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賢者シュンティパス寓話集

(Fabulae Syntipae philosophi)



[解説]

 『賢者シンドバード物語』のペルシア版は、キュロス王と7人の妃、1人の王子が登場し、継母の恋の讒言をきっかけに、王子の処刑を諫めるための話と、反対に促すための例話が次々と繰り出される物語集で、洋の東西で広く愛好された「七賢人物語」の祖型である。
 これが11世紀にシリア語からギリシア語に翻訳されたとき、賢者の名前はギリシア語形でシュンティパスと表記された。この賢者の名の下に集められた62の寓話集。(中務、p.362-363)




[底本]

TLG 0096 009
Fabulae Syntipae philosophi,
ed. A. Hausrath and H. Hunger, Corpus fabularum Aesopicarum, vol. 1.2,
2nd edn. Leipzig: Teubner, 1959: 155-183. (Cod: 4,839: Fab.)

 なお、題名が赤字になっているものは、本寓話集独自の寓話と考えられているもの(Perryによる)。
 また、参考のために、ペリー校訂本の通し番号を〔〕内に付しておく。




賢者シュンティパス寓話集
(Fabulae Syntipae philosophi)




第1話 ロバとセミ〔Perry 184〕
 ロバが、セミの心地よい鳴き声を耳にして、その音に魅了され、いったい何を食べたらそんなに甘い鳴き声を出せるのかと言って、セミに尋ねた。セミがロバに答えた。「ぼくの食べ物は空気と、それから露」。ロバはこの言葉を聞いて、セミと同じ鳴き声を持てる方法がわかったとおもい、すぐさま、空に向かって口を開け、ほんまに露を食べ物として受けようと、ぽかんと口をあけていたが、とうとうしまいには、飢えてくたばってしまった。
 この話(mythos)が明らかにしているのは、ひとは、自分の本性を本性とは違うことに似せようとしたり、できもしないことに手を染めるような愚をおかしてはならないということである。


第2話 人間と死神〔Perry 60〕
 ある貧しい人間がいて、薪の荷を背にかついで運んでいた。しかし途中で、疲労困憊してへたりこみ、荷を下ろして、悲嘆にくれて、「ああ、死神様」と言って、死神を呼びつけた。するとすぐに死神が現れ、彼に言った、「何だってわしを呼び出したんや?」。死神に男は言う、「この荷を地面から持ち上げる手伝いをしてくだされや」。
 この話が明らかにしているのは、いかなる人間も、どんなに迫害や責め苦に打ちひしがれようと、みんな生きるのが好きだということ。


第3話 ツバメとカラス〔Perry 229〕
 ツバメとカラスとが、どちらが美しいかでお互いに喧嘩していた。そこでカラスがツバメに言う、「おまえがはっきり美しいのは春だけ、けれど冬の時期には、寒さに堪えられない、それに反し、おれの身体は、冬の厳しさにも夏の灼けつく暑さにも、しっかり張り合えるぜ」。
 この話が明らかにしているのは、身体の生まれついての健康や体力は、美しさや若々しさにまさるってこと。


第4話 河川と海〔Perry 412〕
 河川が一堂に会し、海を追及してこれに言う、「おれたちは<おまえの>水の中にもぐりこむときは、もとから飲めるし甘露なのに、なんだって塩辛い飲めない水にしてしまうのだ?」。すると海が、自分が罵られているのを見てとって、河川に言う、「入って来ないで、そしたら、あんたらも塩辛くないでしょ」。
 この話は、相手を的はずれに、それも、相手からむしろ益されているのに、追及する連中のことを言い表している。


第5話 イタチ〔Perry 59〕
 いっぴきのイタチが、鍛冶屋の仕事場にもぐりこんで、そこに、鉄をかぶせられた牛革を見つけて、これをしきりに舐めまくった、そのため、自分の舌がすり減って、おそろしく痛くなり、血がしたたり落ちた。けれどもイタチは、ほんまは鉄を削っているのだとばかり思って、むしろ喜んで、とうとう自分の舌が完全にすり切れてしまった。
 この話が明らかにしているのは、得にもならぬ仕事を、むしろ儲けになるように思ってするやつ、そして、いつまでもそれから離れられない者は、それによって大破滅をこうむるということ。


第6話 猟師とオオカミ〔Perry 404〕
 ある猟師が、オオカミが羊の群に襲いかかり、その大部分をかたっぱしから八つ裂きにしているのを見つけて、これを巧みに狩りたて、これに犬たちをけしかけて、これに向かって大声で言った、「こわいこわい獣さんよ、さっきまでのおまえさんの強さはどこへいった、犬たちにてんで張り合うこともできないとはよ」。
 この話が明らかにしているのは、人間はそれぞれ、自分の得意分野で認められるってこと。


第7話 雄鳥たち〔Perry 281〕
 二羽の雄鳥が、互いに喧嘩していた。そして、一羽の負けた方は、家の隅っこにうずくまり、もう一羽の、勝利をおさめた方は、相当に思い上がって、家の大屋根にとまってわめき立て、勝ちどきをあげていたが、とうとうワシが舞い降りてきて、これをそこから引っさらっていった。
 この話が明らかにしているのは、ひとは、幸運や権力にありついても、思い高ぶって威張りちらすような愚をおかしてはならないってこと。


