いま考えていること 429(2012年2月)
――これから――

先日の京都市長選挙では原子力発電の廃止をスローガンとする候補者もいました。私も昨年の震災で原発の事故がなければ今日こんなに多くの人が苦痛を強いられることもなかったという意味で基本的に原発には反対です。しかし今後のエネルギー需給を考えますと、一概に原発反対とも言っておれない気がします。日本では今原子力発電は極めて不人気になっていますが、1年前のあの地震は不幸にも想定を超えた大地震であったと言わざるを得ません。無制限の安全を説き続けて強行してきた政府と電力会社の不適切な姿勢はどのような批判をも避けられませんが、だれがあのような大地震があの時点で襲うと想定できたでしょうか。まことに不幸な出来事でした。

今後のエネルギーを考えると、ウランにも埋蔵量の限度があり、分裂に伴って生産されるプルトニウムも無限に生産されるのではありませんから、これからの人類は深刻なエネルギー問題に直面せねばなりません。ですから再生可能エネルギーの生産に力を入れなければなりません。ただおそらく今後も需要が伸び続けるこの社会を維持し、存続させていくのに必要なだけのエネルギーを作ることは果たして可能でしょうか。私の生きてきたこの80年ほどの世界は、豊かに生活するために便利な機器が作られ、確かに生活の質の向上が見られました。しかしその背景に莫大なエネルギーの消費を伴っていたことから目をそらすべきではありません。ましてこれからの日本では高齢少子現象はますます進行しますから、とても現役世代の人たちが高齢者の生活を支えていくことは不可能でしょう。高齢者・現役世代とも頭を切り替えて、つつましやかな生活を前提とする考えにならないととても日本社会は維持していけないことは目に見えています。

原子力発電は2基以外すべて停止したことが報ぜられた今朝でしたが、再稼働を目指して原子炉の耐用年数を40年から50年に延長しました。この10年の延長も厳密な検証を持つものではなく政治の虚言にすぎません。万一40年以上にわたって運転した原子炉に不測の事態が起これば予想を超えた大惨事が襲わないとも限りません。しかし、現在、世界の趨勢としては原発への依存をむしろ高めていく方向にあるように見受けられます。今後、寿命の尽きた原子炉の構築部材の処理についてはおそらく放射能の処理が解決を迫られる大問題と思われます。現状原子力発電の強化に目を奪われて廃炉時に大問題になる放射能処理が等閑に付されています。

結論としては、まず自然条件に左右されがちな再生可能エネルギーだけで必要なエネルギー需要をどこまでまかなえるか、真剣な検討が必要です。そこからおそらく当面原子力発電の再登場を必要とするだろうと考えると、人類の未来のために、政治から離れて想定される諸問題の検討を全世界で進めることは必要だと思われます。原子力発電に伴ういろいろの問題の検討と合わせて、より安全な方式による新しい原子力発電の探求も必要でしょう。いずれにせよエネルギーの総需要を抑制して我々の生活を根本的に見直すことがカギになるのではないでしょうか?

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いま考えていること  430(2012年02月)
――これでよいのか――

既成政党の政策の貧困から、大阪の橋下知事の人気が上昇しています。橋下さんの手法には独裁者的なものを感じさせ、組合に対しても政治活動についてアンケートの回答を迫っていますが、戦前を思い起こさせるような内容で、とても橋下さんが本来人権を守る立場であるべき弁護士とは思えません。ほかにも国会討論会を聞いているとたとえば日銀に対する政府の関与を強化せよというような主張がなされており、私のような昭和の政治を経験してきた人間から見ると、かっての日本の歩んだ誤った政治の道を二度と歩ませないようにとの反省から、戦後築かれてきた転落への防護壁が次々に崩壊の危機に追い込まれているような気がします。戦前、国債を政府の圧力で買わせ軍費をまかなっていた危険への防壁が、政府からの日銀の独立ではなかったのでしょうか。就業時間内の政治活動など戦後の労働組合の権利の拡張に便乗した組合の横暴な活動など是認する気持ちはありませんが、戦前見られた人間としての権利・尊厳の無視を再び許してしまういろいろな動きには賛成できません。世の中がじわじわと変えられていくと、気が付けばだんだんものが言えなくなって、非常に大切なものまで奪われていて取り返しができない事態に陥ってしまっていたということにならないように、日々警戒せねばならないのではないでしょうか。

