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DIODOR. III 66, 4:
[66] 数多い神誕生地
神の誕生地
……
(4) リビュア地方にも誕生地
また、わたしどもは気づいているが、リピュア地方に分かれ住む諸族のなかでも、大洋オケアノス沿岸の住民がこの神の誕生に異説を立てている。住民は、ニュサの地そのほかこの神について伝わる神話として、自分たちの間に成立していた内容を知らせ、さらにその話によると、これらの物語の証拠が、今に至るまでその地方に依然残っている。加えて、ギリシア人の間では古代の神話作者や詩人が数多く、今引いた(リピュアの)神話と一致する話を報告し、それより後代の史家でもすくなからぬ人びとが、おなじような報告を行っている。
(5) 以下の記述の枠組み
だからこそ本書では、この神について報告された内容を、ひとつとして見過すことのないようにするため、リビュア族の間にある説明を要約して述べて行く。その上でさらに、ギリシア人の史家たちのなかで、以上の説明と古代に創られた神話を一書にまとめたディオニュシオスの説とに、一致する例があるので、それらをも要約して述べて行く。
(6) 今引いた著者は、デイオニュソス、アマゾネス族、さらにはアルゴナウタイ、をめぐる出来ごと、トロイア戦争の折の戦士たちの振舞、そのほか数多くの出来ごとを一書にまとめ、その際古代の神話作者や詩人たちの作品を比較対照している。
[67] 古代のディオニュソス伝
ギリシア文字の誕生 この作者によると、ギリシア人の間で韻律と旋律を最初に考案したのはリノスである。さらに、カドモスがフェニキア地方から「字母」を運んでくると、前者がこれをはじめてギリシア語へ置き換え、それぞれの字母に名称を配し字体を形づくった。一般にこれらの字母をフェニキア文字と呼ぶのは、これらがフェニキア族の許からギリシア人の間へ持ちこまれたことによる。特別にぺラスギア文字という呼び名もあるのは、置き換えられた字体を最初に使ったのが、ペラスゴイ族だからである。
(2) リノスは、詩と歌唱については篤異の的となって、弟子を数多くかかえ、なかでも一番有名なのが三人、へラクレス、タミュラス、オルペウスであった。三人のうち、最初にあげた弟子はキタラ琴の演奏を学んだが、魂が純重なので学んだことを理解できず、ついには師に罰としてなぐられたので、ひどく腹を立て、師を琴で叩きのめして殺した。
(3) 二番目の弟子は、格段に優れた天性を備えていたので音楽をすっかり勉強し、旋律を付ける技に卓越していたことから、学芸女神ムーサたちより自分の方がもっと巧みな節廻しで歌う、と称していた。それゆえ、諸女神が腹を立てて、この弟子から音楽を奪い肢体を不自由にしたのは、ホメロスも証人となっているとおりで、その詩行によると
諸神らがトラーキア人タミュリスに出逢い、その謡を止めたという、
そしてさらに
されば詩神も憤りたまい、神を片輸にしたうえで神変不思議の
歌の力を取り上げ、また琴ひく技も忘れさせたもうたのである。
(4) リノスのディオニュソス伝 最後にあげた弟子については、本書でその功業を述べて行く際に、一々を詳しく記録するつもりである。なお、話によると、リノスはペラスギア文字を使って、最初にあげたディオニュソスの諸功業そのほかの伝承神話をまとめ、史書の形にして残した。
(5) もうひとつのディオニュソス伝 おなじようにして、オルペウスもホメロスの師プロナピデスもおなじ文字を使った。後者は持情詩に優れた天分を備えていた。加えてラーオメドーンの子テュモイテスの子テュモイテスは、オルペウスと同世代の人だったが、人の住む世界のなかを数多くの場所へと放浪し、リピュア地方のうち西寄りの地方へ入って大洋オケアノスまで、足を伸ばした。ニュサをも見学したのはその地元民が古来、この地でディオニュソスが育った、と神話に伝えていたからで、これらの人からこの神の諸功業の一々を学んで「プリュギア詩篇」にまとめ、その際、言語・文字共に古風なものを使った。
