日本医師会の見解を読んでみますとその論点は現在の保険診療は現物給付で「保険者(私注:保険組合)が被保険者に「療養」を現物で給付し、その費用が保険者(私注:保険組合)と、当該医療を提供した保険医療機関との間で、公定価格に基づいて清算されるシステムである。すなわち、保険者(私注:保険組合)が当該治療に要する「医療サービス」を保険医療機関から買い上げ、被保険者に給付する方式と定義できる。」ところが、現行の特定療養費制度を拡大または再編して混合診療を含めても現金給付になり、被保険者と医療機関との間で費用の全額が精算され、保険者は被保険者にその一部を現金で償還するシステムであるので「[混合診療]の導入は現物給付制度の否定に他ならない。そして、現物給付の否定は、公的医療保険給付の縮小をもたらし、必ずや患者負担の増大につながる。」「患者負担の増大は、受診者の経済力格差による医療の差別化を派生させる。わが国が国民皆保険体制という優れたシステムの中で守り続けてきた公平性、平等性は、現物給付制度の崩壊とともに終焉を告げることになる。」 ということのようです。一読もっともな主旨のようではありますが、私は悪しき平等は進歩を阻害すると思い、戦前の国家社会主義の名残だと思っていますから、公平性・平等性と言う言葉に必ずしも与しません。一番の問題は今のままだと保険が利かない新薬や治療を併用すると、保険適用可能の部分まで含めて一連の診療費用が全額負担になるという最大の問題をそのまま温存させてしまうことです。患者の立場では保険の利かない部分だけは自己負担しなければならない混合診療であれば、いったん医療費全額を支払っても後で保険適用分が現金で戻ってくるのなら、無理をしてでもその先端医療を受けたいという人はおそらく多いことだと思います。
おそらくこれからは日本医療機能評価機構による評価システムがより機能し、医療機関の格付けが進むでしょう。混合診療認定医療機関を指定して、一般開業医や診療所は「身近な掛かり付け医」として従来通りの保険診療を行いつつ、予診機能も果たして、患者の病状が新しい「混合診療」制度による保険外診療を受ける方がよいと判断したときには適切な機関へ橋渡しする役割を果たすことになることを期待します。
(2004年12月16日追記)“村上誠一郎規制改革担当相と尾辻秀久厚生労働相は15日、保険外診療と保険診療を併用する混合診療の解禁をめぐり、一部診療に限り「例外」として併用を認める現行制度を来年夏までに拡充することで合意した。国内未承認薬の治験を迅速にして、実質的な混合診療を認めたり、必ずしも高度でない技術を百種ほど対象に追加。具体的には乳房の再建手術や胃かいようの原因とみられるピロリ菌除去の回数制限撤廃などを認める。”“政府の規制改革・民間開放推進会議(議長・宮内義彦オリックス会長)が主張していた「一定水準以上の医療機関での原則解禁」は見送られた。ほぼ厚労省の主張に沿い、対象となる医療技術を「例外」として個別に混合診療を認める現行の仕組みは残し、その延長で決着した。”“規制改革会議の宮内議長は「当面の措置としては評価できるが、我々が主張する混合診療ではない」と不満をあらわにした。”と報じられましたが、宮内さんの言葉も民間の医療保険のウェイトを増やそうという意図もないとはいえませんから額面通りには受け取れず、先ず妥当な線だと思っています。2006年の健康保険法改正案に法的には変革を持ち越したのですが、さしあたって混合診療へ向かって一歩前進したと私は思っています。
(2004年12月24日追記)全国保険医団体連合会副会長住江憲勇氏の談話が本日の『しんぶん赤旗』に載っていたのですが、その中の具体的な部分で疑問を持ちました。そこで『疑問点』と題する次のメールを送っておきました。皆さんはどう思われますか?
