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ストーンヘンジ (このページは、1998年にアップロードし、以後随時追加しています。)

ソールズベリ平野のストーンヘンジを訪れたのは数十年も前の事(1971年)でした。もう一度訪れる機会の無いまま時間は経ちましが、関連本などから次第にストーンヘンジについての知識が広がっていきました。ストーンヘンジにも永い時間の経過の間には色々な出来ごとがあったようで現代では自由には巨石サイトに入場出来なくなっています。 その当時は、まずブリュターニュ地方にある列石、メンヒル、ドルメンを幾つか見て、フェリーでイギリスのサウザンプトン港に到着、フランスでのドライブとは異なりイギリスの道路は日本と同じ左側通行、おまけに狭い道路幅ということでかなり緊張をして走行した事を思い出します。夜更けに到着し翌朝までストンヘンジのそばの路上で車中で寝て、目覚めた時に目の前にあった、数十トンもの巨石の柱や横たわる大小の岩の群れの壮観な風景に感動したことを思い出します。(記・'98/9/23)

 虐殺の石  ヒール・ストン            虐殺の石                    ヒールストン

ストーンヘンジの中心部から見ると、サーセン石の列柱の間を通して「虐殺の石」、そして「ヒールストーン」と直線上にポイント石が並んでいて、その先の北東方向に夏至の太陽が昇ってくる。(だだし、写真を撮った季節は初秋です。)

 
日影図  
3D-CADの日影図による真夏の日の出の影 

天文学者のジェラルド.S.ホーキンズは1961年6月、彼の妻と二人で太陽石伝説を実証するためにストーンヘンジの中心からヒールストーン方向にカメラを向けて日の出を撮影しました。この日は夏至より11日前であったので日の出の太陽はヒールストーンより太陽一つ分東側にありました。これは、6月21日(夏至)にはヒールストーンの先端にかさなって朝日が昇ってくるはずであり、太陽石伝説は本当であると確信を彼は得ました。このことから、ホーキンズはストーンヘンジの各々の石の配置位置に見い出される方向線が太陽と月の運行を観測する観測点として正確に配置されているのではないかと言う仮説のもとに、測量とコンピュータによるデーター解析を行い、この有史前の遺跡が、当時は天文台であり天体観測コンピュータとして利用されていた、との結論に達しました。  
かと言って、これを建てた人々のすべてが分った訳ではなく、依然としてストーンヘンジの謎は残されたままなのですが。

 三石塔 

ストーンヘンジの周囲のオーブリーの穴には火葬の跡が多く残っていり、ヘンジを中心に周囲4キロの範囲内に350もの墳墓が残っている様な平原にある霊的な建造物でもあります。聖なる土地と思える特別の場所に建てられたヘンジの石群の中には測量石と考えられる石があり、これらの石、ステーション・ストーン91、92、93、94、を結ぶと長方形が現れますが、この長方形は観測軸線と連動しているために、もし、ヘンジが現在の場所でなく北緯45度何がしかの地点であったりするとこの長方形がいびつな形になると言います。  
ホーキンズにUSAのデベロッパーからストーンヘンジのレプリカの設計の依頼があって偶然にその場所は北緯30度であった。その緯度上だと前述の石達を結んで内側にできる矩形は6角形と言うことで、長方形の幾何形態に特別な意味を見い出していたとすると、その緯度上でなければなく、作った人達は天体でも地上でも、この場所が世界の中心であると考えていたのでしょう。
               

 
環状列柱

 

