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暴力以前

――ソクラテスの問い――

久保正彰 
『世界』283(1996.6.) 




 「あなたはそのすぐれた学問がどのように用いられているか、それを考えたことがあるか。あなたの教えをうけた者たちがその学問を悪用するのではないか、その点にまであなたは責任を感じているのか。」

 これは昨今、争いにあけくれる学園のどぎつい立看板にはじまる問いではない。さかのぽれば武芸者や忍者に課せられたきびしい掟も、衣服を正してのち書にむかうべき心得も、遠くはまたソクラテスの追いつづけた問題も、いずれもみな、知恵とちからの重さを人間の危機として自覚するところに端を発するといえよう。

 一つの文化の流れのなかでも、一人の青年の行為のなかでも、この問いが創造的な転機となってあたらしい展望を開いていった例がすくなくない。かりにも自分たちだけがこの問いを提起したのだなどと主張して傲るものがいれば、その視野は独善狭隘のそしりをまぬかれまい。しかしその問いがだされてもなお気付かぬものがいれば、やはりエデンの園から出直すより他に道はないかも知れない。

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 古代ギリシアの神話や文学も、この問いを重要なひとつの契機として生まれ育ち、そしてこの問いによる追究をうけて去っていった一つの営みにかぞえられよう。かれらのおぽろな想念がことばのリズムとなり歌となる以前から、すでに知恵の優位と悪用の問題は、神語の世界でくっきりとした輪郭をしめしている。火盗人のブロメテウスの話がある。かれは神々のものであった火を盗み、それまで火をもっていなかった人間にこれをあたえたという。だがそのために――おそらく人間にたいする好意からこの盗みを働いたのであろうが――かれは神々からもうとまれ、また人間たちからもよくは思われない。なぜなら、その後人間世界に生じた諸々の悪は、この盗みに対する神々の報復なのだから。

 この神語は東方から由来する、という説もある。しかしフレイザーの研究がつぶさに示しているように、火の由来をめぐる類似の想念は南洋の孤島やアフリカの奥地の住人やエスキモーの部族間にも広く存在しており、その起源は太古にまでさかのぼるらものらしい。ともあれ、黎明期のギリシアの詩人ヘシオドスがとぎれとぎれに語るプロメテウスの物語は、知恵なるもの技術なるものが最初からはらんでいる倫理的に曖昧な、明暗の両面性をとらえている。つまり、火に対する原始人の単純な驚きをものがたっているのではなく、この世における諸悪の原因でありまた同時に諸善の一因でもありうるものを、プロメテウスの火にたくして表わそうとしている。

 しかし神話というものの性格上、プロメテウスのおかした悪については、詩人の苦汁にみちた問題意識がおぼろに捉えている輪郭以上に、さだかなる内容を抽出することはむつかしい。祝福された神々とみじめな人間たち、という現実をほりくずそうとすれば火を盗むという行為が生れてくることを言おうとしたのか。それとも、無条件の火がどれほどの危険な可能性をひめているか、その点を逆説的に投影しているのか。神々なればこそ火を安全に所有できるのであるが、人間にはそれができないのであろうか。神話とはつねに自らの顔を鏡のように映しかえすものであるが、ヘシオドスの語りくちからは、さまざまの問いの可能性がうかがえるけれども、その答えが整埋され首尾一貫した形となって姿をあらわすにはいたっていない。後世悲劇作家のアイスキュロスも、プロメテウスの罪業については深い思考をめぐらせた模様であるが、かれの本当の解釈がどのようなものであったのか、今となっては充分明らかではない。ただ、プロメテウスの責任を追及弾劾する神々の執行吏二人にたいして、アイスキュロスがなぜか暴力(ビア)と権力(クラトス)という擬人的な名をあたえているのは暗示的である。