[68] 誕生と養育地
母アマルテイアの運命 上述の著者によると、アンモンはリビュア地方のうちの一部の王で、ウラノスの娘「レア」を妻に迎えた。娘はクロノスそのほかティタネス族と兄弟姉妹にあたる。さらに、王国内を巡回している折、「ケラウニア」山脈近くで際だった美しさを備えた処女「アマルテイア」を見つけた。
(2) そして、処女に恋し、近しくなって一子をもうけたが、この子の美しいのと力の強いことは驚異の的となった。王は、母親の方にはこの付近の地域全体を支配させ、この領地は形が牛の角に似ていたため、「へスペル・ケラス(西国の角)」と呼び名がついた。土地が肥沃なため、あらゆる種類のぶどう樹、そのほか果実をつける栽培樹木類に溢れていた。
(3) また、今あげた女人が支配権を受け取ったため、この地方の名が「アマルテイアス・ケラス」となった。それゆえ、後代の人びとも今述べた理由から、最も優れた土地やあらゆる種類の果実に溢れる土地を、おなじように「アマルテイアの角」と呼んでいる。
(4) 養育地ニュサの景観 アンモンはレアの嫉妬を恐れて上記の出来ごとを隠し、子供をひそかにニュサというひとつの市へ移した。この市は今述べてきた諸地域とは遠く隔っていた。
(5) 市はひとつの島のなかに位置し、島をめぐってトリトン川が流れる。島にはぐるりと断崖が続いて一箇所狭い入口があり、ここに「ニュシアイ・ピュライ」の名があった。島内の土地は肥沃で、柔かい牧草の野が散在し、泉から豊かに出る水に潤い、あらゆる種類の果樹と数多い自生のぶどう樹があり、ぶどう樹はほとんどがほかの樹に巻きついて育っていた。
(6) この場所は全体が、風通しもよく、さらに並はずれて健康によかった。このためこの地に住みついている人びとは、近隣諸地元民のなかでも一番の長生きであった。島の最初の入口は谷間状で、背の高い樹々が厚く生い茂っては深い木蔭を作り、枝が幾重にも重なり合うから、太陽が(すっかり姿を見せて)輝き渡ることはまったくなく、木洩れ日を目にするだけであった。
[69] ニュサの楽園デイオニュソス洞
いくつもの小径に沿っていたるところに泉が溢れ出で、水は格別に美味しく、従ってここは、時を過ごそうと思う人びとには、この上なくくつろぎやすい場所であった。つづいては円い入口の洞窟があって、大きき美しき共に群を蜜いていた。洞より上の方は、いたるところが断崖で空高く聳え、石は多彩な色合いを持っていた。海の紫紺に似た色のところ、暗青色のところ、輝き渡るような性質を備えたところ、がそれぞれに輝きを放ち合っているから、人間世界で目にして来た色でこの場所に見当らないものは、ひとつとしてなかった。
(2) また、入口より手前に驚異の的となるような樹々が生えていて、果樹、常緑樹を取り混ぜ、自然の手でひたすら景観の楽しさだけを目指し、作り上げられている。これらの樹には、あらゆる種類の形質を備えた鳥たちが巣をかけ、鳥は彩りも楽しく、柔かい旋律で囀る。それゆえ、あたり一面が見た目にも神仙境となっている上に、聞える音までもがそのようで、まるで、ひとりでに教わった甘い声が、音楽の技が作る調和のとれた旋律に、勝るかのようである。
(3) 入口を通り過ぎたところで、見ると洞窟(は内側)が口を聞け陽光に照らし出され、あらゆる種類の花が咲き出で、とりわけ肉桂、そのほか年中芳香を放ちつづける草木が生えている。洞内にはニンフたちの臥床もいくつか、あらゆる種類の花で整えてあり、それも、誰かの手が加わったのではなく、当の自然が神にふさわしく作って、わざとらしいところが何もない。
(4) 周囲を巡っての何処にも、花や葉が地に落ちているのをにすることはない。それゆえここを目にしても、光景が見て楽しいだけでなく香りまでこの上なく心和ませる。
[70] 守り役アテナ
アンモン王はこの洞を訪れわが子を置くと、アリスタイオスの娘たちのひとりニュサに養育を委ねた。そして、父親の方を子供の守り役とし、この人物は知力、思慮そのほか教養の何れについても、格別優れていた。