住江憲勇 副会長様
本日のしんぶん赤旗4頁に「混合診療基本合意どうみる」との貴
下のご意見がでており読ませて頂きました。疑問点は“例えばAさ
んがガンになり、延命効果はあるがまだ保険適用未承認の薬を医師
の勧めで使い始めます。医師はいいます。
「この薬は保険が利かないので、月百万円かかります。その他の医
療費は保険です」
しかし百万円のお金が払えなくなれば、医師は「もうこの薬は使
い続けられません」という。混合診療で、最新の治療や投薬を受け
られるのは、自費診療のお金を払える人だけになってしまいます。
”と住江先生は仰っておられるのですが、現在は「もうこの薬は使
い続けられません」という段階に行く前に「この薬は保険が利かな
いので、月百万円かかります。その他の医療費にも保険は利きませ
んので月200万円は用意して頂かなくてはなりません」というの
ではないでしょうか。混合診療になって100万円で多少とも払え
る間だけでも延命効果のある薬を使える方がまだ良いとわたしは思
います。保険には現在かなりの薬が使えるようになっているでしょ
うから、究極的には治療を期待できない単なる延命効果が期待でき
る薬を使うのは悪くいえば使う人の贅沢な欲望でその分くらい自費
になるのは当然だと思います。このような薬まで保険に入れればす
べての患者が使うようになり保険料を負担する一般被保険者は負担
が増す一方でしょう。やはりあるレベル以上の医療はそれを選択す
る人が自己負担するべきでしょう。わたしも75歳ですが、延命効
果だけの免疫療法とか、高価な癌の薬は本当に治るのならともかく、
使いたくありません。保険の利くペインクリニックだけで十分です。
返事頂くことを期待します。早々
(2005年2月21日追記)今日追記したいのは上の質問に対する回答をたびたび要請しましたが、今日に至る迄住江憲勇 副会長からは返事をいただけなかったことと共同通信の記事によると、厚生労働省が次のような新しい動きを見せていることです。
未承認薬を一刻も早く、少ない経済的負担で、安全に使いたい―。こうした患者の要望に応えるため、厚生労働省は治験(臨床試験)の枠組みを利用し、新たな仕組みを作った。保険診療と自己負担の自由診療が併用できる「混合診療」の対象を拡大したり、混合診療が適用される治験の実施を促したりして、患者の負担を軽減。同時に治験の実施基準で安全性の確保につなげる。
▽重い自己負担
薬は通常/(1)/製薬企業などが患者に投与し有効性や安全性を調べる治験を実施/(2)/治験データに基づき国が製造や輸入承認を審査/(3)/承認後に保険を適用―の三段階を経る。
治験中は特定療養費制度が適用され、未承認薬の使用(自由診療)と保険診療が併用できる。通常は、一部でも自由診療にすると、本来は保険が適用される診察料や入院料も自己負担となるので、その点で治験は特別扱いといえる。
ところが、治験が終わり承認審査に入ると、併用は認められなくなる。
併用できないと、どのくらいの負担増になるのか。患者、家族でつくる「共に生きる会」によると、保険適用の三割負担で月約二十万円の治療費を払っていたある大腸がん患者は、同三十万円の未承認抗がん剤を使ったことで、出費が同百万円に達した。抗がん剤の使用で治療費全額(同七十万円)が自己負担になったためだ。
▽穴なくす
「欧米で承認されている薬が国内で承認されるまでに時間がかかる」「日単位でがんと闘っているのに、非常に高額で使えないのは耐え難い」―。患者からは、さまざまな不満や改善を求める声が出ていた。
このため、厚生労働相と規制改革担当相が昨年末、欧米で承認され国内では未承認の薬を確実に治験につなげ、一貫して混合診療が可能な治験体制をつくることで合意した。
混合診療の穴≠ニなっていた承認審査段階で、製薬企業などが安全性確認のための治験を行う制度を創設し、継続的な混合診療を可能にした。また、企業に治験を早く始めるよう求めたり、治験への参加希望者を追加して受け入れたりする仕組みができることになった。
▽抗がん剤3種
どの未承認薬を対象にするかは、未承認薬使用問題検討会議(座長・黒川清(くろかわ・きよし)日本学術会議会長)を新設し、学会や患者の要望状況、安全性、有効性を踏まえ評価。一月下旬の初会合で、三種の抗がん剤を検討し、早期治験の開始対象として胸膜のがんのペメトレクスド、血液のがんのサリドマイド、そして安全性確認のための治験に大腸がんのオキサリプラチンを選んだ。
