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桂離宮と月

私のアトリエが大阪府と京都府の境の山間にある小さな山村にあって、今年は気温が4月下旬と言うのにまだ低いせいで桜花が今、満開です。   お花見で宴会をして楽しむのは何時頃からなんでしょうか?   醍醐寺で行われた秀吉の大花見は現代でもお祭りの行事として伝わっていますが、公家社会ではもっと古くからあったかもしれません。   落語などでは「長家の花見」として江戸の庶民の花見の風景が登場します。   秋のお月見なども古くから公家社会の風習として行われていたのでしょう。  格式のある京都の幾つかの門跡寺院ではお月見の行事が今も昔ながらに行われているようで、その一つでは直接に月を見ることなく、ナスビに穴をあけてその穴から月を見るなどの風習が伝わっているそうです。  月に対する古代ほどの昔からの人々の思いがそんな形になって伝わっているように感じられます。   

書院

「数寄」の精神の珠玉の様な桂離宮、その古書院には月見台があります。

現在、桂離宮の参観では写真の撮影は禁止されていますが、数十年前に参観した時には庭などは撮影できました。 左の下のモノクロ写真がその時のものです。

ちょうど2人の人物の前の人の頭の部分の後方、右方向に張出しているのが月見台です。   上面は竹がはってあります。  17世紀頃、桂山荘の時代、古書院の二の間に会した酒宴の席からは、正面に旧暦の八月十五日の仲秋の名月の月の出が月見台、池の水、その向こうの植え込みの上に捉えられたと言います。

その他にも桂離宮には月と関係するものが多くあります。  

笑意軒の浮月の手水鉢、月波楼の月見台や「歌月」の額、松琴亭の月見窓、鼓の滝の上流の月見橋、池で使用た舟を「歩み月」、新御殿の一の間の襖の引き手金具は月の文字のデザイン、月の形を火ぶくろにくり貫いた石灯籠、それに、離宮の敷地内の施設の配置が月の出に関係して建てられていると言います。(参:「桂離宮、隠された三つの謎」宮本健次著)

例えば、春分の月の出の方位に合致するもの(笑意軒、園林堂、梅の馬場)、仲秋の名月に合致するもの(書院群、月波楼)、冬至の月の出に合致するもの(松琴亭、紅葉の馬場)がそれぞれの方向軸上にくるとされています。

 露台

                   (月波楼の月見台、「歌月」の額、織部灯籠)

古来の中国では月には桂の樹が生えていると信じられ、不老長寿の象徴としてきました。   月と桂はそんな関係にもあるのですが、そこにはもっと遊び心、数寄の心に訴える大きな装置としての存在でありそうです。

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桂離宮は小堀遠州作と信じられてきましたが、最近では八条の宮智仁親王(としひと)とその志しを受け継いだ子息の智忠親王(としただ)の自らの構想、設計とされています。   庭石なども両親王とも有馬へ旅行されるなどし、集められたとか。   1615年徳川家康は豊臣家を滅ぼし江戸時代が始まり、幕府は公家諸法度令を出し公家を政治の場から追い出しました。  智仁親王は秀吉の世継ぎ候補であったり、天皇を継承する立場であったりした時期がありながら結局は実権の場から外れなければならない不運な皇族でした。    その行所のなくなった力を後の桂離宮造営に注ぎ込んだのでした。   智仁親王は1615年、手に入った下津村の地に桂川の水を引き入れ「下津瓜畑のかろき茶屋」を建てました。   現在の古書院が完成し、瓜見の宴会が盛大に執り行われたそうです。  その後庭石を有馬にもとめたり、竹林亭と言う茶屋が完成するなどし、次第に増設が進んで行ったそうです。   桂山荘と呼ばれていましたが、明治期に宮内庁管轄となって桂離宮と呼ばれる様になったそうです。  

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政治の実権から離れた、当時の公家達の生きがいは遊芸だったのです。    人が集まり(茶会など)雑談(ぞうたん)することに時間をつやしたのです。   酒が入り月の出を待ちます。  山の端を離れる月を今かと待つ、いさよう月を待つのです。  和歌を読む。(月のうちの 枝もさながら かはすかと  庭の桂の 木の間にぞ見る)智仁親王作。  (山の端に いさよふ月を出むかと 待ちつつ居るに 夜ぞ更けにける)万葉集   教養人の集まりです。  雑談に華を咲かすには話題や機会が必要です。   智仁親王は桂の地の初めての宴会は「瓜畑の瓜見」を肴に宴会をしました。    冬は雪、切られた炉の火を囲んで雑談する。   桂離宮の古書院にも囲炉裏の間があります。    田植えを楽しむ所は、笑意軒の窓越しに田んぼを見ることが出来ます。  このように見ていくと桂離宮の月の出の方位に対する凝り様も、「どうどす、予想した方向にお月はんがおでやしたやろう」と自慢げに言うと酒宴の花がさいた事だろう。   そのほかにも、当時、西洋からもたらされた西洋建築の手法である「パースペクティブ」や「ビスタ」、「ビロード素材」、「ソテツ」なども”新しさは力なり”、で人々の興を高める働きをしたにちがいない。    桂離宮のそうした計算がうすぺらな物に終わってないのは、全体を貫いている洗練された意匠感覚や、「サレ丸太」(自然木)の確かな手業による加工技術などが支えているからでしょう。 

橋立て

御幸道は小石が丹念に敷き詰められている。     ここはビスタの手法が用いられ、向こうに見える橋の側面がわずかに見える様に設定されている。

参考書:「桂離宮と日光東照宮」宮本健次著、学芸出版社    「桂離宮隠された三つの謎」宮本健次著、学芸出版社

     「数寄空間を求めて」西和夫著、学芸出版社     「桂離宮パンフレット」

     「天象の万葉集」高岡市万葉歴史館編、笠間書院

 

付録:桂離宮の参観は、「宮内庁京都事務所参観係り」へ往復ハガキか窓口で申し込みますが参観者に人数制限があります。    

4月、5月、10月、11月は予約が殺到しています。  窓口で申し込む場合は空きがあれば前日の申し込みでも参観が可能です。   外国人観光客を案内している場合は別枠があるようです。

予約はできませんが、電話で案内をしてもらえます。  参観係り(TEL:075-211-1215)

住所:〒602ー8611 京都市上京区京都御苑3番(地下鉄の今出川駅の近く、御所の西北隅です)

 


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2000/4/25より カウンター