ロゴ現代に出現したストーンサークル

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ぐんま天文台ストーンサークル

「秋田の星の民俗」と言うホームページを作ってられる新谷さんから、群馬県立ぐんま天文台にストーン・ヘンジの構造物があるようだ、と言うメールを頂ききました。  そこで群馬天文台に問い合わせたところすぐに同天文台の倉田さんからお返事を頂きました。 その上、「ストーンサークル」の画像も送って頂きましたので紹介したいと思います。

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これらの施設はコンクリートで出来ています。 

右側写真の向こうの円形のものが「ストーンサークル」で、直径30m、高さ5m。

手前の幾つかの三角形の物がインド、ジャイプールにあるジャンタルマンタルの遺跡(黄道座標における惑星の位置測定施設)を参考にした施設。

三角形の小型のものが、黄道座標での惑星の位置測定施設「ラシバラヤ・ヤントラ」。

右側写真、手前の大きいものが、日時計「サムラット・ヤントラ」。

天文台設計者の建築家磯崎新氏が古代の天文台(天体位置観測施設)と現在の天文台との対比を構想して設計し作られたものだそうです。

  stone
 イギリスにある「ストーンヘンジ」は、中央のトリリソン、まわりに配置されているサーセン列石柱、ブルーストーン、ヒールストーン、オーブリーホール等によって構成されています。  ストーンヘンジのある場所は、夏至と冬至の方角がほぼ直交する特殊な緯度にあるようです。(北緯51度2分、西経1.8度)      ぐんま天文台では、敷地の狭さや理想の地平線が見えないなどの理由から、中央巨石群のモニュメント性を活かしつつ、本来のストーンヘンジの機能を持たせず、いくつかの機能(二十四節季、冬至、夏至春秋分、見かけの日の出日の入り、月ので月の入り方位角測定に限定)だけを独自に測定できるように設計してあります。

 従って、形はストーンヘンジに似いて直径も30m(ストーンヘンジはサーセン石の列柱の内側面での直径は29.2m)ですが機能は全く違います。 そこで、「ストーンヘンジの再現」と呼ばず、「イギリスのストーンヘンジの機能をデフォルメしたストーンサークルであり、本来のものとは全く違う独特のもの」と説明しています。 (ぐんま天文台、倉田さん談/一部作者補筆)

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ぐんまストーンサークルの観測列柱の柱と隙間の間隔は2度の均一スリッドになっている。 

上の画像は西側の眺めで、日の入り時を写したものです。

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施設に付けられた説明板。ストーンサークルの中心に立つと、ニ至二分の時には特定の列柱の隙間から日の出、日の入りが見える。

また、赤丸の位置に立つと24節気(立夏、大寒、立春等)の時にはヒールストーン越しに日の入り、日の出が見える。

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石舞台ストーンサークル

東の群馬に対し西は大阪府下高槻市に2000年6月にオープンした「たかつきフラワーパーク」の一角に作られた「石舞台ストーンサークル」がある。 この場所は以前は砕石の石切り場だったが石を取り終えた後、環境を復帰しなくてはいけないと言う事で地元の企業の協力を得てこのような公園が完成した。 

ストーンサークルはこの地の巨岩や亀岡、鳥取産の自然石を使用して地元の造形作家の児玉康兵氏が設計している。

 

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サークルの案内板です。

太陽の影により・四季と時刻と方位か判ります東西軸と南北軸の交点に三段に巨石を楓み上け、その周圏に十二支を表す方位石をサークル状に配し・南北軸に沿って石を列柱状に並べています。冬至、夏至の日の出、日の入りの方向に二つに割れた石かあり、四季が判ります。 毎日、南北軸線の上に来た太陽により正午を知ることがでさます。 この他は、周囲を山と川によって囲まれ、南に視界が開け古代中国の風水思想による四神相応の吉想の地といえます。 四神相応の地とは東に青能、西に臼虎、南に宋雀、北に玄武を象徴する山並によって囲まれた地で、中国の唐の都長安、日本の平城京、平安京もこの思想による吉想の地といわれています。 さらに不思議な事にこの地は、南の朱雀の方向に、平安の昔、弘法大師空海が開いた四神相応の聖地高野山があり、1200年の時空を超えて2000年辰年に繋がった事は大師の導きと言えるのかも知れません。 この巨石群と周囲の山々との不思議な調和と、景観をお楽しみ下さい。  (児玉康兵 作/四神の図柄と十二支の方位石に彫られた字は安滿宮山古墳出土の「青龍三年鏡」から引用した。)

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左上の写真は、サークルの南側(朱雀)の回廊を通して中央の三段組石を見て、後方の北(玄武)の山の風景です。

右上の写真は、中央の石組みから南(朱雀)の方向を見たものです。  手前の方位石には”午”の字が刻まれている。 

写真には写っていないが、南側に広がる眺望は、摂津、河内の平野を経て葛城山、金剛山山系がみはらせる。

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左上の写真は、サークルの東側から西を見た所です。   右上は、中心部から申の方向、冬至の日の入り方向を見た所です。
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「聖地の想像力」植島啓司著/集英社新書、と言うのを最近読んだ。 聖地と言うのは単純に考えればある宗教の特別な場所と思ってしまっているのだが、この本を読む内に聖地は特定の宗教や特定の時代に属する場所ではなくてもっと時間や宗教や民族などを越えて存在する特別な場所であるというのが見えてくる。  聖地は不動の場所であるのだ。 ストーンヘンジに当てはめて見ると、あの石造物は大きくは3期にわたって建造されていると言う。 ケルト人の時代に入って本来の建造した人たちとは異なった民族支配の元でも建造物は使用されていた様だ。 また忘れ去られていた後も再び注目され現代でも観光スポットとして沢山の人を引き付けている。 ヨーロッパには無数の巨石文明の跡が残っているにもかかわらずストーンヘンジほど人工化された構造物がないのは石器時代から巨石文明時代にわたっての聖地としてもっとも重要な場所だったのだろう。  その重要性はまだ総合的に解明されていない様だが、天体の運行との関連では確かに観測地点の特別な経度に位置する事は分かっている。 場所と人との関係に於て風水の思想は人の生活にとってどこの場所でも良いと言うのではないことを教えてくれる。

現代では風水は家相や墓相や運勢と言う極個人的な物を対象にしているが、中国からもたらされたこの思想は古代日本では平城京や平安京の様な都市計画に用いられる様な体系であった。 自然と一体の様に生活していた古代人の時代から国家と言う大きな集団になるまでの間に場所と人の関係に関する知恵が体系化されて行ったのだろう。  この様な地相を観る方向からストーンサークルなどを考えるのも一つの方法かもしれない。 これは、飛躍だが、「秋田の星の民俗」HPの新谷さんが送って下さった大湯環状列石の論文を見ると環状列石のある鹿角市は南北に細長くのびる盆地であり、列石を作った古代の人々は列石の中心から周囲の山を見てニ至二分の日の出、日の入りを計測したのではないかということだ。  盆地の地形は風水の吉地に適合するものがある。 もちろん列石は風水以前の物なのだからこれが風水に因って決められた場所と言うのではなく、人の本能的なものとして、現代の経済効率とは無縁の価値として、こう言う場所は良い場所だと思える。


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