いま考えていること 122(2002年12月)
――年末の思い――

今日も一日黒豆を始めお煮染め作りに忙しくしていました。それでも早今日は12月30日少しは今年を振り返りたくもなります。

まず国際情勢。アメリカのイラク政策はどう考えてもいただけません。ブッシュ大統領はまず目標をフセイン体制打倒に置き、仄聞するところでは世界第二の石油埋蔵量を持つイラクを自分の支配下に置きたいのだと言いますが、もってのほかの暴挙といわなくてはなりますまい。血を流すであろうアメリカの若人の命をどう考えているのでしょう。こういってもわたしは北朝鮮、イラクの専政体制は我慢ならないものだと思っています。国民の意思に沿って自由に政治の頭を取り替えるシステムとしては必ずしも完全ではありませんが、いわゆる民主主義体制を取ります。一人の個人の意志を最高のものと絶対視する体制はどうしても許容する気持ちにはなりません。この点ではブッシュと同様に北朝鮮やイラクは悪の枢軸なのかとも思います。しかし現在のアメリカの己の無誤謬性を信じ、押し付ける姿勢には我慢ならない怒りを感じます。

目を国内に転じますと、著名な政治評論家森田実氏も竹中財政担当相を臨時国会で放逐せよと勇ましく論陣を張っておられましたが、わたしの見るところではこの現状を打破するには竹中路線しかなく、その立場では今年を振り返ればともかく現状打破の糸口はついたと思っているのです。小泉さんについては靖国神社参拝にこだわって大きい方針の誤りを来たし、過日の80人体制の奥田訪中団が中国首脳に体よく面会を断られて帰国せねばならなかったのも、その遠因は小泉首相の靖国問題にあると思っていますから、この重要な時期に悪くすると個人の感情にとらわれて、大変な禍根を将来にわたって残すと思っていますが、しかし道路公団問題・郵政問題・金融問題など小泉政権下で大きく前進したと思っています。たとい失業問題・株価問題など恐ろしい深刻な事態が2003年、現実化しても、今年2002年まず正しい解決の道への第一歩は踏み出したと見ています。銀行の貸しはがし問題が日頃話題になりますが、健全化には避けられないものだと思っています。そんなことをしては沢山の倒産も出てけしからぬ事だというのでしょうが、社会の瑕疵は思い切って手術をしてしまわないと益々病巣は悪化すると思います。わたしの大祖父が直面した大リストラ、武士の廃業とその後の生活は現在のリストラにも比すべき大苦難であったことを思うと、現在の変化がそれほど深刻なものとは思えなくなるのです。

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いま考えていること 123(2003年01月)
――年の始めに――

福神

今年の年賀状に添えたのはこの晴れやかな狂言面“福の神”です。今年がどのような年になるか、変化を楽しんで見つめていきたいと思っています。

とりとめのない事を書きそうなので恐縮ですが、これもお屠蘇気分の為だろうと大目に見てください。相変わらずブッシュ主催の“テロ撲滅キャンペーン”が幅を利かせていますが、わたしは前にも書いたようにテロには必ずその背景に政治問題があると思っていますから、この根本原因を放置して無くすることは出来ないだろうと思っているのです。このわたしの考えの今年の展開も見ていきたい気がします。最大の問題はやはりパレスチナ問題をめぐってのアメリカのひとかたならぬイスラエルへの肩入れです。チェチェン問題をめぐるロシヤの対応、中国政府とチベットにも同様の問題が底流にあります。現状アメリカの一方的なイラク攻撃にはまだうなずけるだけの資料は整っていないと思っています。国連の査察の意味の真価も試される年になるでしょう。

わたしは1929年生まれですから、20世紀を振り返ると一番大きかった出来事はソ連社会主義という壮大な実験とその崩壊でした。現在の中国はかっての考え方からすればとても共産主義へと発展する社会主義の国とは考えられないものでしょうが、やはり政治体制は社会主義を標榜する国で、そこに市場主義の要素を取り入れていると見られます。これも全く新しい実験でその行方は注目したいと思っています。イラクや北朝鮮は支配者の独裁が目障りで、やはり民主主義国家へと変わらないと危険な国だと思います。この体制の変化がかっての日本が経験したように外からの攻撃を必要とするのか、それとも中国に垣間見られるような自らの手で改革出きるのか、まだまだその展開を見たい問題です。

