[I]
2.1.1
さて、デウカリオーンの族をわれわれは詳述したから、引き続いてイーナコスの〔族〕のことを言おう。
オーケアノスとテーテュースとの間に一子イーナコスが生まれ、アルゴスにある河はこれにちなんでイーナコスと呼ばれる。この者と、オーケアノスの娘メリアーとにポローネウスとアイギアレウスが生まれた。ところが、アレギアレウスの方は子どもがなくて死に、全土はアレギアレイアと呼ばれたが、ポローネウスの方は、後にペロポンネーソスと命名された全土を権力支配して、ニンフのテーレディケーからアーピスとニオベーとを2.2.1もうけた。ところが、アーピスの方は、自分の権力を僭主制に変革し、横暴な僭主となって、ペロポンネーソスを自分にちなんでアーピアーと名づけたが、テルクシオーンとテルキースとに策謀されて、子どもなくして死に、神と考えられて、サラーピスと呼ばれた。他方、ニオベーとゼウス(彼女はゼウスが死すべき女と交わった最初の相手である)からは一子アルゴスが、しかしアクーシラーオスの謂うところでは、ペラスゴスも生まれた。この者にちなんで、ペロポンネーソスに住む者たちはペラスゴイと呼ばれたのである。しかしヘーシオドスは、2.3.1ペラスゴスは土地生え抜きの者であると謂う。しかしながら、この者に関しては、われわれは再度述べることがあろう。アルゴスはといえば、王国を得ると、ペロポンネーソスを自分にちなんでアルゴスと呼び、ストリューモーンと、ネアイラの娘エウアドネーを娶って、エクバソス、ペイラース、エピダウロス、クリーアソスを子づくりした。この〔クリーアソス〕が王国をも継承した。
2.4.1
エクバソスにはアゲーノールが生まれ、この者の子がパノプテース〔「すべてを見る者」の意〕と言われるアルゴスである。つまり、この者は眼を全身に有し、能力は卓越していて、一方では、アルカディアを悩ませていた牡牛を退治してその皮を身にまとい、他方では、アルカディア人たちに不正をはたらいて家畜を奪っていたサテュロスに退治して殺害した。さらに、タルタロスとゲーとの娘で、通りがかった者たちを掠っていたエキドナを、眠っているところをねらって殺したとも言われている。彼はまた、アーピス殺しについても、2.4.10犯人どもを殺して、報復をした。
2.5.1
アルゴスと、アーソーポスの娘イスメーネーには一子イーアソスがいた。この者の子がイーオーだと謂われている。しかし年代記作者カストールや悲劇詩人の多くは、イーオーはイーナコスの子だと言っている。しかし、へーシオドスとアクーシラーオスは、彼女はペイレーンのであると謂う。この女はへーラーの祭司職にあったのを、ゼウスが凌辱した。だがヘーラーに目撃されたので、〔ゼウスは〕乙女に触れて白い牝牛に変身させ、彼女と同衾したことはないと誓った。それ故へーシオドスは、恋情のために生じる誓いは、神々からの怒りを招来することはないと謂っているのである。しかしへーラーはゼウスから牝牛を請い受けて、その番人にパノプテースのアルゴスを任じた。これをペレキューデースはアレストールの子であると言い、アスクレーピアデースはイーナコスの、ケルココープスは、アルゴスと、アソーポスの娘イスメーネーの子であると言っている。だがアクーシラーオスは、彼のことを大地より生まれたと言っている。この者〔アルゴス〕は、牝牛をミュケーナイの杜の中にある2.7.1一本のオリーヴの樹につないだ。そこでゼウスがへルメースに、この牝牛を盗むようにと言いつけたが、ヒエラクスが漏らしてしまったので、気づかれずにすることができないため、石を投げてアルゴスを殺してしまい、ここから、「アルゴス殺し」呼ばれることになったのである。そこでへーラーは、牝牛に虻を投入し、彼女〔イーオー〕は、初め、彼女にちなんでイーオニア湾と呼ばれた湾に至り、次いで、イリュリアーを通過し、ハイモス山を越え、当時はトラーキア海峡と呼ばれていたが、今は彼女にちなんでボスポロス〔「牝牛の渡し」〕と〔呼ばれる〕海峡を渡った。2.8.1さらに、スキュティアーとキメリアーの地に赴き、広大な陸地をさ迷い、エウロッパとアジアの広い海を泳ぎ渡って、最後にエジプ卜に至り、そこでもとの姿を取りもどして、2.9.1ネイロス〔ナイル〕河畔において一子エパポスを生んだ。しかしへーラーがこれを見えなくするようクーレースたちに要求した。そこで彼らは彼を見えなくした。さすがにゼウスはそれと知って、クーレースたちを殺したが、イーオーは子どもの探索に向かった。そしてシリア全土をさまよい(というのは、ビュブロス人たちの王の<妻>がそこで息子の世話をしている<ということを>漏らされたから)、エパポスを見つけ出し、エジプトに赴いて、当時エジプト人たちを王支配していたテーレゴノスに娶られた。そしてデーメーテールの神像を建造し、これをエジプト人たちはイシスと呼び、2.9.10同じくイーオーをもイシスと命名した。
2.10.1
エパポスはといえば、エジプト人たちを王支配し、ナイルの娘メムピスを娶り、彼女にちなんで都市メムピスを建て、娘リビュエーを子づくりした。リビアの地は彼女にちなんで呼ばれた。さらに、リビュエーとポセイドーンとの間に生まれたのが、双子アゲーノールとベーロスである。かくしてアゲーノールは、フェニキアに退いて王となり、そこで大氏族の祖宗となった。故に彼の話は後まわしにする。2.11.1他方ベーロスの方は、エジプトに留まって、エジプトを王支配する一方、ネイロスの娘アンキノエーを娶り、彼に双生児アイギュプトスとダナオスが生まれた。しかしエウリピデースの謂うところでは、なおそのうえにケーペウスとピーネウスが生まれたという。とにかくベーロスは、ダナオスはリビアに、アイギュプトスはアラビアに住まわせた。後者はメラムプース〔「黒足人」の意〕人たちの地を転覆させもし、2.12.1自分にちなんでエジプトと名づけた。かくして、多くの女たちから、アイギュプトスには五十人の男の子が、ダナオスには五十人の娘たちが生まれた。しかし、後になって彼らは支配をめぐって党争し、ダナオスはアイギュプトスの子どもたちを恐れ、アテーナーが彼に勧めたので、船を建造した最初の者となって、2.13.1娘たちを乗せて逃れた。そしてロドスに寄港し、リンドスのアテーナーの神像を建てた。さらにそこからアルゴスに到来したところ、当時王支配していたゲラーノールが彼に王位を引き渡した……しかしこの地方が水なしであったので ポセイドーンがイーナコスに瞋恚し、泉を枯渇させたからで、その所以は、イーナコスがこの地はへーラーのものであると2.14.1証言したからである 、娘たちを水汲みに遣った。で、彼女らの一人アミューモーネーは、水を求めているとき、鹿めがけて槍を投げたととろ、眠っているサテュロスに当たり、相手は跳び起きて、欲情して交合せんとした。ところがポセイドーンが現われたのでサテュロスは逃げ、アミューモーネーはこの神と共寝し、彼女にポセイドーンはレルネーにある2.15.1泉を漏らした。
他方、アイギュプトスの子どもたちは、アルゴスにやって来て、敵意をおさめるよう勧めるとともに、彼の娘たちを娶ることを要求した。しかしダナオスは、かつはは彼らの公言を信ぜず、かつは亡命に対して遺恨をいだいていたが、その婚姻に同意し、乙女たちを彼らに割りあてた。
2.16.1
彼らは、最年長者のヒュペルムネーストラーをリュンケウスに、ゴルゴポネーをプローテウスに選んだ。この者たちは、王の妻アルギュピエーからアイギュプトスにま生れたからである。残りの息子たちからは、ブーシリス、エンケラドス、リュコス、ダイプローンは、エウローペーからダナオスに生まれたアウトマテー、アミューモーネー、アガウエー、スカイエーを引きあてた。この娘たちは、女王からダナオスに生れたのであるが、ゴルゴポネーとヒュペルムネーストラーとは、エレパンティスからである。さらに、イストロスはヒッポダメイアを、カルコードーンはロディアーを、アゲーノールはクレオパトラーを、カイトスはアステリアーを、ディオコリュステースはヒッポダメイアを、アルケースはグラウケーを、アルクメーノールはヒッポメドゥーサを、ヒッポトオスはゴルゲーを、エウケーノールはイーピメドゥーサを、ヒッポリュトスはロデーを〔引き当てた〕。これら十人〔の息子たち〕は、アラビアの女から、処女たちの方は、森の精のニンフたちから2.18.1、すなわち、ある者たちはアトランティエから、ある者たちはポイベーから〔生まれた〕。さらに、アガプトレモスはペイレーネーを、ケルケテースはドーリオンを、エウリュダマースはパルティスを、アイギオスはムネーストラーを、アルギオスはエウヒッペーを、アルケラーオスはアナクシビエーを、メネマコスは、メーローを引きあて、これら七人〔の息子〕はフェニキア女かり、処女たちの方は、エティオピアの女より生まれた。しかし、テュリアーから生まれた息子たちは、メムピスから生まれた娘たちを、同名であるために、籤を引かずに得た。すなわち、クレイトスはクレイテーを、ステネロスはステネレーを、2.19.1クリューシッポスはクリューシッペーを。また、水のニンフであるカリアドネーから生まれた十二人の子どもたちは、水のニンフであるポリュクソーから生まれた娘たちを抽籤した。つまり、男児は、エウリュコロス、パンテース、ペリステネース、へルモス、ドリュアース、ポタモーン、キッセウス、リクソス、イムブロス、ブロミオス、ポリュクトール、クトニオス、乙女たちは、アウトノエー、テアーノー、エーレクトラー、クレオパトラー、エウリュディケー、グラウキッベー、アンテーレイア、クレオドーレー、エウヒッペー、エラトー、2.20.1ステュグネー、ブリュケーである。さらに、コルゴーン<から>アイギュプトスに生まれた息子たちは、ピエリアーから生まれた娘たちを抽籤し、引き当てたのは、ペリパースはアクタイエーを、オイネウスはポダルケーを、アイギュプトスはディオークシッペーを、メナルケースはアディテーを、ラムポスはオーキュペテーを、イドモーンはピュラルゲーを。さらに、最年少は八人である。すなわち、イーダースはヒッボディケーを、ダイプローンはアディアンテーを(この女たちは、ヘルセーを母として生まれた)、パンディーオーンはカッリディケーを、アルベーロスはオイメーを、ヒュペルビオスはケライノーを、ヒッポコリュステースはヒュペリッペーを〔引き当てた〕。これらの男児はへーパイスティネーから、女たちの方はクリノーから生まれた。
2.21.1
さて、彼らが結婚の相手を引きあてるや、〔ダナオスは〕饗応をした後、娘たちに短刀を与えた。すると彼女たちは、眠っている花婿たちを殺した、ヒュペルムネーストラーは別である。というのは、彼女はリュンケウスが自分の処女性を守ってくれたので救ったのである。それ故、2.22.1ダナオスは彼女を幽閉して見張りをつけた。しかしダナオスの他の娘たちは、花婿たちの首は、レルネーに埋め、身体の方は、都市の前に葬った。そして、アテーナーとへルメースとが彼女たち浄めた。ゼウスの命によってである。ダナオスはといえば、その後ヒュペルムネーストラーをリュンケウスといっしょにしてやり、残りの娘たちは、体育競技において勝利者たちに与えた。