今後、小児科領域の未承認薬や、米英、ドイツ、フランスで新たに承認された薬を対象に検証を進める計画で、結論は三カ月以内に出す。
二〇〇三年七月施行の改正薬事法で始まった医師が主体で実施できる治験も促進するため、医師の負担軽減など支援体制の整備も進められる。
(2005年3月14日)住江さんから送られてきた“混合診療で「医療詐欺社会」となるか“福島雅典先生(京大医学部付属病院教授)の解説(月刊現代所載)を読んで教えられたのは政府が医療費削減のためにこれまで保険診療として承認されたもの以外これから明らかになる新しい医療をすべて混合診療の変形である「特定療養費制度」に入れたり、今後「混合診療」の範囲に入れようとしているのであれば、それはおかしいと思います。あたらしい医療もそれが確実に効果のあるものであると分かれば保険対象の「標準治療」に速やかに入れるべきですし、「特定機能病院」で行われる「実験治療」は保険医療からはみ出した分は開発費として国が負担するべきだといわれるのは正論だと思います。
(2005年3月03日追記)昨日前記の住江全国保険医団体連合会副会長からのご返事がファックスで送られてきました。全文紹介します。
ご返事が大変遅れ、失礼致しました。
昨年12月24日付の「しんぶん赤旗」に掲載されました私のインタビューに対して、ご意見をお寄せいただき感謝致します。
ご指摘の点について、私の考えを述べさせて頂きます。
先ず、単なる延命治療に関しては、それを選択するかどうかに患者さんや御家族の判断が尊重されるべきだと思います。同時に、その際も経済力によって、選択の幅が左右されることのない方向を目指すのが、国民皆保険制度の理念だと考えます。高度先進医療が保険診療に導入されると保険財政がパンクするように宣伝されていますが、高度先進医療を毎年の総医療費で見てみますとわずか0.007%程度です。
混合診療の解禁を要求している財界や財務省のねらいは、公的医療費の抑制と民間保険の市場拡大です。規制改革・民間開放推進会議の宮内義彦議長は、「『混合診療』は国民がもっとさまざまな医療を受けたければ、『健康保険はここまでですよ』、後は『自分でお支払い下さい』という形です。金持ち優遇だと批判されますが、金持ちでなくとも、高度医療を受けたければ、家を売ってでも受けるという選択をする人もいるでしょう」とまで同会議の席上で公言しています。
未承認の抗ガン剤の問題が、混合診療の議論の中で取り上げられましたが、彼らの本当のねらいは、有効で安全な治療法や薬が新たに開発されても、保険導入せずに患者さんからの保険外負担でまかなうことです。
「サンデー毎日」は昨年12月に「『混合診療』にだまされるな」という記事を掲載、ガン患者団体の声を以下のように紹介しています。
『(患者団体「癌と共に生きる会」)事務局長の加藤久美子さんは、患者の主張の一部が都合よくひろわれ、推進会議とメディアに利用されていると残念そうに話す。『完全解禁は望みません。医療に貧富の差がついたり、安全でない薬が使われるのは違うと思うからです。国民皆保険というすばらしい制度で、世界標準のがん治療を受けることが私たちの最終目的なんです』」
かっての「制限診療」の時代には、保険で出来ない治療がたくさんありました。医療担当者と国民の運動によって、1961年に「制限診療」は撤廃され、今日のようにほとんどの治療が保険で可能になりました。保険担当者としては、過去に逆戻りするようなことを許すわけにはいきません。
医学・医術の進歩は日進月歩です。抗ガン剤も単なる延命効果だけでなく、手術後の再発防止やガンそのものを治す薬が開発されています。保険給付の範囲は、そうした医学の進歩に対応して広げられていくべきだと言うのが、私たちの考えです。
保険医療費については、当然いくら伸びてもかまわないという態度ではありません。しかし、今の日本の保険医療費は少な過ぎるのです。即ち、このことは、国民の命、健康への国の軽視策(自立、自助、自己責任)の何ものでもありません。
諸外国に比べても高すぎる薬や医療機器の値段を是正したり、成人病をはじめ予防事業の拡充を推進すべきです。同時に、先進諸国の中ではGDP比で最低水準にあることや社会保障費に対する公的負担の割合が少ないのも事実で、この点についてはヨーロッパ並みに引き上げる必要があると考えています。
いただいたご意見は、当会の中でも参考にさせて頂きます。今後とも、国民医療の向上のために、ご理解、ご協力をよろしくお願いいたします。
