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古代ギリシアのセミ
アステリオス『詩編註解[説教31]』






Asterius
Comentarii in Psalmos [homiliae 31]*1

第14章
In Psalmum VIII Homilia I

 『詩編』第8篇に寄せて。「主よ、われらが主、御身の名は全地に賛嘆さる かな」*2

 [1]神的にして永遠の葡萄樹が墓より生い出で、新受洗者たち(neophotistoi) をあたかも葡萄の房のごとく祭壇に実らせる。だから、わたしたちの〔葡萄の〕 取り入れを、具体的な表象としながら解釈するのがよい。葡萄は採取され、祭 壇は〔葡萄を搾る〕桶*3のように、その房によって満たされる。〔葡萄の〕桶 踏みたちや、採取者たちや、樹のぼり――つまり蝉たち、は歌いながら、この 日こそ、最も悦ばしい集まり(ekklesia)の楽園の様をわたしたちに呈するので ある。

[2] たい桶踏みたちとは何者か? 預言者や使徒、つまり、わた したちに取り入れを前触れする人たち(propsallontes)である。「最後に桶の ために」〔?出典不明〕。では、蝉たちとは何者であるか? 新受洗者たち、 聖水盤の水を潜り、樹上のごとく磔柱の上にやすらぎ、義しさという太陽に育 まれ、御霊(pneuma)に照らし出され、霊的なこと(pneumatika)を高唱し、言葉 にする人たちのことである。「主よ、われらが主、御身の名は全地に賛嘆さる かな」。

[3]言葉を吐く人たち(logikoi)*4は、聖水盤の美しくも白き羽をし た蝉である。彼らは言葉を吐く人たちであるから、それゆえまた白い羽もして いるのである〔?〕。蝉たちは露を食し、新受洗者たちは言葉を支えとする。 なぜなら、前者にとっての露――それは後者にとっての天なる言葉であり、そ の一人ひとりを、あたかもヤコブを〔祝福する(創世記27_28)*5〕ように祝福 して、イサクは言うからである。〔以下、3行ほどの訳に自信はない(^^;〕「 見よ、汝の住まいは、地の肥えたところから」つまり、集まり(ekklesia)から 「隔てられてあらん、また、上なる天の露からも」*6。

[4]上なる神を下方 に、肉という大地に中に、あたかも畑の露のごとくに見なしなさい。この大地 とこの露とによって肥えふとりなさい。蝉たちは天の露を吸うけれども、天を 害することはない、そして新受洗者たちも、教えの言葉を受け取り、これを護 るけれども、教えた人たちを害することはない。学びに聴き従わないことは、 言葉を害することだからである。

[5]蝉たちは、露の最善の部分で養われれ ば、沈黙する。しかし、太陽が昇り、彼らの食卓から水分が干上がれば、飢え にさいなまれながらも、断食しつつ奏で(psallo)、弾奏(kitharizo)をみずか らに命ずる。これに対して新受洗者たちは、御霊という露を悦び、これに養わ れるばかりか、キリストという太陽にも育まれ、天上の養分を賛嘆しつつ言葉 を吐く。「主よ、われらが主、御身の名は全地に賛嘆さるかな」。

[6]蝉に 言い及んだからには、「いざ、蟻のところに行きてみよ、おお、怯懦な者よ」 と箴言蒐集家が述べたごとく〔箴言6_6*7〕、わたしも言おう。いざ、蝉のと ころに行きてみよ、おお、兄弟よ、「その生きる途を見倣って、その知恵を得 よ」。それは、蝉が畑地や野原を飛び回り、実もたわわな樹木の上にとまりな がら、林檎を荒らすことなく、堅実を隠すことなく、オリーヴを揺さぶること なく、ザクロの実を傷めることなく、農夫を苦しめることなく、自分にとって 最も善きのもの、つまり、露に満足し、その他のものに対しては傍観者となっ て、荒らすものとはならないように、わたしの兄弟よ、そのようにあなた自身、 野にあるように世界の中に居を定め、なんびとをも害せず、なんびとをも脅さ ず、なんびとをも中傷せず、露に〔満足するが〕ごとくに神からあなたへの恵 みに満足せよ。蝉が樹上にあるように、あなたは世界に対して磔柱にかけられ ていなさい。パウロとともに高唱しなさい。「世界はわたしに対し、わたしは 世界に対して、磔柱にかけられている」と〔ガラテア人への手紙6_14〕。

[7] 新受洗者よ、競い合いなさい――蝉があなたに勝利して、神が二度と次のよう に言うことのないようにと。「山鳩や蝉や燕、野の雀は、自分たちの渡るとき を知っているのに、わが民はわたしのことを知らない」〔エレミヤ8_7〕*8と。 それは、聖なる御霊に常に潤され、冬の嵐を味わうことをまぬがれ、春を過ご し、キリストの復活を賛嘆して言うためである。「主よ、われらが主、御身の 名は全地に賛嘆さるかな」。蝉のように地上に生まれ、そしてわたしたちもま た蝉のように生まれたと教えられたゆえに。

[8]げに、ヨハネをして言わし めよ。「それらの人は、血すじによらず」〔ヨハネ1_13〕以下〔の章句〕。す なわち、蝉は種まかれない息子にして、母をば大地とは知っているが、父をば 知らない、そのように、キリストは母をば処女と知っているが、種まいた父を ば知らない。げに、蝉は大地から生まれながら、多くの人たちには長らく知ら れず、無価値な嫌われ者のごとく、侮りやすきものであったが、露を飲んで樹 上の登っての後は、その歌は国中に聞こえも高きものとなった、そのように、 キリストは蝉のように侮りやすきものとして誕生したが(証人としてみずから 述べておられる、「わたしは蛆虫にして、人にあらず、人間たちの非難の的、 民の侮り」〔イザヤ53_3〕*9)、露と樹木の後には、つまり、洗礼と磔柱の後 には、あの方の福音は、野の中においてのように、世界によって耳を傾けられ るようになった……
END




*1 復活祭季節〔Eastertide(復活祭より40-57日〕の期間の説教。homiliaは、その集会のことを言うか?
*2 文語聖書では、「われらの主エホバよ なんぢの名(みな)は地にあまね くして尊きかな」
*3 「〔葡萄を搾る〕桶(lenos)」 葡萄圧搾桶。ふつう、「さかぶね」と訳 される。パレスチナでは、ふつう、岩に穿って作ったという〔新訳ギリシヤ語 辞典〕。
*4 「言葉を吐く人たち(logikoi)」と訳したが、"logikos"には、「logos(= pneuma)に一致した、霊的な」の意味がある〔新訳ギリシヤ語辞典〕。
*5 イサクのヤコブ〔偽エサウ〕に対する祝福は、「どうか神が、天の露と、/ 地の肥えたところと、多くの穀物と、/新しいぶどう酒とをあなたに賜るよう に」〔創世記27_28〕
*6 イサクのエサウに対する祝福(?)は、「あなたのすみかは地の肥えた所か ら離れ、/またあなたの上なる天の露から離れるであろう」〔創世記27_39〕
*7 「なまけ者よ、ありのところへ行き、/そのすることを見て、知恵を得よ。/ありは、かしらなく、つかさなく、王もいないが、/夏のうちに食物をそなえ、/刈入れの時に、かてを集める」〔箴言6_6-8〕
*8 「山鳩と、つばめと、つるはその来る時を守る。しかしわが民は主の掟を 知らない」〔エレミヤ8_7〕
*9 「彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔を おおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかっ た」〔イザヤ53_3〕
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