(2) また、生さぬ仲の母レアが陰謀を企てるのから子供を守る役を、アテナに定めた。この女人は、これよりすこし前にトリトン川畔で大地からその姿を現し、この川に因んでトリトニスの異名が付いた。
(3) 神話作者によると、この女人は永久に処女であることを選んだ。際だって思慮深く、ほとんどの技を発明したが、これは頭の回転がひじように早かったことによる。また、軍事についても熱心に研究し、強壮で体力の優れていることは群を抜き、ふれがいのある功業を数多くなしとげ、「アイギス」という名の野獣で、震え上がるほどに恐ろしく戦っても倒し難いほどなのを、滅ぼした。
(4) アテナのアイギス征伐 この野獣は、大地から生まれ出た類いの生き物で、生まれつき口から、近寄ることも出来ないほどの炎を吐いた。最初プリュギア地方あたりに姿を現し、その地方を焼き尽したので、今日でも「カタケカウメネ(焼き尽された)」プリュギアの名がある。それから、タウロス山脈一帯を襲いつづり、それにつづく森を焼き尽してインド地方にまで達した。その後、ふたたび帰路を海にとると、フェニキア地方一帯でリバノン山麓の森を火で包み、陸路エジプトを経由して、リピュア地方をその西寄りの諸地域へと辿って行った。そして最後に、ケラウニア山脈周辺の森へ襲いかかった。
(5) この地方はいたる所がつぎつぎと炎に包まれ、人間たちは死んだり、恐れて故郷を後にし遠隔の地へ長旅に出てしまった。アテナは、話によると知力に勝れ、強壮で体力も優れていたので、生きのびてこの野獣をたおし、それが身に巻いていた皮を胸にまとった。これには、身体を覆って保護し、後の危険に対処するためと同時に、自分の卓越した勇気と正当な評判を得たことの、記念のつもりもあった。
(6) この野獣の母親はゲー(大地)で、(息子の死に)腹を立てたため、「巨人族」を地上へ放って諸神に反抗させたが、やがてゼウスの手で排除された。その際、アテナ、ディオニュソス両神がほかの諸神といっしょになり、ゼウスを助けて戦った。
(7) ディオニュソス酒造りを発明 ディオニュソスはニュサで育ち、最も美しくりっぱな仕事にたずさわり、容姿の美しさと体力の強さで際だって来た上に、さまざまな技にも親しみ、役立つ物をすべて巧みに考案した。
(8) まだ子供のうちから酒の本性とその利用を考えつくと、天然のぶどう樹の房を搾った。また、季節の生り物のうちで、乾燥できるものや貯蔵の利くものに目をとめ、つぎにはこれら果樹をそれぞれ適当な方法で栽培する法を考案した。そして、人間族に自分の考案の結果を授げようと思ったが、これは、自分が尽した功労が偉大であるため、不死の栄典を受げることができるかも知れない、と期待してのことであった。
[71] ディオニュソスのクロノス打倒
王妃の陰謀 ディオニュソスの優れた力とその評判が世に伝わったので、レアがアンモンに向かって腹を立て、躍起になって、ディオニュソスを自分の支配下に置こうとした。しかし、陰謀が思うに任せないので、アンモンを見捨てて立ち去ると兄弟のティタネスの許へ行って、なかのひとりクロノスといっしょになった。
(2) そしてこの兄弟が、レアに口説かれてティタネス族と共にアンモンに向かって遠征し、両者対陣するとクロノスの方が優勢になり、アンモンは食糧不足に苦しんでクレタ島まで敗走した。そして、当時島の王となっていたクレスたちのなかのひとりの王の娘クレテを妻に迎えてその地の支配者となり、それ以前の呼び名がイダイア島だったのを、妻に因んでクレタと名づけた。
(3) ディオニュソス父の復讐に立つ 神話作者によると、クロノスは、先にアンモン王の治下にあった諸地域を制圧すると、過酷な支配を行い、また、大軍を率いてニュサ市のディオニュソスに向け遠征した。ディオニュソスは、父王の敗戦と、ティタネス族が自分目がけて疾駆していることを聞いて、ニユサ市から兵を集結させた。そのうち乳兄弟は200人に達し、何れも強壮なこと、ディオニュソスに好意を持っていることでは、際だったものがあった。さらに、近隣諸族のなかからもリピュア、アマゾネス両族を加えた。後者については本書ですでに述べたとおり、その強壮が群を抜き、(史上)はじめて自領を越えて遠征勢を派遣し、人の住む世界の大半を武力で陥れた、との評判がある。
