[解説]
柴田有(『ヘルメス文書』他による)
ヘルメス文書
1。 ヘルメス文書とヘルメース神について
2。ヘルメス文書の範囲
3。ヘルメス文書の著作年代と地域
1。 ヘルメス文書とヘルメース神について
一つの作品を取り上げてこれをヘルメス文書の1冊と判断する場合、それは内容的基準によるのではない。以下に記すように、ヘルメス文書の量は厖大であり、内容も極めて多岐にわたっているために、思想内容とか主題とかを基準にすることはできない。強いて言えば古代地中海世界の生んだ混交思想を共通の特徴と呼びうるが、これは何らヘルメス文書の特質ではない。そこで通常、ヘルメス文書の特質は形式的な面に求められる。すなわちそこに登場する啓示者ないし導師がヘルメースである場合に、その作品をヘルメス文書の1と数えるのである。簡単に言えば、ヘルメースの登場する作品がヘルメス文書である。
しかし、これにはただし書きを要する。古くからヘルメス文書と認められている作品でも、この基準に合わないものが相当数存在する。ヘルメス文書の中心部分たる『ヘルメス選集』の範囲ですら第VI−IX冊子、XVI-XVIII冊子には、ヘルメースの名は全く見当らない。こうした場合には次の二つの説明の何れかを採るしかないだろう。一つは、伝統的にヘルメースに近縁の、アスクレーピオスとかタトの名だけでも登場する場合には、これもヘルメス文書と見なすこと。初期プトレマイオス王朝(前3世紀)に遡る伝承によればエジプトでは、初代のヘルメースはトトであり、第2代はトリスメギストスであり、次にアガトデモーンまたはカメーフィス、それからタトであるという系譜が考えられていたことを考慮すれば、右の拡大解釈も可能と見ることができる。
そこで次に、ヘルメースもそれに近縁の名も出てこない作品についてはどうするかが問題となる。『ヘルメス選集』では、これは第VII、VIII、XVIII冊子の場合である。こうした例については、古代以来慣例的にヘルメス文書と見なされて来た事実をもって基準とする外ない。<……>
次に、ヘルメース神について述べておこう。匿名の作者たちが自己の作品の主人公として語らせている、ヘルメースとはいかなる神だったのだろうか。ヘルメースは本来ギリシア神話で活躍する神の一人であるが、ここでは勿論エジプト化されたヘルメースについて言っている。ヘルメス文書中ではこの神は、「ヘルメース・トリスメギストス」("三倍偉大なヘルメース")ないし単に「トリスメギストス」と呼ばれることが多い。ヘルメース・トリスメギストスという呼び方はギリシア名ではあるが、前2世紀以来の陶片、パピルス、碑文、壷が証言しているようにエジプト起源の呼称と考えられる。そしてこの名は正式の神名である「ヘルメース・トト」の綽名として愛用されたのである。従って、ヘルメス文書中のヘルメースはエジプト化されたそれ、すなわちヘルメース・トトのことなのである。これはギリシア神ヘルメースとエジプト神トトが結合した合成神である。ヘルメースとトトは本来共に言葉と学問の神であり、ヘレニズム時代に入ってからは広い範囲で両神の等置が認められる。ヘルメースの名で多くの学問的作品が生み出された動機の一つはここにあったのだろう。このためヘルメス文書はほとんどすべて知識の伝授すなわち教えとして書かれており、小説とかドラマなどと言った性質のものではない。
2. ヘルメス文書の範囲
古代ヘルメス文書には無数の作品が数えられ、今後の発見により更に増加することも予想される。<……>大量の作品群が扱っているテーマもまた広い範囲にわたり、簡略な分類でも哲学、宗教、占星術、博物学、錬金術、魔術、歴史などが挙げられる 個々の作品について見れば勿論、複数の主題にまたがっている例がほとんどである。
A 哲学・宗教的な作品
(1)『ヘルメス選集』(CH=Corpus Hermeticum) 後2-3世紀
ギリシア語。第I−XVIIIの17冊子を含む(XVは欠番)。国王の称賛演説を内容とする第XVIII冊子を別とすれば、すべて宗教・哲学的な教えを主体とする。
荒井献・柴田有訳『ヘルメス文書』(朝日出版社、1980.10.)に全訳されている。
(2)『アスクレビオス』(AsL) 後2世紀
ラテン語。ギリシア語原本からのラテン訳であるが、原本は散失し、ラクタンチゥス『神学体系』とアレクサンドリアのキュリロス『反ユリアヌス論』などに部分的に伝存するのみである。ギリシア語題は、『完全な教え』(logos teleios)であった。
邦訳はないが、柴田有「ヘルメス思想の源流:『アスクレピオス』の自然哲学とその周辺」(新岩波講座・哲学8『技術・魔術・科学』所収)に概説されている。
(3)『ストバイオスのヘルメス文書断片』
ギリシア語。後5世紀初めにまとめられた詞華集の著者、ストバイオスがその中に伝えている断片。断片の数は数十に上るが、現代のヘルメス文書テキストに収録されている数は編集者により異る。NF(Nock, Festugièreの校訂本)は三〇を収めている。
(4)その他の断片
ラクタンチゥス(3−4世紀)、アレクサンドリアのキュリロス(4−5世紀)、錬金術師ゾシモス(3世紀)、プラトン主義者ヤンプリコス(3−4世紀)らの伝えるヘルメス文書断片。ギリシア語のものとラテン語のものとがある。