2.23.1
ところで、アミューモーネーはポセイドーンからナウプリオスを生んだ。この者は長命であったが、海を航行しては、烽火を上げて、引っ掛かった者たちに死をもたらした。ところが、自分もまた、他の者たちが命終するときは堪えがたかったあの同じ死で以て彼もまた命終する結果となった。だが命終する前に、悲劇詩人の言うところでは、カトレウスの娘クリュメネーを、『ノストイ』の著者によれば、ピリュラーを、ケルコープスによれば、へーシオネーを娶り、生んだのがパラメーデース、オイアクス、ナウシメドーンである。
[II]
2.24.1
さて、リュンケウスは、ダナオスの後をうけてアルゴスを権力支配し、ヒユペルムネーストラーから一子アバースをもうけた。そしてこの者と、マンテイネウスの娘アグライアーとから生まれたのが、双生児のアクリシオスとプロイトスである。この者たちは、まだ胎内にある時にさえお互いに争い合い、生育するや、王位をめぐって戦争し、戦争しつつ、盾の最初の夜明者となった。そして覇権をとったアクリシオがプロイトスをアルゴスから2.25.1放逐した。そこで相手〔プロイトス〕は、リュキアーのイオバテースのもとに、しかし一部の人たちの謂うには、アムピアナクスのもとに赴いた。その者の娘、ホメーロスによれば、アンテイア、悲劇詩人たちによればステネボイアを娶った。そして舅は彼をリュキアーの軍隊とともに引き戻し、ティーリュンスを攻略た。これ〔ティーリュンス〕はキュクロープスたちが彼のために城壁を築いた都市である。彼らはアルゴス全土を分割して居を構え、アクリシオスはアルゴスを、2.26.1プロイトスはティーリュンスを王支配した。そして、アクリシオスには、ラケダイモーンの娘エウリュディケーからダナエーが、プロイトスには、ステネボイアからリュシッペー、イーピノエー、イーピアナッサが生まれた。しかし後者の娘たちは、成人するや気が狂ったが、その所以は、へーシオドスが謂うには、ディオニューソスの入信秘儀を受け入れなかったため、しかしアクーシ一ラーオスの言うには、ヘーラーの木像を2.27.1軽んじたためである。かくて気狂いとなった彼女らは、アルゴス全土をさ迷い歩き、さらにはアルカディアを通過し、全くしどけないふうをして荒地を駈けぬけた。そこで、アミュターオーンと、アバースの娘エイドメネーとの子メラムプースは、占い師であり、薬と潔めによる治療法の最初の発見者であったから、権力の三分の一をくれるなら、処女たちを治療しようと請け合った。2.28.1ところがプロイトスは、それほど莫大な報酬での治療を任せなかったので、頼まなかったので、処女たちはますますひどく気が狂い、かてて加えて、残りの女たちまで彼女らとともに狂った。というのも、彼女らは自分の家を捨て、わが子たちを滅ぼし、荒地に通ったのである。かくて、災禍が最大に達するに及んで、プロイトスは求められた報酬を与えようとした。すると相手は、自分の兄弟のビアースが同じだけの土地を別にもらえるならば治療しようと請け合った。そこでプロイトスは、治療が遅れて、2.28.10それ以上を求められるのではないかと恐れて、その条件で治療してもらうことに同意した。そこでメラムプースは、若者たちの中で最も逞しい者たち引き連れ、鬨の声と一種神憑った舞踏で、彼女らを山地からシキュオーン方面に追い立てた。この追い立ての際に、娘たちの中でイーピノエーは往生を遂げた。が、残りの娘たちは、潔めに与って正気に戻る結果となった。そしてこの女たちをプロイトスは、メラムプースとビアースとに妻として与え、その後、〔プロイトスは〕一子メガペンテースをもうけた。
[III]
2.30.1
ところで、シーシュポスの子グラウコスの子ベレッロポンテースは、心ならずも兄弟デーリアデースを、しかしある人たちが謂うにはペイレーンを、他の人たちによればアルキメネースを殺し、プロイトスのもとに来て、罪を潔められた。そしてステネボイアが彼に恋情をいだき、交わりの申し出を言い遣った。ところが相手が断ったので、プロイトスに向かって、ベレッロポンテースが自分に堕落を誘う言葉を寄越したと言った。するとプロイトスは信用して、書簡をイオバテースのもとに持参するよう与えたが、その中に記されていたのは、2.31.1ベレッロポンテースを殺すようにということであった。そこで、イオバテースは読むと、キマイラを殺すよう彼にいいつけた。彼がこの獣によって滅亡させられると考えたからである。なぜなら、それは一人はもとより、多数の人にとっても捕らえ易くはなく、頭は獅子のそれ、尾は大蛇のそれ、中央にある三番目の頭は山羊のそれで、そこから火を吐いていた。そしてこの地を滅亡させ、家畜を悩ましていた。というのは、一頭の自然本性が、三頭の獣の能力を有していたからである。言い伝えられているところでは、ホメーロスも述べているとおり〔Il. XVI. 328〕、アミソーダロスに養育され、2.32.1ヘーシオドスが記録しているとおり〔Theog. 319〕、テューポーンとエキドナの子であるという。そこでベレッロポンテースは、ペーガソスに身を搭乗させた。これは、メドゥーサとポセイドーンとから生まれた有翼の馬で、彼が所持していたものであるが、これによって高みに引き上げられ、キマイラを射斃した。しかし、この競い合い後、イオバテースはさらに彼に、ソリュモイ人たちと闘うよういいつけた。しかし、これをも仕遂げるや、2.33.1アマゾーン女人族と競い合うよう彼にいいつけた。彼女らをも殺してしまうや、当時リュキアー人中若さの点で抜きん出ている者たちを選抜し、待ち伏せして彼を殺すよういいつけた。ところが、これらの者たちをもすべて殺してしまうや、彼の力に驚いてイオバテースは、手紙を示し、かつは自分のところに留まるよう要請した。さらに彼に娘のピロノエーを与え、死ぬ時に彼に王国を遺した。
[IV]
2.34.1
かたや、〔プロイトスの双子の兄弟〕男児の誕生について神託をうかがったアクリノシオスには、神が、娘から子どもが生まれ、それが彼を殺すと謂った。そこでアクリシオスはそのことを怖れ、地下に青銅の部屋をこしらえ、ダナエーを監禁した。この女を、一部の人たちが言うには、プロイトスが凌辱し、これにより彼らの間に諍いも勃発し。だが一部の人たちの謂うには、ゼウスが黄金に変身して、屋根を通して2.35.1ダナエーの懐(kovlpoV)に流れこんで交合したという。しかし後にアクリシオスは彼女からペルセウスが生まれたことを察知して、ゼウスに凌辱されたとは信じず、娘を子どもとともに箱に入れて、海に投じた。しかし箱がセリーポスに漂着した時、2.36.1ディクテュスがこれ〔ペルセウス〕を拾い上げて養育した。しかし、ディクテュスの兄弟で、セリーポスを王支配していたポリュデクテースがダナエーに恋したが、ペルセウスが成人したので、彼女といっしょになることができず、オイノマオスの娘ヒッポダメイアとの結婚のために寄附(e[ranoS)を集めると言って、友たちと、これとともにペルセウスをも呼び集めた。するとペルセウスが、ゴルゴーンの首でも否まないと云ったので、残りの者たちからは馬を所望したが、ペルセウスからは馬を受取らず、ゴルゴーンの首を持って来るようにいいつけた。2.37.1そこで彼は、へルメースとアテーナーに導かれて、ポルコスの娘たちであるエニューオー、ペプレードー、デイノーのところにあらわれた。この女たちこそ、ケートーとポルコスの娘で、ゴルゴーンたちの姉妹であり、生まれた時から老婆であった。三人は一つの眼と一つの歯を持ち、これを互いに順番に使いまわしていた。ペルセウスはこれを自分のものとし、彼女らが返還要求すると、ニンフたちの所へ通ずる道を教えてくれれば2.38.1返そうと言った。ところで、これらのニンフたちは有翼のサンダルと「キビシス」とを持っていた。後者は頭陀袋であると謂いつたえられる。[ところでピンダロスは、またヘーシオドスも『楯』の中でペルセウスについて、
しかし背中全体が、恐ろしき怪物<ゴルゴーンの頭を>持し、
キビシスが彼のまわりを駆けまわる。
こう述べられているのは、その中に衣服や食糧が入っているからである。]2.39.1さらに§lt;アーイデースの§gt;帽子をも持っていた。ポルコスの娘たちが教えてくれたときには、歯と眼を彼女たちに返したが、ニンフたちのところに到着すると、熱望していたものを手に入れ、キビシスは身につけ、サンダルは踵にはめ、帽子は頭に被った。これをかぶると、自分は欲するものは見ることができるが、他の者からは見られないのである。またへルメースからは、金剛の鎌をもらって、空を飛んでオーケアノスに至り、ゴルゴーンたちが眠っているところを見つけた。2.40.1ステノー、エウリュアレー、メドゥーサがそれであった。が、メドゥーサだけが不死ではなかった。それ故に、彼女の頭を狙ってペルセウスが派遣されたのである。しかしゴルゴーンたちは、頭は大蛇の鱗でとり巻かれ、歯は猪のそれのように大きく、手は青銅、翼は黄金で、2.41.1その翼で彼女らは飛んだ。さらに、目にした者たちを石に変じた。そこでペルセウスは、アテーナーが手を導いてくれたおかげで、眠っている彼女たちに忍び寄り、背を向けたまま、青銅の楯を覗きこみながら、それによってゴルゴーンの似像を2.42.1見つめ、彼女の首を切った。しかし、頭が切り離されるや、ゴルゴーンから有翼の馬ペーガソスと、ゲーリュオーンの父親クリューサーオールが跳び出した。これこそ、〔メドゥーサが〕ポセイドーンによって生んだ者たちである。さて、ペルセウスは、キビシスの中にメドゥーサの頭を入れ、再び引き返し、ゴルゴーンたちは眠りから〔醒めて〕飛び立ち、ペルセウスを追ったが、帽子のために彼を目視することが2.42.8できなかった。それによって隠されていたからである。
2.43.1
さて、彼は、ケーペウスが王支配していたエティオピアにやって来て、その娘アンドロメダーが海の怪物の餌食として供えられているのを見出した。というのは、ケーペウスの妻カッシエペイアがネーレイスたちと美しさをめぐって喧嘩し、どのニンフよりも美しいと威張った。それでネーレイスたちが憤慨し、ポセイドーンも彼女らといっしょになって怒り、この地方に高潮と怪物とを送った。ところがアムモーンが、災禍からの解放を、もしカッシエペイアの娘アンドロメダーが怪物の餌食として供えられるならばと託宣したため、2.43.10ケーペウスはエティオピア人たちに強要されて、これを実行し、2.44.1娘を岩に縛りつけたのであった。この女を目にし、ペルセウスは恋もして、もし救われた彼女を自分の妻に与えるつもりがあるならば、怪物を退治しようとケーペウスに請け合った。この条件で誓いが交わされたので、彼は怪物を待ち伏せて殺し、アンドロメダーを解放した。しかしピーネウスが、これはケーペウスの兄弟で、アンドロメダーの最初の婚約者であったが、彼に策謀したのだが、その策謀を知って、ゴルゴーンを見せて、共謀者もろとも2.45.1たちまち彼を石にしてしまった。かくてセリーポスに赴き、母親がポリュデクテースの横暴ゆえに、ディクテュスもろとも祭壇に庇護を求めているのを見出し、王宮に入って、ポリュデクテースが友人たちを呼び集めている時に、自分は面をそむけてゴルゴーンの頭を見せた。すると目にした者たちは、めいめいが2.46.1たまたま採った恰好のまま、石になってしまった。こうしてディクテュスをセリーポスの王に据えて、サンダルとキビシスと帽子とはへルメースに返したが、ゴルゴーンの首はアテーナーに〔捧げた〕。するとヘルメースは上述の品々をさらにニンフたちに返し、アテーナーは楯の中央にゴルゴーンの首を嵌めこんだ。一部の人々が言っているところでは、メドゥーサはアテーナーによって斬首されたという。彼らはまた、ゴルゴーンは美しさをめぐっても彼女〔アテーナー〕と同列に置かれようとしたという。