99A

カメラはほぼ東方向を向いている、倒れている大きな石は「99A」で三石塔の柱石。

sunset
朝日は雲に阻まれてよく見えなかったが、近隣の巨石文化の遺跡を訪ねた後再びストーン・ヘンジに戻ると夕日が柱の間にしずむのが見えた。


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  『Stone Work」のこのHPを御覧になった戸澤さんが写真とイングリッシュ・ヘリテージの資料を送って下さいました。写真は数枚ありましたが、御本人の写っているものと一緒にして掲載させて頂きました。送って頂いた写真には、アベベリーのストーン・サークルや地上絵のホワイト・ホースがありました。ストーン・サークルについては新たなページを他のストーン・サークルと一緒にして作りたいと思いますので何時になるかは不明ですが乞う御期待です。
記念写真
戸澤さんがストーンヘンジを訪れられたのは、夏至に近い頃です。太陽との関係を云々する場合、夏至の日の出は見てみたいものです。  
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日本でもテレビ・ニュースで報じていました様に、夏至の日にドルイド教を信仰する人たちがストーンヘンジで秘儀の集会をやって警察の手によって排除されたとか。スッポンポンの人たちがウロウロしているところが画像に出ていました。現代のドルイド教はどんなのか分かりませんが、スト−ンヘンジを建てた人たちはドルイド僧が活躍したケルト文化以前の文明を作った人たちですからストーンヘンジとドルイド教との結びつきは変なんですがね。  (2001年8月31日の新聞記事から)

ケルト時代のドルイド僧集団は確かに秘儀伝授を受けた人たちであったらしく、しかも、長期に渡って学問修行の終わりにやっと高度な能力を獲得した人たちであったとか。野生動物や自然の力を支配できたり、予知能力が発達していたり、磁気的な力をコントロールして病気を治療したり、と自然科学や哲学の分野において高度な能力を有していたと言われています。彼等は、インド・ヨーロッパ語族としてインド民族と兄弟の関係にあるらしい。そんな所から、彼等の宗教もまたインドと共通するものがあるらしいのです。ケルト人達はカエサル率いるローマ軍によって破れていくのだけど、「ガリア戦記」にはドルイド僧集団の事が記されていて、高度な秘儀を伝授された人たちと一般の信仰者とが明解に別れていたといわれています。 また、古代ローマ帝国時代のブリタニア(イギリス)におけるケルトの人達と古代ローマ人の間におこったドラマは、ローズマリー・サトクリフの小説「ケルトとローマの息子」や「闇の女王にささげる歌」を読むと活き々きと描かれていてケルト文化の理解の助けとなります。そして、地上絵のアフィントンの白馬は、同じくサトクリフの小説「ケルトの白馬」に詳しく、地上絵の出来上がるさまが(地上絵の構造も)描かれています。それにしてもケルト人以前の超古代のイギリス人はどんな人々だったのでしょうか、謎は何時かは解明されるといいですね。


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(2007年1月)新聞記事によれば、「紀元前2600〜2500年頃の大規模な住居跡を発掘、ストーンヘンジを造った人々の住居跡を発見」とありました。(英語版はここをクリック、発掘現場の簡易地図もある。)

それによると、ソールズベリー平原にあるストーンヘンジ地域のダーリントン・ウォールストーンヘンジから3kmほどのところ、グーグル地図にリンクしてます。地図に発掘現場は写っていませんが何となく円形の形が地上に見えます。)で発掘調査により、数百人規模が居住していたとみられる古代住居の跡が発掘されました。調査を行った考古学者は、ストーンヘンジを造った人々の住居跡とみています。その近くにはウッドヘンジ(Woodhenge)があります。

これらの住居は、発掘品の放射性炭素測定の結果、ストーンヘンジ遺跡が建造されたのと同じ紀元前2600〜2500年のものと分かりました。このことから、ダーリントン・ウォールで発掘された住居に住んでいた人たちがストーンヘンジ建造に関わっていたと調査隊は結論づけました。

そして、それらの人々がストーンヘンジで何をしていたかが推定されています。ダーリントン・ウォール環状遺跡には、新石器時代にあらゆる地域の人々が集まり、大がかりな冬至の祭りが行われて、大量の食料を消費したようだ。それは、当時の英国のほかの地域で発見されたものとは比べものにならないほど大量の動物の骨や陶器が見つかっていることが、その証拠だと言うのです。この場所で見つかったブタの歯を調べたところ、生後9カ月だったことから祭儀は冬至に行われたと思われます。