(4) 話によると、アテナはとりわけこの女人勢に、自分と同盟を結ぶよう勧めたが、これは人生の努力目標が相似ていたからで、アマゾネス族は勇気と純潔をひじように強く守り抜こうとしている、と思ってのことであった。
そして、軍勢を分けると、男子勢の将となったのがディオニユソス、女人勢の指揮をとったのがアテナで、両者それぞれの軍勢を率いると、ティタネス族を襲い戦端を聞いた。両者布陣が強力であったため、両陣営とも多くの兵が命を落したが、クロノスは負傷し、ディオニユソスは戦場に武勲を立てて敵勢を制圧した。
(5) 休戦儀式の由来 その後、ティタネス族は敗走して、アンモンが領していた諸地域に達し、ディオニュソスは大勢の捕虜をまとめてニュサ市へ帰還した。そしてここで、武装したままの軍勢に囲ませると告発を行い、捕虜に、自分たちはどう考えても斬殺刑になるだろう、と思わせて置いた。それから、これらの捕虜を先の告発に関して無罪釈放にし、今後自分に従って遠征したいか、(このまま)立ち去りたいか、のどちらをとってもよいと許すと、全員が遠征に従う方を選んだ。この助命が常識で考えられない処置なので、一同はこの恩人を神のように地に伏して拝した。
(6) ディオニュソスは、捕虜をひとりずつ引き出すと献酒してやって、嘘偽りなく遠征に参加し最期をとげるまで頑強に戦い抜く、と誓わせた。それゆえ、この捕虜たちにはじめて「献酒を受けたもの」の名がつき、後代でもこの時のやり方を真似て、戦闘中の和解を「献酒(に基く休戦協定)」と呼んだ。
[72] クロノスを生け捕り
セイレノス一族の従軍 神話作者によると、ディオニュソスはクロノスに向け遠征しようとし、軍勢がニュサから出発した。その折、守り役だったアリスタイオスがこの将に向かって供犠の式をあげ、人間族のなかで最初に、ディオニュソスに神としての供犠を行った。また話によると、ニュサ市民のなかでも一番高い血筋の人びとも遠征に参加し、この人びとの名がセイレノイであった。
(2) すなわち、誰よりも最初に〔ニュサの地の〕王となったのがセイレノスで、この系譜の由来は古い(時代に遡る)ため、誰ひとりそれを知る者がなかった。また、この王には腎部に尾があったのでその子孫も本性を共有する結果、これが引きつづいて目印になっていた。ディオニュソスは軍勢を率いて陣を移し、水がなく無人で野獣の住む広大な地方を通過した後、リピュア地方内の「ザビルナ」市付近に陣営を置いた。
(3) 怪獣退治の記念塚 市のそばには大地から生まれた類いの野獣が一頭いて、地元民を多数殺し、これの名が「カンぺ」だった。これを、ディオニュソスが滅ぼし、その勇気ゆえ地元民の間でひじような評判になった。そして、自分が屠った野獣のためひじように大きな塚をも造ったが、これは、自分の勇気の徳の不滅の記念物を後世に残したい、と思ってのことであった。この記念物は近年まで依然残っていた。
(4) それから、ディオニュソスはティタネス族に向け前進した。整然と行軍し、地元民すべてに親切に接し、総じて自分の遠征が、神をないがしろにする連中を懲らしめ、人間族全体に功労を尽すためであることを、明らかにした。リピュア族は、遠征軍の整然とした行動と度量の広い精神に驚異をおぼえて、兵たちのため食糧を豊富に供給し、進んで遠征に参加した。
(5) クロノス生け捕り 軍勢がアンモニオイ族の市に近付くと、クロノスは市の城壁の全面に障を張つての会戦に後れを取り、夜間市内に火をかけた。これは、ディオニュソスの父祖の王館を徹底して壊そうとしてのことで、自分は妻レアに加えて戦を共にして来た友の一部を引き連れ、ひそかに市から脱出した。けれども、ディオニュソスは相手の王とおなじような道を選ばなかった。クロノスとレアを生砂擁ると、同族だからというので受けるべき罰から解放し、両親が将来にわたって、自分に向かって好意を持ち親としての地位を保つよう、子としての自分からは何もまして大切にしてもらいながら、親子共々暮すよう、勧めた。
