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back.gif022 諸々の重量について

ギリシア語錬金術文献集成

TLG4319

ゾーシモス

023
諸々の体の焙焼について






諸々の体の焙焼について
(Peri; kauvsewV swmavtwn)
(fort. pars operis Ceirovmhkta)
(e cod. Venet. Marc. 299, fol. 154r)



023 2 179 5t
諸々の体の焙焼について

 それでは、さあ、諸々の体の焙焼とは何かということをも、哲学者たちに探究しよう。なぜなら、諸体に関するこのロゴスは、中断したままだからである。しかしながら実際は、〔このロゴスは〕全体を包摂しているのである。〔次のように〕言う哲学者を支持せよ。「雄黄からとれる雲を取り、いつものように凝固させよ、そして、硫化された銅ないし鉄に加えよ、そうすれば白化されるであろう。一部の人たちは「硫化された」を「焙焼した」と〔いう意味で〕言う。というのは、無知ならざるこの人たちは、銅を硫黄で、鉄をマグネーシアで焙焼するからである。しかし、焙焼とはこのことではなくて、破壊(fqorav)のことである。ただし、それは哲学者の破壊のことであって、白化(leuvkwsiV)と名づけられる。金属状態への格下げ(ejxivwsiV)が、その他のものらにおいても白化として確認されるように、彼〔哲学者〕のいう焙焼も、前述のものにおける白化である。というのは、第二には、黄化であるから。

 さて、哲学者本人は、銅を焙焼するに硫黄の水を使い、先に言われたとおり、煮沸する。彼は謂う、「すなわち、白い薬剤のミシュを加えよ。すると最初のものができよう。これを煮沸せよ。というのは、他のミシュをわれわれはイオスの中に保持するからである」。それゆえピベーキオスも、上と下と、「この薬剤を2つの部分に分割せよ」。彼は言った、「銅は180 1 月桂樹の木で、すなわち、白い混合物で、焙焼せよ。なぜなら、月桂樹の葉という体は、そういうふうに硫黄の水によって煮沸されて焙焼されると、いっしょに白化されもするからである。すなわち、「硫化された銅ないし鉄に加えよ」ということ、このことによってまた白化されもするであろうからである。アガトダイモーンもそうのように言い伝えているのは、諸体は生き、神的な水によって、雲といっしょに煮沸されるからである。焙焼と白化とは、まさしくかくのごとしである。というのは、哲学者は錫による煮沸を勧めるのである。「上述の雲は、ひまし油ないしハツカダイコン種子の油に、少量の明礬を混ぜ合わせて、煮沸せよ」。次いで彼は謂う。「錫の混合物をつくれ」云々。4219 023 2 180 10 万事はひとつの指図によって完全である。なぜなら、彼は日数から全体に言及し、油から神的な水に、明礬から硫黄に、錫から2つの混合物に言及したのである。というのは、雲はそれ〔錫?〕に向かって沈むからである。

 とにかく、卑金属から貴金属への変性(ejpibolai)〔複数〕は、硫黄の再度の染水において起こる。しかし全体の加熱(o[pthsiV)は、焙焼か、煮沸と白化である。これによって〔ひとびとは〕諸体を焙焼し、煮沸する。太古から宣べ伝えられた焙焼こそ、銅を硫黄で焙焼することと、あらゆる書が神秘的に教えるところのこの〔方法〕である。しかしながら、その他の焙焼は、焙焼というよりはむしろ破壊である。このひとがもし焙焼するなら、万事に有用で、浸染に備わっている銅は、まさしく説明されたとおり、琥珀になる。あなたが光をより多くとろうとも、焙焼された硫黄の半分は黄色になる。つまり、マグネーシアの1/4である。じつにそういうふうにわたしたちは銅4の中に、鉄1,マグネーシア6グラム、ただし錫と鉛<2>銅貨片、そしてカドミア、銅-鉛(klaudianovV)、孔雀石、辰砂を、それらのウンキアの比率で181 1 用いる。というのは、多かれ少なかれ、等しくすれば、あなたは成功するからである。こういうふうに処理するのは面倒であり、お人好しである。そこで重量で説明すべきである。「何ものも残らず、何ものも足らざることなし」とデーモクリトスが述べたとき、まさしくデーモクリトスの徳にかけて、何ものも残らない。なぜなら、後に残されたものの結合は — ただし、わたしが言うのは、神的な水と雲の蒸留のことだが — 惜しみなくあなたがたに手渡されたからである。この(e[kdosiV)こそが、この書の解釈である。だから、重量と焙焼について解説されたからには、いざ、黄化の重量についても探究しよう。

2010.04.30. 訳了。

forward.GIF024 黄化の重量について
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