『テーセーイス』

[解説]
 アリストテレースは『詩学』の中で、「『ヘーラクレイア』とか『テーセーイス』とか、これに類する詩作品を詩作したすべての詩人たち」を批判している。その所以は、ひとりの英雄の経歴が、神話的叙述に単一性を与えているという、彼らの誤った前提のためである。われわれは『テーセーイス』に属する(同一視される作者はいない)叙事詩的断片から2つの引用を持つにすぎない。

 テーセウスは、アッティカの英雄であるが、古い叙事詩的伝統の中では、周辺的地位を有するにすぎない。彼とその家族は、『イーリアス』の作者には、書き込みの詩行(1.265, 3.144)を除いて、知られていなかった。『オデュッセイア』はアリアドネーの物語に触れている(11.321-325;Sappho fr. 206と比較せよ)。そして叙事詩の環の詩人たちが編入した物語は、テーセウスの息子たち、アカマースとデーモポーンがトロイア戦争に赴いたのは、自分たちのたったひとりの祖母アイトラーを救出するためで、彼女はディオスコーリデスにつかまって、ヘレネーの奴隷になっていた、というのである[1]。しかし、一種のアッティカのヘーラクレースとしてのテーセウスの出現は、一連の怪物たちや山賊たちを倒し、彼の名誉となる他の種々の英雄的成功が芸術的証拠の上に現れるのは、525 BC頃にすぎない[2]。このことは、おそらく、叙事詩『テーセーイス』の状況を反映していよう。これが、多分、われわれの引用の出典となる作品である。しかし『テーセーイス』はニコストラトスにも帰せられる。彼が生きたのは4世紀である[3]。

[1] Cypria fr. 12*; Little Iliad fr. 17; Sack of Ilion Argum. 4 and fr. 6; compare Alcman PMGF 21, and the interpolation at Iliad 3.144.
[2] Emily Kearns and K. W. Arafat in OCD3 s.v. Theseus.
[3] Diogenes Laertius 2.59. The choliambic Theseis of Diphilus (schol. Pind. Ol. 10.83b, uncertain date) was presumably a burlesque.




テーセーイス(Qhshi<V)

TESTIMONIUM

Arist.Poet. 1451a19
 そういう次第であるから、詩人たちの中で、例えば『ヘーラクレイア』とか『テーセーイス』とか、これに類する詩作品を詩作した人々は、どうやら、みな過ちを犯しているらしい。何故かというと、彼らは、ヘーラクレースは1人であったのだから、神話もまた1つのまとまりを持つにふさわしいと思いこんでいるからである。


断片集

1 Plut. Thes. 28.1
 『テーセーイス』の詩人が書いたアマゾーン女人族の叛乱は、パイドラーを娶ったテーセウスに対して、アンティオペーが攻め寄せ、アマゾーン女人族が彼女を援助したとき、ヘーラクレースが彼女らを殺したというが、明らかに神話であり、作り事に似ている。[註]

[註]アンティオペーはアマゾーン女人族。彼女をテーセウスは以前アテーナイに連れて来て結婚した。アポッロドーロスepitome 1.16-17を見よ。

2 Schol. Pind. Ol. 3.50b
 彼〔ピンダロス〕は、歴史に従って、〔タユゲタを〕雌鹿で、黄金の角と云った。なぜなら、『テーセーイス』を書いた人は、彼女をそのようなものと<言っている>からであり、カミロス人ペイサンドロス(fr. 3)もペレキュデース(fr. 71 Fowler)もそうであるから。


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