 知識と技術を悪用した有名な人間たちは、ギリシア神話には数多いが、とりわけ医術の祖とされるアスクレピオスをここで思いだしておかねばならない。かれは金品を代償にうけとって死人をよみがえらせるために、そのすぐれた技術を使う。神はこれを人間にあるまじき行為として、アスクレピオスを雷でうちころす。生命の尊厳ということが、これほどに深い複雑な淵をのぞかせている話は他にすくないように思う。後世ギリシアの医者たちがきわめて倫理性のつよいギルドを組織したという事実のうらには、やはり神話の形成期にまで遠くさかのぽる、技術者としての目覚めと自戒の念が連綿と伝っていたと考えるべきであろう。このことはかれらが自らをアスクレピオスの子らと称した一事をもってしても、充分に首肯できるように思う。

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 古代ギリシアで、”あなたの教えをうけた者が、その教えを悪用するのではないか、その場合にあなたはどうするつもりか、そこに責任を感じているか”という問いが鮮明な意識をもって人間の言葉として、問いかつ答えられるのはホメロスの「イリアス」においてである。しかもこれが周辺のエピソードとしてではなく、「イリァス」という諭理的に首尾一貫した作品の構造的中核をなすものであることは、つとにイェーガー先生が『パイデイア』のなかで論じておられる。

 仲間と争って戦線から離脱した主人公アキレウスと、かれを説得しようとこころみる老師伝ポイニックスとのやりとりを頂点とする九巻を開いてみよう。ポイニックスが、自分の教えがこの危機克服に際してことごとく空しかったことをさとるくだりである。かれはアキレウスがほんの乳呑児であったころから手塩にかけて養育し、少年に長じては戦のかけひき、弁諭の術をかれにほどこし、若い王者に仕立てあげた。かくしてアキレウスは、トロイの野にあつまり誉れをきそうギリシアの英雄たちのなかでも随一の評価をほしいままにできたのであるが、師はその誇るべき教え子が戦陣から離脱するのを止めることもできない。アキレウスに去られ危地におちた同盟軍は伏してかれの助勢をもとめる。アキレウスなる一個の人間の倫埋性がするどく問われているその場面で、ポイニックスは執念を捨てて人の道にもどるべきことを言葉をつくして説くのであるが、それでも教え子の心を動かし戦場に呼びもどすことができない。

 ボイニックスはこれまでいったい何のために、英雄アキレウスの訓育に当ってきたのか。かれがアキレウスに授けた業も能力も、敵味方すべてのひとの仇にこそなれ、何の益にもならなかったのではないか。ホメロスが――ややうるさい言い方をすれば、『イリアス』九巻の詩人が――これを宿命と必然の問題にたなあげしようとはせず、師たる人間の痛切な問題とみなしていることは明白である。なぜならば、この責任の座にポイニックスをつけたのは作者その人の悉意であったからである。いわゆる神話的背景によれば、アキレウスの師は人間ではない。いわんやポイニックスのごとき素性のさだかならぬ男ではない。ペリオン山に住む半人半獣のケイロンがアキレウスを養育し英雄としての素質を磨いたことになっており、はるか後世の詩人ビンダロスもそう信じている。そのような伝説的背景を切りすてたホメロスは、かなり無理な言語的矛盾をも意に介さず、人間であり師であるポイニックスを登場させ、教え子の人間的危機において師としての役割りを無残にも果しえない姿にえがいている。

 ポイニックスの説得の挫折は、ただちにアキレウス自身の悲劇の決定的発端となって、足はやき教え子は破滅への道につきすすむ。すぐれた学問、すぐれた教えが、学ぶものの技術的能力を極限にまで引きだすことができても、その能力を生かす倫理的判断をかならずしも正すことのできなかった一例がここにある。もちろん『イリアス』の悲劇はアキレウス自身の内面的な覚醒を劇的クライマックスとするものであるから、その根源すべてを九巻の師弟関係の崩壊のみに帰することはできない。しかし作者の鮮明な問題意識がその独創性に火を点じて、この場面をつくりだしていることを否定できない。

