまで高い関税に守られてきた日本農業への壊滅的衝撃が避けられず、政府与党の民主党内でもどちらかというと加盟賛成派の政府に対し批判が高まっています。

前節でも書いたように現在の政治はグローバルで鎖国でもする気ならともかく、外国の挙動をもはや無視しては日本は国際的に成り立ちません。ことに日本はたてまえで内需を拡大して消費を拡大し、デフレから抜け出そうと言っても、基本的に資源の乏しい現状を見ればやはり貿易で稼がなければ食べていくことは出来ません。

こう考えると、私は現在の国際情勢の中でTPP加盟を見送ることは出来ないと考えます。この加盟によって、現状では確かに日本農業は壊滅します。しかしTPP加盟を前提にして農家をどのように援助していくかこれまでの発想をご破算にして新しくTPP時代にふさわしく法的にも改革し、新しい発想の下に計画立案する必要があります。
これまでの枠組みで考えて反対するだけでは、もはや日本は生き延びていけない世界情勢の中に我々は立たされています。いままでの枠組みに固執するだけでは政治とは言えないでしょう。勿論新しい枠組みがすべて正しくないことは小泉時代に幅をきかせた新自由主義、金融資本主義の例がありますから,慎重でなければなりませんが、今回のTPPの動きはもはや貿易の自由化という点で無視出来ませんし、わが国だけが反対して貿易の伸展という立場から取り残されてしまうと身動きならなくなります。それは必ずしも大企業の擁護ではないのです。
TPPに対してはそれを受け入れ、それに伴う国内のひずみ、ことに農業への打撃を緩和する方策を前向きに考え立法することが緊急に必要だと考えています。理念だけ進歩的で実際の政治では保守的な政策が各政党とも目立ちます。

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いま考えていること 412(2010年10月)
――今回の速度超過への見方――

今朝のニュースで「脱線現場で速度超過」と言うことで、今月14日、先頃の福知山線脱線事故現場で快速電車が速度超過しATSが作動して事なきを得たと言うのです。原因は運転歴4ヶ月の23歳の運転手が「考え事をしてしていてブレーキが遅れた」ようです。JRが報道機関から取材を受けるまで公表していなかったことは批判されなければなりませんが、事故そのものを考えると、このような事故があるのは困ったことではありますが、人間には不備がつきもので運転手が他のことを考えていることはむしろ想定出来るありがちのことです。だからこそATSが必要なのであり、前回の事故と違って今回は無事ATSが働いたことにATSの必要性と有効性が改めて証明されていることを喜ぶべきではないでしょうか。前回の事故は、設定しておくべきであったATSが経営者の怠慢で設定されていなかったことが原因だと改めて証明されたと見るべきでしょう。

運転手の不注意だけを問題にするのは誤りでしょう。

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いま考えていること 413(2010年10月)
――アメリカの今後――

中間選挙が近づくアメリカで民主党の苦戦が伝えられています。ティーパーティーがオバマの政策を社会主義的で本来のアメリカ精神を失ったものだと攻撃し、これが共和党優位を進めているようです。

私は医療保険を巡る民主党の政策は米国の貧しい人たちにきっと恩恵をもたらし、支持は強まると思っていたのですが、事態は逆で、医療保険を支えるために政府の支出は増え、それを負担しなければならないから反対だというティーパーティーの声がむしろ支持を高めています。本来のアメリカという声には自分のことは自分で始末する強い自立的な側面も見られてなるほどアメリカらしいと言う側面も感じるのですが、強いものが弱者の支えになるという倫理がない点でアメリカ自由主義の欠陥も感じるのです。

何もかも政府に頼ろうとする気持ちは政府のウエイトを高め、官僚の支配を強めるので私もティーパーティーに同感するところもあるのですが、現在のアメリカ経済の不調の中、「夢よもう一度」と好き勝手に振る舞う新自由主義経済体制の復活をティーパーティーや共和党が願っているのなら、金融資本主義が崩壊し、その欠陥がもたらした現在の苦難のなかで、新しい資本主義への脱皮を模索している世界の人々を裏切る動きとして見逃すわけには行かないと思います。社会主義的な政策の中で努力しなくても政府に保護されるありようは人々のあいだに怠惰な気風を生み、努力しないようにしてしまう例は歴史の中でも見られますから、必ずしも社会主義的風潮を支持しないのですが、自由主義の名の下に自分本位に好きなことをしたいままにする風潮も復活させてはならないと思います。アメリカの今後は広く今後の世界の動きとも関連しますから注目されます。

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