2.47.1
さらにペルセウスは、ダナエーとアンドロメダーともどもアルゴスに急いだ。アクリシオスに会うためである。ところが相手は<これを知って>神託を恐れて、アルゴスを去り、ペラスギオーティスの地に退いた。ところが、ラーリッサ人たちの王テウタミデースが、往生を遂げた父親のために運動競技を催したので、ペルセウスも競い合おうとしてやって来て、五種競技を競い合っているとき、円盤がアクリシオスの足に当たり、たちどころに彼を2.48.1殺してしまった。こうして神託が成就したことを察知して、アクリシオスを市外に葬り、だが、自分のせいで死んだ人の相続をするためにアルゴスに帰ることを恥じて、ティーリュンスのプロイトスの子メガペンテースのところに赴き、交換を行い、彼にアルゴスを預けた。そしてメガペンテースはアルゴス人たちを王支配し、ペルセウスの方はティーリュンスを〔王支配し〕、さらにミデイアとミュケーナイとを2.49.1城壁で囲んだ。アンドロメダーから彼に生まれた子どもたちは、ギリシアに来る前にはペルセース、これはケーペウスのところに残した(この者からはペルシア人たちの王が生まれたと言われている)。ミュケーナイではアルカイオス、ステネロス、へレイオス、メーストール、エーレクトリュオーン、そして娘のゴルゴポネー、これを娶ったのがペリエーレースである。
2.50
さて、アルカイオスと、ペロプスの娘アステュダメイア、一部の人の言うにはグーネウスの娘ラーオノメー、しかしまた他の人々によればメノイケウスの娘ヒッポノメーからアムピトリュオーンと娘のアナクソーが生まれ、メーストールと、ペロプスの娘リューシディケーとからは、ヒッポトエーが生まれた。この女をポセイドーンが掠って、エキーナデス群島に連れて行って交わり、もうけたのがタピオス。この者はタポスを建設し、国民をテーレボエースと2.51.1呼んだ。祖国から遠く(thlou:)離れたからである。タピオスからは、一子プテレラーオスが生まれた。これをポセイドーンは、その頭に黄金の毛髪を植えて不死とした。さらに、プテレラーオスに生まれた男児が、クロミオス、テュランノス、アンティオコス、ケルシダマース、メーストール、エウエーレースがある。
2.52.1
他方、エーレクトリュオーンは、アルカイオスの娘アナクソーを娶って、娘としてはアルクメーネー、男児としては<ストラトバテース>、ゴルゴポノス、ピューロノモス、ケライネウス、アムピマコス、リューシノモス、ケイリマコス、アナクトール、アルケラーオスをもうけ、この子の後では、プリュギア女ミデアから庶子リキュムニオスをももうけた。
2.53.1
他方、ステネロスと、ペロプスの娘ニキッペーからは、アルキュオネーとメドゥーサ、後にはエウリュステウスが生まれた。この者はミュケーナイをも王支配した。というのは、へーラクレースが生まれんとした時、ゼウスは神々の前で謂った、ペルセウスから生まれるであろう者がいつかミュケーナイ人たちを王支配するであろう、と。ところが、へーラーは嫉妬から、エイレイテュイアにアルクメーネーの出産を阻止するように説得し、他方、ステネロスの子エウリュステウスが、妊娠七ヵ月であったが、生まれるよう準備した。
2.54.1
また、エーレクトリュオーンがミュケーナイ人たちを王支配していた時、プテレラーオスの子どもたちがタポス人と連れだってやって来て、外祖父メーストールの領地を返還要求し、エーレクトリュオーンが耳をかさないので、牝牛たちを追い立てようとした。しかしエーレクトリュオーンの子どもたち防衛したので、彼らは組み合って互いに殺し合った。しかしエーレクトリュオーンの子どもたちの中でまだ年少であったリキュムニオスが、他方、プテレラーオスの〔子ども〕たちの中では、エウエーレースが生き残った。後者は、たまたま2.55.1船を守っていたのである。かくて、タポス人たちの中で逃れた者たちは、追いたててて来た牝牛たちを連れて出航し、エーリス人たちの王ポリュクセノスに預けた。しかしアムピトリュオーンがポリュクセノスから贖って、これをミュケーナイに連れて行った。しかしエーレクトリュオーンは子どもたちの死の復讐をしたいと望んで、王国と娘のアルクメーネーとをアムピトリュオーンに委ね、帰ってくるまで彼女を処女のまま守ることを誓わせたうえで、2.56.1テーレボエース人たちに対して出征することをもくろんだ。ところが、彼が牝牛たちを受取ろうとしていた時、一頭が跳び出したので、アムピトリュオーンが手にしていた棒をそれに向けて投げたところ、それは角に跳ね返されて、エーレクトリュオーンの頭に命中して彼を殺してしまった。このゆえに、ステネロスは、これを口実にして、アルゴス全土からアムピトリュオーンを迫放し、ミュケーナイとティーリュンスの支配権を自分が手中におさめた。また、ミデアをば、ペロプスの子どもたちであるアトレウスとテュエステースを呼び寄せ、これらに引き渡した。
2.57.1
アムピトリュオーンはといえば、アルクメーネーとリキュムニオスを連れてテーバイにやって来て、クレオーンによって罪を潔められ、妹のペリメーデーをリキュムニオスに与えた。他方アルクメーネーの方は、自分の兄弟の死の復讐をしてくれれば彼に娶られると言うので、アムピトリュオーンは請け合って、テーレボエース人たちに対して出征しようとし、クレオーンに協力を頼んだ。すると相手は、先に彼がカドメイアから雌狐を追い払ってくれたら出征しようと謂った。というのは、獣の狐がカドメイアを荒らしていたのである。そこで引き受けたものの、何びともこれを捕えることができないよう2.58.1運命づけられていた。しかしこの地方が不正されるので、テ−バイ人たちは毎月、町衆の子どもを一人、これに供えていた。もしそうしないと、大勢を掠うからである。そこでアムピトリュオーンは、アテーナイに、デーイオネウスの子ケパロスのところに出かけて、テーレボエース人たちからの分捕品の分け前を条件に、プロクリスがミーノースからもらってクレータ島から連れて来た犬を狩りに連れて来るよう
に説き伏せた。しかしこの犬にも、追いかけたものは何でもすべて捕えることが運命として2.59.1定められていた。そういう次第で、この犬によってあの狐が追われた時、ゼウスは両方を石に化した。アムピトリュオーンはといえば、共闘者として、アッティカのトリコスからはケパロスを、ポーキス人たちからはパノペウスを、アルゴスのへロースからはペルセウスの子へレイオスを、テーバイからはクレオーンを得て、2.60.1タポス人たちの島々を略奪した。とはいえ、プテレラーオスが生きている間は、タポスを陥落させることはできなかった。しかし、プテレラーオスの娘コマイトーがアムピトリュオーンに恋して、父の頭から黄金の毛を抜き取るや、プテレラーオスは命終したので、島嶼をすべて手中におさめた。そこでアムピトリュオーンはコマイトーは殺し、分捕品を持ってテーバイに航行し、島々をへレイオスとケパロスに与えた。そして彼らは自分たちの名をとって都市を2.60.9建設して住みついた。
2.61.1
ところで、アムピトリュオーンがテーバイに着く前に、ゼウスは夜の間にやって来て、その一夜を三倍にし、アムピトリュオーンの姿となってアルクメーネーと寝床を共にして、テーレボエース人たちに関する出来事を語った。ところが、アムピトリュオーンが帰着して、妻が自分に対して愛情深い態度を示さないのを見て、その理由を問いただした。すると、前夜やって来て自分と共寝した云うので、テイレシアースから、ゼウスとの交わりが起こったことを知った。かくてアルクメーネーは2.61.10二人の子どもを生んだ、ゼウスには、一夜だけ年長のヘーラクレースを、アムピトリュオーンにはイーピクレースを。で、この子が生後八ヶ月の時に、二匹の巨大な蛇をヘーラーが臥床に送った。嬰児を滅亡させるつもりであった。そこでアルクメーネーはアムピトリュオーンに助けを求めたが、へーラクレースが立ち上って、それぞれの手でそれらを締めて滅亡させた。しかしペレキューデースが謂うには、アムピトリュオーンが、どちらが彼の子どもであるかを知りたいと望み、蛇を臥床に投げ込んだ、するとイーピクレースは逃げたが、へーラクレースは立ち向かったので、イーピクレースが彼から生まれたとさとったという。
2.63.1
さて、へーラクレースが教授されたのは、アムピトリュオーンによっては戦車を禦することを、アウトリュコスによっては相撲を、エウリュトスによっては弓射を、カストールによっては武器の遣い方を、リノスによっては弾琴をである。この者はオルペウスの兄弟であった。そして、テーバイにやって来て、テーバイ人となったが、へーラクレースに竪琴で撃たれて死んだ。というのは、彼〔リノス〕が撲ったことに怒って、殺してしまったのである。そこである人たちが、彼を殺人罪に告発したとき、先に不正な攻撃を始めた者に対して自衛する者は無罪と言ったラダマンテュスの法を読みあげて、そうやって放免された。しかしアムピトリュオーンは、何かそのようなことを再びするのではないかと恐れて、彼を牛飼場に送った。そしてそこで養育されて、大きさといい力といい、だれよりも抜きん出た者となった。一目見ただけでも、彼がゼウスの子であることは明らかであった。実際、身体は4ペーキュスあり、眼は光り輝いていた。矢を射ても槍を投げても、2.64.10
2.65.1
牛飼いの仲間にいたときには、十八歳でキタイローン山の獅子をやっつけた。というのは、こいつがキタイローンから飛び出して来て、アムピトリュオーンとテスピオスの牝牛たちを台無しにしたからである。ところで、この人物はテスピアイ人たちの王で、2.66.1へーラクレースは獅子を捕えようと思って彼の所へやって来た。すると相手はへーラクレースを五十日間客遇し、狩りに行くたびに、毎夜1人の娘に寝床を共にさせた(彼には、アルネオスの娘メガメーデーから生まれた50人の娘がいたからである)。つまり、すべての娘がへーラクレースから子づくりすることを切望したのである。ヘーラクレースの方は、いつも寝床を共にする女は1人だと信じて、すべての娘と交合した。そうして獅子を手にかけ、その皮は身にまとい、その大口は、兜として用いた。