第8話 ハト〔Perry 201〕
 一羽のハトが、ひどく喉が渇いて、水を求めてあちこち飛びまわっていた。そして、家壁に水瓶の絵が描かれているのを眼にして、水のたっぷり入った器具を本当に見たと思って、行って飲もうとして、その家壁に激突し、たちまち命はてた。断末魔の息のした、心の中で言った、「あたしはほんまに不運なこと、水を渇望するあまり死を忘れるのが褒美だとは」。
 この話(logos)が明らかにしているのは、辛抱は無知慮な熱望や性急さよりはるかにまさるってこと。


第9話 カラスと羊飼い〔Perry 2〕
 ワシが羊の群から仔羊をさらってゆくのを眺めていたカラス、それではとこれを真似しようとした。そして、群の中に牡羊を眼にして、これをさらおうとした。けれども、自分の蹴爪が牡羊の毛にからまっている間に羊飼いが駆けつけ、これを殴り殺してしまった。
 この話(logos)が明らかにしているのは、強さに欠ける男が、自分より有能な者に匹敵しようとしたら、弱虫の薄ら馬鹿との誹りを受けるばかりか、悪くすると無分別のせいで死ぬことさえあるってこと。


第10話 ウサギとキツネ〔Perry 408〕
 一匹のウサギが、喉が渇いたので、水を飲むため井戸の中に降りていった。そしてその水を心ゆくまでたっぷり飲んだ。ところが、そこから上がろうとしたとき、登るすべなく、大いにしょげかえっていた。するとキツネが通りがかって、そこにウサギを見つけて、これに言った、「ほんまに大失態やないの。どないしたらあんたは井戸から上がってこれるか、初めによく考えて、ほいでからその中に降りて行くべきやったってけね」。
 この話は、独りよがりで事を為す連中や、前もって相談しない連中を批判している。


第11話 牡ウシと母ライオンとイノシシ〔Perry 414〕
 牡ウシが、居眠りしているライオンを見つけて、これを角で突き殺した。そのライオンの母親がやってきて、ライオンのために激しく悼み泣いた。ところが、母ライオンが嘆き悲しんでいるのをイノシシが見て、遠く離れて立ったまま、母ライオンに言った、「いったい、どんだけ多くの者たちが、悲嘆にくれたことか、我が子をおまえたちが殺したために」。
 この話が明らかにしているのは、ひとは、自分が測る尺度で、自分も測られるということ。
 〔『カリーラとディムナ』第13章「牝ライオンと山犬」に、同じような話が出てくる。騎手にわが仔を殺された牝ライオンが、山犬に諭されて、肉食を絶つという話に発展する〕


第12話 牛飼い〔Perry 49〕
 ひとりの牧童が、家畜を1頭見失ったので、神にお願いして、もしもそれを見つけ出すことができたら、別の1頭を神様への供犠にささげますと約束した。そうして探しまわっていると、自分の家畜がライオンにむさぼり食われているのを眼にした。そこで、これを見てこうひとりごちた、「この野獣の危難から逃げおおせられさえしたら、もう1頭の家畜を、身代金の贈り物として捧げます」。
 この話が明らかにしているのは、人間は、どんな利得や富よりも、自分の命を大切にするってこと。


第13話 二頭の牡ウシとライオン〔Perry 469〕
 ライオンが、二頭の牡ウシに襲いかかって、これをごちそうにしようとした。けれども牛たちは、自分の角を等しくライオンに向けて構えて、自分たちの中にライオンを寄せつけなかった。そこでかのライオンは、二頭にはかなわぬと見て、一頭をたらしこもうと、これにこう言った、「おまえの仲間をわしに売り渡してくれたら、おまえは無傷のままにしておいてやろう」。そして、こういう次第で、牡ウシを二頭とも亡き者にしてしまったのである。
 この話が明らかにしているのは、国家でも人間でも、お互いに一致協力すれば、敵が自分たちを凌駕するのを容認しないでいられるが、一致協力をないがしろにすれば、やすやすと反対者にまるまる捕らえられるってこと。


第14話 キツネとサル〔Perry 14〕
 キツネとサルが、同じところを旅していた。どんどん行って、とある墓場にさしかかったとき、サルがキツネにこう言った、「ここの死者はみな、ぼくの先祖の解放奴隷たちなんだ」。するとキツネがサルに言った、「うまい具合に嘘をつくもんだ。ここに埋葬されている連中は誰一人、おまえに文句は言えまいから」。
 この話は、嘘つきたちをまっとうにやりこめる者たちと、真実に反する明々白々の嘘をつく者たちとのことを言い表している。


第15話 シカと猟師〔Perry 74〕
 一頭の鹿が、喉が渇いたので、水を飲むため、とある泉に降りていった。そして、自分の身体が水に写ったのを見て、脚の華奢さは気に入らなかったが、角の格好は気に入った。このとき、とつぜん、一団の猟師が現れ、鹿を追跡し始めた。しかし、平野を逃げている間は、追跡者たちを引き離したが、あわてたために思わず湿地に入りこみ、自分の角が枝にからまっている間に、追跡者たちに捕らえられた、ため息をついて言った、「ああ、情けなや、自分の気に入らぬ当のものによってはむしろ助けられ、気に入っていた当のものによって破滅までさせられるとは」。
 この話が明らかにしているのは、ひとは、自分のもっているものは、有用・有益でないかぎり、何ものも賞賛してはならないってこと。