なお、未承認の抗ガン剤の問題について、京都大学附属病院の福島雅典教授が「月刊現代」で解説をされていますので、コピーを添付いたします。
2005年3月2日
全国保険医団体連合会
副会長 住江 憲勇
いま考えていること 197(2005年01月)
――今年をどう見るか――
靖国問題を始め小泉さんの姿勢には賛成できないことが多々ありますが、竹中さん主導の不良債権問題を始めバブル期の遺産の整理には見るべきモノがあると思っています。私の見解では戦争中の国家社会主義の残渣がかなり整理でき、本当の戦後を迎える準備が進んだと思っています。北方四島などまだ戦後処理は未完成ですが、靖国問題も戦争の処理という面で、中国に絶対に小泉さんの態度を受け入れるはずがなく、この意味では戦後処理の未解決の問題の一つとして残ります。郵政民営化については他に為すべきことがいくらでもあるではないかという批判もありますが、 この戦時国家社会主義体制幕引きプロセスの象徴的なものとして意味深いと思います。産業界では会計処理の改訂も追い風となって、会計面での改善も進み、産業の基礎体力はかなり良くなり、一部の会社では世界の中で例を見ない技術的にユニークな生産品をベースに力強い歩みを期待できるように思います。国民の消費余力は見られませんが、生活を脅かされて困っていく国民への温かい施策こそが国家にとって必要で、間違っても軍事強化、アメリカへの協力強化の方向に動いて欲しくありません。憲法改正の動きと共に自民党の抱える戦前的な本質が首をもたげて来ていますが、警戒しなければなりません。
昨日のNHKの放送内容に対する安部、中川両氏の介入は自民党の持つ戦前と同様な体質を露呈した意味で無視するわけにはいきません。安部氏は報道ステーションでそういう事実はないと否定していますが、NHK幹部と口裏合わせをして事実を隠蔽している気配があります。予算のことを述べにいったNHKが何故番組のことを自分から安部氏に語ったのかどうも腑に落ちません。毎日新聞社説でも「そもそも事前に、しかも密室で番組内容を政治家に『ご説明』すること自体が報道機関として異常」と書かれていますが、私もそう思います。この点に関するasahi.comの報道の方が真実を語っている気がします。
高齢者の減税廃止、配偶者特別控除・定率減税の廃止、消費税増税の動きと生活の苦しくなる兆候が明らかになってきましたが、これらの措置も含め、むしろ常態に復帰するための措置がとれる段階に来れたと捉えるべきではないでしょうか。どう考えても国家予算の40%が国債の利息と償還・再発行に使われるというのは異常です。国に大きな借金があるのもこれまでの自民党政治がもたらした悪政のつけではありますが、現状、国民はそれを他人事の様に見過ごして済ませるわけにはいかないでしょう。アメリカの人たちの中には自分達の税金がイラク戦争を頂点とするブッシュ政治に使われるのは納得できないと、カナダに移住する人も出始めていますが、私たちも日本国籍を離脱するのならともかく、このままこの国の国民であろうとすると、国家経営再建の影響を避けるわけにはいきません。憲法上国家に課せられた福祉責任から国民の生活を充実する予算を組めといってもその財源が国債で、財政赤字を益々増やすものではそうも行かないでしょう。最終的にはそのつけを国民は払わなくてはならないからです。
焦ることは止めたいのですが、産業界の復活の動きを傷つけることなく、これまでの改革に依拠して徐々に、着実に、財政の健全化に乗り出すときに来ているのが今年ではないでしょうか。消費税の引き上げはともかく、その他の項目はこれまでの不況特別措置の廃止といっても良いのではないでしょうか。
京都議定書への参加を拒否しているアメリカで、カリフォルニアを年初見舞った大きな水害は今年のアメリカの前途を預言するものとなりました。昨年のアメリカ大統領選で明らかになったように、約半数のアメリカ国民の持つ保守的な、独りよがりの態度に、決定的な反省を促す年となるでしょう。双子の赤字はいうに及ばずイラク情勢も益々アメリカにとって面白くない状況に突入していくものと思います。米国べったりの我が国にとっても面白くない情勢が出てくるでしょう。スマトラ沖の津波に対する巨額の資金援助は注目されるところですが、欧米各国のレベルを一けたも上回る援助や自衛隊の海外デモンストレーションには政治的意図が感じられ、日本財政の現状から見て分を超えたものと思います。少子化対策や貧しい人びと、中越の人びとへの援助も十分でない現状から見ると度が過ぎます。自衛隊のイラク派遣以来、政府のいう「人道的」の定義に、同調できない不純さを感じるので、政府の行動に素直について行けなくなっているのです。