2.67.1
さて、狩りから戻ってくる彼に出会ったのが、テーバイからの貢物を受取るためにエルギーノスに遣わされた使者たちであった。テーバイ人たちがエルギーノスに貢物を納めていたのは、以下の理由による。ミニュアース人たちの王のクリュメノスを、メノイケウスの御者で名をペリエーレースという者が石を投げて、オンケーストスにあるポセイドーンの神域で傷つけた。王は半死の状態でオルコメノスに運ばれ、命終する折に、自分の死の復讐をするよう、2.68.1わが子エルギーノスに遺命した。そこでエルギーノスはテーバイに出征し、少なからぬ人々を殺し、テーバイ人たちは20年間毎年牝牛百頭を貢物として送るという誓いで以て休戦した。この貢物をとりにテーバイに赴く使者たちに出遇って、へーラクレースはひどい目にあわせた。というのは、彼らの耳と鼻を削ぎ落とし、左手を切り取り、縄で手を頸に結びつけ、これ貢物としてエルギーノスと2.69.1ミニュアース人たちのために持って行くようにと言った。このことに憤って、〔エルギーノスは〕テーバイに出征した。するとへーラクレースはアテーナーから武器をもらって、大将となり、エルギーノスをば殺し、ミニュアース人たちを敗走せしめ、テーバイ人たちに二倍の貢物を納めるよう強要した。しかしながら戦闘では、2.70.1アムピトリュオーンが気高く戦って戦死する結果になった。しかしヘーラクレースはクレオーンから最優賞として長女メガラーをもらい、彼女から彼に三人の子どもたち、テーリマコス、クレオンティアデース、デーイコオーンが生まれた。妹の方をばクレオーンはイーピクレースに与えたが、彼はアルカトゥースの娘アウトメドゥーサにからすでに一子イオラーオスをもうけていた。またゼウスの子ラダマンテュスは、アムピトリュオーンの死後アルクメーネーをも娶り、亡命者としてボイオーテイアーのオーカレアイに住んだ。
2.71.1
さらに、へーラクレースは〔エウリュトスに加えて〕この人物〔ラダマンテュス〕から弓射術をさらに学び、へルメースからは剣を、アポッローンからは弓を、へーパイストスからは黄金の胸当てを、アテーナーからは長衣をもらった。ただし棍棒は自分でネメアで切り取った。
2.72.1
ミニュアース人たちとの戦闘の後、へーラーの嫉妬のために気が狂い、メガラーからもうけた自分の子どもたちと、イーピクレースの二人の子どもとを火中に投じということが彼に起こった。そのため、自分自身に追放の有罪判決を下し、テスピオスによって〔罪を〕潔められて後、デルポイに赴いて、2.73.1どこに居住すべきかを神に訊いた。するとピュートーの巫女は、その時初めて彼をへーラクレースと命名した。というのは、それまではアルケイデースと命名されていたのだ。そして彼に、ティーリュンスに住み、エウリュステウスに12年間奉仕して、課せられる12の功業を達成するよう、そうすれば、と彼女〔巫女〕は謂った、功業が完遂されたとき、彼は不死となるであろうと。
[V]
2.74.1
これを聞いてへーラクレースはティーリュンスに行き、エウリュステウスに課せられることを遂行した。そういう次第で、第一に、ネメアーの獅子の皮を持って来るよう彼にいいつけた。しかしこれは不死身の動物で、テューポーンから生れたものである。さて、獅子を目指して旅を続け、クレオーナイに至り、貧乏人モロルコスのところで客遇された。そして犠牲を供犠しようとしている彼〔モロルコス〕に、第三十日まで待つように、と彼は謂った、そして狩りから無事帰ってきたら、救主ゼウスに供犠するよう、もし死んだら、その時は半神として供えるように、と。2.75.1かくてネメアーに到着し、獅子を探し出し、先ず弓で射た。しかし不死身であることを知るや、棍棒を振りかざして追った。すると、そいつは両方に入口のある洞穴に逃げ込んだので、一方の入口を塞ぎ、別の〔入口〕から獣に向かって入って行き、手を頸に巻きつけて、窒息するまで腕で締め上げ、そして肩にかついでクレオーナイへ運んだ。そして、モロルコスが最後の日に死者に犠牲を供えようとしているのを見出し、2.75.10救主ゼウスに供犠し、獅子をミュケーナイに持って行った。2.76.1しかしエウリュステウスは、彼の勇ましさに度肝を抜かれ、以降は都市に立ち入ることを彼に禁じ、しかし門の前で功労〔の成果〕を示すように命じた。また言い伝えでは、彼は恐れから、地下に隠れられるよう自分のために青銅の甕をさえ準備したという、そして功労に関する伝令として、エーリス人ペロプスの子コプレウスを遣っていいつけたという。ところで、この人物は、イーピトスを殺して、ミュケーナイに逃れ、エウリュステウスからの罪の浄めに与って、そこに住んでいたのである。
2.77.1
第二の功労としては、レルネーの水蛇を殺すことを彼にいいつけた。これはレルネーの沼澤地に育ち、平野に出てきては、家畜や土地を滅亡させていたやつである。しかし水蛇は巨大な身体を有し、頭は九つあり、八つは可死であったが、2.78.1真ん中のは不死であった。そこで彼は戦車に乗り、イオラーオスが御者となり、レルネーに着くと、馬を止め、水蛇をば、とある丘上の、アミューモーネーの泉の傍に見出した、ここにそやつの巣穴があった。火のついた矢弾を投げて、外に出て来ざるを得なくさせ、かくてそやつが出てきたところを取り押さえた。ところが、相手は彼の片方の足に巻きついた。そこで棍棒で頭を叩いたが、何の効果もあげえなかった。というのは、一頭が叩かれても、二頭が生え出るからである。しかも蟹が、足に咬みついて、水蛇を助勢した。それで、これを殺し、彼もまた大声でイオラーオスに援けを求め、この者は近くの森の一部に火をつけて、その燃木で以て頭の生え口を焼いて、2.80.1生え出て来るのを阻止した。この仕方で、生え出て来る頭を平らげ、不死の〔頭〕を切り離して埋め、重い岩を載せた。レルネーを経てエライウースに通ずる道の傍にである。水蛇の身体の方は引き裂いて、その胆汁に矢を浸した。しかしエウリュステウスは、この功労を十の〔功労の〕中に算入してはならないと謂った。独力ではなく、イオラーオスも協力して水蛇を平らげたからである。
2.81.4
第三の功労として、ケリュネイアの鹿を生きたままミュケーナイへ連れて来ることを彼にいいつけた。その鹿とは、オイノエーにいて、黄金の角をしていて、アルテミスの聖獣であった。そうであればこそ、へーラクレースはそれを殺すことも傷つけることも望まず、まる一年間追跡した。そして獣が追われて疲れ、アルテミーシオンと呼ばれる山に逃れ、そこからラードーン河に行き、これを渡ろうとしているところを射て捕え、肩にかついで2.82.1アルカディアーを急ぎ過ぎろうとした。しかしアポッローンともどもアルテミスが行き遇って、奪わんとし、自分の聖獣を殺そうとしたことを責めた。しかし彼はそのやむを得ざるところを申し開き、エウリュステウスが責任者であることを言い立てて、女神の怒りを宥め、獣を生きながらミュケーナイに連れて行った。
第四番目の功労として、エリュマントスの猪を生きながら連れて来ることを彼にいいつけた。この獣とは、エリュマントスと呼ばれる山から突進してきて、プソーピスに不正していた。そういう次第で、、ポロエーを過ぎろうとして、セイレーンと秦皮のニンフとの子であるケンタウロスのポロスに客遇された。この者は、へーラクレースには焙った肉を供しながら、自分は生肉を用いた。2.84.1さらにへーラクレースが酒を要求すると、ケンタウロス族の共有の甕を開けることは恐ろしいと謂った。しかしへーラクレースは、心配するなと言って、それを開けた。すると、久しからずして、香を嗅ぎつけたケンタウロスたちが、岩と縦の木で武装して、ポロスの洞穴にやって来た。そこで、大胆にも最初に押し入ってきたアンキオスとアグリオスをば、へーラクレースは燃木を投げつけて退散させ、残りの者たちをば、矢で射てマレアーまで追いかけた。2.85.1そこからは、ケイローンのところに庇護を求めた。この者は、ラピテース人たちによってパリオン山から追われてマレアーに住みついていたのである。この者のまわりに小さくなっているケンタウロスたちを射て、へーラクレースが矢弾を放ったところ、エラトスの腕を射抜いて、ケイローンの膝にささった。で、へーラクレースが困って、走りよって矢を引き抜き、ケイローンが与えた薬を当てた、しかし傷が不治であったので、〔ケイローンは〕洞穴の中に引き上げた。そこで命終することを望んだが、不死であるためにそれが出来ず、2.85.10プロメーテウスが彼の代わりに不死となるべく2.86.1ゼウスに自らを提供し、そうやって死んだ。そして残りのケンタウロスたちは、各人各様に逃れ、一部の者たちはマレアー山に、エウリュティオーンはポロエーに、ネッソスはエウエーノス河にたどりついた。残りの者たちはポセイドーンがエレウシースに引きうけて、山中に隠した。またポロスは、死体から矢を抜いて、小さなものがこのように大きなものたちを滅亡させていたことに驚いた。ところがそれが手から滑り落ちて足にあたり、たちまち彼を殺してしまった。2.87.1そしてポロエーに帰って来たへーラクレースは、ポロスもまた命終したのを見て、彼を葬ったうえで、猪狩りにと出かけ、とある繁みからでてきたこれを大声で叫びつつ追い、深い雪の中に居合わせたところを追い込んで、罠にかけて捕まえ、ミュケーナイに連れて行った。
2.88.1
第五の功労として、アウゲイアースの家畜の糞を、一日の中に一人で運び出すことを彼にいいつけた。アウゲイアースとは、エーリスの王であって、ある人たちの云うには、ヘーリオスの子、またある人たちによれば、ポセイドーンの子、また一部の人たちによれば、ポルバースの子ともいわれ、多くの家畜の群を所有していた。この者のところに行ってへーラクレースは、エウリュステウスのいいつけとは明かさないで、もし家畜の十分の一を自分にくれるなら、一日で糞を運び出そうと謂った。しかし2.89.1ところがアウゲイアースは信用しないままに請け合った。しかしへーラクレースはアウゲイアースの子ピューレウスを証人に立てた、そして家畜小屋の土台に穴を開け、他の出口から流出口を作っておいて、相接して流れているアルペイオスとペーネイオスの流れを引いて来た。しかしアウゲイアースは、エウリュステウスのいいつけでこれが行われたことを聞き知って、報酬を払わず、報酬を与える約束をしたことさえ否認し、とれに関して裁きをうける用意があると言った。2.90.1かくて裁判官が着席した時、ピューレウスはへーラクレースのために父親に不利な証言をした、彼に報酬を与えることに同意したと云ったのだ。そこでアウゲイアースは怒って、投票が行われる前に、ピューレウスと2.91.1へーラクレースに、エーリスから立ちのくように命じた。そういう次第で、ピューレウスはドゥーリキオンに行って、そこに居を構え、へーラクレースはオーレノスのデクサメノスの所に行き、この者がやむを得ず娘のムネーシマケーをケンタウロスのエウリュティオーンと婚約させようとしているのを見出した。彼に助けを求められて、エウリュティオーンが花嫁をもらいに来たところを殺した。エウリュステウスは、この功労をも十の中に加えなかった、報酬のためになされたと言ってである。