第16話 犬と鍛冶師たち〔Perry 415〕
 一匹の犬が、ある鍛冶師たちの家で暮らしていた。彼らが働いているときには、この犬は居眠りをし、食卓に着くや、目覚めて、自分の主人たちのところに嬉々としてすり寄った。彼らが犬に言った、「重たい槌音にはてんで目覚めることもないのに、奥歯のかすかな噛み音にはたちまち目覚めるというのは、どういうことや!?」。
 この話が明らかにしているのは、聞く耳持たぬ人間といえど、ほんまに儲けになるとまちもうけていることには、いそいそと耳を傾けもする。しかし、気に入らぬことには、誰だって言うことを聞かず[臆病で無頓着]となるってこと。


第17話 キツネとライオン〔Perry 409〕
 キツネが、檻に閉じこめられたライオンを見て、そのすぐそばに立って、ライオンを恐ろしく侮辱した。そこでライオンがキツネに言った、「わしをあざけっているのはおまえではない、わしに降りかかった不運だ」。
 この話が明らかにしているのは、世に聞こえた人の多くも、不運に陥れば、軽輩によって侮られるってこと。


第18話 踏みつけられるヘビ〔Perry 198〕
 一匹のヘビが、地を這っていて、多くの人たちに踏みつけられた。そこで、どんどん行って、アポッローンの像の中に入りこんだ。するとアポッローンがすぐにヘビに言った、「おまえを最初に踏んだやつに咬みついておきさえしたら、ほかのものは誰一人おまえに大胆にはなれんかったやろに」。
 この話が明らかにしているのは、前もってつまずかせておいたら、たとえじきに慎ましくしても、ほかの者たちは相手に恐怖をいだくってこと。


第19話 イヌたちとキツネ〔Perry 406〕
 ライオンの生皮をイヌたちが見つけて、これを咬みちぎっていた。すると、これをキツネが見て言った、「そのライオンが生きていたら、ライオンの爪はあんさんらの歯より強いことを思い知ったやろに」。
 この話は、世に聞こえた人々を、栄職から外れたとたんに、ないがしろにする連中のことを明らかにしている。


第20話 病気になったシカ〔Perry 305〕
 シカが病気にかかり、とある草地で横たわっていた。すると、獣たちの誰彼となく、シカの見舞いにやってきては、シカのそばに生えていた牧草をむしゃむしゃ食っていた。おかげで、シカは病気は治ったものの、欠食のために恐ろしく弱って、牧草のせいで命はてた。
 この話が明らかにしているのは、余計な連中や無駄な連中を友としてもつと、連中のせいで利得よりはむしろ罰を受けるってこと。


第21話 男とイヌ〔Perry 403〕
 盗人が、近づいてきたイヌを見て、次から次へとこれに肉片を投げ与えていた。するとその男にイヌが言った、「おい、おれから離れていてくれ。おまえがくれるこのぎょうさんな好意は、かえっておれをひどく怖がらせるんや」。
 この話が明らかにしているのは、誰彼となく多くの贈り物をする連中は、明らかに、真意はあべこべだってこと。


第22話 ウサギたちとキツネたち〔Perry 256〕
 一団のウサギたちがワシと戦争をおっぱじめたので、キツネたちに味方になるよう呼びかけた。するとキツネたちが連中に言った、「よろこんであんたたちに味方することができたでしょうにねぇ、あんたたちが何者で、誰を相手に喧嘩しているのかを、あたしらが知らなかったらねぇ」。
 この話は、自分より強い相手と事を構えようとしたり、我と我が身に危難を招く連中を批判している。


第23話 水浴びする子ども〔Perry 211〕
 ある子どもが、水泳をするためにとある川に入ったが、、泳ぎ方を知らなかったので、危うく溺れそうになった。このとき一人の人が通りがかったのを見て、これに大声で助けを求めた。するとその人は、そこから子どもを助けあげながら、子どもに言った、「何だって、泳ぎ方も知らずに、こんな急流で泳ごうとしたんだ」。するとその子は相手に言った、「今という今は助けてちょうだい、叱るのはその後にして」。
 この話が明らかにしているのは、危機に陥った者を、叱ろうとする人がこれを非難するのは、時も所もふさわしくないってこと。


第24話 ワシとキツネ〔Perry 1〕
 一羽のワシがキツネと親しくなり、その後でキツネの仔どもたちをむしゃむしゃ食ってしまった。しかしキツネは、ワシに対して何もできず、神の正義を心に願うしかなかった。ところがある日、祭壇の上である犠牲を焼くことになった。するとワシが舞い降りてきて、煮えたぎる食い物をそこから引っさらい、自分の雛たちに与えた。雛たちはそれ食べて、猛烈な熱さにじきにくたばってしまった。
 この話が明らかにしているのは、権力のある不正者たちは、不正された者たちから何の害も被らなくても、彼らの破滅に対する神の怒りを招くってこと。


第25話 百姓とヘビ〔Perry 176〕
 冬の季節に、一匹の蝮が道のほとりに横たわり、ひどい寒さにあわやくたばりそうになっていた。そこにひとりの男が通りがかり、これを見て憐れをもよおし、地面から拾い上げて自分の懐に入れてやった。しかるに蝮は、暖まるや、じきにえげつないひと咬みで、男を殺してしまった。
 この話が明らかにしているのは、生まれつきの悪人は、誰かから何か善いことをしてもらおうとも、その善行者にむしろ悪事を報いるってこと。
 〔『カリーラとディムナ』第3章「数珠かけ鳩」に同じ話が出てくる〕


