石膏像になった大理石彫刻 |
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アクロポリスの丘には大理石がイッパイ、近くのペンテリコン石切り場から運ばれた。 遠くに見えるのはエレクチオン。 |
絵画の先生が数十体の石膏像、数十体と言っても種類はそれほど多くはなくて同じものが沢山あるのですが、を前にして ”これ全部消しゴムで汚れをおとしたんですよ。 ボツボツと3年かかりました。 それをですね、今回倉庫が狭くなったから廃棄処分しろっていうんでしょ! 頭にきますよ! それでね勿体無いから必要な先生方に引き取ってもらってこいつらに日の目を見させようと思うんです。 先生もどうか?”。 と眼鏡の奥から目玉をギョロッとむいておっしゃった。 そこには、アマゾン、アグリッパ、カラカラ、ミロのヴィーナス、ラボルト、マルス、ブルータス、モリエール、アリアス、などなどまだこれ以外の種類も多くありました。 ほんとに石膏像を新品の状態で保つのは難しいのです。 描き手は木炭で汚れた手で触るし、ほこりは積もるしです。 また、先生によると自らパンパンと石膏像を触って ”触覚的に理解しなければ彫刻の量感は分からないよ”と言う様な指導をされる方もおられるとか。 確かによく視ると言うことは ”目で触るように視る”ともいいます。 石膏デッサンは像の表面が無機質で一律だから陰影や造形が見やすく、その陰影のニュアンスを木炭の濃淡に置き換えて紙の平面上に立体的に見えるように描くわけです。 ですから汚れた石膏像ではデッサンをする意欲も萎えるという事も確かです。 この先生のように石膏像に愛着を感じている先生にあたった石膏像は幸せ者と言えますね。 | |
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石膏像の「アグリッパ」はブッキラボウな感じであまり好きな像ではありません。 ところがルーヴル美術館で大理石のオリジナルにふれるとそんな印象はガラッと変わります。 彫刻の存在感を感じるのです。 といったところでルーヴル美術館で見つけたお馴染みの大理石彫刻<古代ギリシャ・ローマ>を御一緒に見てみたいと思います。 新たな発見があるかもしれません。 まずは左の「アグリッパ」ですが、WEB検索で調べてみましたが像そのものの記述にはあまり出会へず ”18世紀にボルゲーゼ候によってローマ近郊のカビイ(Gabies)の遺跡から発掘されたもの” と言うのがありました。 ルーヴルのこの像に付いていたキャプションには、制作年はBC35〜34年くらい。 アグリッパが建設したというローマのパンテオンを飾るために作られた、アウグストゥス帝時代のブロンズ像のコピーと、ありました。 胸のあたりに付いたシミはきっと土中にある時にできたものでしょう。 パンテオンをはじめガリア地域(フランス、ニームのポン・デュ・ガール)など周辺地域も含め公共施設の建設やクレオパトラとアントニュウス軍との戦闘など、妻の父であるアウグストゥス帝の右腕となって実利面で大活躍をしたマーカス・アグリッパの男くささが伝わってくる胸像です。 |
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![]() 「アウグストゥス皇帝」 (L'empereur Auguste) |
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剣闘士と言うとリドリー・スコット監督、ラッセル・クロウ主演の「グラディエーター」と古いところではカーク・ダグラス主演の「スパルタカス」が思い出されます。 ルーヴルのこの古典彫刻は ”「戦う闘士」、言うところの「ボルゲーゼの剣闘士」” です。 この像には(足下の樹の幹に彫られている) ”アガシアス デフェーズ” の作者名が入っていて紀元前100年頃の作と言われています。 17世紀ころにイタリアで発見されたこの像はボルゲーゼ家のコレクションに入っていましたが1808年にルーヴルの収蔵品になったと言います。 楯と剣は無くなっています。 その楯をかざして思いきり斜上に伸ばした体の線は力強いムーブマンを感じさせます。 ブールデルの「弓をひくヘラクレス」はきっとブールデルの頭の中にこの像の印象が強く残っていたことから生まれた形だろうと思わされます。 激しいムーブマンを実現しているだけに空間の多い石彫となっています。 一個の塊から掘り出したとすると原石はさぞかし大きな塊であったろうと思ってしまいます。 ペンテリコ産大理石の丸彫で高さ1.99m。 |
