第30話
シカ(elaphos)[とヘビ]について
ダビデが言っていることだが、「シカが水の湧く泉を慕うように、わたしの魂は、神よ、あなたを慕う」〔詩篇、第42章2〕。自然窮理家はシカについて、大蛇の天敵であると言った。大蛇がシカから大地の割れ目に逃げ込むと、シカは行って、自分の胃袋を泉の水で満たし、大地の割れ目に吐き出し、そうやって大蛇を引っぱりだし、これを叩きつぶして殺す。
そのようにわたしたちの主も、巨大な大蛇[悪魔」を、ご自分がもっておられた天上の水を、神の告知として、有徳の知恵でもって殺された。なぜなら、大蛇は水に堪えられず、悪魔も天の言葉に〔堪えられ〕ないからである。
主は、現に、巨大な大蛇を[すなわち悪魔を、天上の水でもって]追跡なさった。そこで悪魔は大地のより低い底に、〔大蛇が〕大きな割れ目に隠れたように、わが身を隠し、主はご自身の脇腹から血と水を注ぎ、再生の洗い〔テト、第3章5〕によって大蛇をわたしたちから取り去り、わたしたちの内に隠れていた悪魔的活動力をすべて取り上げられた。[シカ(elaphos)の語源は、「ヘビども(opheis)を取り上げる(anelein)」という意に求められる。ヘビ(ophis)は、「話しかけたもの(ho phes)」つまり、かつてエバに告げた者の意に解される]。
あなたもあなたの心に意を傾けるなら、福音を呼ぶべきである、そうすれば、あなたに向かって言われよう。「姦通するな、淫行するな、盗むな」。こういった理理性的水を味わえば、あなたはありとあらゆる悪徳を吐き出すことができよう。
あなたも、人間よ、あなたの心の中に保持されている理理性的大蛇どもを所持しているなら、福音を呼ぶべきである。そうすれば、それはあなたに言う。「人殺しをするな、姦通するな、偽証するな」。これらの理理性的水をあなたが耳にするなら、あなたはありとあらゆる悪徳を吐き出すであろう。そうすれば、あなたの心は神の聖所となり、神の霊もあなたの内に住まう〔第1コリント3_16〕。
されば、あなたも、おお教区民よ、あなたの胃袋を、主の福音の言葉で満たしなさい。そうすれば〔それは〕あなたに言うであろう。「盗むな、淫行するな、人殺しをするな、姦通するな」、そうしてこれらのことを守り、ありとあらゆる悪徳を退け、吐き出しなさい、そうすれば、あなたは原罪の大蛇ないしは悪魔を殺すことができる。
さらに、違った意味で、シカに似ているのは修行者たち、有徳の労多き生を難行苦行によって送る人たちである、この人たちは、渇したために悔い改めの救いの泉に向かって駆ける人たちのように、讃美の涙によって、邪悪の火矢を鎮め、巨大な大蛇、あるいは悪魔、を踏みにじって、これを殺すのである。というのは、シカの毛が屋内にあらわれたり、その骨を香に焚く者がいれば、あなたが大蛇の臭いとか跡を見ることは、決してあるまい。なぜなら、キリストに対する恐れがあなたの心に見い出されるところ、そこには、邪悪な魔薬があなたの心に押し入ることは決してないからである。
かく自然窮理家はたゆむことなく、シカについて告げた。
これも自然窮理家が言ったことである。シカたちはヘビに襲いかかり、これを飲み下すと、走り出し、激しく駆り立てられる。そうして、駆り立てられ、走りつづけて、二日ないし三日のあいだ、立ち止まることをしないので、<ヘビは>シカに消化される。その獣〔ヘビ〕が消化されると、<シカは>それを尿道を伝って下に放尿し、その尿がかかったところに、単なる若枝が生じる。
そのようにあなたも、賢明な人間よ、多大な労苦をし走りまわれば、あなたは悪魔の悪臭を振り払うことができよう。
美しくも自然窮理家はシカについて言った。
註
旧約聖書では、シカ(アィヤール)は清浄な動物の1つとみなされていた(申命記、12:15, 14:5, 15:22ほか)。七十人訳ではつねにシカ(elaphos)と訳されている。ヘブライ語の男性名詞アィヤールは、明らかに、シカ科のダマジカ(Dama vulgaris [Cervus dama (L.)])かバーバリアカシカ(Cervus Barbarus [C. elephus barbarus Bennett])のいずれかの種をさしている(『聖書動物大事典』p.201-2)。
シカとヘビとの関係は、プリニウス『博物誌』第8巻118
「シカもヘビと闘う。彼らはヘビの穴を捜し出し、それが抵抗するのを鼻息で引き出す」。
ヘビを鼻息で引き出すというイメージはオリゲネスにも引き継がれる。
「シカはヘビの天敵であり、ヘビと闘う動物である。その鼻息で穴からヘビを引き出し、その毒を無力にし、糧として賞味するほどである」(In Canticum Canticorum homiliae II, 11)。
ところで、何ゆえにシカとヘビとは敵対的なのか? はっきりしないが、メソポタミアの聖婚(ヒエロス・ガモス)によって代表される豊穣儀礼にそのルーツを求めてよいかも知れない。メソポタミアにおける豊穣祈願の大祭たるアキトゥ祭に淵源するイランの新年祭(ノールーズ)の儀式は、
1)旱魃 悪龍の支配
2)城塞の征服 悪龍退治
3)塞き止められた水の解放 捕らわれていた娘の救出
4)降雨 ヒエロス・ガモス(Hieros gamos)
という劇次第で演じられるという。明らかに雨乞い儀礼である。このことは、ただちに鹿角仙人=一角仙人の伝説(第22話註参照)を連想させる。
「この新年の祭典の儀式においては、女性の救出が重要なテーマとなっているが、これは悪龍アジ・ダハーカに捕らわれていたヤマ神(イラン神話における人類の祖)の二人の姉妹といわれる。このような娘(達)は、一角仙人物語において、仙人を誘惑すべく山中に派遣された遊女、ナリニカー姫のイメージに重なると考えられるが、その具体的相関関係は判然としない」(田辺勝美「一角仙人と古代アジア文化」p.43)。
いずれにしても、遠いところで一角獣と関連しているらしいことが注目される。
左図は、ゴネストロップ(デンマーク)で発見された大釜の側面の浮彫である。
「分解され、奉納物として沼地に埋められていた。おそらくはケルト世界の東 端に位置するバルカン半島産のもので、その他の神話が集約的に表現されてい る。直径69センチ、部分的に黄金を使っている以外は銀製で、BC1世紀のも の。
外板は、程度の差こそあれ恐ろしげな神の顔を描いた7枚のパネルからな る。内板は楽師をふくむ賑やかな行列や犠牲の儀式を含む、祭祀の場面を描い ている。左頁上〔上掲載図〕は、その1枚で、ケルヌンノス神を描いたもの。 あぐらをかいた神が左手に羊頭の蛇(大地の豊穣と、攻撃力の象徴)、右手に 自分がしているのと同じ、螺旋状のトルク〔=首輪〕をもっている」(クリスチアーヌ・エリュエール/鶴岡真弓監修『ケルト人:甦るヨーロッパ 〈幻の民〉』知の発見双書35、創元社、1994.3.、p.121)。
画像出典、頸の部分の欠損から見て、トップセル『四足獣』からの採録であるが、原画は Konrad Gesner『Historiae Animallum』第1巻である。