国内にも問題は山積しています。さしあたっては小泉改革の行方ですが、これについてはいま考えていること 122(2002年12月)で触れましたので、繰り返しません。古い自民党体質が小泉改革とどう戦い敗れて行くか、今年のドラマの大きいテーマです。経済問題はそれ自体が持つ問題点の解決を模索して動いていき、政治はその後追いでしかありませんから、経済の現状を正しく分析しそれに則った政治でなければ、いずれは敗れていきますから、自民党の動きと経済の去就も見ていきたいテーマの一つです。残念ながら民主党・自由党・社会党の指導者や党の組織は言うも及ばず政策にも期待は持てず、共産党の人達も金太郎飴のように誰もが同じ事を語られます。党としてはそれも当然かも知れませんが、自由を大切にするわたしの目から見るとロボットのように思えて魅力がありません。政策対応にもすべてとはいいませんが、まるでこれまでの自民党設計の諸機構が正しかったとでも言いたいようなものが見え隠れするので期待は持てません。それに社会主義のあり方という点でも現在正解といえるものは未解決です。

かってインフレは永遠に続くかに見えた時期もありました。それがバブルをおびき入れ、今その解決の過程で、デフレを招き苦しんでいます。一つの経済は必ず自分の持つ矛盾の為に変化を余儀なくされるものです。デフレの現状も例外ではあり得ません。現状を見ていると、経済は“漂える船”といったところで新しい羅針盤が確立するまでにはまだ数年を要するでしょう。根深い病根の摘出と治療にはまだまだ時間が必要で、おそらく小手先の策を弄してデフレの早急な沈静を計っても駄目だろうと思います。これはわが国だけでは無く世界的に見てそう思います。わずかに中国を中心とするアジアの動きには経済停滞をぶち抜く先駆的な側面が見られるような気がします。幸いわが国はアジアに位置しますから、少子高齢化社会が到来しつつある今日、このアジアの動きとどう歯車をくみあわせるかが喫緊の課題です。靖国問題にあたまを突っ込んだままで硬直していては重要なタイミングを逸してしまうでしょう。アメリカの振り上げた拳もアメリカ自身の経済問題で見直しを迫られるかもしれません。もはやアメリカにとってもアフガニスタン復興問題でも見られるように、戦争には人の命だけでなく長期にわたる資金投下をも必要とし、短期には採算がとれないものと思われます。ブッシュの強腰がいつまで通用するかも、今年目をそらせないテーマです。

私事で恐縮ですが、少し書かせて頂きます。年末から家内が少し発熱しています。おそらく軽い嚥下性肺炎を起こしているのかと思います。どうしても咳き込んだりしたときに胃から多少逆流して気管支に入るのだと思います。2,3日前は38.1度ありましたが、今朝11時半には37.3度で診療所も休みの昨今一安心しています。わたしは家内の介護の直接担当者ですからいわば二人分の命の負担者というところです。
長男は一年留年して今年は修士論文を提出します。10年あまりも勤めた北海道新聞記者を辞めて転身してから三年、新聞社で担当したPMF(Pan-Pacific Music Festival)が修士論文のテーマです。今年から出きる博士課程に進む希望も持っているので、当分援助を続けたいと思っています。長男の長女も今年は高校受験の年です。希望する学校へ進学できると良いのですが。
次男のところは四月に第一子誕生の予定です。今年はドクターの指示通り帰郷を見合わせていますから、少し淋しいお正月です。
長女は相変わらずホームレスの人の援助に献身的です。明日も三条河原町のカソリック教会で炊き出しをするので、わたしのところに夫婦揃って顔を出すのは3日になります。4日の夕刻は娘に留守をしてもらって、わたしは昔教えた諸君との新年の会合に出かける予定です。

書いている内に酔いも少しさめて来ました。今日はこのあたりで。おろしや国酔夢譚は井上靖先生の作品でしたね。

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いま考えていること 124(2003年01月)
――近頃の出来事から――

いつも散歩で合う同年齢のM氏は雪のちらつく今朝は鞄を掛けて歩いてこられた。「今日はお出かけですか」と声を掛けると「今日は鳥です」との御挨拶。植物園にバードウオッチングに行かれるのである。今朝はこのお答えがこの上なく素晴らしく思えたのです。