第26話 鳥刺とシャコ〔Perry 265〕
 ひとりの鳥刺が、一羽のシャコを捕まえて、すぐにこれをつぶそうとした。するとシャコは自分の命に執着し、その鳥刺にこう請け合った、「わたしをこの縛めから自由にしてくださったら、もっとぎょうさんのシャコたちをおびき出して、あなたのところに連れてきてあげます」。しかし鳥刺は、この言葉に余計そのシャコに激怒して、たちどころに亡き者にしてしまった。
 この話が明らかにしているのは、他人に罠を仕掛ける者は、左ぎっちょみたいに自分がその罠にはまるってこと。


第27話 金の卵を生む雌鳥〔Perry 87〕
 ある男が、金の卵を毎日生んでくれるニワトリを所有していた。ところが彼は、それが一日ずつしか手に入らぬが気に入らず、愚かにももっとたくさん手にいれようとして、その雌鳥をつぶしてしまった。つまり、雌鳥の体内に宝蔵のようなものがあるに違いないと思ったのだ。けれどもてんで何も見あたらず、こうひとりごちた、「宝蔵に期待を寄せたばかりに、手中の利得までなくしてしまった」。
 この話が明らかにしているのは、もっと多くのものを手にいれようとして、多くの人たちはわずかなものさえなくしてしまうってこと。


第28話 肉を運ぶイヌ〔Perry 133〕
 イヌが店先から食い物をさらって、そこから逃げおおせ、とある河にさしかかった。そしてこれを渡ろうとしたとき、水の中に、食い物の影が、自分の運んでいるのよりはるかに巨大なのを眼にした。そこで口の食い物を放り出して、眼にした自分の影に飛びかかった。しかし、それが消え失せたとき、思いなおしたイヌは、放り出された肉片を拾い上げようとしたが、それもろとも何も見あたらなかった。というのも、それは、どこからかカラスが飛んできて、さっとかっぱらって、食べてしまったからである。その後で、イヌは自分を惨めに思った。「いったい何て目にあうんだ」と言ったものだ、「自分がもっていたものを、愚かにも置き去りにして、見えもしない別のものを欲しがるなんて。これを得損ない、もとからあるものまでなくしちまった」。
 この話は、飽くことを知らぬ連中、余計なものまで手にいれたがる連中を批判している。


第29話 ロバとウマ〔Perry 357〕
 ロバとウマがある人に仕え、それぞれが自分の奉公に励んでいた。とはいえウマの方は、たっぷりの休養にあずかって贅沢に養われ、たてがみも前髪も馬丁たちに飾り立ててもらい、毎日、水で洗ってもらっていた。これに反しロバの方は、いつも荷運びをして、重い荷にくたくたになっていた。ところがある日、ウマの主人はウマにうちまたがって、とある戦に出かけ、合戦がおっぱじまるや、ウマはじきに一撃を受けて亡くなってしまった。ウマの落命を見て、ロバは、多難な奉公よりは自分の方が幸せだと思った。
 この話が明らかにしているのは、貧乏たれの生活は、危険に満ちた富裕さよりもはるかに価値があるってこと。


第30話 野生のロバと飼いロバ〔Perry 411〕
 野生のロバが、重い荷をかつがされた飼いロバを見て、その隷従を罵って言った、「ぼくはほんまにしあわせや、自由に生きて、苦役もなく気ままに暮らし、山々に草場も持っている。ところがおまえさんときたら、他人に養われ、隷従と鞭打ちに服してがまんしているんだもんね」。ところが、いきなり一頭のライオンが現れということが起こり、飼いロバには、ロバ使いがいっしょにいるもんだから、近づかず、野生のロバが、ひとりぼっちなものだから、これに猛然と襲いかかり、自分の食い物にしてしまった。
 この話が明らかにしているのは、きかん気の頑固者たちは、独りよがりにふるまい、他人の助けを頼まないから、すぐに没落してしまうってこと。


第31話 無花果の木とオリーブの木〔Perry 413〕
 一本の無花果の木が、冬の季節に、おのが葉を落として、隣のオリーブの木から、裸ん坊だと言って、こうののしられた、「あたいは、冬でも夏でも、あたいの葉っぱに美しく飾られ、常緑樹に生まれついている。ところがあんたときたら、美しいのはたまさか夏だけ」。こういうふうにオリーブの木が自慢しているとき、とつじょ神の放った雷電が落ちて、オリーブの木をまっぷたつにしてしまった、が、無花果の木にはまったくふれなかった。
 このように、富や運に得意となる者は、尋常ならざる没落に見舞われるのだ。


第32話 男と庭師〔Perry 119〕
 ある男が、野菜に水をやっているひとりの庭師を見て、これに言った、「野生の植物は、植えられもせず耕されもしなくても、盛んに生い茂るのに、あんさんたちが世話をする野菜は、どうしてしばしば枯れるんや」。すると庭師がこう答えた、「野生の植物は、神様のおはからいだけに見守られている、けれどもわしらのは、人間の手で世話されるからさ」。
 この話(logos)が明らかにしているのは、実母の養育は継母の世話にもともとまさるってこと。


第33話 イヌと市場商人〔Perry 254〕
 イヌが店先に入りこんで、そこから食い物の心臓をかっぱらった。すると店屋の親父が向き直って、イヌに言った、「おまえは心臓をかっぱらったけど、わしには心臓を埋めこんでくれたってことや。今度ここに入りこんだら、わしはおまえにかっぱらいのお返しをしてやるからな」。
 この話が明らかにしているのは、ひどい目にあうことで、ひとは学び、用心する気になるってこと。