 ギリシァ人はホメロスにかぎらず、師から弟子に及ぶ教育効果の限度についてかなり悲観的な考えしかもつていなかつたようにも見える。しかしそれはかれらが教育に期待したものが、あまりにも深く大きかったためであろう。一人の人間の倫理性、その全人格を陶冶することを今日だれが期待しえようか。私たちは学校の先生にも、親にも、社会にも、政治家にも、その責任を全面的には求めていない。さまざまのイデオロギーの交錯する私たちの社会で、一人一人の倫理的判断の基準がホメロス時代の王たちのように、単純明快でなくなっていることは言をまたない。とはいえ、それゆえにホメロスがはじめて明確にとらえた問題の重要性が失われるにいたったのかと言えば、決してそうではない。むしろ逆にますます切実さをおびてきている。私たちは名前と顔さえつながっていない学生たちに知識をさずけ、できることならかれらの能力までも引きだそうとつたない努力をくりかえす。その途上、かれらの倫理性にいかほどの影響をあたえることになろうと、とうてい老ポイニツクスのアキレウスに対するの比ではない。他方、知識授受や能力育成の技術は今日、かつてギリシア人が有したものよりもはるかに多様となり、効果的にひろめられている。高度の技術杜会に間にあうようにと、その方向への努力はおさおさおこたりない。あなたの教えをうけた者たちがその教えを悪用するのではないか――大学紛争の、一つの目でもあるこの問いを避けうるものは今目ほとんどいない。暴力以前のこの問いに対して、答えをだしていく本当の手だてすら、私たちにはまだつかめていない。

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 ホメロスはこの問いを核として、これに対するかれなりの答として英雄の悲劇をうたった。しかしこの問いには、じつは一人の英雄の生死の問題だけではなく、ひろく国家、社会、政治制度の諸問題がふくまれていることを、ギリシア人たちはいちはやく察知していた。国家の存在理由の基盤に教育をすえたスパルタの実例はあまりにも有名である。個人としても、組織としても、また対外的政策決定の場にのぞんでも、国が守り育てた教育の鉄則をかかげて倫理的一貫性を示そうとつとめたスパルタ人の伝統は、それ自体やや神話めいた印象をあたえないわけではない。国家に人格的倫理性を附与することには、私たち自身すくなからぬためらいを覚える。しかしトゥーキュディデースの史述にあらわれるスパルタ王アルキダモスの言動をつぷさにしらべてみると、私たちの時古い問いに対する一つの歴史的な答えがスパルタの国家制度をつうじてあたえられている感が深い。知恵とちからを正当に行使しうる人間を養育する責任は、国家が負うべきものである、と。

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 だが国家がスパルタのような全体主義的基調に即することなく、国家内に二つないしはそれ以上の数のイデオロギーの共存をゆるしている場合はどうなるのであろうか。知恵とちからを正当に行使しうる根拠はどこに求められるのか。教育の管理責任を、時の為政者のみK帰することができるのか。教師の責任の限界はどこに定められるのか。このようなさまざまの問いのるつぼとなったのが、前五世紀のアテナイであった。そしてここで再び、神話の時代から続いている技術と倫理性の問題にあらためてするどい知性の焦点があつまる。”世に恐ろしきもの数多あれども、人よりも恐ろしきものなし”という有名な句ではじまる、ソポクレスの『アンティゴネー』の合唱歌は、人知が開拓しつづけてきた数々の技術的革新をかぞえて讃美をつくしてきたのちに、最後に一転して、そのような能力にめぐまれた人間も倫理的判断の是非となると、地を這うもの同然であり、ただひたすら大地の法、神々の法にすがるほかはない、と歌う。だがその地の法とはなにか、神々の法とはなにかと問えば、『アンティゴネー』の主題が示すとおり、けっして一本の答でわりきれるものではない。