私の生活のリズムは家内の介護で決まってきたのですが、年末28日から家内は発熱し38度を前後しながら9日迄同じような状態が続きました。当日来診の主治医のお薦めがあって今月28日迄入院させました。発熱の原因は尿路感染と嚥下性肺炎で、喀痰検査では緑膿菌も検出され。抗生物質の点滴治療を受け、28日には退院できました。この間私の生活リズムは壊れ、私自身も風邪で苦しむこと10日間、何しろ家内がいませんと関心も生活実態も私自身のことだけに集約され、リズムもなく次第に退屈を味わうことになりました。そこで今一度改めて老人の生活を考えてみる羽目になったのです。老人の社会生活はやはり単純で、その上最近の社会情勢はいつアメリカが無意味な殺戮をイラクで展開するかとか、シャロン首相の再選ですとか、低迷どころか果てしなく減退を続ける内外の経済情勢とか凡そ生きる意欲さえ衰える問題ばかりで、疲れも出てこようというものです。家内がいる時はおむつの交換、投薬、栄養剤の注入とすべて手抜きの出来ないスケジュールで動いていますから退屈する暇も無いのですが、私だけになるとかえっていろいろ問題が突きつけられてくるのです。今のところ答えは二つ、一つは他人の為に生きることはとりもなおさず自分の生きる支えであるということ、今ひとつは孤独な状態でこういう問題にぶつかった時はおそらく自分も自然の一員であることに思いを返して自然の観察、洞察が安らぎを与えてくれるだろうと言うことです。

今朝のM氏のバードウオッチングとの答えはこの様なことを考えていた私にはうらやましい実践に思えていつもよりも意味深く思えたのです。

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いま考えていること 125(2003年02月)
――「若いときの苦労」の意味――

宇宙の謎に迫るニュートリノ天文学を開発し、2002年10月にノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊先生について、JKN WHO'S WHO所載の表家結穂氏による紹介文中には次の記述も見られます。

「旧制中学時代に小児麻痺を患い、幼い頃からの夢だった陸軍幼年学校受験を断念。旧制高校、東大時代もアルバイトで一家の生計を支えた。大学には週に1日しか通えず、成績は「優」が2つだけで「物理学科をビリで卒業した」と自称している。 ノーベル賞に先立ち、1988年に文化功労者、97年には文化勲章を受賞。その他にも国内外の権威ある物理学関係の賞を多数受賞している。1980年代後半からノーベル賞の本命と目され、発表日には自宅を訪れるマスコミ関係者に寿司をふるまうのが恒例となっていた。趣味は読書と音楽で、特にモーツァルトを愛聴。プレイステーションでゲームを楽しむ一面もある。」

私も若い日、同志社高校の教師として勤め、生徒達に「君らも若い内に苦労せなあかんで」と偉そうに説教したものですが、その時「僕ら苦労することありません」と反論されて返す言葉が無かったことがあります。確かに裕福な家庭の子女が大部分ですから、こういう答えが返るのもいわば当然でした。今から振り返ると私も「苦労することの意味」が何なのか分かっていたとは言えません。自分で自分の道がつかめず、精神の放浪を国内外で真剣に辿るのも「苦労」(建築家安藤忠雄氏の若いときの渡欧や単身経済的な援助も受けずに渡印して、マザーテレサのもとで働いた私の娘の青春などが浮かんできます)、あるいは技能の道、芸術の道に若くして進み技能の習得に励み、工夫に工夫を重ねて一定のレベルに到達するまでの「苦労」ということもあります。また未熟でやることなす事すべてについて師匠や先輩方からクレームを付けられ悔し涙にくれるという「苦労」もあります。生活に恵まれず、あるいは身体的な欠陥を担っていて、自分のしたいことを諦めなければならないという「苦労」もあるでしょう。入試に失敗して途方に暮れるのも「苦労」です。いずれの苦労にせよ、必要なのはそれらの苦労を克服して新しい道を発見することです。小柴先生もこれまで私が思っていた「ただ成績が良くない東大生がノーベル賞をもらった」というのではなく、身体上の不遇、経済的な不遇を若いときに経験されているのです。若いときには苦労を克服するだけの強さがあり、世間的な妙な絡みもありません。また温かい目を注いでくれる人もどこかにいるものです。人生どこかの時点で開眼することが絶対に必要だと思うのです。今まで見えなかったものが見える能力、たたかれてもたたかれても再び立ち上がる気力の獲得です。この気力と能力は生涯働き続けてくれます。この貴重な機会を与えてくれるのが「若いときの苦労」の「克服」なのだと思います。この過程を経験することによって強靱なはねのける力−−バネが授けられるのです。麦が麦踏みされることによって逞しい株に育つように、圧力をはねのける力を与えられるという意味で「若いときの苦労」がいるのです。「苦労」を若いときに経験し、それを「克服」した経験のない人は、このバネを持てないという意味で、残念ながら大きな不幸を背負い込んだことになります。自分のペースで好きなように働く「フリーター」の方たちも一見幸せなようですが、この強靱なバネを身につけることは出来ないでしょう。「苦労」は確かに凶器の側面を持っており、人を駄目にしてしまう恐ろしい力をもって迫るのです。大切なのはこれを自分の努力で撥ねのけ克服した経験なのです。