第34話 庭師とイヌ〔Perry 120〕
 イヌが、ある庭師の井戸にはまってしまった。そこで庭師が降りていって、そこからイヌを引き上げようとしたが、相手が自分をもっと水の中に沈めようとするのだと思ったイヌに、ひどく噛まれてしまった。すると犬に咬まれた庭師は、「こんな目にあうのもしかたがない」と言った、「おまえを井戸から救い出すことに熱心になっていたら、もっとひどくおまえに傷つけられたことやろから」。
 この話は、恩知らずで無知な連中を批判している。


第35話 胃袋と脚〔Perry 130〕
 ある男の胃袋が自分の脚とどちらが強いかをめぐって仲違いした。もちろん脚は胃袋にこう言った、「おれたちの方があんたより強い、何たって、あんたを運んでもやってるのだから」。すると胃袋が脚にこう言い返した、「あたしが食べ物を受け付けなければ、あんたらは立っていることもからしきできないのよ」。
 この話が明らかにしているのは、どんな軍隊も、前もって指揮官によって訓練され鼓舞されなければ、戦争する資格もないってこと。


第36話 コウモリとウミツバメと茨〔Perry 171〕
 コウモリとウミツバメと茨とが、お互いに催合で、いわば交易のようなものに出かけようとした。そこでコウモリは金を、ウミツバメは銅を、茨は反物をと、借金をして仕入れ、船に積み込んですぐ航海の途についた。けれども、とつぜん、暴風雨となって、海は逆巻く大波に変じ、船体もこっぱみじんに、船の積み荷はことごとく海の藻屑となった。その時からこのかた、コウモリは借金取りに怯え恐れて身をひそめ、夜しか出歩かない。ウミツバメが海上で過ごすのは、銅を見つけだそうとの魂胆。茨は、通りすがりの人たちの着物につかみかかる、反物を見つけだすことにいつも真剣になって。
 この話が明らかにしているのは、人間はおのおの、冒険行動に出た後は、みずから勤勉でなければならない、そうすれば、二度と冒険に起因する同じような災悪に見舞われることはないってこと。


第37話 ライオンとキツネ〔Perry 142〕
 ライオンが老いぼれて、よぼよぼになり、自分で餌をとることもできなくなったので、策をもって生きながらえようとした。つまり、病気になったふりをして、とある洞穴の中に身を横たえ、そうやって他の獣たちが自分を見舞いにやってくるたびに、これをすぐに一匹ずつさらって平らげた。けれどもキツネだけは、ライオンの手の内を知っていて、これのそばに寄ろうとはせず、遠くに立ったまま、身体の具合はいかがなものかと、ライオンに尋ねた。そこでライオンがキツネに言った、「なんでわしのそばまで入ってこんのや?」。するとキツネがこう応じた、「そこに入っていった連中の足跡はぎょうさんあるけど、出てきた者のはないもんね」。
 この話が明らかにしているのは、人間どもも、行動の危険性を察知し、それから逃れ、さらには、友愛の罠や見せかけによって他者に非道を働こうとしている連中からも身を守らねばならないってこと。


第38話 イヌと雌オオカミ〔Perry 407〕
 イヌが、雌オオカミを追いかけながら、おのが脚の速さと強さが誇らしく、雌オオカミはおのれが弱いから逃げているのだと思っていた。すると雌オオカミが振り向いて、イヌに言った、「恐ろしいのはあんたじゃない、あんたの主人の追跡よ」。
 この話が明らかにしているのは、ひとは他者の気高さを自慢してはならないってこと。


第39章 若者とサソリ〔Perry 199〕
 ある若者が、人里離れた無人の荒野でせっせとイナゴを捕まえていた。このとき、その中にサソリがいるのを見て、これもイナゴに違いないと思って、手をのばし、それを地面からつまみあげようとした。するとサソリが、その若者を刺そうと、自分の針をおっ立てて彼にこう言った、「てやんでぇ、おれに指一本触れてみやがれ、おまえが捕まえたイナゴどももろとも、おまえをおだぶつにしてやる用意があるぜ」。
 この話が明らかにしているのは、ろくでなしの連中と善人とに等しく対面してはならぬ、自分の知識に応じて必要なだけそれぞれの人と交際すなければならぬってこと。


第40章 牡ウシと野生のヤギたち〔Perry 217〕
 牡ウシが、一頭のライオンから逃れようと、とある洞穴に避難した。そこには、たまたま野生のヤギたちが居合わせて、牡ウシとみるやこれらがじきに角で突きはじめた。そこで牡ウシがヤギたちにこう言った、「恐ろしいのはおまえさんたちじゃない、洞穴の外に踏んばっているやつだよ」。
 この話が明らかにしているのは、権力者たちによって不運に陥った者たちに出くわした者は誰でも、憎しみをもって踏みつけにするってこと。


第41話 水浴びするインド・アイティオピア人〔Perry 393〕
 ある人が、ひとりのインド・アイティオピア人が川の中で水浴びをしているのを見つけて、彼に言った、「水をかき混ぜて濁らすな。おまえの身体が白くなることはぜったいないんやから」。
 この話が明らかにしているのは、本性に属する事柄で、個人の本性を変えられるものは何もないってこと。


