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ツバメ(Chelidon)

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 ツバメには真にむごいといえる神話が伝えられている。それをアポッロドーロス(第3巻14章8)にみると、 —
 〔アッティカ王パンディオーンの時に〕国境の問題についてラブダコスと戦争が生じたとき、トラキアよりアレースの子テーレウスに援助を頼み、彼とともに戦いに勝利を得たあと、テーレウスに自分の娘プロクネーを与えた。
 テーレウスは彼女より一子イテュスを得たが、ピロメーラーに恋し、プロクネーが死んだと称して彼女を犯した。というのは、彼女を田舎に隠していたからである。後、ピロメーラーを妻として床を共にし、彼女の舌を切り取った。しかし彼女は長衣(ペロプス)に文字を織りこんで、これによってプロクネーに自分の不幸を告げた。
 そしてプロクネーは自分の姉妹を捜し出し、自分の子イテュスを殺し、煮て、何も知らないテーレウスの食膳に供した。そして姉妹ともに大急ぎで逃げた。
aedon.jpg テーレウスはこれを知って、斧をひっつかむや後を追った。彼女らはポーキスのダウリアにおいて捕らえられんとして、神々に鳥に変ぜられんことを祈り、プロクネーはナイチンゲール〔右図〕に、ピロメーラーはツバメとなった。テーレウスもまた鳥に変ぜられて、ヤツガシラとなった。
  

 オヴィディウス(『変身物語』第6巻)名文以下、ラテン系の作家では、ツバメに変えられたのがプロクネー、ナイチンゲールに変えられたのがピロメーラーとなる。ロバート・グレイヴズ『ギリシア神話』は、(舌切りの件を書いていないヒギヌス以外の)古代の神話作家はみな、舌を切られたのはピロメーラーだとするが、それは間違いで、舌を切られたのはプロクネーだとする。そして、この「途方もないロマンス」は、トラーキア=ペラスゴイ人の一連の壁画を間違って解釈したものだという。

 プロクネーの舌を切り取ったという話は、つぎのような情景を誤って解釈したものであろう。つまり、ひとりに巫女が予言をおこなうにあたって、まず月桂樹の葉をかんで恍惚状態におちいる。彼女の表情がゆがんで見えるのは、陶酔のためであって苦痛によるわけではない。そして切り取られた舌のように見えるのは実際は月桂樹の葉で、これは彼女のとりとめもないうわごとを解釈する祭司が手渡したものなのである。

 花嫁の衣装に文字を縫いこんだというのも、別の情景を誤って解釈したのである。すなわちタキトゥス(『ゲルマーニア』第10書)が述べているケルトふうのやりかたか、あるいはヘロドトス(第4書・67)が記しているスキュティアふうのやりかたで巫女が白い布地の上に神託に用いるひとつかみの棒を投げだすと、この棒きれは文字の形をとり、巫女はその文字のなかに神託を読むのである。

 テーレウスがイテュスの肉を食うという場面では、柳の巫女が王のために生贄とされた子供の臓腑の形から預言を読みとろうとしているのである。……

 プロクネーがツバメに変えられた話は、羽毛飾りのある衣装を着た巫女が、飛びたつツバメの動きを見て占っている情景を解釈したもので、ピロメーラーがナイチンゲールに、テーレウスがヤツガシラに変えられた話も、同じような壁画の読み間違いの結果だと思われる。

 ギリシアで見られるツバメは、ヨーロッパ全域でも最もふつうに見られる"Delichon urbica"〔冒頭図〕である。これは、日本で見られるものとは異なり、喉元が赤くない。したがって、イテュスを殺したために「その胸はいまでも息子の血に赤く染まっている」というのは(呉茂一『ギリシア神話』下、p.44)、筆が滑ったのであろうか……?

 ナイチンゲールは、ギリシア語ではアエードーン(aedon)というが、これは「歌う(aeidein)」という動詞からできた語である。古代ギリシア人にとっても、ナイチンゲールはいい声で歌うものの筆頭であったようだ。そして、セミもまたナイチンゲールに喩えられた。

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 ヤツガシラ〔上図〕はギリシア語でエポプス(epops)というが、これはその鳴き声から名づけられたらしい。アリストパネスの『鳥』226ff. において、鳥の王ヤツガシラは次のように諸鳥を呼び集める —

   0Epopopoi~ popoi~, popopopoi~ popoi~,
  i)w\ i)w\ i1tw,
  i1tw tij w{de tw~n e)mw~n o(mopte/rwn.


   えぽぽぽい、ぽぽい、ぽぽぽぽい、ぽぽい。
   おい、おい、来い、来い、来い、
   来いよみな、ここへ、わしみたように翅のある者どもは、




[画像出典]
イワツバメ(Delichon urbica)

ナイチンゲール(Luscinia megarhyhchos)

ヤツガシラ(Upupa epops)