 大地の法をかりに国法と解するならば、劇中クレオンの言動が示すとおり、為政者即法令である制度内では、これはけっして個人の倫理を正すものではありえない。さればとて、大地の法をもってアンティゴネーの根拠とすることもできない。不文律をよりどころとするかの女の立場は、かの女と政治的に対立する立場の人間には容れられないからである。しかしながら劇の帰結はかの女の主張する”いまだに書かれざる掟”こそ、肉体の終焉をこえて歴史のなかに生命となるものであることを明らかにする。この不滅の道徳律は、かの女のあらそいと死のみによって明らかにされ、しかもかの女の生命を絶ったかつての敵の内面的覚醒をつうじて継承されるベき性質のものであることを、ソポクレスは言おうとするかのようである。

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 紀元前五世紀も終ろうとするころには、この問題はたんなる文学の虚構をこえて、すでに現実の学問や教育の根拠を糺す執拗な戦をくりひろげる。当時の学問の領域では世界届指の人々にむかって、教師としての君たちの倫理的な立場を明白にせよと追る声がおこってくる。歴史のながれのなかで、社会の広がりのなかで、どのような位置に自らの身をおきつつ、学を技術を若者たちに講ずるのか、と。ソクラテスは大学者プロタゴラスにむかって、あなたは自分の学問についてどこまで責任をもちうるのか、と尋ねる。あなたは若者たちに立派な政治教育をほどこし政治家に仕立てることができるそうだが、すぐれた政治家の識見行動力の礎たる徳性までも、責任をもって教えることができるのか。できるというのならばその根拠を示してもらいたい、と。プロタゴラスはその責任を果しうる、徳性は教えられるものであると主張するが、ソクラテスと問答形式の議論をつづけていくうちに、いつの間にかソクラテスの立場と奇妙な具合に入れかわつてしまう。教えうるという根拠をほりさげていくと、教ええないと主張するソクラテスの認識論を借用せざるをえない奇妙なパラドックスに陥るからである。その限りにおいてはプロタゴラスの教育理念なるものが、根本的矛盾をはらんでいることがぱくろされる。

 ソクラテスはだれかれの差別なしに同じような問いをぶつけている。大弁論家ゴルギアスにむかっても、議論を吹きかけたことになっている。あなたは弁論術という万能の技術の師であるというが、あなたの教えがあなたの意に反して、あるいはあなたが知らぬ間に、悪用された場合にはさぞ迷惑であろうが、その場合には責任をおうのか、あるいはそのようなことが起らないように事前の教育をほどこすのか、と。ゴルギアスとその弟子は代る代る答弁をこころみるけれども、結局は弁諭術という盾にもなり剣にもなりうる学問を講ずる人間として、倫理的に無責任の咎をまぬかれえないこととなる。

   ※     ※

 プラトンの対話篇『プロタゴラス』、『ゴルギアス』でとわれている上のような問いは、考えてみると一方においてははてしない政治的なひろがりを示唆するものであり、他方ではまた政治を立脚点としながらもあたらしい純粋理論の構築をうながすものであった。私たちはここでソクラテスの問いの両極分解についていましばらく考えてみたい。

   ※     ※

 知性、学問、教育、技術の社会的機能を思えば、それらの営みの倫理的責任を問題にするとき、ただちに問題は政治体制の是非にまで及ぷことをギリシア人はつとに心得ていた。さきに述べたスパルタの政治と教育の一元性はこれの実例であるし、また諸価値の自由併存を標榜するアテナイにおいては、『アンティゴネー』に明らかにされているように、法が法によって否定されあらたな道徳律を生むという思想の台頭をみせていた。したがってソクラテスの問い自体、及ぷところは政治体制に対する根源的な質疑であったし、ソクラテスの交友の幾人かは――それがはたしてかれの教唆によって行動に移されたかどうか、いまは誰にもわからなくなってしまったけれども――過激な体制破壊活動に身を投じ、その非倫理的きわまる暴力破壊行為の数々ゆえに、政治的に失脚しかれらが提起したはずの倫理的要求の根拠をも失ってしまったことも、当然といえるかも知れない。ソクラテス自身、ゴルギアスのごとき学問は阿諛迎合の術であると断じたことになっており、野にあるかれがこの追求をなすときその矢は必然的に時の政治に対する批判とならざるをえない。ただしここに現れる政治批判はかならずしも私たちが理解する意味での”進歩的”な批判と軌を一にするものではない。場合によっては知的所産の公平な分配というありうぺくもないユートピア思想に合するかも知れないが、一転すればまた画一的倫理基準で杜会全体をしばる神権思想ないしは聖王思想に発展していく傾きをも有していた。

