いま考えていること 213(2005年07月)
――人生の未知の部分――

最近は梅雨のせいでもあるのでしょうが、朝夕の散歩にもいままでになく途中で疲れを感じます。76才ですから当然のことなのかも知れませんが、以前に知人から「80才になって、それまでは感じなかったことを感じる」という言葉を聞いたことがありますが、その時はそれほど深刻に受け取っていませんでした。しかし近頃自分自身でなにかその気持ちが分かるような気分になるのです。一言でいうと衰えを感じるのです。何ということなく一日一日を過ごしていますが、これでよいのだろうかという気持ちでもあります。

少子高齢化の時代を迎えて、老人に支払われている社会保障費が子供達に使われている社会保障費に比べて格段に多いので、老人の分を減らして子供達に回そうという考えからか今年なども老人控除50万がなくなり定率減税も減って所得税が飛躍的に多くなったり、国民健康保険料も私の場合3倍強になったりで、年金の額は額面上変わりが無いのに課税標準額だけが高くなって大変です。これはわたし個人のことではなくて多くの老齢者が同様に経験していることで、これからの人生に暗雲をもたらし、健康上での力の衰えと並行して、これからの人生未知部分を脅かします。家内の看護もこれまでそんなに苦痛に感じませんでしたが、次第に自分自身の体力の衰えが負担感を持ち込むでしょう。

老年になってからの問題など若い内は考えるといっても真実味がありませんが、実際自分が老年になると、なかなか大変だなあと思っています。それでも父はわたしの年ではもう寝たきりになっていましたし、当時別段父が何を考えているのか関心もありませんでしたし、何を考えていたのか最早知る由もありませんが、わたしが毎日まだ散歩できるというのはありがたいことなのかも知れません。母の里の方(滋賀県北部)では「並び」という言葉があります。昔は年齢を数え年で話していました。「並び」というのは77、88というように同じ数字が並ぶ年のことをいいます。この並びの年には体調が変わって次の11年に備えるというのです。私も数え年では77。並びの年です。同窓会に来られた恩師も11年ごとに体調の変化があるから気を付けるように話されたのが思い出されます。

  INDEX HOME

いま考えていること  214(2005年08月)
――"人権"−言葉の軽さ――

大阪市では懲戒免職者が増えているので、その防止策に懲戒免職者が出たら、今後はその都度名前を公開すると云うことになったようです。これまでは「人権を守る」ために懲戒免職者の名前は公開しなかったのだそうです。今朝のラジオのニュースでした。最近はプライバシーを守るというので職員名簿の配布も限定されてきていますが、それほどプライバシー、まして、人権というものは重いものだと思うのです。名簿配布の慎重さは単に振り込め詐欺対策ではないと思うのです。大阪の例は人権というものの考え方が恣意的な一片の決定で、役所によっていとも簡単に破られ換えられる程度のものだと云うことを示しています。本人が不祥事をおかしてもその代償に懲戒免職という大きな処分を受けているのだから、その人の社会的存在まで危うくするような、まるでさらし首を思わせる「公表」はしないというのなら分かりますが、自分達の都合で「人権の中味」を左右するというのはいただけません。これまでの非公開は「人権を口実とした身内擁護」だったのでしょうか。「人権」というものは、言葉はそんなに軽いものなのでしょうか。間もなく終戦の日を迎えます。戦前の人権など何の価値も置かれなかった時代を思うと世の中の退行的風潮と考え合わせ、人権、平和など重要な言葉の定義だけは明確にして、その重さをいまのうちにはっきりさせ定着しておきたいものです。平和を創るといって戦争が行われたのですから。

  INDEX HOME

いま考えていること 215(2005年08月)
――郵政法案の否決――

郵政をめぐる改革は、いずれ避けられないし、早いに越したことはないように思います。しかし今回の否決は、当然反対する野党に自民党の一部が堂々と同じ路線を取ったという意味で興味深いものでした。反対は突き詰めれば法案修正の問題ではなくて 小泉さんに対する体質的反対と特定郵便局長を中心とする層と結合した郵政族の法案内容に対する根強い反対論から生まれたものでした。今日考えれば郵政公社がスタートしてからまだ2年しか経っていないのですから、重要な問題をいくつも抱えている現在、すこし性急にすぎたのかも知れません。民主党も郵政労組を代弁するものですからその民営化反対論に容易に賛成できませんし、対象こそ変われ戦中軍事費調達の機能を果たしてきたのと変わらない郵便貯金制度、道路公団始め政府機関にこれまで膨大な投融資を行う原資を調達してきた、郵便制度の本質を棚に上げた、庶民の心情に不便を訴えてばかりという線から一歩も出ない共産党のつっこみ不足にも賛成できないのです。もっとも社民党や共産党は、本来権力を中央に集中して、大きな政府を作る政党ですから民営化反対も当然のことなのでしょう。郵政の態勢は現状のままで良いとはとても思えません。その意味では小泉さんの提案にも賛同したくはなるのです。