2.92.1
第六の功労として、ステュムパーロスの鳥を追いはらうことを彼にいいつけた。アルカディァーの都市ステュムパーロスには、ステュムパーリスと言われる湖水があって、深い森に蔽われていた。この森の中に、数知れぬ鳥が避難していた。狼たちに2.93.1掠われることを恐れていたのだ。ところが、へーラクレースは、どうやって森から鳥たちを追い出したらよいか、術がなかったとき、アテーナーが青銅のがらがらをへーパイストスから得て、彼に与えた。これを、湖のそばのとある山の上で叩いて、鳥たちを恐れさせた。そして、それら〔鳥たち〕が轟きに我慢できず、恐れて飛び立った、この仕方でへーラクレースはそれらを弓で射た。
2.94.1
第七番目の功労として、クレータ島の牡牛を連れて来ることをいいつけた。これは、ゼウスのためにエウーペーを渡海させた〔牡牛〕であるとアクーシラーオスは謂うが、一部の人々たちによれば、ミーノースが、海中より現れたものをポセイドーンに供犠すると言った時に、ポセイドーンによって海中から届けられたものであるという。そして言い伝えでは、彼は牡牛の美しさを見て、これは家畜の群の中に送り、ポセイドーンには別のを供犠した、このことに怒って神は、牡牛を狂暴にしたというのである。2.95.1これを目指して、クレータにやって来たヘーラクレースは、協力を要請した彼に、ミーノースは自分で闘って捕えるようにと云ったので、捕獲して、エウリュステウスのところに連れて行って示したうえで、以後は自由に放ってやった。するとそれはスパルタとアルカディアー全土をさまよったあげく、さらにコリントス地峡を渡り、アッティカのマラトーンにやって来て、土地の者たちを悩ませた。
2.96.1
第八番目の功労として、トラーキア人ディオメーデースの牝馬たちをミュケーナイに連れて来ることを彼にいいつけた。この者はアレースとキューレーネーとの子で、トラーキアの最も好戦的なビストーン族の王で、人食い馬を所持していた。そこで、喜んで随行する者たちといっしょに航行し、牝馬の飼い葉の世話をしている者たちに暴行し、2.97.1〔牝馬たちを〕海の方へと率いた。しかしビストーン人らが武装して助けに来たので、牝馬たちは、これを守るようアブデーロスに渡した。この者は、へルメースの子で、オプースのロクリス人であり、へーラクレースの恋人であったが、これを牝馬たちは引きずって滅亡させてしまった。他方〔へーラクレースは〕ビストーン人たちを相手に闘い、ディオメーデースを殺し、残りの者たちに敗走を余儀なくさせた、そうして、滅亡したアブデーロスの墓の傍に都市アブデーラを建設したうえで、牝馬たちを連れ帰ってエウリュステウスに与えた。ところがエウリュステウスがそれらを放ってしまったので、2.97.10オリュムポス山と呼ばれる山に来て、野獣たちに滅ぼされた。
2.98.1
第九番目の功労として、ヒッポリュテーの帯を持って来るようへーラクレースにいいつけた。この女は、アマゾーン女人族の女王であって、彼女らはテルモードーン河畔に定住し、戦争の事に長けた民族であった。というのは、武勇を修練し、いつか交わって出産したなら、女の子を養育し、右の乳房は槍を投げる妨げにならぬよう潰して取り除き、左の乳房は養育のためにそのままにしておく残しておくのであった。で、ヒッポリュテーはアレースの帯を所持しており、すべての女たちの第一人者である2.99.1徴となっていた。この帯を取りにヘーラクレースが差し向けられたのは、エウリュステウスの娘アドメーテーがそれを手に入れることを欲っしたからである。そこで共闘を志願する者たちを連れ、一隻の船で航行し、パロス島に寄航した。ここに居住していたのは、ミーノースの息子たち、つまり、エウリュメドーン、クリューセース、ネーパリオーン、ピロラーオスである。そこで、船中にあった者たちのうち二人が上陸したところ、、ミーノースの息子たちによって命終することになった。彼らのために憤ったへーラクレースは、たちまち連中を殺し、残りの者たちを押しこめて攻囲し、ついに彼らは使者を送って、2.99.10自分の欲する者を誰でも二人、亡き者にされた者たちの代わりに2.100.1取るよう頼んだ。そこで彼は攻囲を解き、ミーノースの子アンドロゲオースの息子たちであるアルカイオスとステネロスとを亡き者にして、ミューシアーのダスキュロスの子リュコスの所にやって来た。そして〔彼〕によって客遇された。〔この者と〕ベブリュクス人たちの王とが会戦していたので、リュコスに味方して多くの者たちを殺したが、その連中とともに、アミュコスの兄弟ミュグドーン王も〔殺した〕。そしてベブリュクス人たちの多くの土地を割いてリュコスに与えた。彼〔リュコス〕はその地をへーラクレイアと呼んだ。
2.101.1
さて、テミスキュラの港に入港すると、ヒッポリュテーが彼を訪ね、何のために来たのかと問いただし、帯を与えると請け合ったとき、へーラーがアマゾン女人族の一人に身をやつして大衆の中を歩きまわり、やって来た異邦人たちは女王を掠って行とうとしている2.102.1と言った。そこで彼女らは武装して馬に跨り、船に押し寄せた。そこで、彼女らが武装しているのを見てへーラクレースは、これは罠だと考え、ヒッポリュテーを殺して帯を奪い取り、残りの女たちと闘いつつ出航して、トロイアーに寄港した。
2.103.1
しかしこの時、この都市はアポッローンとポセイドーンとの怒りにふれて不遇な事態に陥っていた。というのは、アポッローンとポセイドーンとが、ラーオメドーンの暴慢ををためそうと思って、人間に身をやつし、報酬をもらってペルガモンの城壁を築くことを請け合った。ところが、築き終わった彼らに報酬を支払おうとしなかった。それ故にアポッローンは疫病を送り、ポセイドーンは高潮によって運び上げられる怪物を送った、怪物は2.104.1平野で人々を掠ったのである。しかし、もしもラーオメドーンが彼の娘へーシオネーを怪物の餌食に供えるならば、災禍からの解放があろうと神託が言ったので、この人物は海の近くの岩に固定して捧げた。この女がさらされているのを見たへーラクレースは、ゼウスがガニュメーデースを掠った代償として与えた牝馬をラーオメドーンからもらえるなら救ってやろうと請け合った。するとラーオメドーンが与えようと言ったので、怪物を殺してへーシオネーを救った。が、報酬を支払うことを2.104.10断ったので、へーラクレースはトロイアーに会戦するであろうと威嚇しておいて出航した。
2.105.1
そしてアイノスに寄港し、そこでポルテュスに客遇された。出航する際に、アイニアーの海岸で、ポセイドーンの息子でポルテュスの兄弟、暴慢なサルペードーンを射殺した。そしてタソスに来て、住んでいたトラーキア人たちを手にかけ、アンドロゲオースの子どもたちに住むようにと与えた。さらに、タソスからトローネーに進発し、ポセイドーンのプローテウスの息子たちであるポリュゴノスとテーレゴノスが相撲に挑んだのを、相撲で殺した。かくて帯をミュケーナイに持って来て2.105.10エウリュステウスに与えた。
2.106.1
第十番目の功労として、ゲーリュオネースの牛たちをエリュテイアから持って来ることがいいつけられた。エリュテイアとは、オーケアノスの近くにある島で、今ではガデイラと呼ばれている。この島に、クリューサーオーンと、オーケアノスの娘カリロエーとの子、ゲーリュオネースが住んでいたが、彼は三人の男が生え出た身体を有し、それが腹で一つに合し、脇腹と太腿からは三つに分かれていた。で、彼は紅い牛を持っていて、その牛飼はエウリュティオーン、番犬は双頭の犬オルトスで、2.107.1エキドナとテューポーンから生まれたものであった。そういう次第で、ゲーリュオネースの牛を目ざして進み、ヨーロッパを通過して、多くの野生の<生き物を>やっつけ、リビアに足を踏み入れ、タルテーッソスに来り、旅の記念としてヨーロッパとリビアの山上に向かい合って二つの柱を建てた。しかし、旅の間にヘーリオスに照りつけられたので、この神を狙って弓を引きしぼった。するとそれは彼の剛気に感嘆して、2.108.1黄金の盃を与え、彼はこれに乗ってオーケアノスを渡った。そしてエリュテイアに至って、アバース山中で野営した。すると犬が察知して彼に向かって突進して来た。しかし彼はこれを棍棒で打ち、犬を助けんとした牛飼のエリュティオーンをも殺した。で、そこでハーデースの牛を飼っていたメノイテースが、出来事をゲーリュオネースに報告した。そこで彼は、アンテムース河沿いに牛を追い去りつつあるへーラクレースに追いつき、戦いを交え、射られて死んだ。2.109.1そこでへーラクレースは牛たちを盃に乗せ、タルテーッソスに渡航し、ふたたびヘーリオスに盃を返した。さらにアブデーリアを通過し、リギュスティーネーに来ると、そこで牛たちをポセイドーンの息子たちであるイアレビオーンとデルキュノスとが牛を奪わんとしたので、これらを殺し、テュッレーニアーを通って進んだ。2.110.1いかしレーギオンでは、1頭の牡牛が脱走し(ajporrhvgnusi)、急いで海に飛び込んで、シケリアに泳ぎ渡り、近くの地を通って、2.111.1エリュモイ人たちを王支配していたエリュクスの平野に来た。エリュクスはポセイドーンの子であって、彼は牡牛を自分の家畜群の中に紛れ込ませた。そこでへーラクレースは、へーパイストスに牝牛を託して、自分の探索に急いだ。そしてエリュクスの家畜の群の中で発見したが、エリュクスが相撲で自分に勝たなければ与えないと言ったので、相撲で三度勝って殺し、牡牛を手に入れて、2.112.1他の牛ともどもイーオニア海目指して追い立てた。しかし海の入江に来るや、牛たちにへーラーが虻を投入し、トラーキアの山麓でちりぢりとなった。そこで彼は追いかけてそれらを集め、へッレースポントスに引き連れて行ったが、あるものらは残されて、その後野生となった。こうしてやっとのことで牛が集まった後、ストリューモーン河を非難し、その流れはかつて航行可能であったのを、岩で塞いで航行が出来ないようにし、牛たちを持って来てエウリュステウスに与えた。すると彼〔エウリュステウス〕はこれをへーラーに供犠した。
2.113.1