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 ソクラテスや弟子たちが、この問題に対する当時の医学者たちの対応策に多大の関心をよせたことも、むべなるかなの感が深い。当時ギリシアの諾ポリスでは、初歩的な国民保健医制を有するものが多く、国家が有能な医師を迎えて市民たちの健康維持にあたらせていた。市民皆兵、文字どおり人は城なりの当時とすれば、きわめて合理的措置であった。ところで医者たち自身は多くは他国人であり、場合にはってはかれらの術は、自分らの国や同胞に仇なすこともありえたかもしれない。さあらずとも、先にも触れたようにかれらはアスクレピオスの子らと自称することによって自らの技術のせめを負うべきを明らかにしていた。そこでかれらは各個別々の政治体制に奉仕しながら、なおヒポクラテスの誓いという形で医者としての倫理を維持しようとした。師に対し、患者に対し、生命に対して、医師として絶対に犯してはならぬ事例の条々は、今日でもなおいくつかの医科大学で卒業に際して、ヒポクラテスの言葉どおりに宣誓されるという。人間の体の保善を業とするかれらにしてこの備えがあるとすれば、人間の魂の正しからんことすこやかならんことを願いつとめる教師としては、いかなる方策にうったえるべきであろうか。ソクラテスとその弟子たちは当然そこに思いをいたしたのである。

   ※     ※

 私たちは、師がたんなる知識技能の授受を非とせめたとき、この批判をうけて立ち善のイデアヘの論証の道をさしてこれこそ諾学の学なりと答えた弟子ブラトンヘの敬服の念を禁じえない。しかしながら今日にしてなお思えぱ、はたしてかの非凡なる弟子は師の問いの全幅をはかりえたのであろうかと、かなり深刻な疑いを抱かざるをえない。ソクラテスの問いはあくまでも現実の政治体制の矛盾相剋のなかでこそ意味があることをプラトンは充分承知のうえで、しかも教育的理想境というまったくのパラドックスをながながと書きつづった。このことを責める気持は毛頭ない。むしろ、大学という場のきびしい限界をうらから照しだし私たちに強烈な諦念を強いるものとして意義ふかい。しかしながら、プラトンがこの玉の器をもって善のイデアを形づくろうとしたこと自体、師の問いに対する現実的対応の可能性をあきらめてしまったことを意味するのではないだろうか。理想境における理論的純粋さのなかや、すべての座標へのひろがりを否定して原点のみに立とうとする態度からは、ソクラテスがはなった永久に生々しい問いに対する答えが生れてくるとは思えない。

   ※     ※

 あえて問う、ソクラテス自身よりもプラトンよりも、むしろかれらが軽蔑していた一般のアテナイ市民たちの方が、ソクラテスの問いの全内容を的確につかんでいたのではないだろうか。”あたらしい霊を奉じて古き神々を貶し、若者たちを堕落せしめた”罪という、じつに堂々たる正確な表現でかれの行為を糺弾し、かれの問いを不朽ならしめたからである。齢七十にたっするソクラテスに永久の若さを約束する悲劇的表現がここにある。争いと死をつうじてのみ顕現されうるこの世の問いを、この世における対立者としてしっかり受けとめ、この世に生れてくる者たちに問い返したのが、かれらアテナイ市民たちであった。