第42話 女と雌鳥〔Perry 58〕
 ひとりのやもめ女が、日に一個ずつ毎日卵を生む雌鳥を所有していた。この雌鳥に、女はじつに気前よく餌をやった、もっとぎょうさんの穀物をやれば、卵を二個ずつ卵を生むと思ったのだ。ところが雌鳥は、たっぷりの餌を与えられているうちに、以前のように一個の卵を生むことさえ出来なくなった。
 この話が明らかにしているのは、強欲につきうごかされる者たちは、手中のわずかなものさえ失うってこと。


第43話 アリとセミ〔Perry 373〕
 一匹のアリが、冬の季節、夏の間に集めた穀物を、ひとりで食べていた。すると、セミが彼のところにやって来て、その穀物を自分にも少し分けてくれと頼んだ。するとアリが相手に言った、「一体全体、この夏の好機の間、ずっと何をして過ごしていたんや、食い物のために自分の穀物を集めるのでなかったとしたら?」。するとセミが相手にこう言い返した、「歌うことで暇がなかったため、取り入れをすることができなかったんでがす」。セミのこの返答には、さすがにアリも吹き出して、自分の穀物を地中深い倉の中にしまいこみ、相手に向かってこう怒鳴った、「これまで、歌うのが徒労やったんやから、これから先は、踊ってみなはれ」。
 この話は、怯懦・無関心・徒労のうちに時を過ごし、そのために後れをとる連中のことを言い表している。


第44話 オオカミとヤギ〔Perry 157〕
 一匹のヤギが、高い崖の上で草をはんでいたところ、オオカミがその下にたちどまって、そのヤギを捕まえて、喰らってやろうとおもった。けれども、崖を登ることはとても出来ないので、下に立ったまま、ヤギにむかって言った、「お気の毒に、なんだって平地の牧草をほったらかしにして、そんな崖の上で草を食べているのさ? むしろここに来て、おだぶつになるおそれが全然なくなるようにしなさいな」。するとヤギがオオカミに返答した、「わかってるわ、あんたがわたしのためにしばしば怠惰を決めこんでいるってこと、そして、あんたがわたしをこの崖から引きずりおろして、ご自分の餌にしようと思っているってことは」。
 この話が明らかにしているのは、人間の多くが他人に忠告するのは、相手には破滅を、自分には利得と利益をもたらすためだってこと。


第45話 男とウマと仔馬〔Perry 401〕
 ある男が、子を孕んだ雌ウマに乗っていた。そして、彼が旅をしている最中、雌ウマが仔馬を生んだ。すると仔馬は、じきに雌ウマのしりについて行ったが、たちまち疲労困憊、自分の母ウマの乗り手に向かって言った、「いいですか、ぼくがどんなにちっちゃくて、旅行には向かないってことは、ごらんのとおり。そこで考えてくださいな、もしもここにぼくを置き去りにしたら、たちまちぼくはくたばっちまう。けれども、ここからぼくを抱き上げて、料地に連れて帰り、育て上げてくれるおつもりなら、そのうち大きくなて、ゆくゆくはあなたがぼくに乗れるようにしてあげましょう」。
 この話が明らかにしているのは、善行のお返しも期待できる相手には、善行を施すべきだってこと。


第46話 漁師とサル〔Perry 203〕
 ある漁師が、海沿いで魚漁をしていた。すると、一匹のサルがこれを見下ろしていて、真似をしたくなった。そこで、男が休憩するためにとある洞穴に自分から入ってゆき、網を海岸に置き去りにしたときに、サルは近づいて、網をとると、なんと自分で漁をやってみた。けれども、そのわざを知らず、むちゃくちゃして、網が身にからまって、じきに海面に落下、溺れ死んだ。そこで猟師がこれを捕まえて、すでに溺死していたけれど、言った、「哀れなやつ、愚かさと浅知恵がおまえをおだぶつにさせたとは」。
 この話が明らかにしているのは、身の程わきまえぬことを真似しようとする連中は、それによって我が身に危難を招くってこと。


第47話 蚊と牡ウシ〔Perry 137〕
 一匹の蚊がやってきて、牡ウシの角の上にとまった、そうやって牡ウシの重荷になってやろうしたのだ。牡ウシの方は、蚊のことなど気にもとめていなかったが、蚊は牡ウシから飛び去りたくなって、牡ウシを押しつけてこう言った、「おれが重荷なようなら、おまえから飛びのいてやろう」。すると牡ウシが蚊に言った、「おまえが来たのも感じなかったし、おまえが離れていっても気づくまいて」。
 この話が明らかにしているのは、人間というやつも、つまらぬばかりか愚かなこと明々白々であるにもかかわらず、名誉と識見の点で著名人だと自分で思っているってこと。


第48話 男とキュクロープス〔Perry 405〕
 じつに用心深くて、おのれの行動に矜持をもった一人の男が、長い間、自分の子どもたちと安楽に暮らしていたが、その後、極度の窮乏に陥り、えげつない懊悩の末、神を呪い、自殺せざるをえなくなった。そこで小刀をとって、とある人気のない場所に出かけていった、悲惨な生き方をするよりは、死ぬことを選ぼうとしたのだ。どんどん行って、たまたま、とてつもなく深いひとつの穴をみつけた。穴の中には、巨人族の一人 — 名をキュクロープスという — によって、少なからぬ黄金がしまわれていた。くだんの男は黄金を見て、恐怖と、じきに喜びに満たされ、手の短刀は投げだし、そこから黄金を引き上げると、嬉々として自分の家と子どもたちのもとへと帰っていった。その後、キュクロープスが穴に来てみると、黄金は見つからず、その代わりにそこに短刀があるのを見つけて、すぐさまそれを抜きはなって、自害して果てた。
 この話が明らかにしているのは、やくざな連中には、悪い事が続けざまに起こるが、善人で用心深い者たちには、善い事がたくわえられるものだってこと。