かくて、これらの功労は八ヵ年と1ヵ月で完遂されが、エウリュステウスは、アウゲイアースの家畜のそれと水蛇のそれとを数に入れず、第十一番目の功労として、へスペリスたちのところから黄金の林檎を持って来るよういいつけた。これがあったのは、一部の人々がの云ったのとは違って、リビアにではなく、ヒュペルボレオス人たちの国の中のアトラースの上にあった。それは<ゲーが>へーラーを娶ったゼウスに与えたものである。守備していたのは、テューポーンとエキドナから生まれた不死の大蛇で、百の頭を有していた。2.114.1それはあらゆる種類の様々の声を用いた。それとともに、さらにへスペリスたち、つまりアイグレー、エリュテイア、へスペリアー、アレトゥーサが番をしていた。さて、旅して彼はエケドーロス河にやって来た。すると、アレースとピューレーネーとの子キュクノスが、彼に一騎打を挑んだ。アレースがこの者のために立って、一騎打を仕組んだのであるが、両人の真中に雷霆が投げられて、戦いを解いた。さらにイリュリアーを徒歩で通って、エリーダノス河へと急ぎ、ゼウスとテミスとの間に生まれた2.115.1ニンフたちの所に来た。彼女らは彼にネーレウスを漏らした。そこでへーラクレースは彼が眠っているところを捕らえ、あらゆる姿に変身するのを縛り、どこに林檎とへスペリスたちがいるか、彼から教わるまで放さなかった。で、教わってからリビアを通り過ぎた。この地を王支配していたのは、ポセイドーンの子アンタイオスで、彼は異邦人たち相撲を強要しては殺していた。2.115.7これに相撲をすることを強要されて、へーラクレースは彼と相僕するととを強いられたので、両腕で高々と差し上げ、粉砕して殺した。というのは、彼は大地に触れると一層強くなったからである。だからこそ、一部の人々は2.115.10彼は大地の子であると謂ったのである。
2.116.1
リビアの次には、エジプトを通過した。これを王支配しているのは、ポセイドーンと、エパポスの娘リューシアナッサとの子ブーシーリスであった。この王はある神託に従って、異邦人たちをゼウスの祭壇に供犠するを常としていた。というのは、九年の間不作がエジプトを見舞い、そこで学識ある占い師プラシオスがキュプロスから来て、毎年ゼウスに異邦人を生け贄を捧げるなら、2.117.1不作はやむであろうと謂ったからである。そこでブーシーリスは、先ずくだんの占い師を生け贄にしたうえで、到来する異邦人たちを生け贄にしていた。そういう次第で、へーラクレースも捕えられ、祭壇に供えられたが、縄目を破って、ブーシーリスとその子アムピダマースを殺した。
2.118.1
さらにアジアを通って、リンドス人たちの港テルミュドライに寄港した。そして、ある牛追いの牡牛たちの一方を車から外して供犠したうえで宴楽した。で、牛追いは自分ではどうするととも出来なかったので、ある山の上に立って呪った。それゆえ今でもへーラクレースに供犠する際には、呪いとともにこれを行うのである。
2.119.1
さらにアラビアに沿って進んでいる時、ティートーノスの子エーマティオーンを殺した。そしてリビアを通って外海に進み、ヘーリオスから盃を受け取った。そして、向かい側の大陸に渡り、カウカサス山上で、プロメーテウスの肝臓を食っていた鷲を射落とした、これはエキドナとテューポーンとから生まれたものである。そしてオリーヴの縛めを自ら選んだ後、プロメーテウスを解き放ち、彼の代わりに、不死でありながら死を欲したケイローンを差し出した。
2.120.1
さらに、ヒュペルボレア人たちの地のアトラースのところに来た時に、プロメーテウスがヘーラクレースに、自分で林檎を取りに行かないで、アトラースの蒼穹を引きうけて、彼を遣わせと云ったので、説得されて引きうけた。そこでアトラースは、へスペリスたちのところから林檎を3つ摘み取って、へーラクレースのところにやって来た。しかし蒼穹を持つことを望まず<林檎は自分がエウリュステウスのところに持って行くと言い、ヘーラクレースには、自分の代わりに蒼穹を支えているように命じた。ヘーラクレースは、そうしようと請け合い、巧みにそれをアトラースにかつがせた。というのは、プロメーテウスの教唆で、>頭に当て物を置く<まで天球を支えてくれと頼んだのである>。これを聞いてアトラースは、林檎を地上に置いて、蒼穹を受け取った。そして2.121.1こういうふうにして、それらを拾い上げて、へーラクレースは立ち去った。しかし一部の人々は、それらを受け取ったのはアトラースからではなくて、自分で、番をしている蛇を殺して、林檎を摘み取ったのだと謂う。こうして林檎を持って行って、エウリュステウスに与えた。すると相手は受け取って、へーラクレースに贈った。彼からアテーナーが受け取って、これを再び返却した。というのも、それをどこに置くのも、神法に悖ったからである。
2.122.1 第十二番目の功労として、ハーデースの館からケルベロスを連れて来ることがいいつけられた。これは、頭は犬の3つのそれを有し、尻尾は大蛇のそれ、背にはあらゆる種類の蛇の頭を持っていた。さて、これを目指して行こうとして、エレウシースのエウモルポスのところに赴いた。秘教入会を望んだのだ[が、当時、異邦人たちには秘教入会ができなかった、まさにそういうわけで、ピュリオスの養子となって秘教入会した]。しかし、ケンタウロスたちの殺戮から身を潔められていなかったので、密儀を見ることができなかったので、エウモルポスに潔めてもらって、それから秘教入会した。2.123.1そして、ラコーニアーのタイナロンにやって来た。ここに、ハーデースの館<に>下降する降り口がある。ここから降りた。しかし、霊魂たちは彼を目にしたとたん、メレアグロスと、ゴルゴーンのメドゥーサ以外は逃げた。そこでゴルゴーンに対して、恰も生けるかの如くに剣を抜いたが、2.124.1へルメースから、それは空しい影像にすぎないことを教わった。ハーデースの門の近くに来て、テーセウスを見つけた、また、ペルセポネーに求婚して、そのために縛られたペイリトゥースとを見つけた。すると彼らは、へーラクレースを見て、恰も彼の力によって生き返れるかのように手を差し延べた。そこで彼は、テーセウスはその手を取って目覚めさせ、ペイリトゥースは立ち上がらせようとすると、大地が震動したので、彼は放した。2.125.1さらにまた、彼はアスカラポスの岩をも転がして除けた。また、霊魂たちに血を供することを望み、ハーデースの牝牛たちの一頭の喉笛を切った。そこで、牝牛たちを飼っていたケウトーニュモスの子メノイテースが、へーラクレースに相撲で挑戦し、そして真ん中を掴まれて、脇骨を砕かれたが、ペルセポネーに懇願して釈放してもらった。そして彼がプルートーンにケルベロスを求めると、プルートーンは、所持している武器を使わずにつかまえて連れ行くよういいつけた。2.126.1そこで彼はアケローンの門のほとりでそれを見つけ、胸甲に包まれ、獅子の皮で身を蔽い、頭に両手を巻いて、尻尾の大蛇に咬まれはしたものの、獣を押しつけ、締め上げ、いうことをきくまで放さなかった。かくして、それをともなって、トロイゼーンを通って上った。ところで、アスカラポスはデーメーテールがみみずくにし、へーラクレースは、エウリュステウスにケルベロスを見せて後、再びハーデスの館に持って行った。
[VI]
2.127.1
さて、これらの功労の後、へーラクレースはテーバイに到着し、メガラーをばイオラーオスに与え、自分は娶る気になって、オイカリアーの権力者エウリュトスが、自分と自分の息子たちを相手に弓射で勝利した者に、娘のイオレーとの結婚を褒賞として提示していることを聞き知った。2.128.1そこでオイカリアーに到着して、弓射で彼らを負かしたが、結婚には与れなかった。子どもたちの中の年長のイーピトスは、へーラクレースにイオレーを与えようと言ったが、エウリュトスと残りの者たちが拒否し、〔ヘーラクレースが〕子づくりをしても、2.129.1生まれた子どもらをまたもや殺すのではないか心配だと言ったのである。暫く後に、アウトリュコスによってエウボイアから牛が盗まれた時に、エウリュトスは、へーラクレースによって事がなされたと思ったが、イーピトスは信じず、へーラクレースのところに到来して、彼〔ヘーラクレース〕がアドメートスのために〔身代わりとなって〕死んだアルケースティスを救って、ペライからやって来るのに遭遇し、いっしょに牛たちを探すよう誘った。するとへーラクレースは請け合った。そして彼を客遇していたが、またもや狂って、ティーリュンスの城壁から2.130.1彼を投げ落とした。で、人殺しの罪を潔めてもらおうとして、ネーレウスのところに到来した。この者はピュロス人たちの権力者であった。しかしネーレウスは、エウリュトスに対する友愛のために彼をはねつけたので、アミュクライにやって来て、ヒッポリュトスの子デーイポボスによって潔めてもらった。しかし、イーピトス殺しのせいで、恐るべき病気にとりつかれ、デルポイにやって来て、病気から解放される術を訊いた。だがピュートーの巫女が彼に託宣しなかったので、神殿を掠奪し、鼎を持ち去って、自分の神託所をこしらえようとした。そこでアポッローンが彼と闘っている時に、2.131.1ゼウスが彼らの間に雷霆を投じた。そして、この仕方で彼らが分かれたとき、ヘーラクレースが得た神託は、病気からの解放があるには、自分の身が売られ、三年間奉公し、人殺しの償いとしてエウリュトスにその代償を支払うべし、と言った。そして神託が与えられたので、へルメースがへーラクレースを〔奴隷として〕売った。そして彼を、イアルダネースの娘、リューディアー人たちを王支配していたオムパレーが買った。2.132.1彼女には、夫のトモーロスが命終するとき、支配権を遺したのである。さて、もたらされた代価の方は、エウリュトスは受け取らなかった、他方、へーラクレースは、オムパレーに隷従している間に、エペソス近傍のケルコープスたちは捕えて縛り、アウリスにおいて通りかかる異邦人たちに掘ること強要していたシュレウスは、その娘のクセノドケーともども、根ごとその葡萄の木を焼いたうえで殺した。そして、ドリケー島に立ち寄って、イーカロスの死体が海岸に打ち上げられているのを見て埋葬し、2.133.1その島をドリケーの代わりにイーカリアーと呼んだ。そのお礼に、ダイダロスはピーサにへーラクレースの似像をこしらえた。それを、夜間、へーラクレースは、生きているものと見誤って、石を投げつけた。オムパレーのもとで仕えている時期には、コルキスへの航行と、カリュドーンの猪の狩りが行われ、またテーセウスがトロイゼーンから来て、イストモスを掃討したと言われている。
2.134.1