 しかしソクラテスもブラトンも、この罪名のまことの根拠を理解することができなかったのではないだろうか。きわめて良識的なクセノポンのような人すらも。なぜならプラトンもクセノポンもただひたすら、師が神々に対して敬虔であったこと、教育に熱心であったことをくどくどとくりかえせぱ、それだけでソクラテスの無実とアテナイ市民一般の無理解とを後世に証しうるかのように考えているからである。かれらは数多くの語を費して自らをあざむき長く後世人の眼をもあざむきつづけてきたのではないだろうか。

   ※     ※

 たしかにソクラテスはヘルメットもゲパ棒も手にしなかった。暴力行使は、正義に惇るものであるとも言ったことになっている。しかしながら、人知のうちに内在する危機的な問いを自らの行為によって問いつづけ、相手が返答をさけて黙すれば、沈黙は暴力であるとかれを難詰し、あくまでも自らの論理に承服させようとするソクラテスの態度には、危険きわまりない可能性が包まれていたことを見落すことができない。高度に倫理的な問いをはなったかれ自身、その問いに対する自らの対応を迫られたことは当然であろう。私は何も教えていない、私は何もしらない、と例のアイロニイを弄することによって、かれ自らの放った峻厳な問いの追求を脱しえようはずがない。”あなたの教えを悪用するものがあらわれた場合に、あなたはどのような責任を感ずるのか。” ソクラテスの教えに接したものたちの中からは、あまりにも非倫理的な、あまりにも暴力的な人間が、あまりにも多く生れていた。クリティアス、アルキビアデス、カルミデス――かれらはソクラテスを理解していなかったのだというはたやすい。しかしそのような言いわけをソクラテスは他人に許していなかった。だが――世のなにびとも問われて真の答えにはいたらなかったこの問いを、ソクラテスだけは自ら死をえらぷことによって答えることが許された。死はその問いの永遠なる価値を借しんだアテナイの市民たちが、かれのみに許しためぐみであったというべきであろう。

   ※     ※

 ソクラテスに対して私たちも――かりにもかつてのアテナイ市民が有したるごとき歴史的な明察と、自他にたいする悲劇的客観性をもちうるものであれば――あらためて死罪を要求する。私たちはソクラテスではない、私たちはかれの敵ソピストらの系譜につながっているからだ。おろかにも似て非なるソクラテスの問いをいだいて、むなしい言葉にむかって猪突する若者たちはその後もあとを絶たない。自己と社会の変革を旗印しに、常識を悪と断定し、ありとあらゆる杜会体制を否定し、永久革命を推進しようとする手合いまであらわれている。それのみが、ソクラテスの問いに対する責任ある答えである、というのであろうか。私はこの運動の未端につらなる若者たちが――いやかれらは先駆であると信じているかも知れないが――自律性をまったく失って無目的なブラウン運動にうみつかれているのを見るにつけ、そのために視野のそとへうすれさっていくソクラテスの問いが惜しまれてならない。問題提起者である、担い手であると自認してはばからない人々の責任はきわめて重大である。貴い問いの系譜をつごうとするのであれば、賎しい答えを慎むべきであろう。倫理的な問いを発するものは自ら倫理的であらねばならぬという鉄則を、死をめぐむという形であらわした古典期アテナイ人たちの冷たい英知がうらやまれてならない。私はソクラテスの問いを借しむ。そしてその問いを問われたもとの形で生きながらえさせるためであれば、その問いを自らの行為で涜するものたちにむかって断固として有罪の票を投ずることを辞さない。

   ※     ※

 私たちがながながとたどってきた問題は、はるかむかし暴力以前のことである。しかし願わくば暴力以後の、すべての人々の道徳的覚醒をつうじて歴史のなかのいのちと化することを切にいのる。

(くぼ・まさあき 東大助教授・西洋古典学)

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