T1
SUID. 「ヘッラーニーコス」の項。
〔レスボスの〕ミテュレーネー人、歴史家。アンドロメネースの子、しかし、アリストメネースの子という人たちも、スカモーンの子という人たちもいる。同名の息子がいた。ヘッラーニーコスはヘーロドトースとともに、マケドニア人たちの王アミュンタスのもとで過ごした、エウリピデース、ソポクレース(456/5)と同時代の人。またミーレートス人ヘカタイオスにも出会っている、ペルシア戦争の時(480/79)、あるいは、その少し前に生まれているので。そして、ペルディッカスの時代までも生き延び、亡くなったのは、レスボスの対岸〔本土〕ペルペレーネーにおいてであった。散文ならびに韻文で、きわめて多数の作品を編纂した。
T2
STRABON XIII 2, 4:
ヘッラーニーコスもレスボス人の歴史編纂者である。
T3
GELL. NA XV 23:
〔未訳〕
T4
a) EUSEB. chron. can. ol. 70, 1(500/499):
ヘッラーニーコスは歴史著作者として、デーモクリトスは哲学者として、ヘラクレイトスと……アナクサゴラスは自然学者として著名である。
b) SYNKELL. I 452, 14 ed. Bonn. (KYRILL. c. Julian. I p.13 Spanh. zu ol. 70):
デーモクリトス……ヘーラクレイトスも……アナクサゴラスも、盛時を同じくする自然学者たちである。歴史家のヘッラーニーコスが知己としていた。
T5
DIONYS. HAL. De Thuk. 5:
ペロポンネソース戦争よりわずかに年長で、トゥキュディデースの年代までも生き延びたのは、レスボス人ヘッラーニーコスもそうであるが…… 1 T 17aを見よ。
T6
VITA EURIPID. p.2, 5 Schwartz:
サラミス沖でヘッラス軍が海戦に勝利した(480/79)、その同じ日に、ヘッラーニーコスも生まれたという。
T7
STEPH. BYZ. 「パルパローン」の項。
小アジアのアイオリス地方で、ここでトゥキュディデース(l. ヘッラーニーコス)が亡くなったと記録されているとは、アポロドーロスが『年代記』<第2巻>の中で。その地方をPerpivnehnと呼ぶ人たちもいる。T1を見よ。
T8
[LUKIAN.] Macrob. 22:
歴史編纂者たちの中では……レスボス人ヘッラーニーコスが、85(sc. 歳まで存命した)。シュロス人ペレキュデースも同じく85。
T9
SUID. 「ダマステース」(5 T 1)の項。
……彼はヘッラーニーコスの学徒であった。
T10
LISTEN D. GRIECH. PROFANSCHRIFTSTELLER Tab. C:
歴史家<10人衆>。トゥキュディデース、ヘーロドトス、クセノポーン、〔シュラクウサイの〕ピリストス〔c.430-356 BC〕、テオポムポス、エポロス、〔ランプサコスの〕アナクシメネース〔c.380-320 BC〕、〔オリュントスの〕カッリステネース〔d. 327 BC〕、ヘッラーニーコス、ポリュビオス〔c.200-c.118 BC〕。
T11
DIONYS. HAL. De Thuc. 9:
わたしが区分法から〔話を〕始めようとするのは、こう前述したからである。つまり、彼(sc. トゥキュディデース)以前の歴史編纂者たちは、記録を配列するのに、場所によってか、継起的時代によってかであったが、この人はそういった区分法のいずれをも適格とは認めなかったからである。すなわち、いつ事件が起こったかを、ヘロドトスやヘッラーニーコスや、彼〔トゥキュディデース〕以前の歴史編纂者たちのうち他の何人かがやったことだが、場所にしたがって記述を配列することもせず。場所による歴史記録を放棄した人々のことは先に述べられたが、時代によって??記録を配列するに、王位の継承によってとか、神官たちのそれとか、オリュムピア紀年の周期によってとか、例年の役職に任命される役人たちによって、ということもしなかったのである。
T12
DIONYS. HAL. ad Pomp. 3, 7 (II, 234, 10 U R):
もちろん、ヘーロドトスはそんなことはせず、自分より前の歴史編纂者たちのうち、ヘッラーニーコスやカローンが先駆けて同じ主題〔ヘラスの出来事と外国の出来事との共通の歴史〕を公刊していたにもかかわらず、思いとどまることをせず、なにかよりすぐれたことを提起できるという自信を持っていた。これこそが彼のしたことであった。
T13
AGATHEM. geogr. inf. I 1:
レスボス人ヘッラーニーコスは、博識家(polyistor)にして、ごまかすことなく歴史を継承した。1T12を見よ。
T14
CICERO De or. II 51:
ギリシア人もはじめは、わが国のカトーやピクトルやピーソーと似たり寄ったりのものしか書かなかった。というのも、歴史というもののそもそもの始まりは年代記の集積に他ならない。……[53]多くの人はこの編年体に似た記述法に倣い、何の修飾も施さず、時代や人、故地や偉業の単なる記録のみを書き残したのである。ギリシア人ではペレキュデース(3 T 8)、ヘッラーニーコス、アクシラオス(2 T 8)、わが国の人ではカトー、ピクトル、ピーソーといった人たちがそうである。
T15
HERMOGEN. p. ijd. II 12 p.412, Rabe:
テオポムポス(II)、エポロス(II)、ヘッラーニーコス、ピリストス(III)、および、これらと同類の人たちに関しては、余計なことを書きすぎたようにわたしに思われたのは、何よりも先ず、話の説明の仕方や、ひとに対する反論の述べ方からして、この人たちに関する性格づけもひとは難なく考えることができるからでもあり、また彼らの言説に対する熱中や模倣の類は、他の人たち??例えばトゥキュディデースやヘーロドトスやヘカタイオス(1 T 18)やクセノポーンその他の人たちのそれと同様、わたしの知りかぎりでは、ほとんど、いやむしろまったく、重要視されていないからでもある。
T16
〔(欠番)THUKYD. I 97, 2:F49を見よ〕
T17
〔(欠番)PORPHYR. b. EUSEB. PE X 3 p.466 B:F72を見よ〕
T18
JOSEPH. c. Apion. I 16 (EUSEB. PE X 7 p.478C):
わたしが差し出がましくも、わたしよりも知識のある人たちに教えたくなるのは、系譜学に関してヘッラーニーコスがアクウシラオス(2 T 6)と不一致なのはいかほどか……あるいは、エポロス(II)がヘッラーニーコスを、極めて多くの事柄において虚言していると指摘するのは、いかなる意味においてであるということである。
T19
STRABON I 2, 35〔C 43〕:
テオポンポス(II)は、史書の中で神話をも述べると主張し、〔歴史的事実のみならず神話をも述べることを〕認めているのであるが、〔その姿勢は〕ヘーロドトスやクテーシアス、ヘッラーニーコス、『インド誌』を著した人たちよりもまだましである。
T20
AVIEN. or. mar. 41:
はなはだ多くの人たちによって記録の集成がなされた。もちろんその中に含まれるのは、ミレトス人ヘカタイオス、レスボス人ヘッラーニーコス……1T23を見よ。
T21
CLEM. ALEX. Strom. VI 2, 26, 8 p.443, 4 Stäh.:
メレーサゴラス(III)から盗用したしたのは……ヘッラーニーコス……1T24, 4F19を見よ。
T22
STRABON XIII 1, 42:
ヘッラーニーコスは、イリオン〔トロイア〕人たちのご機嫌取りをしている、……彼〔ヘッラーニーコス〕の気象はかくのごとしである……(F 25b)。
T23
同 X 2, 6。
ヘッラーニーコスは、……ほとんど全著作において、このうえない無頓着ぶりを示している……(F 118)
T24
同 XI 6,3。
ひとは易々と信じることだろう、ヘーシオドスやホメーロスや悲劇作家たちが英雄物語をするなら、あるいは、クテーシアスやヘーロドトースやヘッラニコースや、他にもそういった人たちが〔英雄物語をする〕なら。F185を見よ。
T25
ARRIAN. diss. Epict. II 19, 7:
ヘクトールの父親は誰か? プリアモスである 兄弟は誰々か? アレクサンドロスとデーイポボスである。 彼らの母親は誰か? ヘカベーである。 この歴史を省略したのは誰の作品か? ホメーロスの作品である。わたしの思うに、ヘッラーニーコスも同じことについて書いている。他に誰か同じような人がいるにしても……。
T26
同 II19, 11 ff.:
ここにおいても、歴史(iJstoriva)に勝る大事なものはなく、個人的な考えなど、つまらぬものだ。まして倫理的な事柄においては、こういった事柄よりもはるかにわたしたちは、そういうことを実感するのだ。 善きものらと悪しきものらについてわたしにいってください。 聞きなさい。イリオンから風がわたしを運んでキノネス〔トラキアの部族、トロイアの同盟者〕に接近させた。在るものらのうち、あるものは善く、あるものは悪く、あるものは相違しない〔=善でも悪でもない〕…… あなたはどこからわかるのですか? ヘッラーニーコスが『アイギュプト誌』の中で言っている。 いったい、それと、ディオゲネース〔DL. VI_2〕が『倫理学』の中で、あるいはクリュシッポス〔DL. VII_7〕が、あるいはクレアンテース〔DL. VII_5〕が言っていることと、何が違うのですか?
T27
PLIN. NH I 4-6。
下記諸地域の位置・種族・海・都市・港・山・河・面積・現在および過去の住民……典拠著作家……外国の〔典拠著作家〕ポリュビオス〔I_4。I_5と6ではJuba rege〕、ヘカタイオス、ヘッラーニーコス、ダマステース、エウドクソス、ディカイアルコス。
T28
同 NH I 7:
……特別な長寿の事例……典拠著作家……外国の〔典拠著作家〕……ヘシオドス、アナクレオーン、テオポムポス、ヘッラーニーコス〔断片195〕、ダマステース、エポロス……
T29
PHOT. bibl. 161 p.104a 11:
〔ソーポトロスの『抜粋集(Eklogai)』についていえば〕さらにはAelius Dius〔A.D. 2?〕の『アレクサンドレイアについて』からと、ヘッラーニーコスの『アイギュプトス誌』とから〔抜粋した〕同じ話で構成されている。両書から、神秘的なことや虚構を多く集め、互いに異なったことを第6巻の終わりまで及ぼしている。
T30
同 J G II 992 (Bücherschenkung oder -inventar) col. II 4
〔断片的で意味がとれず〕