小泉さんは靖国問題と同様自分の「我」に固執して、あまりにも郵政問題に首を突っ込み過ぎたようです。大事な年金問題などもあります。こちらも吹っ飛んでいます。この小泉流のやり方に対する反対が今日の参議院の投票結果にも反映されたのでは無いでしょうか。否決された途端喜びの声を上げた議員さんたちも、これからの郵政問題に潜む根本的な問題を遺存したままですから喜んでばかりもおれません。小泉さんは9月の選挙は郵政問題だと思っているかも知れませんが、当分国民の頭から郵政問題はまたかといった受け取られ方をして真剣に取り上げられないでしょう。イラク問題、対アジア問題、靖国問題を思うと今回の事例は小泉さんの失政が引退の時期を一足早く招いてしまったのでは無いでしょうか。次の首相としてどなたがふさわしいのかこの機会に考えたいものです。権力にすり寄って今日まで歩んできたきた公明党の動きも注目されます。次の政権態勢が明らかになるまで不安定な時節が続きます。

(8月11日記)衆議院選を控えて、反対に回った議員を公認しないということですが、これは当然だと思っています。総裁選から今日まで自民党として郵政民営化は最早公約でしたし、これに反対するということは党員である以上おかしなことです。問題があるのなら党内で予め論議を尽くしておくべきでしたし、それが不十分であったとしても「党」というものは対外的には一つの考えでなくてはなりません。それにどうしても賛同できなければ、離党するしかありません。この点に関しては青臭いかも知れませんが、小泉さんの方針は筋が通っていると思います。亀井さんなどの新党結成が腰砕けになったのはいただけません。党人である以上は党内の民主的討議を尽くし採決した上は決定した党の方針に従わなければならないのです。この点では共産党などはっきりしているようです。

INDEX HOME

いま考えていること 216(2005年08月)
――ある機関紙の統計処理への疑問――

2005年8月23日企業の公的負担と経済活力についてのデータも含めて経済産業政策局長の私的勉強会 「経済社会の持続的発展のための企業税制改革に関する研究会「中間論点整理」が公表されました。このデータを用いて某政党機関紙は「日本企業の税・社会保障負担は欧州諸国の5〜8割だ」との見解を発表しました。機関紙を見ていると、私など単純ですから、わが国は法人税を引き上げるべきだという思いに囚われたのです。 しかし 研究会中間報告に目を通すとそこでは別々に示されている法人所得税負担と社会保険料事業主負担が合計され、合算額の名目GDP比がグラフ化されたものがこの機関紙では示され、国際比較して上の結論が導かれていたのです。税と社会保険料事業主負担の性格が同一であれば合算しても良いでしょうが、この両者を性格の異なるものとして(私はそう思うのです)別々にグラフとして示し比較した研究会のデータとでは機関紙データは全く印象も結論も異なってきます。質の異なるものを安易に一括りにはできないと思うのです。研究会の「わが国における税収構造を諸外国と比較すると、法人所得課税の割合が比較的高く、個人所得課税および消費課税の割合が相対的に低い」という文章も法人税を税として独立して考え、社会保障負担金は負担金として独立して取り扱っている研究会データからは納得できるのですが、機関紙のようにデータを処理すると研究会の結論とは反対の結論に至ります。社会保障負担は年金掛け金・医療保険・介護保険は労使折半であり、雇用保険の一部も労使折半であり、雇用保険三事業分・労災保険・児童手当は全額雇用主負担ですから企業の社会保障分担金を増すということは現在のシステムでは労働者の負担も増やせという事になりかねません。事業主負担分だけ増やすと、いまでも問題になっている正規雇用を減らす原因にもなりかねません。このように雇用保険の性格は明らかに税金と異なった性格を持っています。私は諸外国の事業主社会保障負担費がどのようなシステムになっているのか知りませんが、法人税と負担金を同一視して一緒に加えてしまったうえで比較すると、導かれる結論はとんでもないことになると思うのです。いくら選挙前だからといってもこの統計の誤った処理法からの結論は杜撰に過ぎると思います。

