いま考えていること 234(2006年06月)
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いま考えていること 235(2006年06月)
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いま考えていること 236(2006年07月)
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いま考えていること 237(2006年07月)
――指導者のあり方――
いま考えていること 238(2006年07月)
――OECD対日経済審査報告書概要を読んで――
これまでの小泉政治の評価と思われるものには負の評価らしきものは見られず、これまでの成果を基礎にさらに基本的にはこれを推し進める路線をたどることを勧めていると思われます。たとえば現在問題となっている銀行の収益性についても、さらに収益性を高めるために、公的金融の縮小を説き、中でも郵政民営化について保険と貯蓄部門の株式の完全市場化を主とする民営化の推進を説くなどです。この報告は今後の日本の政治のあり方にも大きな影響を及ぼすと予想されます。おそらく政治家の発言の中にもきっと反映されてくるでしょうから、自民党総裁選挙を控えて一読をお奨めします。
今朝NHKのビジネス展望は日本総合研究所の寺島実郎さんのお話でした。その中で日本の輸入品の中でブランドものが、工業原材料や食料に次いで額の上で大きいことが話されていました。私のように前の戦争のなかで、その日の一杯50銭の雑炊が当たるかどうかと思いながら長い順番の列に立っていた人間からすると、夢のような話でした。一方で最近の格差社会の話も大きくなってきました。この矛盾には困惑します。
いま考えていること 239(2006年07月)
――小泉政治の最大の問題点――
小泉さんの時代も終わりを迎えようとしています。格差問題・アジア外交などで小泉政治に対して、このところ批判が強まってきています。しかしあのバブル崩壊後の日本の苦境を乗り切るためには小泉・竹中ラインのとった政策は緊急措置としてうなずけないではありません。格差問題を孕みつつも明らかに日本は経済的に大まかにいって復活したのは明かですし、不良債権も減りました。このために日本銀行も緊急的な異常なゼロ金利政策を終えたのでしょう。これからは膨大な赤字を抱えた日本国の経営を立て直すことに力点が置かれ、過酷な負担が我々の上にのしかかってくるでしょうが、これは小泉さんのせいではなくそれまでの歴代自民党政治のもたらした大赤字の「つけ」であり、自民党政治を許してきた国民への「つけ」でもありましょう。
私から見て小泉さんの政治のもっともよくなかったのは、現憲法無視の風潮を醸し出したことです。強い米国依存の強化は我が国の防衛力のアメリカの戦略への組み込みを許し、戦後の平和憲法政策を事実によって壊してしまいました。北朝鮮の挙動もこの風潮を助長するのにフルに利用されました。北朝鮮の問題についてはぜひSAFETY JAPANの連載コラムにある大前研一氏の論考にも眼を通していただきたいと思います。自衛隊のイラク出兵は自衛隊の名を否定して、航空自衛隊の現在なおイラク駐留でもわかるように海外でのアメリカとの行動一体化の中で、武力行使による問題解決への道をならしています。世界の唯一の被爆国はそれらしく世界で独自の提言と行動を取らなければなりません。現在の世間の空気は戦後生まれの世代が中心になってきましたから、60年前の深刻な反省などどこ吹く風、多くの犠牲を味わった結果軍備を放棄してでもユニークな平和国家を創るのだという戦後の新しい崇高な日本の決意を否定してしまったかに見えます。私の別館ホームページで見られるように、原爆の悲惨を唯一体験した幣原元首相の核戦争へのおそれはなくなってはいないのです。今度大規模戦争が起これば原爆の悲惨が現実化することは明らかです。核爆弾こそ使われていませんが、すでに劣化ウラン兵器が現実に使用され多くの放射性被害を及ぼしている現実が生まれています。戦争の危険は小さい内に揉みつぶし、現憲法の大道を全世界の人々がお手本とする流れを創らなければなりません。その日本人がこの大道を自ら否定し戦争に荷担する道へ向き始めているのでは過去の道をふたたび繰り返しかねません。この日本人の考えの変容は小泉さんの責任で、糾弾しなければなりません。
いま考えていること 240(2006年08月)
――格差 について ――
乱暴な話かとは思いますが全般的な賃金の低下傾向は、基本的には日本の賃金レベルと低賃金をベースとして一時拡大された大陸への産業の進出とが絡んでいるように思います。すぐ隣に低賃金の国があって企業の進出も容易になっている現代では、どうしても賃金レベルを日本でだけ高く保つことはできないのではないかと思うのです。技術的にユニークで高水準を保つ企業では、またそれに貢献している人には現在も高い賃金が払われ、生産も日本国内で展開されています。どんな人でもでき、海外で容易に生産できるものはやはり低賃金の海外に、企業は生産拠点を移しています。この結果若い未熟な人たちにはフリーターとかニートと呼ばれる現象が生まれているのではないでしょうか。これは将来を展望するときその人たちにとって大変な問題ではあります。しかし相撲界や吉本の芸人さんたちで一部の人たちの高額な収入を非難する人がいるでしょうか。これらの組織には激烈な格差が存在しているのですが、それが努力することへの励みにもなり、低賃金に甘んじてがんばっておられる若い人がひしめいているのです。現代は自分の道を昔の日本とは違って自由に選ぶことができるすばらしい時代なのです。その代わり自分の希望を満たすためには並大抵の努力では不可能で厳しい道への修業・努力を覚悟し、専念しなければそれは無理です。その過程で襲ってくる格差の問題にも忍ばなければならないでしょう。夢を持って時流に流されることなく、くじけずに自分の道を拓いていきましょう。
私のほぼ80年の人生でも格差はどこでも見られました。戦争中学徒動員でろくすっぽ食べるものもない状態で働かされましたが、工場にあった海軍の監督官たちの宿舎にはいろいろの食べ物があふれていました。理想を持って見ていた社会主義の国にも党員は特権を持って君臨していました。国家社会主義のナチスドイツは言うに及ばず、ロシアの社会主義のもとでも思想の自由はなく、特殊な立場ではありましたが日本の捕虜たちは苦役を強いられました。人類の理想を生かす国ならば想像もできないものでした。格差は現在の日本だけに見られるものではないのです。格差を完全になくすることは現実には出来ないことであり、格差の根絶を政府の施策に頼ることは空想と言うべきでしょう。固定したカースト制のようなものが社会にあってはなりませんが、格差を乗り切る努力が正当に評価され、格差を乗り切ることが可能な社会であればそれでよいのではないでしょうか。ただし、現在の様に高額所得者の累進課税所得税を引き下げたり、なけなしの公共事業を元請けが丸投げして下へ行くほど経費が安くなる事例を見ると、まだまだ特権的に税金にたかって利益を貪る企業があると思われ、それが底辺労働者賃金のカットに通じているのですから許せない在り方です。高額所得者や儲けている企業には課税し、高齢者・病人や身体障害者のように努力がしたくても出来ない人に分配する。それが国のなし得る社会正義というものでしょう。派遣労働も賃金の切り下げを招いています。政治による制限枠の設定を必要とします。当分まだ企業の足腰を強くするために設備投資を増やせるような、また企業の利益を増やせるような施策も必要かもしれませんが、ある水準にまで復活した暁には、法人負担の増額を通じて弱者への分配を考えるべきですし、現在のように企業の負担を軽くするばかりが日本の政治というのでは嫌でも格差は開いていきます。やはりしかるべき負担を企業や高額所得者に担わせる施策がなければなりません。国民にだけしわ寄せするような政治を認めるわけには行きません。