奉公の後には、病気から解放され、喜んで出征せんとする最も善勇の士からなる軍勢を集めて、十八艘の五十櫂船でもってイーリオン目指して航行した。イーリオンに上陸するや、2.134.5艦船の見張りはオイクレースに任せて、自分は他の最も善勇の士たちとともに、その都市に向かって進発した。ところが、多勢を率いて艦船目指してラーオメドーンが現れ、オイクレースは戦闘の中で殺したが、へーラクレース麾下の軍勢に追い払われて、2.135.1攻囲された。攻囲がさらに差し迫ったとき、先ず最初にテラモーンが城壁を破って市中に入り、へーラクレースもまたそれにつづいた。だが、テラモーンが一番に入ったのを目にするや、剣を抜いて彼に向かって行った、何人も自分より優れていると思われることをいさぎよしとしなかったのだ。すると、それと悟ってテラモーンは、近くにある石を集めた、何をしているのかと相手が尋ねると、2.136.1うるわしき勝者へーラクレースの祭壇をこしらえているのだと云った。すると相手は称讃して、都市を攻略するや、ラーオメドーンと、ポダルケース以外の彼の子どもたちを射殺し、テラモーンに一等賞として、ラーオメドーンの娘へーシオネーを与え、この女には、捕虜たちのうち誰でも好きな者を連れて行くことを許した。すると彼女が兄弟のポダルケースを選ぶと、先ず彼は奴隷とならなければならない、しかるのちに、彼の代償にいったい何を与えて、彼を得るのかと謂った。すると彼女は、頭から覆いを剥ぎ取って、売られる者(pipraskomevnoV)と引き替えにした。ここから、2.136.10ポダルケースはプリアモス(PriavmoV)と呼ばれたのである。
[VII]
2.137.1
さて、ヘーラクレースがトロイアーから航行している時に、へーラーが難儀な嵐を送った。それを怒ったゼウスは、彼女をオリュムポスから吊りさげた。かくてヘーラクレースはコースに向かって航行した。しかしコース人たちは、彼が海賊船隊を率いて来るものと考えて、2.138.1石を投げて船の接近を阻んだ。しかし彼は強行して、夜間にこれ〔コース島〕を略取し、アステュパライアーとポセイドーンとの子エウリュピュロス王を殺した。しかし戦闘中にへーラクレースはカルコードーンに傷つ
けられたが、ゼウスが彼を奪い去ったので、何も被らなかった。かくてコースを略奪して後、アテーナーの仲介でプレグライに来り、神々とともにギガースたちを打ち破った。
2.139.1
その後暫くして、彼はアルカディアーの軍勢を集め、ヘッラスからの最も善勇の士たちの中から志望者たちを連れ立って、アウゲイアースを攻めるために出征した。対してアウゲイアースは、へーラクレースが戦の準備をしていると聞いて、二身同体のエウリュトスとクテアトスをエーリス勢の将軍に任じた。彼らは力の点で当時の人々を凌駕し、モリーオネーとアクトーンとの子であったが、ポセイドーンの子であると言われていた。アクトールは2.140.1アウゲイアースの兄弟であった。しかしへーラクレースが出征の間に病むこととなった。そのために、モリーオネーの子たちと休戦した。しかし、後になって彼らは彼が病気であることを知って、その軍を襲撃し、多くの者を殺した。そこでへーラクレースはその時は退却した。やがて第三イストモス祭が挙行され、エーリス人たちがモリーオネーの子たちを供犠を共にするために派遣したとき、へーラクレースはクレオーナイで待ち伏せして、彼らを殺し、2.141.1エーリス攻めに出征して、都市を攻略した。そしてアウゲイアースを、子どもたちともども殺し、ピューレウスを連れ戻して、これに王国を与えた。さらにまたオリュムピア競技をも設け、ペロプスの祭壇を築き、十一神の六祭壇を築いた。
2.142.1
さらに、エーリス攻略の後、ピュロス攻めに出征し、その都市を陥落させて、ネーレウスの子どもたちの中で最も逞しい、ペリクリュメノスを殺した。この者は、姿を変じて闘った。さらに、ネーレウスとその子どもたちを、ネストールを除いて殺した。この者は若年で、ゲレーニオイ人たちのところで育てられていたのである。また戦闘の間に、ピュロス人たち援助したハーデースをも負傷させた。
2.143.1
さらに、ピュロスを攻略してから、ラケダイモーンに向け出征し、ヒッポコオーンの子どもたちを襲わんとしてである。彼らに対して腹を立てた所以は、ネーレウスに共闘したこともあるが、むしろ、リキュムニオスの子を殺したことに腹を立てたのである。すなわち、彼〔リキュムニオスの子〕がヒッポコオーンの王宮を眺めていた時に、モロシア産の犬が走り出て、彼に飛びかかった。そこで彼が石を投げて犬に命中させたところが、ヒッポコオーンの子どもたちが走り出て来て、彼を棍棒で打って2.144.1殺してしまったのである。そこで、この者の死の報復をしようと、ラケダイモーン人たちに対して軍勢を集めた。そしてアルカディアーに来り、ケーペウスに、彼の持っている二十人の子どもたちとともに共闘するよう要請した。しかしケーペウスは、自分がテゲアーを後にすると、アルゴス人たちが攻めて来るのではないかと恐れ、出征を断った。するとへーラクレースは、アテーナーから青銅製の水差しの中に入っているゴルゴーンの巻き毛をもらって、ケーペウスの娘ステロペーに与えた。もし軍勢が攻めて来たならば、その巻き毛を三度城壁<から>差し上げ、前を見ないでいるなら、2.145.1敵は敗走するであろうと云って。このことがあったので、ケーペウスは子どもたちを引き連れて出世した。しかし、戦闘の中で、彼とその子どもたちは命終し、彼らに加えて、へーラクレースの兄弟イーピクレースも〔亡くなった〕。そこでへーラクレースは、ヒッポコオーンとその子どもたちを殺し、<また>都市を手にかけ、テュンダレオースを連れ戻して、これに王国を与えた。
2.146.1
かくてテゲアーを通る時に、へーラクレースはアレオスの娘アウゲーを、そうと知らずに、凌辱した。そこで彼女はひそかに赤児を出産し、アテーナーの神域に置いた。ところがその地方が疫病で台無しにされたので、アレオスは神域に立ち入り、調べて、娘の陣痛の結果を発見した。そういう次第で赤児の方は、パルテニオス山に棄てた。2.147.1だがこれは、神々の配慮のようなものによって救われた。というのは、乳首をば、仔を生んだばかりの牝鹿がこれに供し、羊飼いたちが赤児を拾って、これをテーレポスと呼んだのである。他方、アウゲーの方は、アレオスはポセイドーンの子ナウプリオスに、他国で売り払うよう与えた。そこで彼は、テウトラニアーの権力者テウトラースに彼女を与え、その者が妻とした。
2.148.1
ところでへーラクレースは、カリュドーンにやって来て、オイネウスの娘デーイアネイラに求婚し、彼女との結婚を賭して、牡牛の姿をしていたアケローオスと組み打ち、その一方の角を折った。そしてデーイアネイラを娶り、角は、アケローオスがその代わりにアマルテイアの角を与えて受け取った。アマルテイアとは、牡牛の角を持っているハイモニオスの娘であった。この角とは、ペレキューデースの言によれば、食べ物であれ飲み物であれ、ひとが祈願するものなら何でも提供するという、そういう力を2.148.10豊かに持っていた。
2.149.1
さらに、へーラクレースはカリュドーン人たちを率いてテスプローティアー人たち攻めに出征し、都市エピュラーを攻略した。この都市を王支配していたのはピューラースで、この者の娘アステュオケーと交合してトレーポレモスの父となった者である。さて、彼らのもとに留まっていた時に、テスピオスに人を遣り、七人の子どもは手許に留め、三人はテーバイに、残りの四十人は2.150.1植民地を建設するためにサルディニア島に派遣するようにと言った。さて、これらのことがあった後、オイネウスのところで宴楽していて、アルキテレースの子エウノモスが水を彼の手に注いでいるのを、げんこつで打って殺してしまった。で、この子はオイネウスの親族であった。とはいえ、子どもの父親は、事件が故意になされたものではないので、許そうとしたが、へーラクレースは法に従って追放刑に処せられることを望み、トラーキースのケーユクスもとに去る2.151.1決心をした。そこでデーイアネイラを伴ってエウエーノス河畔に来た。ここにとケンタウロスのネッソスが坐っていて、報酬を取って通行人を渡していた。義によって渡しの権利を神々からもらったと言ってである。それで、へーラクレースは自分で河を渡ったが、デーイアネイラの方は、報酬を要求されたので、運んで渡すことをネッソスに委せた。ところが彼は、渡している間に2.152.1彼女に暴行することを企てた。しかし、彼女が叫び声をあげたのに気づいたヘーラクレースは、〔河から〕出て来るネッソスの心臓を射た。すると相手は、まさに命終せんとする時、デーイアネイラを呼び寄せて云った、へーラクレースに対して媚薬を持とうとするなら、地上に発射した精液と、鏃の傷から流れ出る血とを混ぜるがよい、と。そこで彼女はそれを実行して、自分のもとにしまっておいた。
2.153.1
さらに、へーラクレースがドリュオプス人たちの土地を通過している時に、食糧に窮し、牛迫いのテイオダマースにでくわしたので、牡牛たちの片方を供犠して宴楽した。トラーキースのケーユクスのところに来た時には、彼に迎えられて、ドリュオプス人を征服した。
2.154.1
さらにまた、そこから進発して、ドーリス人たちの王アイギミオスと2.154.2共闘した。というのは、ラピテースたちが土地の境界をめぐってコローノスが将軍となって彼と開戦し、王は攻囲されて、土地の割譲を条件にをへーラクレースに助けを求めたからである。そこでへーラクレースが援助して、他の者ともどもコローノスを殺し、全土を自由にして彼に与えた。2.155.1さらにまた、ドリュオプス人たちの王ラーオゴラースをも、アポッローンの神域で宴会を開いているところを、その子たちともども殺した。〔ラーオゴラースは〕で、暴慢な男であり、ラピテースらの共闘者であった。また、イトーノスを通過していると、アレースとぺ口ピアーとの子キュクノスが彼に一騎打を挑んだ。そこで対決して、この男をも殺した。オルメニオンに来た時には、アミュントール王が武力にうったえて彼の通過を拒んだ。そして、通行の邪魔をされたので、この男をも殺した。
2.156.1
かくてトラーキースに到着したので、エウリュトスに復讐せんものと、オイカリアー攻めのため軍勢を集めた。彼の共闘者となったのは、アルカディアー人たち、トラーキースのメーリス人たち、エピクネーミスの地のロクリス人たちで、子どもたちともどもエウリュトスを殺し、都市を略取した。そして彼とともに出征した者たちのうちの戦死者、すなわちケーユクスの子ヒッパソス、リキュムニオスの子どもたちであるアルゲイオスとメラースを埋葬し、都市を劫掠し、イオレーを2.157.1捕虜として曳いて行った。そうしてエウボイアのケーナイオンに碇泊し、ケーナイオンのゼウスのために岬に祭壇を築いた。そして犠牲を捧げようと思って、きらびやかな衣裳を持ってくるよう、使者の<リカース>をトラーキースに遣った。ところが、この者から、イオレーのことを聞き伝えたデーイアネイラは、その女をより深く愛するのではないかと恐れ、ネッソスの流血を真に媚薬だと思って、これをその下着に2.158.1塗った。で、へーラクレースはそれを着て供犠した。すると、下着が暖められるや、水蛇の毒が皮膚を爛れさせはじめた、〔そこで〕一方、リカースをば、その両足を持ち上げてボイオーティアー〔の岬〕から投げおろし、他方、身体にひっついてしまった下着を引き剥がした。だが、その肉もいっしょに引き剥がされた。このような不幸な様で、船でトラーキースに2.159.1運ばれた。デーイアネイラはといえば、事件を知って自ら溢れた。へーラクレースはといえば、デーイアネイラから自分に生まれた年長の子ヒュロスに、成人してからイオレーを娶ることを命じ、オイテー山(ただし、それはトラーキース人たちの地にある)に赴き、そこに火葬壇を築き、2.160.1その上に登って火をつけることを命じた。しかし誰ひとりそれを行おうとしないでいる時に、ポイアースが羊の群を探して通りかかり、火をつけた。へーラクレースはこの者に弓をも贈った。かくて火葬檀が燃えている間に、雲が降りてきて、雷鳴とともに彼を天へと運び上げ、そこで不死を得、へーラーと仲直りして、彼女の娘へーベーを娶り、彼女からアレクシアレースとアニーケートスという子どもたちが生まれたと言われている。
