|
|
中村直勝氏は歴史家である。「京の魅力」では京都の名刹にかかわりのあった歴史上の人物を描くことに文章を駆使している。金閣は足利3代将軍の義満によって建てられた。その孫の5代将軍義政によって銀閣は建てられた。覇権を競った先代にくらべて義政になると足利家も屋台がゆらいでいる。また義政の夫人は悪女の筆頭の日野富子で富子のへそくりで銀閣は建ったと言われるくらい義政には政治力も経済力もなく終止、造園や文化人との交流に明け暮れている。こんな義政の才に中村直勝氏は肩入れをしているのではないでしょうか。
もともと日本人が月を愛でる場合現代の天文学の様に観察するのでなく、月に自分の心の中を託すわけだからぼんやりとした月明かりで十分なのかもしれない。義政晩年の山荘として、彼の好んだ西芳寺の名庭の趣きをうつして造った慈照寺の庭は彼の生きている内には完成しなかった様です。その庭に月が照る様子を[わが庵は月待山の麓にて、かたぶく空の影をしぞおもう]と詠んでいます。 また、万葉集の時代から月は沢山歌に読まれています。 例えば、[春日山おして照らせるこの月は妹が庭にもさやけかりけり]、[ももしきの大宮人のまかり出てあそぶ今夜の月のさやけき]、[山の末にいさよふ月を出でむかと待ちつつをるに夜ぞくたちける]、などなどですが、柿本人麿の歌には、[天の海に雲の波立ち月の船星の林にこぎ隠る見ゆ]の様に空全体を海に喩えた雄大な歌があります。銀沙灘はこの歌に通ずる物が感じられます。
白川砂を盛り上げたダイナミックな造形 |
向月台と月待山 |
(上の写真は2007年11月24日の午後5時30分ころ、銀閣寺の近くの南田児童公園から月待山付近に昇る満月(月齢 14.2/十五夜月)を写したものです。) |
服部さんありがとうございました。このページ「銀沙灘と月」を読まれた服部さんから次の様なメールをいただきましたのでここでご紹介します。 皆様はどのように思われますか? コメントがありましたらメール下さい。 >Subject: 月の神さん Date: Tue, 26 Oct 1999 23:13:26 +0900 銀沙灘の話、全部読ませてもらいました。面白いですね!銀閣寺には、むかしむかしに行った切りなのでよく覚えていませんが、月の光が砂に反射して部屋の天井に届くというのは、考えすぎではないかと思います。おそらく辺りは皎々と照る月で昼間のように明るいはずですから、部屋の中もそれなりに明るいはずで、砂に反射したくらいの光ではそれを見分けることは無理です。 むしろ前の池に映った月の光が、波にゆれてゆらゆらと天井に反射すると言うことは考えられます。(よくテレビでやるやつです)時代は中世の応仁の乱以後の荒れ果てた京都です。河原には死体がごろごろしていたし、街には盗賊がうろつき、それよりなにより、人々が恐れたのは魑魅魍魎が跋扈する「闇」です。実際にもののけの存在を信じていた人々にとっては、「闇」は圧倒的に恐ろしいものだったのです。 それだけに月は人々には有り難いものでした。月を待つ、というのは、勿論風流心もありますが、月を愛でると言う以外に別の気持ちでも、待っていたのです。だから、現代人のように「闇」が無くなってしまった時代に、むしろローソクの光だとか、かすかな月の光などを喜ぶのと同じように、彼らがそれを喜んだかどうかは疑問です。 ギリシャやローマの神話には月の女神が出てきますが、日本には月の神さんはいるのかなあ。古事記に月読というのがでてくるけど、すぐにいなくなってしまいます。 服部正実 *尚、服部さんは「鐘馗」ホームページの作者です。 |
資料:「京の魅力」中村直勝著、カメラ/葛西宗誠、淡交新社刊。 「日本の伝統」岡本太郎著、光文社刊。