「神代地誌」は、飯尾都人氏が、シケリアのディオドロスの『歴史叢書』第1巻から第6巻までの総題「アルカイオロギア」の訳語として用いた言葉である。氏はこう書いている。
ディオドロス6巻の題名は、「アルカイオロギア」として置けば、一番無難とは思ったが、それでは面白くない。直訳すると「古事記」とか「古事談」であろうが、解説でもふれたとおり諸族誌や地誌の要素がかなりの比重を占めている。「神話と地誌」ではテーマが分離してしまうし、もちろん訳者としてのわたし自身の関心もあって「神代地誌」に決めた。いわゆる周辺諸族の習俗は、ローマによる征服までは、それこそ神代から変わらず続いていたことであろうとも思う。
パウサニアスの『ギリシア記』(1991)をはじめ、ストラボンの『世界地誌』(1994)、そしてディオドロスの歴史叢書(1999)と、おそらくは自分の専門外の分野について、しかも顧みられることのない困難な訳業にあたっておられる氏を、わたしは不思議な思いで見ていた。そして今、氏の関心が奈辺にあったのかを、初めて確認でき、自分の関心と重なり合うことに、同学の士を得たというしみじみとした悦びを感じている。
ここに訳出したのは、ヤコビィがそのFGrHist.において、"Alte Genealogie"としてまとめた古代ギリシア最初期の歴史家たちの断片集である。"Alte Genealogie"は、「古代系譜論」とでも訳そうか。しかし、その内容は、飯尾都人氏の云う「神代地誌」にまさしく合致するものなので、敬意をこめて、氏の訳語を借りることにした。
しかし、飯尾都人氏は逝かれた。
わたしも、いつしか、自分に残された時間と、自分にできるであろう仕事の量とを測りあうようになった。自分の最後の生命の火をかきたてながら、残された時間を訳業に捧げられた氏に、哀惜の念を禁じ得ない。場違いながら、『ディオドロス・神代地誌』(龍渓書舎)の氏の「あとがき」をここに引用して、氏に対する敬意に代えさせていただきたい。そして、氏のやり残されたことに多少でも寄与できれば、これにまさる喜びはない。
本書に収めた三篇〔ディオドロスの『歴史叢書』第1巻〜第6巻、ポンポニウス・メラの『世界地理』、プルタルコスの『イシスとオシリス』〕は元来、拙訳ストラボンの参照資料として、そのIVを構成するはずであった。それを、このように独立の書として出したことについて、私事にわたる記述を御許しいただきたい。
先年、パウサニアスを訳している途中、わたしは厄介な病いに遭うことになった。その時は幸いに危機を脱したが、その後は三年を限度として仕事をするようにしながら、不安は念頭を離れずストラボンの訳文だけを切り離して出したのも、内心ではこの不安を抱えていたことによる。そして、不運にもこの不安が現実のものとなり、昨春入院後、最初に診断した医師は家族の同席を求めた上で、わたしに向かい、余命は良くて二年、悪ければ半年であることを告げた。その時わたしにはいくつかの気がかりなことがあったが、そのひとつがストラボンの訳注をどうするかであった。しかし、地名四千、人名一千の注を完成させることは、たとえ二年の猶予が手に入るとしても、到底不可能である。拙訳を御利用いただく方々には申訳ないことながら、この仕事は断念するほかなかった。
他方、本書に収めた諸篇は手許用に素訳を持っていたので、これに手を入れて仕上げることは、あるいは可能かも知れないと考え、龍渓書舎にも事情を話して御承諾いただいた。しかし、発病入院後一年余の間に、自宅に帰ったのが延べ一か月余、勤務校の研究室には一度も出かけることが出来ない状態では、仕事にも限界があった。所詮、病室の窓辺は書斎にはなりえない。ただ、この程度の訳でも呼び水となって、本格的な研究訳が晴々と湧き出でることを願うだけである。
飯尾都人氏の「呼び水」に、一市井人として応えられることに、わたしは喜びを禁じ得ない。
底本は、Jacoby, F., Die Fragmente der griechischen Historiker, Berlin/Leiden 1923-. による。