調査隊のリーダーのパーカー・ピアソンによれば、祭儀の後に人々は道(アベニュー)を通ってエーボン川に向かい、死者をストーンヘンジ遺跡に向けて流しました。それから人々はストーンヘンジの道(アベニュー)を通って巨石記念碑に向かい、数人の死者を選んで火葬にして埋葬したのです。ストーンヘンジ遺跡は、先祖を敬うこれらの人々にとって、死者の霊と交信する場所だったのです。

ダーリントン・ウォール環状遺跡の道は川の向こうにある崖に続いています。「彼らは人の灰や骨、そして死体そのものも水に投げ入れたのでしょう。これはほかの川でも見られる風習です」とパーカー・ピアソンは言います。
パーカー・ピアソンとトーマスは、ストーンヘンジは祖先をまつるための記念碑として石で造られましたが、ダーリントン・ウォール環状遺跡は木造だったと見ています。ダーリントン・ウォール環状遺跡は「住むための場所でした。」とパーカー・ピアソンは言います。それに対して、石造のストーンヘンジ遺跡は、人が住むためではなく、その当時のブリテン島で最大の墓所だったのです。ストーンヘンジ遺跡では250件の火葬が行われたと考えられています。

地図アベニュー
(ストーンヘンジ周辺の概念図、アベニューは点線で表示されている。グーグルの
衛星写真で見るとアベニューは牧草上に平行線として確認出来る。また、土饅頭よう
の丸い盛り上がりなど周辺を見て行くと色々発見できて面白い。)

ストーンヘンジは大規模なお墓であった。と結論されたとしても現在の墓所と同じ単一な意味で考えることは出来ないでしょう。太陽の観測所と言う施設と言う単一な考えもまたあたっていないようにです。当時の人々の精神世界の結実したモニュメントとしてストーンヘンジはあるのですから。

余談ですが、発掘調査の写真をみると地面が白く写っています。これはこの辺りも地層が白亜、チョークだとわかります。ホワイト・ホースが描かれている場所もチョークの地層です。



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ストーンヘンジを作った人々が冬至の日に大がかりな祭りを執り行った、と言う事を読むと少々以外に感じます。と言うのも現在のストーンヘンジで行われていると言う夏至のときの騒ぎに引きずられたイメージが出来ていて、当時の人々も夏至に何らかのお祭りをしていた、と思い込みが出来ていました。

冬至についてTさんが白川静著「初期万葉論」からの一説を教えてくださいました。「東の野に炎(かげろひ)立つ見えかへり見すれば月かたぶきぬ」と言う万葉集に収められている歌の背景に古代の人の冬至の過ごし方が見て取れるそうです。冬至前後の午前6時頃に祭典は執り行われるようで、「最も夜の長い日の夜明けに、自然歴の上における生と死との転換、生命の授受が行われる。」と白川静さんは書いておれれます。祖先の霊との交会が夜をつで夜明けにかけて行われた、というか今でも大嘗会として天皇家では行われている、と言う事です。日本や中国とは別の文化にストーンヘンジはあるのでしょうが、冬至を生と死の転換の接点とすると言う考えは共通しているように思えます。白川静さんの文章は格調が高くなるほどと思わせる力があります。それをチョットだけ拝借するのは十分な意味は伝わりません、原文に接しられることをお薦めします。。

ストーンヘンジが正確に天体の運行を測量できるのも、宗教的必然から科学的思考が育ったとも考えられそうです。ストーンヘンジのモニュメント性は他の天体関連の古代遺跡の理解にも一役かうことができそうす。