第49話 猟師と騎士〔Perry 402〕
 ある猟師が、ウサギを捕って、これをぶら下げて道を歩いていた。するとひとりの馬上の男に出くわし、相手から買うそぶりでウサギを求められた。ところが、騎士は猟師からウサギを受け取るや、じきに駆け去ろうとした。そこで猟師は、相手の後ろを追いかけながら、きっと相手に追いつけると思っていた。けれども、くだんの騎士からはるか遠く引き離されてしまったので、猟師は、しぶしぶ相手に声をかけて言った、「とっととゆくがいい。おれはとっくにそのウサギをてめぇにくれてやるつもりだったんだ」。
 この話が明らかにしているのは、たいていの人々は、自分のものを心ならずも奪われたくせに、ほんまはそれをすすんで与えたかのようなふりをするってこと。


第50話 イヌとウサギ〔Perry 136〕
 イヌがウサギを追いつめて、これを捕まえ、時にはこれに咬みつき、時には、相手のからだからしたたる血を舐めた。そこでウサギは、イヌがむしろ自分に気があるように思えた。そう受け取ってイヌに向かって言った、「友人として抱きしめるか、にっくき敵として咬みつくか、どっちかにしろよ」。
 この話が明らかにしているのは、人間というやつらも、表には友愛を表しつつ、裏は悪意と無礼に満たされているってこと。


第51話 ネズミ勢とイタチ勢〔Perry 165〕
 イタチ勢とネズミ勢の間に、あるとき、喧嘩がおっぱじまった。けれどもネズミ勢が力攻めで敗北し、まったくの威勢のなさと怯懦とのせいで負けたと知って、自分たちの太守たちと戦闘指揮官たちを挙手選出した。そしてこの太守たちは、他のネズミたちよりも目立つよう、そして勇ましく見えるよう、自分の頭の天辺に角を取りつけた。その後、再びイタチ勢がネズミ勢を攻撃し、全軍を敗走させた。そしてほかのネズミたちは自分たちの巣穴に逃げのび、やすやすとじきもぐり込んだ。しかし彼らの指揮官はといえば、彼らも顔までは急いで逃げのびたけれども、角のせいで巣穴に入るのを妨げられ、これをイタチ勢が捕らえておだぶつにしてしまった。
 この話が明らかにしているのは、自分の武器にすがって勇み立ち、神の助勢を頼まない連中は、まさにそういったことが原因で危難さえ招くってこと。


第52話 オオカミとライオン〔Perry 347〕
 オオカミが若い豚を捕まえて、これを引っ張って行っているとき、ライオンとばったり出くわした。するとライオンはじきにオオカミから若い豚を取り上げた。それを取り上げられてオオカミは、ひとりごちた、「まったく自分でも驚いたことやろて、かっぱらって自分のものにしたものが、いつまでもおれのもとにとどまっているなんてことがあったら」。
 この話が明らかにしているのは、他人のものも、力ずくで手にいれたものも、これを強欲にさらった連中のもとに最後までとどまっていることはないってこと。


第53話 クジャクとカラス〔Perry 219〕
 ある時、鳥たちが共同会議をするため、めいめいの鳥が一堂に会し、王になるのがぴったりなのは他のものの中で誰なのかを、お互いに協議しあった。するとクジャクがほかの連中にこう言った、「おれこそ、王位にふさわしい、美しさといい若々しさといい最高だから」。そこでほかの鳥たちもクジャクで満足しかかったとき、カラスが真ん中に進み出て反対した、「あんさんが王位を継承したら、いったい、ワシがおれたちに襲いかかってきたとき、やつの攻撃からおれたちを救い出すことが出来るんかいな?」
 この話が明らかにしているのは、王になるのがぴったりなのは、美しさに輝く者たちではなく、体力も精神力も際だった者たちだってこと。


第54話 若者と老女〔Perry 410〕
 ある若者が、灼けつくような日に、旅をしていて、ひとりの年老いた女と出会った。ちょうど彼女も、若者と同じ道を旅していたのだ。ところが、くだんの若者は、彼女が灼熱と旅の疲れから、恐ろしく疲労困憊しているのをみて、その弱々しさを可哀想におもい、彼女がもはや一歩も歩く元気もないのを、地面から助け起こして、自分の背におぶって運んでやった。ところが、その女を背負っているうちに、劣情の妄念に千々に心乱され、その妄念のために、抑えがたい欲情と激しい性欲にあわせて、彼の陽物は勃起した。そこですぐに老女を地面におろして、こらえきれずにこれと情交におよんだ。しかし彼女は、彼に向かって無邪気に言った、「何だろうねぇ、あたしの上で動いているのは?」。すると若者は彼女にこう言った、「あんたは重たい、だからあんたの肉を削り取ってやろうと思ってね」。そう言って、とうとう彼女もいっしょに果てたので、これを再び地面から引き起こして、自分の背中におぶった。そして、かなり長い道のりを彼が背負っていったところ、老女が彼に言った、「まだ重くて、おまえさんにとって重荷なようなら、もう一度わたしをおろして、もっとたくさんわたしから削り取っとくれ」。
 この話が明らかにしているのは、人間には、自分の欲望を満たしておきながら、そのことを知らずにしでかしたのだ、ほんまはそのことではなくて、別のもっと必要なことをしたと思っていたのだからと、申し開きをする連中がいるってこと。