いま考えていること 198(2005年01月)
――世事雑感――
昨日の国会で小泉首相は答弁中、国民は先ず「自助」の精神を持つこと、災害のように自立では処理できないときは国民相互の「共助」、それでもできないときは「公助」何よりも大切なのは「自立」の精神と話されたが、わたしもそう思います。戦時中の国家社会主義の思想が、国民から自立・自由の精神を奪い、戦後はことに国家の援助の側面がクローズアップされて国民の自立的な努力の芽を摘んでしまうような結果になっていることは国の補助金行政のもたらした弊害となり、族議員の跋扈を許す結果となりました。人間であろうとすれば、まず自分で足元を固め、他人や国を始め公権力に安易に頼らないことが、自分が自由であるためにも不可欠だと思います。
昨日は「桶川事件」の判決もありました。この事件は、埼玉県上尾市の大学生猪野詩織さんが99年10月26日、同県桶川市のJR桶川駅前で刺殺された事件で、交際を断られた小松和人容疑者(事件後に死亡)の兄・武史被告ら計4人が中傷ビラを多数まき、殺したとして殺人などの罪に問われ、一審で無期懲役〜懲役15年の判決を受けています。猪野さんはビラについて上尾署に告訴しましたが、署員が書類を改ざんしたことなどが発覚。署員3人が懲戒免職となり、虚偽有印公文書作成罪などで有罪判決が確定しています。警察側で「告訴」という文字を改ざんしたというのは言語道断ですが、すべて警察に頼ろうという姿勢は良くないと思うのです。警察国家であった過去戦時中の状態を振り返ると、警察が庶民の生活に簡単に介入してくるようなことは絶対に避けたいことです。そういう意味では「頼りない警察」の方がまだしも好ましいのです。「桶川事件」の猪野さんが小松と親しくなられたのも自分の判断でしょうし、小松との交際の断絶も自分の意志であったと思うのです。基本的には警察の関与する性質のものではなく、自分で始末するべき性質のものです。
今朝の新聞で取り上げられている問題に「外国籍職員訴訟、昇任試験拒否は合憲 都側が逆転勝訴」があります。原告は、都の保健師で在日韓国人2世の女性、鄭香均(チョン・ヒャンギュン)さん(54)。都に対して、慰謝料の支払いなどを求めていました。13人の裁判官による多数意見はまず、「職員として採用した外国人を国籍を理由として勤務条件で差別をしてはならないが、合理的な理由があれば日本人と異なる扱いをしても憲法には違反しない」と述べました。これに対し、2人の裁判官がそれぞれ、「外国籍の職員から管理職への受験機会を一律に奪うのは違憲だ」と反対意見を表明しています。憲法の保障した法の下の平等に違反するかどうかが争われた裁判。
イギリス国王ジョン王がフランスとの戦いに敗れ、臣民の信頼を失った王は自ら退位するか処刑されるしかなくなりました。事態打開の方策として、マグナカルタ'(大憲章)が作られ、王がその権限を制限されることがあることが文書で確認されました。これが世界における憲法の初めだということは広く知られています。イギリスではいまなおマグナカルタの文章の一部は効力を持つということです。憲法は本来一国の国民と国家(為政者)との間での契約の性格を持ちますから、日本国憲法は日本国民と日本政府との間での契約です。憲法の保障した法の下の平等は日本国民に適用されているので、外国人に及ぶものではありません。
こうは言っても、東京都が公権力と直接関係の少ないサービス業の色彩の濃い保健師の仕事で採用した在日韓国人に昇任試験受験の機会を与えなかったのは憲法云々ではなく納得のできない措置です。
いま考えていること 199(2005年01月)
――小学校の教育――
国際的学力評価で日本の子供達の学力低下が明らかになり、このところ「総合学習」をめぐる論議が見られます。わたしが思うのに国際的に学力の順位がどのレベルにあるかこれを向上させるにはどうするかに論議の焦点が向けられてはならないということです。
小学校での学習の意味をこの際もう一度しっかり見つめたいのです。学力というのは