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”Milos”をフランス語で発音すると”ミロ”と読むのだそうです。 ミロス島で発見されたので「ミロのビーナス」なのですが、神話名にこだわる人の話ですと古代ギリシャでは”アフロディテ”と言う呼び名が後に古代ローマでは”ビーナス”と言われる様になったと言います。 神話と言うのは人々の間で語り継がれているものですからその母体が変化すればその内容も変化して当然ですね。 地中海世界は文明が交錯していますので、バビロニアで信仰されていた”イシュタル”と言う女神がギリシャでは”アフロディテ”と呼ばれているとも言われます。 ”イシュタル”と思われるアラバスタ製の小像がルーヴルのコレクションにありますが、この女神は地母神とも言われ、戦う女神、美の女神、光明の女神の性格がそなわっているといわれています。 「生命の水」によって復活した神話を持つ ”イシュタル”と「海の泡」から生まれた ”アフロディテ”とは共通のものを持っています。 豊饒と美の女神そして戦う女神です。 こうした観念が形になってそれがさらに洗練されて現代でも、パリ観光ではモナリザとミロのビーナスを見ろ、なって言うオヤジまでいるくらいに人々の心に住んでいる像となっています。 ヘレニズム期、紀元前2世紀末の作品とされています。 |
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「アフロディテ:カウフマンの頭像」は古代ギリシアを代表する彫刻家の一人で、前4世紀の中頃に活躍したアテネの彫刻家のプラクシテレスが作った「クニドスのアフロディテ」(前330年頃)からインスピレーションを得ていると言われています。 ですからプラクシテレスの直接の作品ではありません。 とは言っても紀元前2世紀前半に作られて、普通のヘレニズム期のコピーの作品にくらべると質の高さを持っています。 いわゆるギリシャ鼻で額から真直ぐにのびていて気品の高さがあります。 「クニドスのアフロディテ」とは髪の形やリボンの場所が違ってると言われますが、当のプラクシテレスは、大理石の質感を生かして女性像を優美に表現することに長けていたと言われます。 また、初めて裸の女神像を制作した彫刻家でもありました。 娼婦、後に妻となったプリュネをモデルに使ったと伝わっています。 また、傑作の一つであるエロス像はプリュネの所蔵になったりしています。 生きたアフロディテをモデルにして、その後、妻にしたという有名なプラクシテレスの話は腕のたつ彫刻家に付された神話かもしれませんね。 この時代は”プラクシテレス””スコパス””リュシポス”の3人の彫刻家が有名でした。 ある時コス市民の依頼でプラクシテレスは着衣と裸の二体のアフロディテ像を制作しましたが、選択権のあったコスは着衣のほうを選び、クニドスは後世に高く評価されることになった裸の像を得たというエピソードが残っています。 クニドスの人達も裸には困りプラクシテレスに衣を付けてくれる様にたのんだそうです。 しかし、彼は”水浴の姿だ”といって切り抜けたとか。 |
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ちょっとややこしいのですが左の写真も「クニドスのアフロディテ」です。 先に出てきた逸話の像はすでに原作(前330年頃)は失われていてローマ時代のコピーがバチカン美術館に残っています。 これは頭部、手足ともに壊れていない完全な像です。 トルソーになったルーヴルのこの像も原作のレプリカと言う事です。 ルーヴルで撮ってきたデジカメの画像が手ぶれがひどくこの像の正面の画像やキャプションは見にくいですが、それと美術史の本に出ているバチカン美術館の「クニドスのアフロディテ」を比べてみるとほとんど同じです。 しかし、こちらのトルソーの方が優しく柔らかな感じを受けます。 プラクシテレスの原作にはルーヴルのトルソーの方がちかいのではないかと想像してしまいます。 原作の「クニドスのアフロディテ」、当時は単に「アフロディテ」、クニドス市民の当惑とはうらはらに完成当時からこの像の評判は高くクニドス島をおとづれる人が絶えなかったと記録に残っているそうです。 古典期の終わり、ヘレニズム期に移行していく時代の流れを作っている作品群です。 |