(5)ナグ・ハマディ文書の一部
コプト語。ナグ・ハマディ文書は13のコーデックス(冊子群)から成っている。そしてコーデックVIの第6−8冊子はヘルメス文書である。「第八のものと第九のもの」はグノーシス作品で、「再生」(CHXIII)を基本的に受け継いでいる。「唱えられた祈り」は、『アスクレピオス』末尾の祈りと一致する。「アスクレビオス」は『アスクレピオス』(2)と多くの箇所で並行する。
B 占星術の作品
今日ラテン訳でしか伝存していない『ヘルメスの書』(Liber Hermetis)は、その内容において紀元前の初期エジプト占星術を伝えるものと評されている。原本はギリシア語である。ラテン語写本は15世紀のもので、今世紀前半、グンデルが発見した。
古代占星術は通常薬学や植物学と一体をなす。例えば、ヘルメースからアンモーンに宛てた『イアトロマテマティカ』は天体の観測に基いた薬剤の研究である。この作品は後1世紀の医師テッサロスによるとも言われている。また幾つかの写本に伝えられる、ギリシア語の『シャクヤクについて』は天体現象と植物の関係を論じている。
C 錬金術の作品
エジプト、メンデスのボーロスによる『自然学と神秘学』(Physika et mystica)は、錬金術のヘルメス文書であるが、今日その残片しか存在しない。前200年頃のデーモクリトス派の一人によれば、ギリシア・エジプト的な錬金術はとりわけボーロスによって体系化されたのである。ボーロスから後3世紀のゾシモスに至る期間については、やはり僅かの断片が残っているにすぎない。パノポリス(現在アグミーム)のゾシモスは『オメガ文字について』、『最後の勘定書』、『器具と炉について』など多数の錬金術著作をギリシア語で残している。彼自身の言葉からも推定できるように、これらは多量の*ヘルメス*錬金術の知識を取り入れている。換言すればゾシモスはヘルメス錬金術の貴重な証人なのである。
D 魔術の作品
ギリシア語で書かれた古代魔術文書の集成である、プライゼンダンツのテキストは既に古典的位置を占めるものである。しかも我々にとって重要なのは、純粋に魔術的な内容の一部がヘルメース・トートに帰されている点である。この外には、比較的早い時期に作られた、『キュラニデス』ないし『コイラニデス』を挙げれば十分であろう。これはヘルメースから「キュラノス」(架空のベルシア王)へ宛てられている。
(荒井献・柴田有訳『ヘルメス文書』(朝日出版社、1980.10.)の解説)による。
3.ヘルメス文書の著作年代と地域
ヘルメス主義の起源が、どのような環境のどのような著者たちによったかは、われわれにとって重要な問題である。ここでは主として哲学・宗教著作の著者たちについて、簡潔に述べておく。ただし、ヘルメス文書の作者と荷ない手に関する研究は現在のところ皆無と言ってよく、以下に記すところも一試論にすぎない。
著者たちは異教の知識人であったように思われる。彼らはギリシア・ローマ的な教養の過程を踏んでいたはずである。前項に掲げた著作リストのほとんどは、原本はギリシア語であって、キリスト教の影響はほとんど認められない。またその内容は、強くギリシア・ローマ的である。作品の中で時折出会う「概説」(genikoi logoi)という表現も、恐らく教育の課程と関連している。これは従来著作の題名と考えられてきたが、教養の基礎課程を示しているというのが私の見解である。
とすると、彼らの活動地域として、エジプトのヘレニズム都市、たとえばアレクサンドリア、リュコポリスなどが考えられる。事実、ヘルメス文書についての言及が出はじめた時期でみると、アレクサンドリア教父の証言が目立って多いのである。
それでは、ヘルメスの名で啓示文学を書き残した知識人たちは、どのような職業と結びつけられるだろうか。難しい問題であるが、地域をアレクサンドリアに限定した場合、まったく手掛りがないわけではない。教父クレメンスの報告によると、二世紀のアレクサンドリアにおいて、重要なヘルメス文書は四二冊あった。その内三六冊はエジプトの哲学を主題とし、*祭司たち*がこれを学ぶ。また残りの六冊は医学を対象とし、*神官たち*がこれを学ぶ。クレメンスによると、ヘルメス文書は神官・祭司たちの手で継承されていたのである。もちろん、継承と著作とほ別の仕事である。しかし、古代エジプトの神殿が一種の文化センターであることを考慮するなら、学芸の創作者と継承者がともに神官であったと想像することは、不可能ではない。神殿は図書館をそなえていたり、文化的水準を示す遺構・遺物のなかに僧房をもっていたりすることが、発掘によって明らかとなっている。またヘレニズム時代の神殿は、しばしば託宣を受けるための秘密の通路をそなえていた。これはヘルメス文書の文学形式(一方的伝授ないし託宣)に見合った生活の座を証示しているように思われるのである。
(柴田有「ヘルメス思想の源流:『アスクレピオス』の自然哲学とその周辺」)による。
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