不幸にも若いときに恵まれていてこの強靱なバネを獲得するチャンスの無い人に残された道は、何か一つのスポーツに打ち込み、先輩や監督に叱声を浴びせかけられながら、諦めずに栄光を勝ち取って開眼することも道の一つだと思います。

"Per ardua ad astra"(逆境を越えて栄光へ) per ardua ad astra

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いま考えていること 126(2003年02月)
――今朝の話題――

三つの話題を書こうと思います。

今朝ラジオNHK第一放送でアジア経済研究所の平塚大祐さんの話を聞きました。日本から中国東南アジアへの企業の進出が国内産業の空洞化を招いているとの考えがあります。その原因として中国からの低価格製品の輸入が増え、人件費の上で太刀打ちできないので日本の企業は安い人件費を求めて海外に進出しました。しかし近頃は、国内での消費の減退から中国市場への進出を計る企業も増えているのだそうです。韓国は中国に隣り合っているのに日本のような空洞化は起こっていないということで、平塚さんは日本のデフレの最大の原因は少子化だといわれるのです。18歳人口は既に過去の200万人から150万人に減っていて、この年齢層の消費が著しく減ってしまったと言っておられましたが、確かにこの結果を延長すると、これから結婚人口も減るので家具や住宅の需要も減る一方でしょう。デフレがまだまだ続くことが予想されます。

昨日のCNNはトップ ストーリーとして、ラムズフェルト米国防長官は上院軍事委員会公聴会でイラクに対する作戦で核兵器の使用を排除しないと発言したことを伝えていましたが、今朝の共産党のしんぶん「あかはた」には大きくこの内容が報ぜられていました。しかし、毎日新聞の記事にはこの件はなく、それどころか「ラムズフェルト国防長官は上院軍事委員会で、イラク攻撃に核兵器は必要ないとの認識を示した」と書いています。京都新聞はこの件については何も触れていません。核の恐るべき大量虐殺を経験した日本国民としては見過ごすことの出来ないラムズフェルト発言です。

毎日新聞・京都新聞とも日本政府は近く提案されるイラクに対する軍事作戦を承認させる米英案を支持するよう、非常任安保理事国に外交的働きかけを開始したと報じています。正に米国の走狗の行為です。日本国憲法は第9条で「日本国民は,正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し,国権の発動たる戦争と,武力による威嚇又は武力の行使は,国際紛争を解決する手段としては,永久にこれを放棄する。 」と書き、これは50年前の戦争を経験し,核戦争時代に入ったことも意識にあって武力による解決のむなしさを痛感した全国民の覚悟でした。おそらく誰もこの宣言を押し付けられたものとは考えなかったでしょう。この宣言は今も国民の胸底に生きているものです。憲法を廃棄したのならいざ知らず、現憲法の理念と全く相反する日本政府の動きは、安保条約で日本の防衛をアメリカに委ねているのでアメリカに賛成せざるを得ないのだという論理をいくら展開しても、今日の時点で早々と敢えて走狗としてアメリカに尻尾を振る見にくい姿は国民に受け入れられず国民と政府の間に大きな溝を造り出しましょう。国際的には、日本の理念と政府の行動との間の矛盾は世界の人々の失笑と軽蔑の対象になるものだと思います。(2003年2月15日記)

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