算数・国語の能力だけではありません。現象をしっかり自分の目で見つめる、考察する能力も大事ですし、音楽・美術で美しいものを楽しむ能力を養うことも長い人生を歩むためには必要です。小学校では音楽美術は理想的には評価対象としないことが望まれます。楽しむ対象でよいのです。しかしすべての人の寿命が延び、人生を十分味わうためには常に出てくる新しい問題に対応できる能力が終生不可欠です。学校で教えてもらった最新の知識も卒業した翌日からは最早、古い知識となる運命を持っています。
小学校で身につけたいのは、変化に生涯順応していける学力です。知恵は学校や塾で教えられるものではなく、もともと自分で学習して獲得していくものです。ですから生涯自分ひとりで学習できるような基礎的なこと・技術を教えることに小学校の教育の主眼があります。先生を通じて人柄の魅力を感じたこともあります。その意味では先生というのは今でも聖職です。わたしの小学生時代には「綴方教室」が盛んでしたた。自分の考えを表現するための訓練として作文は大変有効だと思います。たまたま
この「綴方教室」教育の時代が言論抑圧の戦争中だったために、文部当局の忌避に会い、この方面で活躍されていた先生たちまで白い目で見られるに至るということもあったようです。読書能力も重要です。自分で知識を得ようとすると読書力が必要ですし、テレビを漫然と見るのと違って読書は頭脳の回転を必要とし、その間理解のために頭を使い、考察するねばりと能力を自然に身につけさせます。読書という行為に抵抗を感じないこと自体が大切なのです。また、我々の日常生活にも論理的かつ正確な数字の処理は欠かせません。算数はこの意味で重要です。いわゆる知識としてどうしても獲得しておかなくてはならないのはこの二教科でしょう。国民の基礎知識として民主主義や選挙制度を教える「社会」などは中学校で教えれば良く、小学校では社会生活で必要な常識やマナーで良いのではないでしょうか。知識獲得の土台としての算数・国語とは位置が異なります。これらの能力の高い子供は「社会」で取り上げる問題に興味を持ったとき、自力で必要な知識は読むことを通じて獲得できるのです。理科についても、もしグループで実験をし,積極的なリーダー的子供以外はただ見ているだけという理科であるなら無意味で、それよりも校庭の木々やお花の変化を一人一人の子供にじっくり観察記録させ「ものを見る能力」を付けさせる方がどれだけ大切かわかりません。この観察能力こそあらゆる新しいものを見いだす基礎であり、理科は本に書いてない新しい智を獲得する学問だからです。四季の移り変わりの原因や地動説など理科知識は算数・国語の基礎能力習得後の高学年以降で十分だと思います。
ここでどうしても書いておきたかったのは、幼・少年期の教育というのは、その人がその人生で自力で何かを獲得していく時に土台として絶対に必要なものは何かをよく考えて与えて行くことだと言うことです。与える人−親や先生−の「ものの考え方」、与え方が決定的に重要だと思います。
いま考えていること 200(2005年02月)
――映画「折り梅」を見て――
アルツハイマー病の様態もさまざまで、この映画の主人公の挙動とわたしの家内のそれは全くといってもよいほど違っています。ですから具体的な行動面で参考になることはほとんどありませんでした。しかしこの映画はアルツハイマー患者との接し方という面で共感することも多く、すべてのこの患者の介護者に大事なことを改めて教えてくれるものでした。
この映画の主人公は和歌山県南部の出身ということになっており、南部は梅林で有名なところです。その梅林の老梅の幹は枯れたようになってもなお美しい花を付けるのに映画の題名はちなんで付けられています。吉行和子演じる主人公の老人政子はアルツハイマーで息子や娘からもいとわれ、その中で初めは好意から同居してくれた三男の家族からも病状が進むに連れていとわれていくのですが、デイケアで描き始めた絵の才能が見いだされ、ついには一般の人の絵画展にも入賞するに至って、政子も自信を回復し、息子一家も尊敬の念で接するようになり、病気の進行も治まるのです。
すべてのアルツハイマー病患者にこのような隠れた才能があるわけではありませんから、このケースは極めて希だと思います。そういう意味で直接具体的に参考にならないのですが、すべての人に最期まで人間としてのプライドは残っており、それを周囲の人が認めて介護することが本人の孤独感をなくし、介護する人とされる人の間に心の流れが回復し、一言でいえば「愛」が復活して関係がスムースに行くのだという貴重な教訓が感じられます。わたしの介護経験からもこれは正しい見方だと思うのです。