最近の閉塞状態の背後には、経済の閉塞があります。デフレからの脱却もこの経済的閉塞から何とか脱却したという人間の欲求があります。大阪での橋下改革の動きを支えるのも基本的には経済不振からの経費節減の動きが背後にあります。今後の日本の人口構成を見ても今のままでは行き詰まりから逃れることができないのは目に見えています。国会を中心とした政治の世界でももう少し日本の今後の経済をアジア諸国の発展とどう歩調をあわせて発展していくかなど、未来を志向した建設的な議論を聞きたいものです。年金の将来など、現状では討論を聞けば聞くほど、暗い気持ちになっていきます。

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いま考えていること 431(2012年07月)
――久しぶりに――

体の不調が原因でしばらくご無沙汰していましたが、近頃の日本の動きを見ていると少し書きたくなりました。

心臓にスタントを入れてもらって一命はとりとめているのですが、相変わらず体がだるく、その上排尿には自己導尿しているので夜に熟睡できず、昼間も元気が出ないのです。確かに昨年一番悪かった時に比べますとよくなってはいるのですが、未だにすっきりとしないのです。若いときには毎朝訪れてきたすがすがしい新鮮な気分もこの年になると味わえなくなりました。生まれてから二十五、六才までは体も上り坂で、未来への夢を膨らませることもできるのですが、それからはもう体は下り坂に陥っているのです。子供のガンも大きい問題になっていますが、かわいそうなことです。健康な人でも中年期からはガンがふつうに見られるようになり、現在では日本人の二人に一人がガンになるといわれています。生を得たものとしての宿命で、生を脅かすものと向かい合わなければならないのです。私のように高齢になると、もう体の不調が当たり前になって来るのです。人間も生物ですからそういう宿命を持っていることを誰しも念頭に置いておかなくてはなりません。敢えて言えば.25才を過ぎればアンチエージングを念頭に置かなくてはなりません。たとえば歯のケアとか目のケアが手始めになるのでしょう。若くて元気だからと言って欲望に甘えて飲み食いするとそれは下り坂にさしかかった体にはやはり無理を根底に引き起こしているのです。

初めに書きたいのは、我々は感情を持っているのですから、それを無視することはできませんが、現在の日本を見ていると感情に左右されすぎているように思います。昨年の東北の災害で起こった原子力発電所の壊滅とそこに発生した放射能被害を見ると感情的にはとても原子力発電の再開は認められるものではありませんが、我々がエネルギー消費を縮小する強い合意と実行をしない以上、おそらくこれまでと同様エネルギー消費は日本だけでなく人類全体にとっても宿命ともいえるほど今後も増大を続けていくことでしょう。エネルギー源は無限ではなく再生可能エネルギーと言われる太陽光でも地球にいて利用できる量は有限であり、限りがあるのです。ドイツで脱原発が実現したから、日本でも脱原発は可能だという意見もありますが、ドイツはフランスから原発で発電した電力を輸入しているのですから、日本とは条件が異なっています。条件が異なる状態にあるものを簡単に比較はできません。再生可能エネルギーも全人類の欲望に応えるだけの十分さはありません。原子力に代わって当面、非在来型天然ガスに依存した火力発電がますます導入されると思いますが、燃料を輸入に頼る我が国では電気料金は高くなることは避けられず、私たちも脱原発とともにその覚悟を持たなければならないでしょう。原子力には懸案が多くありますが、近い将来を見れば感情を離れて、理性的には原子力の利用を避けて通れない時代が必ず来るでしょう。それまでに原子力の持つ問題点を少しでも解決しておく必要があります。脱原発の運動だけでなく原発に代わるエネルギーの供給対策を具体的に示してもらわないと脱原発スローガンにも簡単に賛同するわけにはいかないのです。

感情的には消費税を初め税金が高くなることは反対ですが、現在の日本の財政状況を見ると、成熟した日本で、経済発展で日本社会の経費をカバーすることは考えられません。少子高齢化社会を迎えて生産人口は減少し、介護を必要とする高齢者が増えていく時代を迎え、やはり国際的にもまだ低い消費税の税率を高くすることも避けられないと思います。小沢さんは国民に消費税は上げないと約束したのだからそれを破る民主党にはおれない、国民の正否の審判では小沢に賛成するひとが多いと言って民主党を出て行ってしまいました。感情的には小沢氏の言うことも一理があると私も認めますが、理性的には小沢氏の言うようなバラ色の政策運営はお金の裏付けがなければ無理だと思います。我々にとって苦しくてもまた仮に社会保障・民生にすべて使われることがなくても、やはりこの際消費税のアップはしておかなくてはならない道でしょう。このままでは日本の借金は救いがたいレベルにまで膨張してしまい、現在の年金制度ですら破滅してしまいます。政治家は勝手なときには「国民のため」というのですが、冷静に見つめると必ずしも「国民のため」にはなっていないのです。

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