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ストーンヘンジ異聞

最近(2007/4/)TV放映された「テス」(ロマン・ポロフスキー監督/ナターシャ・キンスキー主演)(原作は、「ダーバーヴィル家のテス」1891年、Thomas Hardy著)を見てましたらラストシーンの舞台がストーン・ヘンジとなっていて思わず身を乗り出し、力が入りました。 逃避行に疲れたテス(ナターシャ・キンスキー)が迫る騎馬警官隊が近づくのもしらず横たわり寝入っている石は多分99A番の柱石でしょう。小説ではサクレファイス・ストーン(犠牲の石)と呼ばれていますから違う石かもしれません。また、映画のシーンは実際のストーン.ヘンジで撮影されたのではない様な感じもうけます。それで、ネットで検索すると縮尺の模型を前に検討する監督の映っている写真がヒットしてきました。またセットを組んでの撮影というコメントも出て来ました。よく画面を見るとどことなくギコチなさが見えてきます。

sleepingtes

 映画「テス」の場面、手前はエンジェル、横たわるテス。

『テスとエンジェルの当てのない逃避行は、アッパー・ウェセックスとミッド・ウェセックスの境を越え、メルチェスターを通り過ぎました。その頃には周りはすっかり闇に包まれていました。さらに進んで真夜中近くになった時、2人は広大な平原に出ました。そこで、彼らは奇妙で大きな物体が立ち並んでいるのを見ますが、それはストーン・ヘンジでした。疲れきったテスは、石柱に横になり、自分の亡き後はぜひ彼女の妹を妻として迎えてほしいとエンジェルに頼むのです。しかし、警察の手は回っていました。夜明けが近づくとともに、エンジェルは周囲をすっかり包囲されていることに気がつき、せめてテスが目覚めるまで寝かせてやってほしいと警察官に頼みます。夜が明け、辺りが明るくなると、テスは「覚悟はできています」と言って警察に逮捕されます。
  そして2ヶ月後、ウィントンスターの刑務所で、テスは死刑となるのです。』

sunrise

 映画「テス」のラストシーン、霧の中から朝日が昇ってくる。

歴史的写真

上の写真(StonehengeHistory)は20世紀初め頃のストーンヘンジの写真です。左の映画の石の様子と同じに見えます。現在は斜めに傾いた三石塔の一本は直立している。ストーンヘンジは修復されていっています。

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資料:イングリッシュ・ヘリテッジ刊行物、English Heritage, PO Box 1BB, London W1A 1BB(会員になれる)

ソールズベリー・サウス・ウイルトシャー博物館(Tel,01722-332151):ストーン・ヘンジ・ギャラリーには発掘品が展示。

ディヴァイゼズ博物館(Tel,01380-727369):古墳出土品や先史時代の遺物が展示。

アレクサンダー・ケイラー博物館、アヴベリー(Tel,01672-539250):アヴベリー、ウインドミル・ヒル、シルベリー・ヒル、ウエスト・ケネットからの出土したフリントと土器。

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Googl地図サイト、人口衛星からの写真でストーン・ヘンジを見る事が出来る。(クリック!)

[Stonehenge--Gateway to the Realms] イギリスのストーンへンジ関連本のwebサイト

MYSTIC PLACE STONE HENGE (http://exn.ca/mysticplaces/stonehenge.cfm)

UP/06.3.8 「LITHOS GRAPHICS」 と言うメガリスや風景石などの写真集のホームページにストーンヘンジもあります。 そこに次の様なコメントがあります。「ストーンヘンジ周辺にはWoodhengeなど関連遺跡がいくつかある。第三段階、巨石を組んだ時代の円形のマウンド状の墳墓(Round Barrow)も数多く残っており、当時の有力者の墓と見られている。巨石文明の担い手は特徴ある土器の形(ビーカーの形)から「ビーカー人」と呼ばれ、長らく大陸から渡って来た人々であると考えられていたが、特に考古学的根拠があるわけではないようだ。が、もっとも古いと見られる円墳に埋葬された人物の歯の成分を調べたところ、その人物はアルプス地方の水を飲んで育ったことがわかった、つまり大陸から来た人間だということが判明したという研究発表があるらしい。」

 


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