(6) そこで、レアはディオニユソスを終生自分の息子として愛情を持ちつづけたが、クロノスは本心を隠して好意を持っていた。この頃両親の間に息子が生まれて「ゼウス」といい、デイオニュソスはこの児をひじように大事に扱ったが、この児が後にその徳の高さのゆえ、万民の王となった。
[73] ぶどう栽培目ざして世界連征
アンモン王の予言 他方、リピュア民が、戦に入る前にディオニユソスに向かっていうには、アンモン王が、その王国から逃れ出たちょうどその時にあたって、地元民たちに予言した。それによると、定まった時がくると自分の息子ディオニュソスがやって来て、父祖の王国を手中に収め、人の住む世界全域を制して、神と見なされることになっていた。ディオニュソスは予言が真実であったと思って、父王の神託所を造営し市を建設すると、父王のため神としての栄典を定め、神託所に奉仕する
者たちを定めた。アンモン神は伝統的に雄羊を象った頭をしているが、これは、この王が遠征に際して目印にこの形の兜を被ってていた、ことによる。
(2) また、一部の神話作者たちによると、この王にほほんとうに、こめかみのどちら側にも小さな角が出ていた。それゆえ、ディオニュソスもこの王の息子だったから、おなじような様子を見せていたし、後代の人びとは、この神が角の生えた神だった、といい伝えていた。
(3) 話によると、ディオニュソスは市を建設し神託所を整備した後、この神に遠征についての神託をはじめて伺い、父から受付た神託には、人びとに功労を尽せば不死の身を得よう、とあった。
(4) それゆえ、飛び立つばかりの気持ちになり、最初エジプトに向り遠征して、クロノスとレアの間の子ゼウスがまだ幼かったのを、この地方の王に任じた。そして、幼王のそばに守り役としてオリュンポスを据えた。ゼウスはこの守り役から教育を受けて、徳の高さでは第一人者となり、「オリュンポス」の異名を受けた。
(5) ぶどう栽培を世界に広める また、ディオニュソスはエジプト民に、ぶどう樹の栽培、酒や果樹そのほかの植物の果実の、利用や貯蔵を教えた。そして、その名声が世に広まったので、誰ひとり敵対することもなく、誰もが進んでその言葉どおりに従いながら、賛辞と供犠で神のように祀った。
(6) 話によると、おなじようにして人の住む世界へ出かけては、その地方を栽培によって開拓し、人びとに対し、恒久的に大きな価値を持つものや感謝を受けるものを与えて、功労を尽した。それゆえ、人間は誰もが、そのほかの諸神に栄典を捧げる折には、互いにおなじような俸げ物をすることはなかったが、ディオニュソスに向かってだけは、ほとんど合い一致した捧げ物を選んで、不死性の証拠であることを証示した。ギリシア人と非ギリシア民とを問わず、誰ひとりこの神からの贈物や恩恵に与からないものはなく、土地がすっかり荒れ果て、またはぶどうの植樹にはまったく不向きな地方の住民も、大麦で造った飲み物があるのを学んだ。ただし、この飲み物は酒がかもし出す芳香にはわずかに及ばない。
(7) ティタネス族との決戦 話によると、ディオニュソスはインド地方から海へと下ると、ティタネス族が全員集まって軍勢を催し、クレタ島のアンモン目がけて海を渡り終えたのを、知った。ゼウスもエジプト地方から出てアンモン勢に加勢し、島内で大戦争がはじまったので、すぐさまディオニコソス、アテナ両軍に、そのほか神と見なされていた諸柱の一部も加わって、この島へ馳せ集った。
(8) 大会戦が起ると、ディオニュソス方の軍勢が優勢となって、ティタネス族を全滅させた。その後、アンモン、ディオニュソスとも人間の本性を抜けて不死性へと移り去ったので、話によると、ゼウスが世界全体の王となった。この時ティタネス族は懲罰を受け、(その後)この神をないがしろにしてまで、その統治権を敢えて争う姿勢を見せるものは、ひとりとしてなかった。
[74] ギリシア生れのディオニュソス
リピュア族の報告によると、上記の第一のディオニュソスが、アンモンとアマルテイアの間から生まれて、以上の諸功業をやりとげた。