同じ基礎データも統計処理を誤ると全く違った結論を示す典型的な例になっています。

  INDEX HOME

いま考えていること 217(2005年06月)
――少子問題――

現在の年金システムを維持するために少子高齢化が障害になることは否定できませんが、視点を変えて、地球上の人口問題を考えると、すでに60億人を越えて見過ごすことのできない問題を提示しています。いずれはエネルギーの上からも食料の上からも、どこかで人口増加に歯止めをかけなくてはならない地球です。人口減少の措置が必要になることと思われます。この視点に立つと日本や韓国で現れてきた人口減少は必ずしも悲観すべきことでは無いと思うのです。中国もいずれは一人っ子政策が少子化を招くでしょう。日本の年金の現在の構造は現役世代に依存しているので人口増加が喫緊の課題になるのですが、遠い未来を考えると、我が国は一歩先んじて、地球の要請に応えた態勢に入ってきたともいえるでしょう。年金改革は人口の増加に依存しない方策を考えなくてはなりません。財政的な検討をしたのではありませんから、大したこともいえないのですが、全国民に平等に基礎年金を与え、それ以上のことは各自および雇用主による積み立てに相応したもので良いと思います。個人事業主は労働者と違って自由度を持っているのですから、自分の責任と能力で積み立てた分に相応にです。基礎年金は消費税も含めて税金から支出するのです。高度の研究投資の見返りに科学による生産面での高度化を実現し、それに伴う法人税の進展も考えなくてはなりません。

  INDEX HOME

いま考えていること 218(2005年09月)
――小泉さんの本当の気持ち――

総選挙の論戦を聴いていると、小泉さんが「郵政こそ改革の本丸」と声を張り上げると、郵政だけの改革がなぜ他の諸問題の改革に通じるのかという反論を誘っています。確かに短絡的に考えれば反論が出るのも当然だと思います。小泉さんも露わに本心を語ることはできないのだと思いますが、小泉さんの本当の気持ちを推し量ると小泉さんのいうことも分からないではありません。

一言でいうとこの郵政問題を踏み絵として戦えば、新党結成の動きでも明らかなように古い体質の層があぶり出されてきて、例えば長年、特定郵便局長の会「大樹」を基盤としてきた郵政族の体質が否定されて、その基盤をくつがえすという形で、自民党の改革がすすみ、古いタイプの自民党議員を排除していけるのです。そういう古いタイプの議員を排して初めて新しい改革路線がすべての局面で進められるというのが本当の気持ちかも知れません。橋本元首相の引退にもこの変革が窺えます。このような考えは私の独りよがりの解釈で、小泉氏に尋ねても、何もそんなことは考えていないよといわれる性格のものかも知れませんが、このように解釈すれば、私には納得のいくものになるのです。今回の選挙の主目的は自民党改革なのかも知れません。

小泉さんの勝利に終われば、社民党の福島さんが頻りにいうように貧富の差がより拡がるよな社会になるでしょうが、すべての人の平等な生活を実現することは不可能であり、またそのことを夢見ることは、個人の努力を抑えてしまって必ずしも社会の活力という面で正しくなく、しかも冨の分配を官僚に委ねる体制では必ず汚職や国民の収奪を伴うことが、崩壊した旧ソ連の実際などからも想像できます。

  INDEX HOME

いま考えていること 219(2005年09月)
――総選挙が終わって――

前項でも記したので書くこともないのですが、予想外に自民党の大勝ということになりましたので、すこし思うこともあります。郵政の民営化問題が長く国会の問題となり、この問題だけで他の問題がデッドロックに乗り上げてしまっていましたから、国民の間にもういい加減結論を出して他の問題に取り組めという気分が土台にあったと思います。この底流の上に小泉さんの作並びに演出の舞台が巧みに展開していき、たとい参議院で否決されても衆議院で覆すだけの自公三分の二の議席をもちえたのだと思います。まずは郵政民営化にとどめを刺し得たことと何よりも綿貫・亀井両氏を始めとする保守政治家に引導を渡し得たことをおめでとうと申したいところです。

しかし国民は今回の選択は小泉さんに大変な権限を与えたことに気づいているでしょうか。改革の名において進めなければならないことは、いずれも国民に痛みを持ち込むものでしょうし、それに耐える覚悟を要求するものでしょう。その最大の問題は国の財政再建問題です。最早借金を増やす方向ではあり得ませんし、これまでの赤字を着実に精算していくのでなければお金の価値を天文学的に落とす恐ろしいインフレ政策を執って借金のウエイトを相殺するしかありません。インフレを避けようとすれば増税を避けるわけにはいかないでしょう。考えれば考えるほど今回の自民党の勝利は手放しで喜んでばかりはおれません。憲法改正の発議権を与えてしまったことにも大変な意味があります。小さい政府というのは最早政府に頼られてもそれだけの力はないから皆さんでよろしくというメッセージでもあります。国民それぞれが自立して処していかなければならない時代になりました。願わくばそれでも軍事費に重点を置かずに弱者に援助の手は忘れないで欲しいのです。勝者と敗者は同じ土俵でなければなりません、しかし体の不自由な人や病人は初めからその土俵に上がれないのです。努力しないからだといって切り捨てるわけにはいかないのです。

  INDEX HOME