2.161.1
彼の子どもたちはといえば、テスピオスの娘たちからは、プロクリスからはアンティレオーンとヒッペウス(長女は双生児を生んだからである)、パノペーからは、トレプシッパース、リューセーからエウメーデース……クレオーン、エピライスからアステュアナクス、ケルテーからイオベース、エウリュビアーからポリュラーオス、パトローからアルケマコス、2.162.1メーリネーからラーオメドーン、クリュティッペーからエウリュカピュス、エウリュピュロスはエウボーテーから、アグライエーからアンティアデース、オネーシッポスはクリューセーイスから、オレイエーからラーオメネース、テレースはリューシディケーから、エンテリデースはメニッピスから、アンティッペーからヒッポドロモス、テレウタゴラースはエウリュ……、カピュロスはヒッポーから、エウボイアからオリュムポス、ニーケーからニーコドロモス、アルゲレーからクレオラーオス、エクソレーからエリュトラース、2.163.1クサンティスからホモリッポス、ストラトニーケーからアトロモス、ケレウスタノールはイーピスから、ラーオトエーからアンティポス、アンティオペーからアロピオス、アステュビエースはクラアメーティスから、ピューレーイスからティガシス、アイスクレーイスからレウコーネース、アンテイアから……エウリュピュレーからアルケディコス、デュナステースはエラトーから、アソーピスからメントール、エーオーネーから2.164.1アメーストリオス、ティーピュセーからリュンカイオス、ハロクラテースはオリュムプーサから、へリコーニスからパリアース、へーシュケイエーからオイストロブレース、テルプシクラテーからエウリノュオペース、エラケイアからブーレウス、アンティマコスはニーキッペーから、パトロクロスはピュリッペーから、ネーポスはブラークシテアーから、リューシッペーからエラシッポス、リュクールゴスはトクシクラテーから、ブーコロスはマルセーから、レウキッポスはエウリュテレーから、ヒッポクラテーからヒッポジュゴス。2.165.1これらはテスピオスの娘たちからである。その他の女たちからは、オイネウスの娘デーイアネイラから<は>ヒュロス、クテ-シッポス、グレーノス、オネイテースが、クレオーンの娘メガラーからは、テーリマコス、デーイコオーン、クレオンティアデースが、オムパレーからは、アゲラーオス。2.166.0クロイソスの一族もここ〔アゲラーオス〕の血をひいている。エウリュピュロスの娘カルキオペーから<は>、テッタロス、アウゲイアースの娘エピカステーからテスタロス、ステュムパーロスの娘パルテノペーからエウエーレース、アレオスの娘アウゲーからテーレポス、ピューラースの娘アステュオケーからトレーポレモス、アミュントールの娘アステュタメイアからクテーシッポス、ペイレウスの娘アウトノエーからパライモーンが。
[VIII]
2.167.1
さて、へーラクレースが神々の中に移された後に、彼の子どもたちはエウリュステウスから逃れてケーユクスのもとにたどりついた。しかし、エウリュステウスが彼らを引き渡すようにと言って、戦争で脅迫したので、彼らは恐れ、トラーキースを後にして、ヘッラスを横切って逃亡した。かくて追われてアテーナイに至り、「憐れみの祭壇」に坐して2.168.1援助を要請した。そこで、アテーナイ人たちは彼らを引き渡さず、エウリュテウスに対して戦争を受けて立ち、その息子たちであるアレクサンドロス、イーピメドーン、エウリュビオス、メントール、ペリメーデースは殺したが、エウリュステウス自身は戦車に乗って逃れ、まさにスケイローニスの岩壁を馬を駆って通ろうとしているところを、追跡していたヒュロスが殺し、その首を切り取って、アルクメーネーに与えた。そこで彼女は杼でその両眼をくり抜いた。
2.169.1
さて、エウリュステウスが滅ぼされたので、へーラクレイダイ〔ヘーラクレースの後裔〕は、ペロポンネーソス攻めに赴き、すべての都市を攻略した。彼らが帰還して一年が経ったとき、疫病が全ペロポンネーソスに蔓延し、これが起こったのは、ヘーラクレイダイのせいだと神託が明かした。彼らが定めの時以前に帰還したからである。そこでペロポンネーソスを棄ててマラトーンに退き、そこに居住した。2.170.1ところでトレーポレモスは、彼らがペロポンネーソスから退去する前に、心ならずもリキュムニオスを殺してしまい(杖で自分の召使を打っている時に、分けに入ったからである)、少なからぬ人々とともに逃れて、ロドスに赴き、そこに居住した。他方、ヒュロスは、父の遺命に従ってイオレーをば娶り、帰還をばへーラクレイダイのために実現すべく探究していた。2.171.1それ故デルポイにやって来て、いかにすれば帰還できるかをお伺いを立てた。すると神は、三度目の収穫を待って後に還るべしと謂った。そこでヒュロスは、三度目の収穫とは三年の意味であると考えて、その帰還を待って、軍勢を率いて帰還した……〔しかしイストモスでペロポンネーソス勢と対峙、ヒュロスはテゲアの王エケモスと一騎打ちをして倒され、約定どおり、50年間ペロポンネーソス地方内には立ち入らないこととなった。Diodorus Siculus, iv. 58. 1-5; Pausanias, viii. 5. 1 参照〕へーラクレースの子どもらをペロポンネーソスに……。オレステースの子ティーサメネースがペロポンネーソス人たちを王支配しているとき、再び戦闘が起こって、2.172.1ペロポンネーソス人たちが勝利し、アリストマコスが死んだ。さらに、クレオダイオスの子どもたちが成人した時に、帰還について神託が求められた。すると、神が前と同じことを言った時に、テーメノスは、それに聴従してあてが外れたと言って詰った。すると神が、当て外れの原因は彼らにあると応答した。彼らは神託を理解しなかった。というのは、三度の収穫とは、土地のそれではなく、子孫のそれを言ったのであり、狭い所とは、2.173.1イストモスの右側の太鼓腹を持った海のことだったのだ、と。これを聞いてテーメノスは、軍を調え、ロクリスの、今ではその故事によってその場所はナウパクトスと言われている所で船を建造した。しかし、そこに軍が留まっている間に、アリストデーモスが雷に撃たれて死んだ。後に残した子どもたちは、アウテシオーンの娘アルゲイアからもうけた双生児であるエウリュステネースと2.174.1プロクレースであった。さらにまた軍も、ナウパクトスにおいて災禍に陥ることになった。というのは、神託を言い、神憑りとなった占い師が彼らの前に現れたが、彼らはこの者のことを、軍に禍するために、ペロポンネーソス人たちから遣わされた魔術師だと考えた。この者を、へーラクレースの子アンオティコスの子ピュラースの子ヒッポテースが、投槍を投げ、命中させて殺してしまった。まさにこのことがこういうふうに起こった後、海軍は、艦船が破壊されて滅亡し、陸軍は不幸にも飢饉にみまわれ、軍隊は解散してしまった。2.175.1そこでテーメノスが災禍について神託をうかがったところ、2.175.2神が、占い師のせいでこれが起こったのだと言い、亡き者にした者を十年間追放刑に処し、嚮導者として三眼の者を用いるよう命じたので、ヒッポテースをば追放し、三眼の男をば探した。そして、馬にまたがった一眼の男(というのは、眼の片方を矢でえぐられたからである)アンドライモーンの子オクシュロスに巡り合った。というのは、この男は人を殺したためにエーリスに逃亡し、一年経ったので、そこからアイトーリアーに帰る途中であったのである。2.176.1そういう次第で、彼らは神託を理解し、この者を嚮導者とした。そLて敵勢と合戦し、陸軍も海軍も戦に勝って、オレステースの子ティーサメノスを殺した。さらに、彼らと共闘していたアイギミオスの子どもたちであるパムピューロスとデュマースも死んだ。
2.177.1
<かくて>、ペロポンネーソスを制覇した後、父祖ゼウスの三つの祭壇を築き、その上で供犠し、諸都市を抽籤にした。そういう次第で、最初の籤がアルゴス、第二がラケダイモーン、第三がメッセーネーであった。水瓶を持って来て、各人が籤を投入するのがよいと思われた。そこでテーメノスと、アリストデーモスの子どもたちであるプロクレースとエウリュステネースが石を投じたが、クレスポンテースはメッセーネーを得たいと思って、土塊を投げ入れた。これは溶けるので、二つの籤が現れるはずであった。2.178.1で、第一にテーメノスのが、第二にアリストデーモスの子どもらのが引かれたので、メッセーネーはクレスポンテースが得た。しかし彼らが供犠した祭壇上に徴が置かれているのを見出した。アルゴスを引いた者たちは蟾蜍のそれ、ラケダイモーンを引いた者たちは大蛇のそれ、メッセーネーを引いた者たちは狐のそれであった。しかし徴に関して占い師たちが言うには、蟾蜍の徴を得た者たちにとっては、都市に留まるのがより善い、(この動物は、前進しているときは力をもたないから)、大蛇の徴を得た者たちは、恐るべき攻撃者となるであろう、2.178.10狐の徴を得た者たちは、狡猾な者となるであろう、と。
2.179.1
こういう次第で、テーメノスは、アゲラーオス、エウリュピュロス、カッリアースといった子どもたちはそっちのけにして、娘のヒュルネートーとその夫のデーイポンテースに頼った。そのため子どもたちは、ある連中を報酬でくどき、自分たちの父親を殺させた。しかし殺人が行われるや、軍はヒュルネートーとデーイポンテースが王国を得ることを正当化した。2.180.1他方、クレスポンテースは、暫くメツセーネーを王支配した後、二人の子どもたちともども殺されて、死んだ。かくて王支配したのは、当のヘーラクレイダイに属するポリュポンテースで、殺された人〔クレスポンテース〕の妻メロペーを、彼女の意志に反して手に入れた。しかしこの者もまた殺された。というのは、メロペーはアイピュトスと呼ばれる三番目の子を持っており、自分の父に、養うよう与えた。これが成人して、ひそかに帰国し、ポリュポンテースを殺し、父の王位を奪還したからである。
2.180.10
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2013.05.24.