第7話

火の鳥(phoinix)について


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 主は福音書の中でおっしゃった、「われは魂を棄てる力があり、また再びそれを受ける力がある」〔ヨハネ、第10章18〕と。そして、ユダヤ人たちはこの言葉に怒った。

 インドに鳥あり、火の鳥と言われる。500年ごとに、レバノン杉の森に入り、自分の翼を薫香で満たす、そして新月の日 — ネーサンあるいはアダル、すなわち、パメノート〔エジプト暦で春の第三月〕あるいはパルムウティ〔エジプト暦春の第四月〕に、太陽の都の神官に予兆を示す。神官は予兆を受けると出かけてゆき、祭壇を葡萄の樹で満たす。するとその鳥は、薫香に満たされると、太陽の都に参内し、祭壇に上り、火をつけて、みずからを焼く。翌朝、神官は、祭壇を探ると、灰の中に蛆を見い出す。二日目にはそれは鳥の雛になっているのを見つけ、三日目にはそれが成鳥になっているのを見つけ、〔鳥は〕神官に挨拶し、自分の本来の場所にもどってゆく。

 されば、この鳥がみずからを殺し生きがえらせる力を有するなら、どうして、愚昧なユダヤ人たちが主のおっしゃったこと「われは魂を棄てる力を有し、また再びそれを受ける力を有す」に怒ることがあろうか?

 されば、火の鳥はわれらの救主の顔つきをしている。天界よりやってきて、みずからの両翼を広げ、芳香すなわち天なる高潔な言葉に満たされつづけられたのは、わたしたちも祈りによって両手を差し伸べ、善き教区民の生活によって霊的な芳香をお返しせんがためだからである。

 かく美しく、自然窮理家は火の鳥について言った。

 



 ヘロドトス『歴史』第2巻73章。
 「右のほかにもう一つ、ポイニクス(フェニクス)という名の聖鳥がある。私はその姿を絵でしか見たことがない。というのもこれはめったに現われぬ鳥で、ヘリウポリスの住民の話では、五百年ごとにエジプトに姿を現わすのである。そしてそれは父鳥が死んだ時であるという。絵に描かれているとおりであるとすれば、その大きさや形状は次のとおりである。その羽毛は金色の部分と赤の部分とがあり、その輪廓と大きさは鷲に最もよく似ている。エジプトの伝承によると、私には信じられぬことであるが、この鳥は次のような工夫をこらすという。すなわち父鳥の遺骸を没薬の中に塗り籠め、遙々アラビアからヘリオスの社へ運び、 ここに葬る。その運ぶ方法は、先ず没薬で自分が運ぶことのできるはどの重さの卵形のものを作り、それを運ぶ実験をしてみる。念入りの実験を終えると、卵をくり抜いて父鳥の遺骸を入れ、父島を入れるためにくり抜いた部分の穴は、別の没薬を加えて塞ぐと、父鳥を入れた重さがちょうどはじめの重さと同じになる。ポイニクスはそのようにして父鳥の遺骸を塗り籠めてエジプトのヘリオス神殿へ運ぶのだという。エジプトの伝承では、この鳥がこのようなことをするということになっているのである」。

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 この聖鳥は、エジプトではベヌウである。初めは小鳥のセキレイとして描かれたが、間もなく青サギの像に取って代わられた。
 「この聖鳥をめぐる伝説は、ファラオの宗教よりも長く生き残った。特別なフェニックスの出現は、500年ごとに起きる前兆と考えられていた。この期間は神の再生の周期に対応しているとみなされていた。タキトゥスの報告によると、皇帝ティベリウスの死[紀元後37年]がフェニックスの出現によって告げられた(紀元後34年)という」(『エジプトの神々事典』p.48)。

 画像は、ニコラウス・ロイスナー(Nicolaus Reusner 1545-1602)の『倫理的、自然的、歴史的、ヒエログリフ的エンブレム集(Emblemata, Partim Ethica, et Physica, Partim vero Historica et Hierogluyphica)』(1581) S. 98。モットーは「常に唯一の鳥(Vnica semper avis)」、エピグラムは次のとおりである。
これ[フェニックス]は香の滴と潅木の火で生きる。
フェニックスは祖先の薪を自らの揺藍とする。
常に唯一の鳥。父にして、自分自身の子。
それは、自ら死ぬことによって、唯一、自らに生命を与える。
一千年が過ぎるごとに、生き返る。
薪の上で死にながら、火によって生まれかわる。
同様にキリストは、いったん死にながら、
キリストの崇拝者たちに対して、自らの生命を蘇らせた。
彼らを等しい愛によって自身に結びつけた。
真の人間、真の唯一の神、そして永遠の支配者。
彼は万物を光によって照らし、神性によって満たす者。
キリストによって、聖なる泉で再生する者は幸福だ、
聖なる水によって生命を得て、それを掴む者は。
 (pp. 98-89)