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「うずくまるアフロディテ」は紀元前3世紀に作られたオリジナルのローマンコピーです。 沐浴する形です。 庭や浴室の装飾目的でこの形式の像は多くつくられました。 このころになると女神の像の性格から離れていきます。 背中には小さな子供の手が残っています。 アフロディテとアレスの子供のエロスの像です。 キューピット、天使と時代が下るにしたがって変化します。 ギリシャの神々の系譜は複雑でなかなか覚えられるものではありません。 エロスはカオス(渾沌の空間)から大地ガイアと共に生まれた愛の神であるという説もあります。 またアフロディテには、ガイアから生まれたクロノスが父のペニスを鉈で切り落とし海に投げ込んださいの泡から生まれたのがアフロディテと言う神話があります。 そして、ギリシャの創世神話には、ゼウスによって起こされた大洪水で生き残ったデウカリオンと妻のピュッラがゼウスの啓示のとうり母なる大地ガイアの骨とみなされる石を後ろに放り投げるとそこから男女の人間がうまれ、ヘレーンなどその子供達がギリシャを作ったと言われています。 人間世界を超越した神話世界の観念的なイメージの像から次第に官能的で写実味をました「うずくまるアフロディテ」です。 こうした胴体だけの像は現代の彫刻を見る目にはあまり違和感がありません。 しかし、トルソーや頭像、手足など人体の部分のみを作って作品とした近代彫刻のロダンの時代にはまだまだ一般には馴染がうすかったようです。 対象の写実性よりも造形性の美しさ、力つよさへの移行がロンダン以後にはみられます。 そんな観点からこの像は、横から見るとピラミッドのような安定感のなかにつま先で体重を支えているなど軽さももっているという面白い造形的な作品です。 |
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次の「サモトラケのニケ」像はヘレニズム期(前2世紀頃)の作品です。 これは、”シリアのアンティオコス3世に戦勝した感謝のために、ロードス島の人々がサモトラケ島のカペイロイ神域の近くに建てた二ケ像、有翼の女神が空から船の舳先に降り立つ姿の像。” だと言われています。 石楽亭は映画を見ていませんがCMで流れた、「タイタニック」の舳先でレオナルド・ディカプリオと相手の女優さんとが両手を広げて風に向かっていくシーンを見たときこの ”ニケ”像が瞬時に思い出されました。 大変に派手な石彫ですね。 「ラオコーン群像」と言うのがルネッサンスのミケランジェロが生きた時代にローマで発掘されてその時代の人々の古代彫刻、文化に対する熱狂をあおったと言ったことがありますが、群像と言う複雑で熱烈な造形がやはりヘレニズムも熟してくると好まれた形だと言われています。 ビーナス同様に二ケ像の発掘に関わるエピソードはドラマティックです。 両者とも腕のない姿が彫刻的で現代の美術観賞の感性にはピッタリとくると思いますが、ミロの方はリンゴを持っているそれらしき腕が発見されていますし、ニケの方にはリボンを持った腕が発見されています。 「ロダンの言葉」の中に(サモトラケの勝利の女神の前で)という項があります。 締めくくりによいので、ちょっとかいつまんで引用してみます。 ロダンは、 ”この像がオリーブの枝だの間から陽光に輝く海の見える場所に置かれているところを想像したまえ。 古代彫刻には真っ昼間の強い光が必要なのです。” また、この彫刻の出来を讃美する一方で、”その美は高尚な思想を抱きえない者にはまったく専制的でした。 完全無欠な形しか許さなかった。 踏みにじられた人間にも崇高がありえるということを無視していました。” とロダンの彫刻のあり方を証明する言葉を残しています。 |
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