第55話 太陽と北風〔Perry 46〕
 太陽と北風とが、ある時、どちらが人間に服を脱がせられるかで、お互いに言い争った。そこでまず北風が、人間にすさまじく吹きつけはじめた。けれども人間は、ますます寒くなって、衣服を身に巻き付け、烈風の強烈な攻撃に、なんとか自分の身体から引き剥がされないよう、衣服にしがみついた。こういう次第で、北風は何ひとつその男を害することもなく、彼が身にまとっていた外套さえ脱がすことはできなかった。その後で、今度は太陽が男に照りつけ、日中の空気をひどく暖めて、すぐ男は服を脱いで、これを肩にかける気にさせた。
 この話が明らかにしているのは、もともと謙遜は、誰にとっても、根拠なき豪語よりも効果的にして実践的だってこと。


第56話 犬に咬まれた男〔Perry 64〕
 ある男が、イヌにえげつない咬まれ方をして、その傷を治してくれる人を捜していた。すると別のある人が、この人に出会ったとき、この人に言った、「それは、あんたはこうするがいい。傷口の血をパンくずにしみこませ、このパンくずを、咬んだ犬に投げ与えて食わせなされ、そうすればあんたの傷は治るだろうて」。そこで咬まれた男が相手に言い返した、「そんなことをしたら、国中のイヌどもに咬まれることになるやろが」。
 この話(logos)が明らかにしているのは、やくざ者というのは、褒めようがうやうやしく扱おうが、褒める者を相手が〔そうすることは〕なく、むしろ、自分と同様の悪人たちを好くものだってこと。


第57話 雌鳥とツバメ〔Perry 192〕
 一羽の雌鳥が、ヘビの卵を見つけて、これにかかりっきりで時を過ごし、これを抱いて孵した。すると一羽のツバメがこれを目撃して、「お馬鹿の脳たりんさん」と言った、「なんだってヘビの子の面倒なんかみてるのよ。大きくなりでもしたら、いのいちばんにあんたに、それから後はほかの者たちに、破滅をもたらすのに」。
 この話が明らかにしているのは、ひとは不敬な者 — そいつがどんなにぎょうさんの好意を自分に示してくれても、そいつの態度を信じちゃならぬってこと。


第58話 スズメと鳥刺〔Perry 86「ミルテの繁みの鶫」〕
 一羽のスズメがミルテの樹の上で暮らしていたが、その樹での暮らしぶりの快適さに、とんと我を忘れていた。ひとりの鳥刺がそれを観察して、捕まえて生贄にしようとした。するとスズメは、まさに血祭にされんとしたとき、我と我が身に言った、「ああ、なんと情けないことか、食べ物の快適さのために、命はてようとは」。
 この寓話が明らかにしているのは、人間というものは、食べ物と贅沢を求めるあまりに、悪人どもと同様、生命を危険にさらすことしばしばだってことである。


第59話 ラクダとゼウス〔Perry 117〕
 ラクダが、角が欲しくてたまらず、自分にそれを生やしてくれるよう、ゼウスにお願いした。ゼウスは、ラクダの飽くなさに余計に腹が立って、ラクダの耳までなくしてしまった。
 この話が明らかにしているのは、強欲に突き動かされる連中は、現に持っているものまでなくしちまうってこと。


第60話 ガチョウたちとハクチョウたち〔Perry 228〕
 ハクチョウたちとガチョウたちとが、お互いに仲良くなって、野原に出かけた。そして、みんないっせいに散らばっているところに、猟師たちが襲いかかってきた。そこでハクチョウたちは、身軽なのでじきに飛び去った。けれどもガチョウたちは、生まれついての身の重さに、もたついて、猟師たちに捕まってしまった。
 この話(logos)は、自分の親友たちに頼って破滅を招くのではなく、好機をみてその状況から身を引く者たちのことを言い表している。


第61話 オオカミたちと男〔Perry 135〕
 一群のオオカミが、とある河の中に牛の生皮が流れているのを見つけて、これをそこから一生懸命引き寄せようとしたけれど、河の水は満々、深くてこれにかぶりつくことができなかった。そこでお互い評定して、先ずは水を飲みほして、しかる後にその生皮にたどり着いて手に入れようということにした。一人の男がそれと察して連中に言った、「いやはや、これほどの水を飲みほしたら、じきに破裂して、命を失うだろうて」。
 この寓話は、無考えから無駄なことをしようとする連中を批判している。


第62話 セミと男〔Perry 397?=ペリーはアプトニウスから採っているが、これの原話があるはず〕
 セミが、罠を仕掛けて自分を捕まえようとしている男がいるのを目撃して、その男に言った。「あっちの鳥たちの方へ行け。あそこなら、何かおまえさんの得になることもあるだろうよ。だって、おれを捕まえても、おれから得になることは何もえられやしないのだから」。
 この話が明らかにしているのは、ひとは役に立たないことや無考えなことを何もしてはならないってこと。

2002.01.25. 訳了。

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